第十一話「force~力を求めし者~」(2)-1

AD三二七五年六月二七日午後二時一分


 アルティムの郊外には一つ大きな墓地がある。戦没者の慰霊碑の目立つ墓だが、それでもぽつぽつと一般の人々の墓もあるそんなありふれた墓地。緑の芝生がいつでも整備され綺麗に整えられているのもまた、ありふれた光景だ。

 ハイドラが購入した墓地だった。その中に自分の部下の墓から恩師の墓から果ては家族の墓まであるのだ。


 その碑に刻まれた名は優に万を軽く超えている。昨日と違って、新しい名前が彫られていた。

 癌だった老人の名前だった。フェンリルに来たとき、パンを買ったことがあった。

 周りの連中は死んでいくのに、自分は生き続けている。これも罪なのだろうかと、ハイドラはサングラスを外した後に感じた。


 慰霊碑の前に置かれていた花を新品の物に変える。それが済んだら静かに黙祷を捧げる。それを二分続ける。それが彼の日課である。

 部下は家族同然の存在だ、それが死ねば墓参りに訪れるのは当然であると考えるのがこの男の筋の通し方だ。


 そしてそれが終わると、ハイドラは横に置いてあった袋を持って、墓地の奥へと入っていく。

 そこには一角だけ、明らかに違う雰囲気の墓が建っていた。大きな墓が一つと小さな墓が二つ。そこだけは誰にも犯されない聖域のように静かに佇んでいる。

 小さな墓には『レナ』、『アイン』という名前が、大きな墓には『ラフィーネ』という名前が刻まれていた。

 ハイドラは大きな墓の前に立つと、持っていた袋の中から花とワインのボトルを出しそれを置いた。一方の小さな墓の前には、花とキャンディを置いた。

 それが彼なりの『家族』に対する墓参りのやり方だった。


 ハイドラは、その大きな墓の前では、まるで違った人のように饒舌になる。だが、その饒舌に話す中で時々に浮かべる笑みは、優しくもあり、そして悲しい。


「ラフィ、土産だ。お前の好きだったサクランボで出来たワインだ、少し値が張ったぞ」


 苦笑して、ハイドラは墓の上から置いたワインを注いだ。墓にワインが垂れていく。

 それで死者が喜ぶのか、それはわからない。

 だいたい、人がこうして墓参りに来て話す言葉は所詮生きている人の独り言に過ぎない。

 だけど、それでもなお人は反応しない。返事が返ってこないと分かっていても墓の前では語り合った気分になる。


 墓場はそう言う不思議な場所だ。何故か、死んだはずのその人がいるような気分になる。

 今のハイドラはそう言う気分だった。

 少し墓を見据えた後、彼は静かに、懺悔するように、墓場へ問う。


「ラフィ……俺は……どうしたらいい?」


 返答がないのは、分かっている。だが、どうしてもラフィのことは忘れられない。

 不器用な男だと言われている。愛するという感覚を欠落したまま生きてきた彼にとって、ラフィはただ一人、愛せた女性だった。

 だが、彼女は死んだ。しかし自分は生きている。『守れなかった』という大きな罪を抱えたままで。


 だが、彼はラフィーネ以外を妻に取ろうとはしない。『愛し方が分からない』と言う理由故である。

 周囲から畏怖の目で見られても何も言わず、ただ淡々と物事をこなす。それが彼のやり方だった。


「過ちだとはわかっている……。だがラフィ、俺は力を付けなければならない。それが君を守れなかった事に対する贖罪だ……」


 この言葉を吐いた時のハイドラの表情は深い後悔に満ちていた。

 サングラスを掛け、墓場を静かに出て表通りに止めてあったコブラに乗り込んだ。


 するとそれを見計らったかのように、突然彼の携帯電話が着信を告げる。

 ハイドラ専用のコードが割り当てられた電話だ。盗聴もいっさいされない上、特定の人物しか掛けられないようにできている。しかも番号自体を知っている人物は十人に満たない。

 で、その電話をしてきた主は、ハイドラにとっては意外そうで意外ではない人物だ。

 村正である。ハイドラはその相手を確認した後すぐさま電話をとった。


『よ、ハイドラ兄にい』

「どうした、オークランド」


 ハイドラは村正を年の離れた弟のように見ていた。

 彼の義理の父であり、先代のシャドウナイツ隊長であったインドラに家に招待されたときに出会ったのが、付き合いのきっかけでもある。

 もっとも、インドラのその在任期間は五年と今までの隊長と比べ比較的短めだ。

 その理由はハイドラが現れたからである。完全実力主義のフェンリルにおいて、新たに強き者が現れたら今まで『強かった者』はその座を新たにきた者に受け渡すといういわゆるボス猿と同じ原理が存在する。


 インドラはハイドラが来た時、隊長の座を賭けて戦い破れた。

 しかし、インドラは徹底的なまでにハイドラに仕え、彼はインドラを全面的に信頼していた。


 インドラは死んで既に六年にもなる。だが、村正はこのままいけばインドラの後継者として十二分な力を発揮するであろうと思っていたし、村正こそハイドラの後継者に相応しいと、ハイドラ自身が考えているほどだった。

 それに、村正はこの性格である。不思議と何処かゆったりしたこの性格が、ハイドラを落ち着かせるのだ。

 だからハイドラはシャドウナイツの中でも、村正のみに直通コードを与えたのである。


『姐さんのことで、ちょっと話がある』


 村正の口調は珍しく少し暗かった。


「ビナイムか? どうした?」

『今日の戦闘で、妙なことが起こってね』


 村正はソフィアが陥った状態を事細かに解説した。その証拠にと、ハイドラの携帯に脳波のデータが送られてきた。

 ハイドラは画面に表示されたそれをじっくりと見つめる。


「なるほど、妙な脳波の揺らぎが起きているな……」

『普段の姐さんからは考えられなくてちと妙だなと。確かに、持病あるから薬の服用は毎回やってるけど、でもそれにしたって戦闘行く前に薬飲んだの見たしなぁ、俺……』


 少し村正の口調が弱まった。

 ソフィアは毎日薬の服用が欠かせない。別に薬を飲んでいれば普段の生活には差し障りがないため、特に誰も気にしてはいなかったのだが、ここまで突発的に起こると何かあるのではないかと勘ぐりたくなるのが、村正の性分なのだろう。


「わかった、この件は俺が調べておく」


 その後ですぐさまこう言うのも忘れない。


「お前はあいつのそばにいてやれ。ああいう性格だ。お前一人いるだけでも楽になるだろう。だが、あまりこの事をあいつに思い出させるな。いいか、あいつを苦しませるなよ」


 若干心配性とも取れるが、これが彼のやり方なのである。それだから絶対的な信頼が生まれるのだ。

 村正は一つ返事をする。こういう『あうん』の呼吸という物が彼らの間では成り立っているのである。


『それとハイドラ兄、もう一つ』

「なんだ?」

『鋼の奴、あんたの昔のコードネーム知ってるみたいだったぞ。殺す気満々だったし、殺すまで死ねねぇと言ってた。何かあったんだ?』


 その言葉を聞いた瞬間、一瞬だけハイドラは朝に見せたような慚愧の念に駆られたような顔をした。


「昔、な。色々とあった、それだけだ」


 その口調はいつになく暗い。そんな口調だからか村正はあっさりとそれを追求することをやめて通信を切ることにした。


『じゃ、これにて』

「帰還を待っている」

『りょーかい』


 携帯電話の電源を切った後、ハイドラは空に向けて一つ大きなため息を吐いた後、静かに言った。


「そうか、あいつが殺しに来るか……。それもまた、よしとするか」


 そう言ってハイドラがエンジンを入れようとしたその時、突然遠方から爆発音が聞こえた。感覚からして恐らく半径一キロ以内だ。

 その後車に無線で緊急連絡が入り込む。


『こちら第二鉱区! アフリカ統一戦線に奇襲を受けた! 現場付近にいる武装した兵士は応答願いたい! 繰り返す……』


 警察からの無線だ。ノイズが激しい上、その無線の後ろから銃声が響いている。どうやら既に戦闘中のようだ。


『アフリカ統一戦線』、フェンリルの態勢を良しとしない弱小企業国家のいくつかが集まって結成された組織である。が、大層な名前をしていても、実際はそこらのマフィアより遙かに質の悪いテロリストに成り下がったそんな組織だ。


 さすがに自分がナンバー2であるこの国家でそんな組織の横暴を放っておく訳にはいかない。だからハイドラはすぐに無線を取った。


「こちら『アバドン』、応答願う」


 アバドン、破壊神の名から取ったそれが現在の彼のコードネームにして異名である。

 泣く子も黙るとか言われているのは、正直少々複雑な気分ではあった。


『ふぇ、フェイケル殿?!』

「数はいくつだ?」


 兵士の驚きに対してもハイドラはこれ以上口を挟ませないように間髪入れずに聞いた。


『え、で、ですが……』

「近いのだったらなおさらだ。俺が行く」


 こう言ったらもう折れないと言うことはフェンリル兵士の間でも有名だった。だからこの兵士もまた、少し緊張気味に状況を話す。


『か、数はM-70を持った奴が七人とGP7ロケット砲を担いだ奴が一名、それと作業用M.W.S.が強奪されたらしいです。まだ起動途中のようで出てきてはいませんけど……』

「わかった。暫く戦線を維持してくれ。二分で行く」


 そう言った直後、ハイドラは会話をやめ、すぐさまコブラのエンジンを入れる。

 コブラの持つV8OHVエンジンが静かだった墓地の前で突然の重低音を上げる。

 ハイドラは一気に車を加速させ現場へと急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る