第十三話 『proof~人間であることの証明~』(前編)

AD三二七五年六月二七日午後三時四五分


「重いんですけど、この手錠」


 ルナは独房の中で目の前にいるロニキスに対し自分の手を見せてそう言った。今彼女はかなり重めの鉄の手錠を付けられている。

 戦闘終了から二時間後に来た別のM.W.S.大隊にあの基地を任せ、ルーン・ブレイドはそのまま帰路についた。

 夥しい数の捕虜、そして正体不明のアイオーン一人を土産にしての帰還だ、その上道中でプロトタイプエイジスのイーグを一名味方に付けた、本来だったら凱旋帰国といえるだろう。


 だが、ルナがかつてない程の暴走状態となり敵味方構わず傷つけた。故に完全な凱旋とは行かなかった

戦闘終了後、ロニキスが来た瞬間、自分は殺されるとばかり思っていた。今手錠だけで済んでいるのが奇跡といえよう。

 更に幸いしたのが今叢雲の飛んでいる場所が既にベクトーアの勢力圏内であると言うことだ。それだけでも不安は少なくなる。

 だが、それでもロニキスは重苦しい独房の扉越しに重くため息を吐いた。その後、彼らしく淡々と状況を語る。


「どうしてもそうしておけと上からのお達しだ。私としてもなるべくならこうはしたくないが、君がああなってしまった以上、危険はあるからな。しょうがない」


 ロニキスはただ事実を淡々と述べる。確かにそれ以外に言いようがないだろう、第一自分にすらよくわかってないのだ。

 だからルナは力無く


「そうですね……」


と言うだけだった。

 それにまた、ロニキスもため息を一つはいた後、状況を言った。


「我々はこのままホームへと帰還する。現地時間で明日の朝方には着くはずだ。落ち着かないだろうが、その間ゆっくりしていてくれ」


 その言葉を最後に、ロニキスは扉の前から去っていった。足音が遠のいていく。

 そして、代わりに自分の独房の扉の前にはB-72を持った衛兵が二名付いた。

 それを確認してから、ルナは独房の壁により掛かった。


 そして今日あったことをボーっとしながら思い返す。

 なんだか、頭がゴチャゴチャした。それくらい今日は雑然としすぎだった。


「色々とありすぎよ……」


 ルナは小さな窓から見える微かに太陽が沈み始めた空を見ながら、力無く笑い、そしてそのまま、眠りに落ちた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 自分を呼ぶ声がした。この声は誰の声だったか。

 そんなことを思いながら、ルナは目を開けた。

 目の前に人影が飛び込んでくる。


「あ、やっと起きた」


 その人影は最初そう言った。なんだかふてくされているような感じだった。

 ルナはボーっとする頭を覚醒方向へと持っていき、目の前の人物を判定する。

 ブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳を持った少女だった。


「レム……」


 ルナはまだ少しボーっとしながらその名前を呼んだ。

 独房の中には窓から差し込む月明かり以外何一つ明かりはない。相変わらず自分はあのクソ重い手錠を付けられたままだ。

 そんな劣悪な環境の中、目の前には二つのパンとゼリー飲料が置いてある。そのパンから微かに香ばしい香りが漂う。


「もう夕食の時間?」

「もう結構夜更けだからね。そろそろ日付が変わる頃だよ。随分待っちゃったから、一度暖め直してもらっちゃったよ」


 そう言われてようやく自分がかなり長い時間眠ってしまっていたことに気付く。

 聞いてみるともう午後一一時を回っていると言うではないか。


「そんなに寝てたのね、あたし……」


 少し唖然としてしまった。

 その時、ちょうどタイミング良く彼女の腹が空腹を知らせる。

 少しだけルナの頬が赤くなった。少し恥ずかしかったのだろう。


 それに対しレムは一回クスと笑った後、ルナの前に食事を持って行った。

 彼女はまずパンを手に取り、ちぎって一口食す。口の中にも香ばしい香りが臭ってきた。


「……美味しい」


 彼女は素直にそう感じた。そう言われてレムも、ルナが思ったよりまともな精神状態であることに少しホッとしたようだ。

 ルナは食事を終わらせた段階で一つレムに質問をした。


「ねぇ、レム。どうして、あなたはここに? あたしが寝てる間に何か起こるとか考えなかった?」


 ルナとしては至極まっとうな質問をしたはずだった。だいたい朝あれだけのことをやったのだ、それで不審がられても不思議ではない。


 だいたい寝ている間にレムがいたということは、自分はそれにすら反応出来ていなかったほど意識が落ちていたことになる。その間に自分が殺されていても不思議ではない。

 否、自分は寝ていても、今は封じ込められているこの意識が目覚めてそれがレムを殺す可能性だってあった。


 にもかかわらず、レムはただ一言、あっさりと


「姉ちゃんを信じてるから」


とだけ言った。

 そしてレムはルナに面と向かって自分の思いを語った。


「姉ちゃん、姉ちゃんのこと、私正直羨ましいんだ。姉ちゃんには人を信じさせてくれる何かがある。カリスマ、っていうのとはちょっと違うんだけど、なんだか安心できるんだ、姉ちゃんは。きっと姉ちゃんならなんとかする、そんな気がするからさ」


 レムの目がルナにはまぶしく見えた。純粋な輝きを持ったその目は、危うくもあり、儚くもあり、そして強い。

 その目に何度も助けられた。

 だが、今のルナに、その目は辛い。それでもなお、レムは話を続ける。


「あの状況だって、私もう半分諦めかけてたのに、まさか自分を復活させるなんて思わなかったもん。それだって奇跡じゃん。そう言う奇跡起こせるから……」


 少しだけ、レムの言葉が弱まった。珍しく憂えた顔をしながら、レムは


「姉ちゃんが……羨ましい」


と言った。

 そう言われたのは初めてだった。

 自分で自分を羨ましく思ったことなどない。むしろ時々自分ほどいらない存在はないとまで考えたりする時がある。

 そんなルナを、レムは羨ましいと言った。


「羨ましがられるほど、あたしはいい人間ではないわよ……」


 彼女はそう言う。だが、レムはそれに首を振る。


「それは姉ちゃんが気付いてないだけだよ。第一、いい人間じゃなかったら、私は姉ちゃんを好きになってないもん」


 自分を好きでいてくれる人がいる。それがどれだけ幸せなことであるか、ルナは身に染みてわかっているつもりであった。


 だが何故だろう、それを忘れていた気がしたのは。

 このままレムにこう言われていなければ、自分はこのままずっと抜け殻のような状態でいたかもしれない。

 だからルナは素直にレムに感謝した。しかし、それでようやく気付いたことがある。


 レムの額に包帯が巻かれていたのだ。

 いや、それだけではない。よく見てみたら彼女の手は血豆だらけだ。とても同年齢の少女が持つような手をしていなかった。


「さっきのヤツにやられちゃってね。別に大丈夫だよ。それにこの腕、結構努力してるってわかっただろー?」


 レムは半分冗談のようにも言った。その時の顔は笑顔だった。

 だが、その笑顔が、あまりにルナには痛かった。彼女はぎゅっと、自分の拳を強く握る。

 すーっと、彼女の瞳から涙がこぼれた。


 ずっと気付いてやれなかった。表面は笑顔で取り繕っていても、本当は物凄く辛い思いをしていたのではないか。

 姉として自分は、妹に何がしてあげられるのか。それが全く思い浮かばない自分のふがいなさをルナは嘆いた。

 だからか、彼女はただ


「……ごめんね……」


と、レムに泣きながら言った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 何となくレムも、ルナの抱えている思いはわかっている。

 だが、今ここで投げ出すわけにはいかないのだ。それは自分に課せた使命-姉を守り抜くことの放棄でもある。

 だから逃げるわけにはいかないのだ。


 そしてこう泣きじゃくる姉を支えてやるのもまた、妹としての勤めである。

 だから相も変わらず、彼女は呵々と笑い


「すぐ泣くんだから、も~」


などと言った。

 すぐ泣くのだけは、まだ直らない姉の少しだけ悪い癖だった。

 そしてレムは立ち上がり、


「まったく、これじゃ心配だ」


と、看守に頼んでもう一つ毛布を持ってこさせた。

 ここで寝ると決めた。


「え、ちょっと、レム、自分の部屋じゃなくていいの?」

「こっちの方が、案外気が楽かもしれないって思ってさ」


 さすがにルナが驚いている。

 だが、自分はテコでも動かない。

 レムは床に、毛布にくるまって寝る姿勢を取った。


 ルナもまた、やはり疲れているのか、少し眠気が出始めた。彼女もまた壁にもたれかかって、渡された毛布を体に掛けて寝る体制を整えた。


「親父、心配してたよ。帰ってきたら、元気な顔見せてやろうよ。だから泣いてばかりもいられないよ」


 レムは寝る前にそう言った。

 考えてもみれば、こうやって二人そろって同じ部屋で寝るのも久しぶりである。ルナが家に来てから少しの間、一緒の部屋で寝ていた。その時以来だ。

 ルナは笑顔で頷いた後


「お休み、レム」


と言い、眠りについた。

 それに応え、レムもまた


「お休み、姉ちゃん」


と言って、瞳を閉じ、意識を眠りの中に落としていった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 窓から差し込む朝日で目を覚ました。

 まだ日が昇ってさして時間が経っていない、太陽は雲の上に微かに見えるだけだ。

 相変わらず朝は気怠い、それがルナ・ホーヒュニングという女が朝一番に持つ感情だ。

 そしてそれを見計らったかのように独房の重い扉が静かに開かれた。


「出ろ」


 看守はただ一言そう言った。


 ああ、そうか、やっぱり自分は殺されるのか。


 ルナはどことなく諦めに似た感情を抱きながら、独房のベッドから立ち上がった。

 そして出る前に、ルナはまだ眠っているレムの顔を見て、一回微笑んだ後、そのまま何も言わずに独房から出て行った。

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