第十五話『戦いを挑む者』(3)-1

AD三二七五年六月二九日午前三時三五分


 随分と夜が深くなった。だというのに、この街は眠らない。

 企業国家『華狼』六代目会長ザウアー・カーティスは地上七十階の華狼本社ビル最上階で眼下に広がる華狼首都『龍走路ロンズォウルー』を見ながらそう思った。

 ダークグリーンの瞳と、同色の瞳、そして古風にも朝服に身を包みしその様は、古の王を思わせる。ザウアーはそんな男だった。

 仕事が立て込んでいた。自分の秘書にして師匠『ソン江淋コウリン』に命じて差し向けた諜報員が情報を持ってきたためだ。


『コンダクター、覚醒す』


 そのことにさしてザウアーは驚かなかった。いずれなるだろうと、心の中で感じていたのだろう。


「失礼いたす」


 江淋が会長室に入ってきた。

 齢既に八五、幾重にも重ねられたその皺の奥に見える目は、年齢を重ねる毎に鋭くなる。そして考えも恐ろしく柔軟になっていく。


 未だに彼に匹敵するだけの逸材を見つけることが出来ていないのが、ザウアーの悩みの一つであった。

 若い世代は育っているが、これからだろうというのがザウアーの考えでもあった。


「江淋、やはり目覚めたか」

「はい、想像していたよりも、早かったようですがな」

「で、結局あのコンダクターは謹慎か。よくもみ消せたな」

「ガーフィ・k・ホーヒュニングの娘ですからな。情があるのか、それとも」

「捨てたくないから、か」


 ザウアーの考えに江淋は頷いた。

 ベクトーアにとって、二人のコンダクターは諸刃の剣だ。

 方や間違えば暴走、その上未知数の存在ときた。出来ることなら研究対象として監禁したいくらいだろう。


 コンダクター、その昔封印されたアイオーンの本拠地とも言われている『アーク遺跡』の封印を解くことが出来る唯一の存在にして、アイオーンレーダー無しにアイオーンの存在を検知できる存在でもある。

 いくら『アイオーンは人間の力のみで殲滅する』と謳っているベクトーアでも、この二人は手放したくないのだろう。


「で、結局彼女、何処行ったんだ?」

「ベクトーアの化学部です。そこに三日間出向しろと」

「ま、妥当だな。で、何か研究データは盗み出せたか?」

「今始まったばかりですが……」


 急に江淋の口調が弱まった。

 ザウアーが不思議がると、資料を見ながら、溜め息混じりに状況を述べる。


「なんか栄養ドリンクの開発やらされてるみたいです」


 ザウアーは目を丸くした。

 だが、瞬時に考えを変える。

 バレた。そう考えた。これはカモフラージュだ。

 潜入しているのがバレたからこそ、相手はわざと研究しなかった。そうとしか考えられなかった。


「やはりもう少し上の者を遣わすべきだったか?」

「それがですな……どうやら、あちら側本気で綺麗さっぱりやること忘れてるようです。栄養ドリンク飲みながら発狂したそうですから」


 ザウアーが椅子から転げ落ちた。

 それくらい衝撃的すぎる、いろんな意味で。


 バカにしてるのか、それとも本当にやっているのか、その真意がまったくわからない。

 これは敵の罠なのか?


 ザウアーは必死に考えるが、考えれば考えるほど頭が混乱してきた。次第に目眩が襲ってくるほどである。


「か、会長、お気を確かに!」

「こ、これが大丈夫でいられるか……」


 ザウアーは机に力なく手を掛け、なんとか自力で無理矢理立ち上がった。


「ま、まぁ、いいや……。監視、続けるように指示出しておいてくれ……」

「はっ」


 ザウアーの力なき声と対照的に、江淋は力強く返事をし、同じように臣下の礼を行った。

 ザウアーはヨロヨロと力なく


「もう寝る……。なんか疲れた……」


と言って、そのまま奥の寝室へ向かおうとしたが、江淋がそれを止めた。


「会長、それより前に一つお話が」

「なんだ?」

「会長、いや、ザウアーよ、おぬし、今日の会議で寝ておっただろう」


 江淋の口調が急に変わった。こういうときに、彼は『先生』としての顔を出す。

 一方のザウアーはうんざりした表情を浮かべながらも、寝室へ向けていた足を反転し、江淋のいる方へと力なく向かっていく。

 逆らったり無視すると後が怖いからだ。

 痛いところを突かれた。心底ザウアーはそう思った。


「一瞬鼻ちょうちん出ておったしのぉ。それより前は三回も欠伸をかみ殺し、それが限界に達したら堂々と欠伸しよったな」


 本当に細かいところまでよく見ている。

 奴の目はいくつあるんだ、と、ザウアーは呆れながら思ったが、江淋に無理矢理正座させられ、そして、


「このバカモンが! 会長ともあろうものが会議中に睡眠などやるから各国になめられたりするのだ、このアホゥめ!」


から始まるいつ果てるかもわからない説教を聞き続けることとした。

 結局これ、現地時間の翌朝八時まで続き、説教時間最長記録を更新したことを綴っておく。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同日午後一二時三五分


 その質問を投げかけられたのは、何の変哲もない昼休みの時間だった。


「ね、ね、レム。今度はどんな土産話があるの? このご時世に『劇団』って大変よねぇ」


 一人の女子生徒が、食事中に何の変哲もない質問をしてきた。

 レムにとってその質問は、いつも胸に深く突き刺さる質問の一つだった。


 劇団。レムは友人に一つ、大きい嘘を付いている。

 自分は兵士だとは一言も言ってない。あくまでも欠席が多いのは、自分は『劇団』の一員であり、世界各地を回っているからと、そう言ってあるのだ。

 彼女なりに心配させたくないが故にこうやった。


 だが、そうすることが毎回彼女の心を縛る。

 今になってセラフィムの言葉が彼女の中で何度も反芻される。


『嘘を塗り重ねていけば行くほど、あなたは自分の心を縛っているわ』


 その言葉が、今はよく分かる気がした。というより、その言葉を聞いて以降、余計に重くなった気がしていた。

 レムは少しばかりの後悔と、情けなさを噛み締めていた。


「レム?」


 気付けばその女子生徒の顔が目の前にあった。

 暫くボッとしていたことにレムは気付く。


「ん、あ、ああ、ゴメンゴメン。ここ最近、忙しくてね」

「そっか」


 そういって女子生徒は納得した。

 レムは机に置かれた残り一切れのパンを食した後、溜め息を一つ吐く。


「ごめん、ちょっと席外すね」


 そういって彼女は立ち上がり、そのまま教室を後にした。


「私何か気に障ること言ったかな?」

「いや、そりゃないと思うぞ、俺」

「あいつ時々ああなるんだよなぁ……。なんでだろ?」


 口々にレムの様子を見ていた生徒は疑問を言うが、誰もその疑問を解くことは出来なかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 かすかに風が吹く。

 誰もいない屋上、鉄格子で覆われた壁の広がる、ありふれた学校の屋上だった。

 レムはよくここに寝転がって考え事をするのがクセになっていた。


 何かと落ち込んだときも、いつもここに来た。

 何でこんな屋上なんかにいつも来るのか。理由はというと、自分の悩みを風が吹き飛ばしてくれそうだからなどという、彼女らしくもない程非現実的な考えだった。


 空を見つめていると、雲の動きや鳥の動きもじっくり見て取ることが出来た。

 鳥が少し甲高い鳴き声を発しながら、レムの目線の先の空を通り過ぎていく。その様に、レムは溜め息を一つ吐いた。


「鳥は、気楽でいいなぁ……」

(どうしたのよ、あなたらしくもなく)


 自分の脳に声が響いた。優しい女性の声だった。

 セラフィム、それが彼女の名だ。何故か自分についたアイオーンの一人である。

 だが、何かとレムにとって、セラフィムは退屈しのぎの話し相手となっていた。


「いや、なんかさ、嘘をつく度に、疲れるんだ」


 レムはいつになく、暗い口調でセラフィムに話しかけた。

 溜め息混じりに、まだ会話は続く。


「昔見た映画で言ってたことなんだけど、嘘は一つ付くと三十の嘘をつかないと騙し通せないんだってさ。一つの嘘を取り繕うために、私はまた一つ、別の嘘をつく。更にその嘘を取り繕うために、また違う嘘をつく。その繰り返し。いわゆる無限ループに入ってる」


 はぁ、とレムは重い溜め息をまた吐いた。


「私はさ、こう見えても、虚構にしか見えてないのかもね。そんな風に、時々感じるんだ」

(でも、あなたは今でも生きているじゃない)


 セラフィムの言うことはもっともだ。現にレムは存在している。

 レムは一度寝転がっていた体を起こす。


「なんだろうな。上手く言い表せないんだけど、私が死んだら世界ってどうなるのか、わからないんだ。セラフィムは確かにいる。でもさ、それすらも、私の中にしか存在しない物なのかもしれない。つまり、私が消えると同時に、『私の』世界も消える。この世は、私という物を構成するための虚構。そんな世界なんじゃないのかって、感じるときがあるんだ」

(レム……)

「ねぇ、セラフィム。生きるって、どういうことなんだろ?」


 セラフィムにとってみれば、一番面食らった質問であった。

 死人である彼女に『生』など存在しない。生きていたのはもはや過去だ。


 レムとしてみても、何でこんな質問をするのか、よくわからなかった。

 いったい自分は何を言っているんだ。レムはそう思い始めているが、それでもなお、自分のありのままの思いを話し続けた。


「私は兵士。多くの人間を、殺した。戦争とはいえ、所詮人殺しに変わりはない。殺された人は無念なんだろうと思う。どんな人でも生きたいと願っているのに、私はその願いを切り捨てる」


 戦が始まって既に十五年。レムにとって今までの人生は戦と隣り合わせだった。

 軍人の家系に生まれた彼女は何度も父親が前線に行く姿を見ているし、一四歳の時には既に軍に身を投じていた。


 それと同じ年にイーグとなり、そして、人を斬った。彼女自身がトドメを刺した。

 その日、彼女は悪夢にうなされ続けた。


 ただ、最近ではそんな夢見なくなった。自分で血を築きすぎた。そんな気すらしてくる。

 そして、友人に対して未だに言えていない自分が兵士であるという真実。それを隠すためにつき続ける嘘。


 正直言うと怖いのだ。今でこそ友人との関係は良好だが、果たして自分が兵士という名の人殺しだと分かった瞬間、自分の周囲に誰もいなくなるのではないかという恐怖が彼女の中にあった。

 友情というのは、あっという間に崩れ去る。人間なんてそんなものだと彼女は感じている。だから余計に怖いのだ。


「そんな人間前にして、みんなどんな反応示すんだろ? 私は、血と嘘で固められてるって思われて、軽蔑されるかもね」


 レムは空笑いをした。

 空虚だ、自分でもそう思ったとき、頭の声もまた、溜め息を吐いた。


(……あっきれた)

「ん?」

(あなたの口ぶり、誰も嘘なんてついたことがないみたいな口じゃない)


 セラフィムが呆れるような口調で話しかけてきた。

 こういうことは初めてだったので、レムにとっては非常に意外だった。


(レム、誰だって嘘は辛い。特に、あなたみたいになんだかんだで繊細だとなおさらね。でも、血と嘘で固められているなんて言ったら、私もそうだと思う)


 セラフィムの口調が重くなる。こういう事もまた初めてだった。

 割と多感な存在なのかもしれない、レムはそう思った。


(私、人間だった頃虐待されててね。ある人に救出されるまで、ずっとそんな生活だった。で、その人とは結構上手くいってた。でも、私が死んだ後、アイオーンになって、それからずっと、あの人には名乗れなかった。私自身の抱えている大きな嘘って言うのは、それ。もう取り返しの付かない事よ)


 セラフィムの言葉に混じっていたのは、一種の諦めの感情と、寂しさだった。

 その話は、レムを余計に暗くさせた。


 生きている自分は、例え何が起きようとも、生きている限り取り返しが付くかもしれない。

 だが、セラフィムはもう死んでいる。何も、取り返すことが出来ない。

 そこまで暗い過去を抱えている彼女に対して、自分はいったい何を話していたんだと、心底反省した。


 自然と、レムはセラフィムに謝っていた。

 そして、泣いていた。あまりに自分が情けなかった。

 救われてばかりで、何も彼女にしてやれない。それが悔しくて仕方がなかった。

 しかし、セラフィムはと言うと、一度ため息をついた後


(泣くな! 大丈夫、何事もなんとかなる!)


と、今までにない明るい口調でレムを諭した。

 レムは涙をぬぐい、少し笑った。


「はは、セラフィムでもそういう風に言うんだ」


 そういわれた瞬間、セラフィムは


(あ)


とだけ言った。どうやら本人にとってこのノリは失言らしい。

 この時からレムの中に『セラフィム猫被ってる説』が浮上したという。


 そんな時、予鈴が鳴った。

 レムは立ち上がった後、軽く延びをする。

 空がレムの機体の色のように、白い雲と青空で覆われている。

 いい天気だ、改めてレムはそう思った。


「悪いね、さっきは変なこと言っちゃって」


 その口調は明るい。ルナとレムとの最大の違いはここだ。立ち直りの早さがレムは半端じゃないほど早いのだ。

 ルナもこの点はレムに適わないと感じているようである。


(辛かったら、また話し相手にでもなるわ)


 セラフィムの一言が、レムにはありがたかった。

 だから、自然と言った。


「ありがとう」と。


 その時だった。遠くのビルで光った気がした。

 太陽光かとも思ったが、それにしては不自然だった。光った点が一点だけなのだ。

 監視、そうとしか思えなかった。


 だとすれば、誰だ。レムは念のため周囲を警戒する。

 だが、何もなかった。


(レム?)

「気のせい……かな?」


 そう思った後、ふと時計を見る。

 後授業開始まで三分しかないことに気付いた。


「げ! また朝みたいになる!」


 そう言ってレムは駆け足で屋上を後にした。

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