第十五話『戦いを挑む者』(2)

AD三二七五年六月二九日午前八時二五分


 一台のエアボードが車の往来激しい朝のフィリムを疾走する。

 まるで波にでも乗るかのように、そのボードは町中を駆け抜ける。

 そのエアボードに乗っているのはレムだ。彼女は学校の制服に身を包んで学生カバン片手に体を少し傾けてボードを加速させる。


 彼女もなんだかんだでまだ一六歳だ、非番時は社会勉強にとハイスクールに通っている。ちなみに帰宅部だ。

 そして夜はそのままフィリム第二駐屯地へ直行して機体の調整や武器の練習、鍛錬に明け暮れるのが普段のパターンである。


「いぃやっほぅ!」


 レムは雄叫びを上げながら通学路でよりエアボードを加速させた。

 去年の暮れに出たこのモデルがレムのお気に入りのエアボードだ。軽量なアルミフレームで出来ているのみならず、全体として小柄ながら無駄にでかい後部についた加速用のプロペラユニットがまた目を引くのだ。


 自分が普段使っている機体のようなアンバランスさ、それが気に入ったのだ。ちなみに値段は実に六七五〇〇コールとかなりの大金だったが、それだけ叩いて購入しただけの価値はあったとレムは思っている。


 しかし彼女、凄く目立つ。それもそうだ、六割が徒歩、三割九分が自転車やバイクで通学しているのに、エアボードなぞ使っているのは彼女だけだ。

 しかも嫌にバランス感覚がいい上、人をあっさりと避けながら、時にはボードテクニックまで用いて物凄い勢いで爆走するのだ。目立つなと言う方が無理である。

 しかし彼女、今日は嫌に焦っている。実は時間が非常にきつい。後五分で朝礼が始まる。


 ついうっかり学校に行くことを忘れて朝からゼロと八十合にも及ぶ一騎打ちにいそしんだのがバカだった。気付けば遅刻寸前だ。

 学校に久々に行くというのに、それによりにもよって遅刻など、彼女のプライドが許さない。

『遅刻女王』の異名など、姉だけで十分なのだ。自分には不必要な代物である。


「帰ってきて初めての学校に遅刻なんてやだーっ!」


 レムは叫ぶが、そう言ってももうボードはこれ以上加速しない。

 そして後二分で朝礼が始まるところで校門についた。

 別に学校自体はさして変わりのない普通の学校だ。ただ少しだけ生徒数が多いだけである。

 そんな学校の二年生成り立ての彼女、帰宅部のクセして校内では恐ろしく有名であった。


「ホーヒュニング先輩、おはようございます」


 こんなことを校門に立っている遅刻監視用の風紀委員にまで言われてしまうのだ、それも皮肉混じりの口調で。

 レムはボードからすぐさま降りた後、ボートを脇に抱え


「おはよーさん!」


とだけ教室に向けて走りながら挨拶した。

 あと一分、正直ギリギリだ。


 彼女はまるで弾丸のように校舎に向けて走り、そして到達したら右へ曲がって二階にある目的の教室へと階段を駆け上る。その後駆け上ったら止まることなくまた右へ曲がり、少ししたら教室だ。

 そして目的の教室、彼女は勢いよく扉を開けた。


「よっしゃ、ギリギリ!」


 クラス中の生徒の視線が一斉に彼女を向く。

 そして、こうしたのが致命傷になった。


 よりにもよって、隣の教室である。よく見たら付き合いはある連中こそいるが、クラスメイトは一人もいないではないか。

 そして、無情にもチャイムが鳴った。

 すぐさまレムはその教室の扉を一気に閉め、隣の教室の後扉を一気に開けて進入するが、時既に遅し。


「……や、先生、ども」


 レムは気まずそうに、教卓にいる教師に挨拶した。


「ホーヒュニング……また、復帰最初の日に遅刻か……」


 眼鏡を掛けた若い男性教師は呆れながら後ろのドアから入ってきたレムを見る。


「先生、遅れてすいません!」

「まったく、まぁ、チャイムも鳴り終わってないし、よしとする」

「やたー」


 少し調子良さそうに、レムは自分の席に着いた。それに対し教員の方は、あまりに対照的に教卓の前で大きな溜め息を吐く。


「今度遅刻したら、ホントに遅刻付けるぞ」

「はーい」


 教師の言葉にも、レムは少し笑いながら、久々の登校を心底楽しんでいた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同年同月同日午前八時三二分


 ゼロはブラッドに言われた通り、面白い物が見れると言う第五整備デッキに足を運んだ。

 堅牢なELで外壁を囲ったその施設は、M.W.S.一大隊分を余裕で整備が可能な程の広さを持っている。

 そんな施設の一つにゼロは足を運ぶ。


「うーす」


 ゼロは少し大きく声を上げ、もっともドアよりに位置するベクトーアの主力M.W.S.『BM-070クレイモア』の整備に取りかかっている整備兵達に話しかけた。


「おお、あんたが鋼か! マジでルナの奴が雇ったのか」


 あいつ割と関係広いな……。


 ゼロは意外に感じた。どうもこの一週間ほど付き合っていて感じるのだが、ルナという女は喜怒哀楽が激しすぎる。オマケに凶暴だ。

 そんな奴だが、割と交友関係は広いらしい。まぁ隊長だし、名も知られているから当然であろう。


 だが何かおかしいことにゼロは気付く。

 ルナは階級で呼ばれるのを嫌うとはいえ大尉だ。何故ため口叩いているのかがわからない。


「なんでおめぇらあいつにため口叩いてんだ?」

「あいつぁな、友達が欲しいんだとさ」

「はぁ?」

「聞いてねぇのか、あいつの昔」


 そう言われてゼロは思い出す。

 昔の彼女は先天性コンダクターの持つ予知能力故に忌み嫌われ、常に差別され、家族と一人の幼なじみ以外誰も彼女の周囲にはいなかった。

 だからだろう、彼女が誰とでも必死になって接しようとし続けるのは。ルーン・ブレイドをそう言う雰囲気にしたのも、彼女なりの友達作りのやり方なのだろう。


「で、何用でぇ?」


 整備兵が思い出したように聞くものだから、ゼロも


「ここで面白ぇもんが見れると聞いてな」


と、思い出したように言った。


「ああ、それなら」

「またあいつは寝てるのか?」

「叩き起こせ、まったく!」


 なんか奥の方が急に騒がしくなり、目の前の整備兵は話を止め、ゼロに


「奥に行ってみな」


と言った。

 どうやら奥の機体のコクピットの中で寝ている奴がいるらしい。


 まさか面白ぇっつったのはこれか?


 ゼロはそう思い、少し整備デッキの奥の方へと歩みを進める。

 そして、その時目に飛び込んできた物に、ゼロは驚きを禁じ得なかった。


「プロトタイプ……?!」


 白と薄紫に彩られ、頭頂部にはまるで髪の毛のように張り巡らされたヒートパイプを持つその機体は、クレイモアばかりの整備場の中で明らかに異端な存在といえた。


 一言で言うと美しかった。無骨なM.W.S.に比べると、プロトタイプエイジスはどこか美しい。人間を模したとしか思えないツインアイがそう思わせるのだろうか?

 そしてそのコクピットが開かれ、コクピットを囲っていた多くの整備兵にどやされながら出てきた男に、ゼロは目がいった。


 青地の着流しに身を包む黒髪黒瞳のその男は、大欠伸を一つした後、そのままタラップを降り、ゼロの近くへと行く。

 よく見ると、額に随分と巨大な刀傷がある。しかも、傷口は随分古めかしいものだ。

 そんなことも相まってかは分からないが、ヤケに男が老けて見えた。

 開口一番、目の前の男は気怠そうな声で


「貴様、鋼、だな?」


と聞いた。


「だったらどうだってんだよ?」

 ゼロが言うと、


「少し、手合わせ願いたい」


と男はいい、着流しの上を脱ぐ。

 体中に多くの刀傷があった。体つきは比較的細身だが、無駄な筋肉がない。


 男は静かに構える。得物はない。その上、履き物は草履だ。


 なめてンのか?


 ゼロは一瞬そう思う。地面はコンクリートだ、あの靴で加速力が生めるとはとても思えない。

 しかし、相手の覇気は、どう考えても先ほど大欠伸をしていた人物とは同一には思えなかった。それほどにまで違う。


 こいつ出来るな……。


 ゼロがそう思った、まさにその刹那、相手が動いた。

 三〇歩はあった距離が既に無い。

 電光石火、まさにそう呼ぶにふさわしかった。


 そして挨拶代わりというべきか、相手はゼロの顔面に向けて掌底を放つ。

 ゼロはすんでの所で回避して少し距離を取った後、相手と同じように徒手空拳で戦う覚悟を決めた。

 ゼロはすぐさま大地を蹴り上げ飛び、相手に向けて空中からの蹴りを見舞おうとするが、当たる直前に相手は左に避ける。そしてカウンターとして着地したゼロの脇腹に左腕で肘打ちをかました。


「ぐ……」


 ゼロは唸る。かなりの衝撃が来た。

 並外れた腕ではない。あのゼロを手玉に取っているのだ、これほどの腕の兵士はそういない。

 しかし、何故あんな細身の体でこれ程の衝撃が襲うのだ。


 そう思った矢先、追い打ちが来た。

 上から相手の足が降りかかってくる。とっさに避けたゼロはまたも相手に向けて疾走する。

 そして、何度か打ち合いになった。相手の一撃が重い、ゼロは何度もそう思った。

 そして、ゼロと相手とが互いに顔面に向けて拳を突き出したちょうどその時、


「兄上、何をやっていらっしゃるのですか!」


 突然整備場の入り口から声が響いた。

 その声で互いの拳は寸止めされた。

 ゼロは声のした方を向く。そこには、女が一人立っていた。


 質素な着物に身を包んだその女性が整備場へ入ると整備班員は一斉に彼女に向かって頭を下げた。なんともVIPな待遇である。

 しかし、どう見ても軍人には見えない。第一華奢すぎる。手などまるで人形のようにか細い。

 そしてそんな彼女は、目の前の男を兄上と言った。


 ゼロは二度ほど、歩いてくる女性と目の前の半裸の男の、互いの顔を見比べてみる。

 確かに目尻などはどことなく似ているが、兄妹であると言われると少々微妙な感じがする。

 そして、女性はゼロ達の近くに来ると、一つ溜め息を吐いた後


「兄上、何度もおっしゃいますが、あなたは一応頭首なのですから、軽はずみに腕試しなどはもうよしてください。そろそろ三十路なのです。もう若くはないのですよ?」

「むぅ……」


 どうも目の前の相手はその女性の説教にうんざりしたような面をしている。

 どうやらこれが普段の光景らしい。


 しかし、先ほどの会話の中で『頭首』という言葉があったのが嫌にゼロには気に掛かった。

 普通頭首などと言う言葉を使うのは今の時代よほどの名門でない限りない、というのがゼロの描いているイメージであった。

 そう言われてみると、確かに二人とも似通っている箇所がある。


 気品だ。普通の人間からは感じない気品がどこかある。目の前の男も、荒々しそうに見えて、どこかに何かを寄せ付けがたいカリスマに似たようなオーラを感じる。

 すると目の前の男は、思い出したようにゼロに挨拶をし始めた。


「ああ、すまんな、申し遅れた」


 そして男は、ゼロに向かって深々と一礼した後、澄んだ声で言った。


「俺は犬神いぬがみ竜三りゅうぞう。日本の会長候補、といわれても継承権第二十八位だがな」


 犬神。古来より日本に伝わる名家である。

 華狼より独立した、何処の国にもない斬新な技術を持つ極東にして技術大国企業国家『日本』。

 元来、日本というのは企業国家が生まれる遙か前から存在していた民主主義国家である(もっとも、そうなったのは一九世紀以降だそうだが)。


 極東という異様に離れた場所にあるこの国は、第二次大戦で壊滅的に敗れた後、高度経済成長期という驚異的な伸びが起こり、多くの産業が生まれていったそうだ。

 そしてその国は、企業国家が多くはびこるようになった今でも、国家の名前はそのままに、独自の発展を続けている非常に変わった国家となった。


 ただ、日本には一つ、いいのか悪いのか、千年ほど前からこう呼ばれることが多くなった。

 『死の商人』。

 こう呼ばれるようになった所以は一つ。M.W.S.プロジェクトの発祥地にして開発協力を当時の国連に要請したのがこの国だからである。そんな悪名を背負いながらも、日本は独自の技術革新を続けている。


 その国の中でも名家の一つと言われているのが『犬神一門』である。

 日本に古くから伝わる妖怪の名であると同時に、『狗が身』、即ち国を守るべき存在として彼らは育ってきた。既にこの竜三で五〇代を迎えている名家である。

 実際、日本の首都である『東京』には犬神一門の巨大な屋敷があるそうだ。

 そんな家の当主ともあろう者がこんな所にいるのだ、それもかなりの腕前だ、ゼロも思わず


「あの名家のか?!」


と、大声で驚いたほどだった。


「いや、名家などというほどでは……。あ、申し遅れました。私は竜三の妹の春美はるみと申します、以後お見知りおきを」


 女性-春美はゼロに一つ頭を深々と下げた。

 こう名乗られてはこちらも名乗るのが礼儀と言うものだ。ゼロもまた、そういったことをわきまえている。


「ゼロだ、ゼロ・ストレイ。よろしく頼む」


 ゼロは春美と凄く眠そうな表情をしている竜三に改めて挨拶をした。


「ゼロさん、ですか。今後とも兄共々よろしくお願いします」


 春美はまた、澄んだ声でそう言った。

 その澄んだ声が、ゼロにはどこか心地よかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同日午前八時五二分


 その少女は大欠伸をかましながらやってきた。

 ルナ・ホーヒュニング。フレーズヴェルグという異名を持つその少女は、予定より八分早くライエン・ケミカルの中に入った。


 ゴードは彼女をロビーで迎えたとき、なんともいえない妙な感覚に陥った。

 威圧感、それがまるで今まで会ってきた人間とは違う。フレーズヴェルグの異名はどうやら伊達ではないらしい。


「ルナ・ホーヒュニングです、よろしくお願いします」


 澄んだ、いい声だ。ゴードは素直にそう感じる。


「ライエン・ケミカル所長のゴード・ライエン。よろしく」


 軽めの自己紹介を済ませた後、ゴードはそのままルナと共に奥にあるエレベーターで三階の研究棟へと向かった。

 ルナは研究棟を歩きながらゴードに聞く。


「ライエン局長」

「僕のことはゴードでいいよ。で?」

「では、ゴード局長。研究所とはいえ、なんか随分と煩雑としている感じなのですが……」


 ルナの言った通りである。

 ライエン・ケミカルはロビーこそ綺麗だが、研究棟はまさに紙書類とゴミの山である。

 古雑誌からどう考えても実験に失敗したとしか思えないかなりヤバ気な薬品の残りカスまで無造作に捨ててある。

 しかもそのゴミを別に誰が拾うでもなく、割と平然と過ごしている。


「まぁ、各々の研究室は割と綺麗だからいいんだけどねぇ」


 ゴードは呵々と笑いながら言う。それに対してルナは呆れながら言った。


「ていうかホントにうちのドクターと似てますね、パターンが」

「あー、やっぱそう思う? 僕もさぁ、なんだかんだで片付けられない人間でねぇ。どーもそのクセが出ちゃったみたいだよ」


 本当に意に介さない男だ。というより謎に近い。

 その時、一つの研究室のドアの下から煙が出てきた。


「え?! 火事?!」

「いやいや、いつもの奴だ」


 慌てるルナを尻目に、ゴードは無造作に扉を開けた。


「また失敗か?」

「あ、局長。申し訳ありません、またやっちまいました」


 若い研究員が数名、中にいた。ゴードは手早く近くの机に置いてあった資料に目を通す。

 そして一度頭を抱えた。


「あ~やっぱこの配合比率じゃダメか……。もうちっといいの出来そうなんだけどなぁ……」

「どうします?」

「う~ん……」


 そうやって悩んでいたとき、ゴードは後ろを振り向き、待機していたルナに問う。


「君、化学得意?」

「は、はぁ、まぁ、少し」


 言った瞬間「しまった」と心底思った。

 ゴードの目が輝いている。どう考えてもこのヤバ気に思える実験に付き合わされるとしか思えなかった。


「よーし! 助かった! よろしい! これ手伝って!」

「ていうか、何やってるんですか、これ……」

「いや~、新しい栄養ドリンクの作成やってるんだけど、なかなか厳しくってねぇ……」

「で、何やれと……」


 少し引き気味のルナに、ゴードは顔を一気に近づけ、彼女の目の前で


「試供品とか出来るから、飲んで」


と、言った。


 やばい。どう考えても自分の踏み込める領域じゃない。っていうか楽しんでるとしか思えない……。


 ルナの頭は右往左往していたが、もうこの際だからと、腹を決めた。

 この時、二人はすっかり、本来の目的であるコンダクターの研究を綺麗さっぱり忘れて研究にいそしんだのだった。


 そしてこの栄養ドリンク、後々大ヒットを飛ばすことになるが、それまでの作成過程で試供品を飲んだルナやゴードが一時的に発狂したことを追記させていただく。

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