第十五話『戦いを挑む者』(4)-2

同日午後六時一七分


 嫌な予感がした。

 ルナにはその予感の原因が何かまでは分からなかった。

 彼女がそれを感じたのはライエン・ケミカルでの脳波の測定が終了した段階だった。


「どうした?」


 ゴードが少しだけ不安な表情をしたルナに聞く。


「いえ、ちょっと、悪い予感がしたもので」


 ルナは笑顔を作ってはぐらかす。


「悪い予感、ねぇ……」


 ゴードは顎をかきながら、不思議そうな物言いでルナに言った。


「予感って奴だけは、未だに科学で捕らえられないんだよなぁ……」

「は?」


 ルナは首をかしげる。その態度にゴードは一気に飛びつくようにルナに話した。


「いいかい。人間の人体の構造は軒並み解明された。だいたいアーマードフレームやら通常の人間の体とほとんど変わりない義肢やらが登場してる世の中なんだしね。更には感情についても脳のどの分野がどの感情を司り、そしてどういった思考をはじき出すのか、それまでも解明されてる」


 ゴードの話は事実だが、ルナは何処か怖かった。

 確かに、ゼロは周囲から見れば人間とは言い難い。それはゼロ最大の悩みでもあるし、それを見つけること自体が彼の生きる目的のようにも感じる。

 だが、ゴードの言ったようにそこまで人間の構造が解析されているとして、仮にそれを全て機械化させたロボットが出現したとしたら、どうなのだろうか。

 それは人間なのだろうか、それともそうではなく、あくまでもロボットなのだろうか。生物学的な定義だけを見れば非常に曖昧な存在であると言わざるを得ない。


 では、果たして自分はなんなのだろうか?

 明らかに人間としては異端だ。だが、かといってアイオーンかと言われると絶対に違うと断言できる。

 どこか自分の存在が宙に浮いたままになっている、ルナは何となくそう感じていた。


「人間とは……」

「そう、そこだ。あくまでも神経とか生物学的な要素だけは0と1に出来るかもしれない。でも、それをやってのけられた奴は誰一人としてこの世にいない。何でか分かる?」


 ゴードの問いにルナは少し上を向いて考える。天井で覆われてても、天に聞けば何かが分かる、そんな気分にさせるから、ルナはよく上を向く。

 そして、考えた末にただ一言呟く。


「心」

「せーかい。よく解けました。こればっかりは未だにわからんのよ。だから人間は研究しがいがある。特に君みたいな存在だと尚更ね」


 ゴードはルナの答えに目を輝かせながら答えた。

 この男は狂気に満ちつつも、どこか純粋だ、そんな風にルナには思えた。だからか、彼を嫌いにはなれなかった。

 自分は彼にとっては研究の対象でしかない、それはわかっているが、それでも彼を結構気に入った自分がいた。

 そんな時放送がなる。


『主任、ルーン・ブレイドの方々が参られました。そろそろお時間かと』

「あ、もうそんな時間か……。残念だがしょうがないか」


 ゴードは放送にガッカリと肩をうなだれた。

 しかしルナはどうも今の放送に不安を感じた。『方々』ということは多数で来たと言うこと。


 何かあったか。一応『準備』はしておいたのだから多分大丈夫だとは思いたいけど。

 ルナは不安に駆られる自分を少し抑えて、一度ゴード達に頭を下げてから、部屋を後にした。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「やっぱりあんた達か……。ってことは、やはり?」


 ルナはライエン・ケミカルの入り口で頭を抱えた。

 そこには拳を真っ赤に染めたブラッドとブラスカ、そしてそれを見事に御しているレムがいた。


 結局あの後は当然の如くブラッド、ブラスカ両名の圧勝で終わり、あの男達は軍警察に引き渡された。

容疑は密入国とスパイ防止法違反、婦女暴行未遂に誘拐未遂とまぁ最低でもこれくらいである。これ以降更に罪状が増加していくことは火を見るより明らかだった。


「ああ、お前の想定通りだ」


 ブラッドはルナの言葉に頷く。

 ここで初めてレムはブラッドとブラスカの二人が自分の所に来たのはルナの差し金だと知った。

 確かにヤケに根回しがいいとは思っていたが、こうならば納得である。


「しっかし換気扇のところに誰かいる気配はあったし、何があるかはわからんわね……」


 ルナは一度頭を抱える。


 厄介事だらけね。


 心底そう思った。


「せやかてポリ公に渡してきたんや。大丈夫やろ、たぶん」


 ブラスカはそう言うが、先ほど感じた悪い予感が未だに抜けきっていない。

 それはどうもブラッドも感じているようだ。すぐさまブラスカに反論する。


「いや、そうとも言えないな。もし俺だったら口を割らせないようにするために殺す。どの道死んでくれた方がありがたいから周囲の被害など知ったこっちゃない。それにポリ公の車の中でゲロっちまう可能性もあるから護送車ごと吹っ飛ばすな。出来ることならバレないようにしたいが、万が一足が付いてもいいようにある程度のダミーの犯人も用意しておく」


 こういうところは殺しのプロとしての昔の考えが抜けていないが、普通はこうするだろう。

 特に今のベクトーアのように議会勢力が二分し掛かっている状態ではなおさら効率的だ。国民の疑心暗鬼も招くことが出来るからである。

 そんな時、ルナの携帯電話が鳴る。着信相手はフィリム警察署に勤める自分の知り合いだった。


 事情聴取かな? 一瞬そう思ったが、携帯電話を取ろうとした瞬間に悪い予感が最高潮に達した。

 何かやばいことだ、彼女の予感はそう言っていた。

 ルナは意を決して電話に出た。


「はい、ホーヒュニングです」


 三人とも固唾をのんで、彼女からの結果を待った。


「……爆破? それが何の……襲撃した連中を?! 生存者は?! 無し?!」


 ブラッドの言った手段をそのまま採られた形となった。

 護送車に向けて対M.W.S.ライフルが撃ち込まれたらしい。弾丸は見事に車を貫き爆破、生存者なし。


 犯人は逃走したが捕まった、しかしどうやら偽物くさいと、ブラッドの言ったことそのままだった。


「う、うそぉ……」


 レムも流石に青ざめる。かなり強引な手口とはいえ、相手はこれくらいやりかねない。

 一歩間違えれば自分もうこうやられていたかもしれないのだ、そう考えると恐ろしかった。

 そしてルナは電話を切るやいなや


「やられた、先に手を打たれてたわ! くっそ……!」


と怒りに満ちた目で遠くの空を見つめていた。

 周囲は、既に月明かりが支配している。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同日午後八時三〇分


「襲われた、か……」


 ロニキス・アンダーソン中佐はルナからの報告を聞いて頭を抱えた。

 フィリム第二駐屯地内第四棟三階にある第三執務室、それが叢雲の艦長にしてルーン・ブレイド艦隊指揮官であるロニキスのもう一つの部屋だった。


 こぎれいにまとめられたその部屋は、叢雲と同じように、チリ一つ落ちていない清潔さを保っている。

 あれからレムはと言うとブラッド、ブラスカ両名に護衛されている。

 今は整備デッキにて前回の戦闘で中破したホーリーマザーを第九課に送り出し、当の本人は勉強もあるからか、整備デッキで整備班数名とたっぷり貯まっていた宿題の片付けに追われているようだ。


 ロニキスは一番奥にある自分専用の椅子にもたれかかって、現状に溜め息を吐いた。

 予測できてはいたが、こうも早くやられるとは正直予想外だった。


「案の定、というべきですかね」


 ロイド・ローヤーもまた、深い溜め息を一つ付く。ロイドはルナ達と同じように長椅子に座っている。ルナとは向かい合う形だ。

 しかし、二人とも表情は暗いが、目は死んでいないことが、ロイドと向かい合っているルナにはよく見えた。

 逆に試行錯誤することで彼らの目はより一層輝く。この二人はそう言う男達だった。


「どう思います?」

「人権一切無視するなら、レムを拘束した上でどこか安全な場所へ隔離する。けど、それはあの子の精神をより最悪な方向へねじ曲げる。出来るなら従姉妹としては、そうならないようにしたいところですね」


 ルナの向かいに座っていたアリス・アルフォンスは報告書に目を通した後、ロニキスにまるで嘆願するように言った。

 アルフォンス家はホーヒュニング家の遠縁に当たり、アリスはレムのことを昔から知っていた。

 しかし、ルナの方は三年前にアリスがこの部隊に編入されるまで全くその存在を知らなかった。


 それもそうだ、ルナが養子に入ったのが十年前で、それから二年後にアリスは家を勘当されたのだから。

 要するに一度も会う機会がなかったのである。

 だが、アリスという女性はルナにとってこの上なく頼もしい存在だし、もし自分に万が一の事態があれば、ルナはアリスにレムを任せるつもりですらあった。


「連中もこれだけやられたことを考えると、大規模な手はしばらく打ってこないでしょう。しばらくは安全だと思って間違いないはずです」

「確かにな。流石に今日のような手口はすまい。相手は間違いなく殺すことを一番恐れているだろうから、暗殺という手段は使わないだろう」


 ロイドに続いてロニキスが述べる。

 コンダクターという存在は貴重だ、死んでしまったらそれはタダの人間の死体と何ら変わりがないのだ。

 あくまでも生きているから価値がある。だからこそ相手は拉致という手段に打って出るのである。

 しかし、その拉致はレムについては失敗した。だからこそ、ロニキスは次の心配をしていた。


「むしろ心配なのは君の方だ。彼女が無理だと思ったら、君の方へターゲットがシフトしかねない。策は練ってあるのか?」


 ルナはロニキスの言葉に頷いた。


「ゼロに護衛役を務めさせます」

「彼は了承しているのか?」

「了承させましたよ。借金増やしたくなければ護衛しろって言ったらすぐ飛びつきました」


 ルナ以外の三人とも引いた。どう考えても立派な脅迫である。

 確かにゼロには傭兵時代に残した莫大な借金がある。


 整備費用や弾薬費の踏み倒し、食い逃げ、喧嘩相手への賠償金等々、枚挙にいとまがない。

 さすがにその事を調べ上げたときはルナもアリスも愕然としたものだ。しかし、ルナはここを掌握することを考えたのだ。

 それをエサにルナはゼロを脅迫したのだ。やり口が汚い上えげつないことを考えるものだ。

 世界である意味一番敵にしたくない女だ、間違いなく。


「ま、いいか……。胃が少し痛くなったが……」


 ロニキスは重く溜め息を吐き、少し胃を抑える。

 相も変わらず胃は酷いようだ。そしてそこにすかさずロイドが立ち上がってポケットから胃薬を差し出し


「艦長、胃薬です」


と言ってロニキスに与えた。


 あんたなんでいつも持ってるんですか。


 ルナは呆れた。


「いつもすまん……」


 ロニキスはまた溜め息を吐いた後、錠剤の胃薬を一気に飲んだ。その様を見ても、ロイドはただ


「いえ、私の役目の一つですから」


と平然と応えた。

 そしてこれで一応危惧していたことは全部片付いたことになる。

 なのでロニキスは


「では、これで解散とする」


と言って三人を下げた。

 手元の書類を手短に片付け、アリスとルナが先に出る。

 そしてロイドも出ようとしたとき、ロニキスがそれを止めた。


「おお、ロイド、話がある。少し付き合え」

「はっ」


 ロイドははっきりと応えた。

 まるでこう来るのを予想していたように。

 そのことに少し疑問を感じたルナだが、久々に帰ってきたことだからつもる話もあるのだろうと、そのままロニキスの部屋を後にした。


 そして二人がいなくなるやいなや、ロイドは今までの会議では全く見せなかった資料を手にロニキスの前にやってきた。


「例の件は、何処まで進んだ?」


 ロニキスが話を切り出す。


「まだ何とも言えません。ただ、一つ、気になることが」

「なんだ?」

「ここ最近、妙な会社が出来たんですよ。それもベクトーアとフェンリルの国境付近に数カ所」

「会社?」

「ええ、ロキって名前の会社です。一応運送屋らしいですが、どうも胡散臭いです。資金の流れとかが、特に」


 ロイドは持っていた資料をロニキスに見せる。

 それに対して彼はいぶかしんだ。

 ロキという企業の実態が、どこか漠然としすぎている。何か引っかかるのだ。

 こういう時の勘は当たる、ロニキスが実戦でよく感じることの一つだ。


「確かに妙だな。何かあるというのは確かだろうな」

「ええ、恐らく」

「探れるか?」

「出来ることなら、諜報部から回してもらえるとありがたいです。こっちは『あちらさん』の動向探るだけで手一杯ですから」

「『奴』が、裏で繋がっているから、か?」

「何かあることは間違いないかと。何回も接触してそれは感じました。問題なのは、最悪の事態をどう防ぐか、それだと思います」


 奴という人物、最悪の事態。ロニキスとロイド、少なくともこの二人は今後何が起きるかある程度の予測は出来ていたという。

 ただ彼らは、結論を急ぎたくはなかった。確証がなかったからだ。今情報を与えても無用の混乱を与えかねないような情報だったのである。


 しかし二人とも、ルナも遅かれ早かれ自分たちと同じ結論に達すると考えていた。

 だが、ルナをこの会議に参加させられていない。その理由はただ一点、コンダクターであるが故に拉致の可能性があったからである。

 もしこの会議の内容を全て知った上で他国に拉致され、自白剤の投与でもされれば全てが水の泡と化す。さすがにそれだけは避けたかった。


 もちろん、自分たちの暗殺や誘拐の可能性は考慮してある。だが、ルナはどう考えてもその希少性から誘拐の確率が相対的に上がる。

 だからこそ、ルナには自分で結論に辿り着いて欲しい、というのが彼らの考えだった。

 しかし、考えれば考えるほどやることが多い。

 ロニキスはこの状況にも、また溜め息を吐く。


「……厄介な件だ。私の胃もまた随分と痛みそうだ。家族にもこの間言われてな……」

「なんと?」

「『もう年だから前線出ないで後方に引っ込んだら?』、そう妻に言われたよ」


 こう見えてもロニキス、妻帯者な上子持ちだ。更に自分ももう年齢は四七、出来るなら若者に自分の位を譲って自分は引退しようかと考えたこともある。

 だが、今ここで腰を折るわけにはいかなかった。

 最悪の事態だけは、防ぎたかったからだ。


「艦長はまだ現役です。私の方こそ、役に立っているのか……」


 ロイドの顔が暗くなる。

 自分の存在理由とは、ただ単にいるだけではないのか。

 ロイドは常にそれに疑問を感じてきた。

 だが、ロニキスは『必要』だと感じている。

 だから彼は


「いや、君はなくてはならない存在だ。現に、奴の動向を探ってもらっているくらいだからな。すまない、こんな汚れ役を……」


と言って、ロイドに頭を下げる。

 ロイドにとって、ロニキスは自分が命を賭けても惜しくないと言える、唯一の存在だった。


「いえ、結構です。『あの時』、私はあなたに命を救われました。命を救って貰った者には恩を返し、そしてその人物に徳があるなら、その者に忠を尽くす。私はこうして生きてきたのです。だからこそ、今の主はあなたです」

「そう言ってくれるとありがたい」


 ロニキスはただ、ロイドにそう言った。

 その後二、三点話した後、ロイドはロニキスの部屋を後にした。

 一人になった部屋で、ロニキスは椅子から立ち上がり、ブラインドを開け、遠くに見えるフィリムの夜景を見ながら、重い口調で言った。


「無茶はするなよ、ロイド」

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