第十一話「force~力を求めし者~」(1)
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AD三二七五年六月二七日午前六時一六分
フェンリル。アフリカ大陸全土を牛耳る巨大企業国家。
約一六〇年前、ヨーロッパで勃発した『第八次ヨーロッパ企業間大戦』において秘密裏にヨーロッパから撤退、混沌としていたアフリカ大陸に進出しそこで巨大化、そして大陸一つを牛耳るようになった企業国家。それが、社名が北欧神話の狼から取られている所以の一つ。
もっとも、今のフェンリルにおいてヨーロッパから脱出した痕跡などそれ以外何一つ残ってない。
そんな国家の首都『アルティム』。旧南アフリカ共和国に位置するこの街は、ラグナロクの影響によって出来たとされている『パリエース山脈』という障壁に護られた、まさに天然の要塞とも言える街だ。
人口四千万人の超巨大都市に乱立したコンクリートジャングルが映える。
今は朝を迎え、ほんの少しだけ人々の流動が忙しくなり始めているそんな時間だ。
そして、フェンリル本社ビルへ延びるハイウェイを一台の車が爆走していた。『シェルビーコブラ427』のレプリカモデルだ。正直趣味であるし、昔から乗っている車だった。
もっとも、いつくらい昔だったかまでは、よく覚えていない。齢もいくつだったか。
ちらと、後部座席に目をやる。自身の愛武器を布に包んでほっぽってあったが、特に飛んでいったとかそういうことはないようだ。
異様なことになっていた。マタイがたった一機のプロトタイプエイジスに殲滅させられたというのだ。
それでこんな朝早い時間に招集された。どうせフレイアが何か言ったのだろうと、ハイドラ・フェイケルは考えていた。
第九代シャドウナイツの隊長にしてフェンリルのナンバー2。そんな肩書きだが、正直割とどうでもいいと、ハイドラは考えていた。
席の横に置いておいた携帯電話が着信を知らせる。ハンドルから片手を離し携帯電話を取った。
「なんだ?」
『面白いデータが手に入ったよ』
その時聞こえた声はどこか慣性が幼くも聞こえるが、他人からは畏怖を覚えるのであろう、そんな声だった。
ヴェノム・マステマ・ゼルストルング、それがこの携帯電話の向こうから聞こえてくる声の主だ。
シャドウナイツ副隊長にしてフェンリル幹部会ナンバー5だが、個人的には余り好きになれなかったし、所詮は小物だ。
「あのコンダクター、か?」
『ああ。アイオーンと見事に反応していたよ。実に興味深いね』
「わかった。後少しで行く」
『待っているよ』
そう言って携帯は切れた。
二言三言の会話だが、それだけで充分だ。確認を取る必要などない。
全部『計算通り』なのだから。
だが、ハイドラは落ち着かなかった。
今日、夢を見たのだ。何もない空間でハイドラと、ある男が話し合っている夢だ。
その男はどこか飄々とした態度で『自分は負けた』と、豪快に、呵々と笑いながらそう言った。
そして夢の中で旧友はこう言った。
『今度会ったら飲もうぜ』
と。そう言って、男は目の前に出来上がった階段を上って消えていった、そんな夢を見た。
その時に思ったのだ。彼は雄々しく死んだのだと。
親友だったが故に、彼は一人、少し物思いにふけっていたのだ。
だが、それ故に遅れた。
今のところ予定より二分遅れている。遅刻は決定的といえる。
だが、これ以上遅れるわけにはいかない。シャドウナイツ隊長としての沽券にも関わる。
そう思いながら、ハイドラはクラッチを操作してアクセルを更に力強く踏んだ。
そこから眺めることの出来る地上三五階、地下に至っては極秘の研究施設まであるためもはや何階まであるか分からないそれ自体が一個の都市とも言えるビル、それがフェンリル本社ビルである。
アルティムの中心にそびえ立つそのビルは朝日をガラスで反射してまるで後光のように都市全土に光を与えんばかりに輝いて見える。
そんな風景が、何故かハイドラにとっては空しい。
何故か、何故かは知らないが、それが終焉の光のように見えたからだ。
栄光あるところに必ず何かの落とし穴がある。
そうやっていくつもの国が崩壊した。旧西暦にも、そして、企業国家がのさばるようになった、今でも。
驕りが必ず敗北を生む。それは自分が一番よく知っている。
そんな物をいくつも見てきたのだから。
地下の駐車場へと入っていく。その中の一角にある専用エリアで車を止めた。
秘書が一人、待っていた。黒人系の初老の秘書だ、髪は少々白いモノが混じってはいるがしっかりした面持ちである。
「おはようございます、フェイケル様」
秘書が静かに頭を下げる。
ハイドラは後部座席に置いてあった黒のロングコートを身にまとった後、同じく後部座席に置いてあった武器を背中に掲げ、専用エレベーターで三二階の会議室へと移動した。
エレベーターは全面的に美しい装飾が目を引く密閉型のエレベーターだ。
その中でハイドラは秘書から予定を聞く。
「今日の予定は?」
「はい、本日はただいまから会議でございます。それが終了し次第通常の御公務と相成ります」
ハイドラはそれにただ頷くだけだ。
しかしその後、彼は少しだけ、口調を弱めて聞く。
「墓参りは、いつ頃行けそうか?」
その言葉に少し秘書も辛い顔をした。
自分にとって墓参りは日課のような物だ。毎日、彼は部下の墓参りを欠かさないし、恩師の墓参りも欠かさない。
そして、自分の家族の墓参りも、である。
それをこなし続けるのは、正直ナンバー2としては甘すぎる。それはハイドラ自身が一番分かっている。
だが、『民に愛されずして誰に愛される?』、それを思うが故に彼はいつも行くのだ。
だからいつも、例えどんなに忙しかろうと、この男は墓参りを欠かさない。そして予定も、きちんと空けてある。
「ご安心ください、午後二時から予定は入っております」
それにハイドラは安堵した。
そしてエレベーターのカウントが32を差す。
エレベーターの扉が開くと廊下が見える。濃い赤の絨毯が張られた廊下だ。
その先には巨大な扉と武装した二人の衛兵が待ちかまえている。
衛兵は彼の存在を感じ取るとすぐさま彼に敬礼した。ハイドラも無言で彼らに敬礼し、秘書をその場に待機させ、重苦しい扉を開けた。
「遅くなった」
ハイドラは会議室に入った早々そう言って席に着く。
そこには錚々たる面々がいた。
フェンリル幹部会のトップ達がほとんど全員顔を見せているのだ。
軍警察所長のウェルガー、軍部最高責任者のヨアヒム、兵器開発部署長のアーウィン、材料資源調達課課長のサウト、人間工学・化学部長のキミヤなどの他にも全部で三〇人弱、そしてシャドウナイツからオンライン回線を含めて三名だ。ここにフェンリルのトップが一合に集結しているのである。
「二分五十三秒の遅刻だね。珍しい」
最初に話しかけてきたのは先程の電話の声の主-ヴェノムだ。
長い銀髪を持つこの男、何故か常に笑ったような表情を浮かべている。それ以外の表情は、あまり見たことがない。
「確かに、ナンバー2が遅刻っつーのも珍しいな。何かあったのか?」
アーウィンが次に彼に話しかける。
確かに、時間には自分は比較的律儀な方だ。それで遅れるというのは珍しいことなのだろうが、ハイドラはあっさりと
「俺の遅刻した時間や理由などどうでもいい」
と言って、以後の会話を切り捨て、長いテーブル右側の最前席に座った。ナンバー2の定位置である。
そして、もっとも前の位置にはフレイアがいた。朝日が彼女の金髪を照らした。
彼女は静かに話を始めた。
「全ては想定通りに事が運んでいる。アイオーンの出現に始まり、先天性、後天性、共にコンダクターが目覚めた。周期を考えればまた二五〇年ぶりの登場となる。また、十二使徒の一人も現れた。その件も含めて、オークランド、説明を頼む」
その時人々の視線はオンラインで中継の繋がっている村正へと移った。
スクリーンに村正の顔が映し出され、彼が淡々と今までにあったことを報告し始める。
『三日前です。例の後天性、やっぱ目覚めました。それも極めて特殊なタイプです。弱体化機能だけならまだしも、どうやら相手、アイオーンのコアの正確な位置を把握しているようです。恐らく、中の奴が原因かと』
「あのアイオーン、何を考えている……。今更『未来予知』を使うとはな……」
サウトは少し指で顎から生えた白髭を押さえながらまるで『理解出来ん』と言った様子で唸った。
『あいつが起動するのは基本的には一世紀に一度です。で、あの日もやっぱしかつて起動してからちょうど一世紀でしたっけ、文献では。それにあいつらは文献の数も少ない、それを考えれば何を使ってきてもおかしくはない』
村正の言葉に全員が同意する。
今回の後天性の覚醒に関しては正直異様だ。今までの文献で一カ所のみ書かれていた『未来予知』(と書かれていたらしい。文字データの破損が多く文字化けが多い上、プリントアウトしたものも文字が掠れていてさっぱり読めなかった。つまりこれは『憶測』である)に近い能力を発動した事例はない。
何かが起きようとしている、それは誰の目にも明らかだった。
故にサウトはこう付け足す。
「先天性もそろそろ『完全に』覚醒する頃と見て間違いなかろうな」
「『あれ』から十年経ったからのぉ。『実験体』の魂が抑えられなくなった時にまた覚醒するであろうな。あの時と同じじゃよ」
キミヤが呵々と嗤いながらそれに同意する。
「まぁそうだろうね。で、十二使徒も一人、死んだんだろ?」
『ああ。「鋼」が殺した』
ヴェノムの言葉に村正が答えた。
鋼。あいつなら、確かにやってのけるだろう。
自分が見込んだ男の一人。可能性を持った一人。
そして、自分を殺してくれるであろう、唯一の人間。
「奴が来たか」
村正はそれに一つ頷く。
「そうか、ご苦労」
ハイドラの一言の後フレイアも
「報告後苦労」
とだけ言った後村正は回線を切断した。
「何はともあれ、あのコンダクター達を次で抑える。奴らのDNAさえ抑えれば問題はない。器そのものには、用はないのだからな。以上だ。会議を終了する」
フレイアの言葉で全員が立ち上がる。
だが、ハイドラだけが残った。
徐に、フレイアへと近づく。
「どうした、フェイケル?」
そう言って上目使いにフレイアはハイドラを見る。
するとハイドラは先程から持ってきていた布に巻かれた長物をフレイアへと向けた。
フレイアは冷笑を浮かべるだけだ。無意味なことをするものだと、いつも思うだけなのだろう。
それに、自分はこの女を殺せない。
だが、かといってこの女は反撃もしない。死なないからだ。
彼なりの明確な敵対行動の意志である。
「いつまでもそういう態度を取る、『エビル』よ」
フレイアの目の色が蒼から茶に変貌する。
ハイドラは『かつての自分の名』でいつまでも呼び続ける、この女が嫌いだった。
悪鬼の名を持つ自分、その名の通り、彼は確かに『悪鬼』の一人だった。
一体何人殺してきたのか、それはわからない。そして何人の死に目を見てきたのかもわからない。
それをまるで嘲笑うかのようにフレイアは冷笑を浮かべながら聞く。
「お前も物好きだな。私が人間でないことを知っているにもかかわらず、何故ばらさぬ?」
その言葉を聞いて、ハイドラは付けていたサングラスを取り外した。
この目が、いつも自分は嫌っていた。
片方がダークブラウン、もう片方が血のような赤色。そして、あの赤の瞳の瞳孔は、まるで獣のそれだ。
それに、自分には左半身に入れ墨が広がっている。目がこうなったと同時に付いた物だった。
「この眼は、俺の『罪』の現れだ。その罪を償うまで死ぬわけにはいかん。貴様に死なれると、俺の罪も償えん」
フレイアはため息を一つ吐き、
「相変わらず不器用だな、お前は」
と半分冷やかすように言った。
そんな様子だからか気分が萎えた。ハイドラはその長物を下げ、サングラスをもう一度はめた。
その直後だった。
会議場のドアが『ばん!』と大きな音を立てて開かれた。衛兵が飛び込んできたのだ。
「会長、賊が侵入しました! 恐らく、数日前に粛正した反体制組織の残党と思われます! 現在衛兵が追ってますが、犯人の位置特定できません!」
早口に衛兵はそう言うが、二人は応じない。
それもそうだろう、そういうのには適任者がいる、それも衛兵のすぐ後ろに。
ヴェノムだ。彼は衛兵の横を長い銀髪を揺らしながら通り部屋の中へ入ると
「相手は恐らく天井裏から来るよ」
とだけ言う。
この本社ビルは全区画に無数の監視カメラがしかれている。それで特定出来ないと言うことは、その監視カメラが仕掛けられていない場所、即ち天井裏しかない。
すると案の定だ。天井裏で物音がした。
その直後、天井の一部が矧がれ落ち、そこから進入した暗殺者がフレイアに向かってナイフ片手にひた走る。
白いローブに身を包んだ男だ。つい一週間ほど前にフェンリル側が抹殺したゲリラの残党である。
だが、フレイアの前に一人の男が立っていた。ヴェノムだ。
その時、暗殺者の体がぴくりとも動かなくなった。全身から汗がにじみ出ている。
周囲が凍り付かんばかりの殺気だ。まずヴェノムが使う常套手段の一つだ。威圧感で動けなくなっている間に接近する。
弱者は徹底的にいたぶるというスタイルが、どうもハイドラは好きになれない。
ヴェノムがゆっくりとその暗殺者へと歩を進める。
そして笑いながら
「なんだ、こんなことで縮こまっちゃうんだ?」
と言って、暗殺者の腕を掴むと、暗殺者の手首を一八〇度逆に曲げた。
骨の折れる鈍い音と暗殺者の絶叫がこだまする。
だが、ヴェノムはそれでも笑っている。倫理的思考が完全に麻痺している、それがこの男の一番怖いところであり本質でもある。
「『本来の人間の体』って脆いだろ? 指の関節なんて、特にさぁ……!」
その直後、逆に曲がっていた暗殺者の手首にある指を握り、思いっきり潰した後に暗殺者の手を離した。
ヴェノムの手には相手の血が溢れていた。響き渡る暗殺者の悲鳴、この男はそれを快楽と感じている。
そして、自らの腕にしてあった手袋を外した。
その腕は銀光りしていた。アーマードフレームだ。
この男が狂人と呼ばれるのは、その残虐性もさることながら、自ら病院で手足を切り裂き五体満足を捨ててまで、アーマードフレームを手に入れたことも重なっている。それも両手足、腹部と胸部の一部という全身の半分以上を、だ。
そして、それを立証するようにヴェノムは倒れている暗殺者の足を思いっきり磨りつぶすように踏む。
骨の砕けた鈍い音がした。また絶叫が響く。
これで満足しないのがこの男の残虐性だ。次は肋骨の上に脚を乗せた。そして徐々に体重を掛けていき、そのまま何本かの肋骨をへし折った。
五体全土がアーマードフレームで覆い尽くされたこの男の体重は、実に一二一キロにも及んでいる。その全体重がかかったのだ、こうなっても不思議ではない。
最早悲鳴を上げる体力すら相手には残されていない。むしろ相手は完全に絶望しきっている。それを見てヴェノムは悦に浸るように、にやりと不気味に嗤った。
「やっとその表情を見せてくれたね。いやいや、意外にしぶとかったよ、君は。でもさぁ、今でももっと声上げる気力、あるんだろ?」
ヴェノムは倒れている相手の足下へと向かい、一回相手の脚をどんと、思いっきり踏みつぶした。
絶叫がこだました。もはやここまで来ると狂気などと言う言葉だけでは片付けられない。
「やっぱ上げられるじゃないか。もっと声上げなよ。苦痛に歪む声って好きなんだよ」
その直後、銃声が響いた。
暗殺者の額に見事なまでの穴が空いていた。そこでぴくりとも動かなくなる。
その銃声のした方向をヴェノムが見ると、ハイドラが『スルトT-74P「ガゼル」』を持っていた。彼が懐に隠し持つ『会長警護用』-というわりには五〇口径の超巨大ハンドガン-の銃である。
その銃口から煙が出ている。要するにハイドラが撃ったのだ。
それに対しヴェノムはどうにも納得いかないようにムッとした表情を見せる。
「なんだよ、フェイケル。もう少し楽しませたっていいじゃん。何も頭すぐに打ち抜くことないだろ?」
「オーバーキルは無駄なだけだ。時間がもったいない」
ヴェノムの言葉に間髪入れずハイドラは淡々ときり返した。
ヴェノムはそんなハイドラに呆れつつ
「何だ……つまんないなぁ……」
とため息を吐いた。
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