第十五話『戦いを挑む者』(4)-1

AD三二七五年六月二九日午後四時一七分


 フィリムの街にも、夕方はやってきて、そして夜になる。そんな夕方の町並みを、レムは友人と共に歩いていた。

 彼女達は学校の通学路であるクラウス橋を歩いていた。

 この橋、ベクトーアより前に西ユーラシアを牛耳っていた企業国家『ラスゴー』の時代に作られた由緒正しき橋で、その装飾の美しさと相まってベクトーアの重要文化財として扱われている。

 市民にとってもこの橋はなくてはならない橋であった。

 軍事的観点から見ても、この橋はフィリムの中央に行くことが出来る最大規模の橋であるため重要な存在だ。そのため橋の前には常に重装備を施したクレイモアが二機微動だにせず携えている。


 ちなみにここに勤めているこのクレイモアのパイロット、あまり知られていないが実は元ルーン・ブレイドのエースである。つまりレムにとっては先輩である。

 彼女もよくその二人を知っており、時々休日などは彼らに教えを請いに行ったりしているくらいだ。

 だが、そんな機体がいるからか、少しだけ橋は殺風景に見える。

 しかし、それでも、暮れなずむ夕焼けだけは変わらない。その夕焼けが、レムは一番好きだった。


 三人ほど、特に仲の良い友人がいた。男子生徒二人と女子生徒が彼女含めて二人。

 計四人で帰る、ありふれた日常の風景だった。戦争がなければ、彼女はこうした生活を毎日続けていたのだろう。


「それでさー、もーこの前の中間は散々。見なよ、この点数!」


 そう言ってレムは鞄の中からこの前の中間テストを見せつけた。

 作戦に出るために海外に行くギリギリ二日前に行った中間試験だった。

 結果はと言うと、第二外国語で一五点という散々な結果だった。


 彼女、意外なことに学校の成績は思ったほどよろしくない。理系科目、特に物理化学に関してはほとんど満点に近い成績をたたき出すのだが、その反面文系科目は最悪の一言に尽きる。あまりに点数が悪いためルナが睡眠時間削ってまで家庭教師を引き受けているくらいだ。

 そのくせしてそれが見事に足を引っ張るのだ。ルナの話をまともに聞いていないからである。


「そりゃお前が悪いよ。っつか、何この点数?」

「うわー……こんな点数初めて見たわ」


 口々に友人は呆れながら呟く。


「いいんだよ。こう見えても理系はバッチリだし」

「バッチリなんて今時死語だぞ」

「つか、そんなんだから文系の点数低いんじゃねぇか?」


 こういう他愛のない会話をやっているときだった。

 後ろから殺気を感じた。

 あの屋上で感じた気配を同じ気配だった。


 間違いない、自分は誰かに尾けられている。

 そう感じたレムは


「今日ちょっと寄りたいところあるんだ」


と言って、友人達と分かれた。

 また嘘をついた、そんな慚愧の念に駆られながら、レムは脇に抱えていたエアボードを吹かした。


 しかし、誰だ。誰が追いかけてきている。


 一瞬だけ後ろを振り向く。気配を感じる。

 察するに敵は後方約三〇〇メートル、数は三人。

 だが、推定の域を出ない。レムの勘はルナやブラッドに比べて働かないということは、レム自身がよくわかっていた。


 とにかくこの場は逃げるに限る。そう思ったレムは吹かし終えたボードに乗っかり、全速力で巻くことにした。

 体を傾け、ボードを加速させる。


 今の武器と言えば、護身用に隠し持っていた大型のナイフが二本だけだ。銃の類や自分が普段使う双剣は当然基地の中。

 そのまま直接基地に向かう手も考えたが、恐らくその進路場に待ちかまえている。となると迂回するしかない。

 仕方なくレムは普段向かう道とは逆の方向へとボードを進める。


 ボードを進めている間、相手は一定の距離を保ちつつも、こちらにわずかだけ接近を試みようとしている。だが、その気配も徐々に遠のく。


 こいつに追いつけるなら追いついてみろ。


 レムは心の奥底で見えぬ敵に挑発する。

 そしてレムは路地を曲がった瞬間、一気にボードの出力をあげ、加速した。


 町中は人が多かったが、レムは巧みに避け疾走を続ける。

 何回か車にクラクションを鳴らされたような気がするが、今はそれどころではなかった。

 しかし、何処までこのボードが持つかはわからない。かなり無理した動きを取らせているからだ。


 とりあえず基地までは保ってよ。レムはボードに嘆願する。


 ただこの通りさえ抜ければ、後は基地まで割と早く行ける。そこにさえ行けば相手も下手には手を出せまい。

 更に後百メートルで大通りに出る。そこにさえ出れば人混みの中に入るからそこで巻くことは十分出来る。

 そう思っていたとき、大通りに面する道を車がふさいだ。思わず驚き、レムはボードを逆に傾けて急停止する。

 その時、ボード後方の加速用ジャイロが甲高い音を一回立てた。

 無理な制動を掛けたことで壊れてしまった。これでは修理に出さない限り動かすのは無理である。


 そして車からゆっくりと出てくる男が三人。いずれも黒いスーツとサングラスに身を包んだ見るからに怪しい男達だった。それも三人とも自分に殺気を向けている。

 逃げるための手段は封じられたと言っても過言ではない。後ろに引きはがしたはずの殺気も徐々にだが近づいてくる。

 しかも逃走のために使っていたボードはもう使えない。まさに四面楚歌の状況だ。


 こりゃちとやばいね……。


 レムは額から冷や汗が出ているのを感じる。

 しかし、こんな状況下でも彼女は自分で思う以上に冷静でいられた。ちらりと横を見て、小さな通路があることに気付いた。

 レムは相手が疾走を始める前に移動を開始、疾風迅雷とでも言わんばかりの動きでその路地へと入る。


 暗く狭い路地だった。今は日が沈みかけているから余計に暗く感じる。

 しかもどうやらここ、飲食店の裏口に通じているような場所のようで、そこかしこに残飯回収箱が存在している。おかげで臭い。


 こりゃ帰ったら即シャワーでも浴びんと、臭くて適わんね。


 レムは何故かここに来て急に自分の思考がお気楽になったことに気付いた。

 だが同時に「こうでなくては」とも思う。

 ネガティブな感情があると、ネガティブな結果しか生まない。そういう人生を歩んできたからだ。


 後ろからの殺気は相変わらずだが、ゴミ箱やらがそこら中にある影響からか、それとも町中で銃声をかき鳴らすことは避けたいのか、銃は撃ってこない。

 それとも、まさか持っていないのか。どちらにせよ撃ってこないだけでもありがたい。足でも狙われたら一巻の終わりだったが、これならば心配はないだろう。

 だが、そういうノッている時に限って、運命の神様はイタズラをし、自分はまだ若いと実感するのだ。


「げ、行き止まり?!」


 袋小路に入ってしまった。脱出口は、ない。

 そこには見るのも億劫になるコンクリートの壁があった。普通ならこんな壁、自分の双剣でぶった切るのだが、そんなもの今はない。

 殺気が近づいてくる。冷や汗がさっきよりも出てきた。汗が頬を伝う。この感覚がどうも彼女は苦手であった。


 レムは仕方なく、壁に背中を向ける。

 気付けばさっきよりも更に日が落ちていた。さっきまで響いていた工事現場での工事の音も聞こえなくなった。

 代わりに響いたのは、自分の空笑いだった。

 逃げ場がないと、逆に笑いたくなってくる。まさに背水の陣以外の何者でもない。


「冗談きっついねー……」


 レムは暗くなっていく空を見ながらつぶやいた。

 そして、自分を追いかけ回していた男達が、自分の目の前にまで来る。

 黒服を着た男が六人、突破できるかどうかはギリギリと言ったところか。


 だが、不可能ではない。それがわかったからだろうか、レムは心に先ほどまで抱いていた妙な絶望感が消えているのを感じていた。

 隠し持っていた大型のナイフを展開し、自らの双剣と同じように、順手と逆手にそれを持ち、構える。


「レミニセンス・c・ホーヒュニングだな?」


 中心にいる一番屈強な男が口を開いた。恐らくこいつがリーダーだろう。


「だったらなんだっていうのさ?」

「我々と来て貰う」


 男の言葉に、レムは一つ、呆れるように溜め息を吐く。


「お約束の台詞だねぇ……。つか、女、それも子供相手に大の大人六人がかりって地点で恥ずかしくない? まぁもっとも……そんな脅しでついていくと思っとんのかい!」


 レムは憤怒に満ちた表情でいた。

 隠し持っていた二本の大型ナイフを即座に鞄から出し、囲っている男達に向ける。

 六対一、一斉に襲いかかれれば危ないが、場所からしてそんなスペースはない。

 一対一ならば勝てる、レムはそう確信していた。


「ふん……ならば無理矢理連れ出すまでだ!」


 案の定一人がスタンロッド片手に向かってきた。

 レムは早速、ナイフを持ち立ち向かおうとした……その時である。

 急に目の前の男が蹴り飛ばされた。男は壁に頭を打ち付け、そのままピクリとも動かなくなった。


「な、なんだ?!」


 目の前の男達の混乱を見ていたレムもまた、目をきょとんとさせていた。

 それもそうだ、自分の目の前に、よく知っている男が二人、立っているのだから。


「あーあー、何? 昨今ロリコンでも増えてんのか?」

「んなもん知らへんわ。でもま、ワイが結婚でもしてガキ作るゆーたとしても、こないにロクな大人に育てとぉはあらへんな」

「うわー……なんつーグッドタイミング……」


 レムはあきれ果てた。どうしてこうもこんないいタイミングで現れるのか。

 ご都合主義的展開としか思えない、というかまるで漫画の世界だ。

 事実は小説より奇なりとは言うが、まさにそれである。


 そこには、案の定と言うべきか、全身黒に身を包んだブラッド・ノーホーリーと、体中に数多の古傷を持つブラスカ・ライズリーという、レムの相棒二名がレムの前に仁王立ちしていた。

 ただし、両方とも得物は持っておらず、素手だった。


「ナンパした女は悉く俺の元を去っていった。そんな孤高の愛の狩人、見参」

「法定速度をたかが六〇キロオーバーしただけやったのにサツにとっつかまってもうた悲しき男、見参や」


 言わない方がマシなんじゃぁ……。レムはそう思った。


 空気が一瞬にして凍った。二人ともあまりにも自虐的すぎる。しかも当たり前のことで。

 レムは改めて確認した。


 やっぱしこいつら正真正銘のアホだ、間違いない、と。


 だが、彼らがいるだけでも安心したのは事実だ。

 レムは再びナイフを身構える。しかしブラスカがレムの前に手を出して止めた。


「ちぃと休んどれ。明日また学校行くんやろ? 宿題やる気力失せてまうで」


 口では軽口を言うブラスカだったが、レムに向けられていた表情は『心配すんなや』と言っているようにしかレムには見えなかった。

 この二人がいれば、自分はどうなろうと何処までも行けるだろう、そんな気がした。

 レムは構えをやめ、ただ一言。


「……ほいじゃ、よろしゅう」


 静かに、自分の前に仁王立ちしている男二人に号令を発した。


「「Yes,Master」」

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