第六話『始まりと終わりの名を持つ者』(後編)-2
右腕の火傷跡は、昨日と違い疼かなかった。
ルナは鼻歌交じりに部屋でシャワーを浴びていた。
腰まで伸びる黒髪を水滴がしたたり落ちる。
やっと一息つき落ち着いて自分の時間を過ごせている。思ったよりも仕事は大変だったし、作戦自体も無駄骨だったが、あのやたらと強い男を引き入れることが出来たし、自分の心が、不思議と晴れやかになった。
何故なのかは、よく分からない。
その時、ふと殺気を感じた。
なんだってのよ……?
彼女は蛇口をひねってシャワーを止め、シャワールームから出て髪の毛も拭かずバスローブに身を包んだ。
その後、彼女は洗濯かごに自分の服と一緒に無造作に入れてあったPPK/Sを取り出し、マガジンを装填する。
彼女は扉が見えるシャワールームの更衣室に隠れた。心臓の鼓動が少し高鳴る。
そして、扉が開かれた。
彼女は素早く出て、殺気を放つその人物にPPK/Sの銃口を向ける。
だが、入ってきた人物に彼女は驚いた。
ゼロだった。しかし、彼も義手のマシンガンの銃口をルナに向けていた。
「何のつもりだ?」
ゼロは少し眉間にしわを寄せながらルナに詰問する。
その後、ルナが銃口を下げると同時にゼロも銃口を下げ、マシンガンをアーマードフレームの中に収納した。
ルナはゼロをあきれ顔で見つめていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「そりゃこっちの台詞よ。あなたこそ、なんでそんな物向けてたわけ?」
ルナの口調は刺々しかった。どうやらシャワー中だったらしく、髪の毛が濡れている。
「昔からの癖だ。なんかあるかもって思ってな」
その瞬間、何かがぷつんと切れた音を、ゼロは聞いた気がした。
突然ルナから天地が震えんばかりの殺気があふれ始めた。
殺る気満々だ。指の骨をバキボキと、かなりゴツい音で慣らしている。相当シャワーの時間を邪魔されたことがしゃくに障ったらしい。
ゼロはもう引きつった顔しか浮かべられない。正直言って目の前の相手が滅茶苦茶怖い。
「ふ~ん、そうかそうか、勝手に誤解してこうなったって訳か……。な~ほどね、『あんた』の気持ち、よ~くわかったわ……」
ルナの後ろで怒りの炎が真っ赤に燃える。
「あたしのこの手が真っ赤に燃えるぅ! 貴様を殺せと、とどろき叫ぶ!」
「う、あ、いや、その、お、落ち着……」
ゼロは逃げだそうとしたがもう遅かった。
「こんのバぁカぁタぁレぇぇぇぇぇぇっ!」
そう言われた瞬間、自分の意識が一瞬星になった。今まで巡らなかった走馬燈などが巡っている。それに、誰とも付かない老人が、花畑の向こうで手招きをしていた。
少し意識を回復したときになってようやく、豪快なアッパーをかまされたことにゼロは気付いた。
もう一発KOだ。ここまで入ると本当に清々しいくらいである。
これが彼らの在り方を反映していた。実際彼らはこういう感じで過ごしていくこととなることは、この当時のゼロは知る由もない。
「ぐおおおおお……いてえええ……」
目の前の相手の殺気は収まらない。殺気の利いた目でゼロに詰め寄る。
「とりあえずあんたねぇ、ここはうちらの戦艦だから。罠とか『今ン所』ないから。だから殺気むんむんでここ訪れるのはやめなさいね?」
ルナは額に青筋を立てながら笑顔で言っている。それが滅茶苦茶怖い。
この女は割と短気で、かつ切れると怖いと、ゼロは思い知った。
しかし、『今ン所』という発言が偉い気になる。いずれトラップでも仕掛けるつもりなのだろうか。
「で、なんでまた来たのよ?」
「契約の所でどうしてもわかんねぇ所があるから来た」
「わかったわ。ま、適当にソファーにでも座ってて」
ルナはゼロを奥へ案内する。
彼女は隊長であるためか普通の隊員より部屋が広い。広さはおおよそ八畳ほど、その上本棚まである……はずなのだが、ゼロは開いた口がふさがらない。
それもそうだろう。彼女の私室は、異様に汚い。まるでゴミ屋敷である。
そこら中に積み重ねられた本の山、山、山。それが所狭しと軒を連ねている。そのせいで、ソファーがどこにあるのかすらわからなかった。
これではせっかく広々とした仕官専用個室も意味がない。
彼女には根本的に整理能力がないようだ。
「何の冗談だ、これ……」
「え~、汚れてないでしょ? 二時間くらい前までは床に本が無くて気味悪かったわ」
それが普通だろと、ゼロは心の中で突っ込んだ。ルナは余裕綽々で答えているが、こんな部屋になってもこう思っている地点で、部屋を整理できない女なのだと認識させるには十分すぎるインパクトがあった。
それに、二時間前までは床に本がなかったと言うことは、たった二時間でここまで広げたと言うことだ。どれだけ片付けできないんだと、呆れるほか無かった。
「適当に本見ててもいいわよ。あたし髪の毛乾かして着替えるから時間食うし」
そう言ってルナは洗面所に向かった。だが、洗面所へ行く前にゼロに忠告する。しかも殺気だった表情を彼に向けながら、だ。
「見たら殺すわよ?」
ルナは血の気も引くような殺気を立てつつ言うが、当のゼロはというとため息を吐くだけだ。
誰がガキのストリップ見て喜ぶんだよ。見ねーし見たくもねーっての。
こう思ったが、口にすれば殺されるような気がしたから心の中だけにとどめておいた。
その後、彼は転がっている本を見てみる。
「ンだぁ、『上手な投資信託』? で、こっちは……『狼の鎮魂歌』? ジャンルまったくもって違ぇじゃねぇか」
「俗に言うあたしは本マニアって奴なの。家に行けばこれの百倍くらい本有るわよ」
ルナはドライヤーで髪の毛を乾かしながらゼロに言う。
しかし、彼女はもはや本マニアという次元を軽く超えている。『書智』、つまり完全なる本の虫だ。
「よくもまぁここまでやるもんだぜ……」
ゼロは小さな声で愚痴った。
しばらくしてから、ドライヤーの音は消えた。
少ししてから出てきたルナに、ゼロは感嘆の息を漏らしていた。
浴衣を着ていた。髪の毛は結ってある。割と様になっていると思った。
髪の毛と瞳が黒系統だからかもしれない。
「なんでまた、そんなもの着てるんだ?」
「ああ、これ? 昔ね、あたしがこの部隊入り立ての頃に世話になった日本の人からもらったの。誕生日祝いでね。結構こういうの好きだし、寝間着代わりにもちょうどいいからね」
二人、師匠がいたと言うことを、ルナは切々と語った。
一人は年上の幼なじみだったが血のローレシアで行方不明になり、もう一人の師匠は軍に入ってからの師匠で日本人だったという。
しかし、ゼロにとってはそんなことどうでも良い。なんか疲れたからか、酒が飲みたくなった。
「なんかあるか?」
他人の部屋に押し入っておきながら飲み物を強引に注文するその手口がなんとも主役らしくないとつくづく思う。
ルナは溜め息混じりに
「しょうがないわね」
と、冷蔵庫を物色し始める。
途中、何度か冷蔵庫に行き着くまでに本に足を引っかけて転びそうになったのを、ゼロは見逃さなかった。
ホントに片付けろよ、あぶねぇから。
しかし、冷蔵庫の中身といえば……
「普通の牛乳か、コーヒー牛乳か、栄養ドリンクか、どれがいい? ちなみにお勧めはコーヒー牛乳ね」
ゼロはがくりとうなだれた。
「なんなんだそのセレクションは。意味わかんねぇよ、共通項が見えねぇよ。ってかお前ホントにベクトーアの出身か? 日系の間違いじゃねぇのか?」
「いや、それこそあんたにだけは言われたくない質問だったんだけど。こいつ以外の誰が金髪黒メッシュの赤目なのよ、この地球上で……。こんな派手な人他にいたら見てみたいわ、まったく」
なんかブツブツとルナが文句たれていた気もするが、無視した。というより、もっともすぎて何も言えない。
一応、こんな髪の色にしたのも理由があるのだが、語る気は起きなかった。
「ビールは?」
「自販機に行けばあるわよ」
冗談半分で言ったのだが、まさか売っているとは思わなかった。
しかし、考えてもみれば、あのナノマシン工学第一人者のジェイス、いや、今は玲がいる。奴がアルコール分解ナノマシンを持っていさえすれば、確かにビールくらい大したことはない。
「わーったわーった、栄養ドリンクよこせ」
夜に栄養ドリンク、よりにもよって栄養ドリンク。
夜眠れなくなるぞ。
ルナとしても個人的にお勧めだったコーヒー牛乳があっさり却下されたのを少し残念がっているようだった。
「美味しいのに……牛乳」
彼女は自分のコーヒー牛乳とゼロの栄養ドリンクを持ち出した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
よくもまぁ、こんな夜遅くに栄養ドリンクなぞ飲む気になるものねと、ルナは呆れるほか無かった。
しかもこの栄養ドリンク、市販されている物ではない。ベクトーアに接収されたバイオ系の企業が売り出そうと思っていた栄養ドリンクの試供品だ。その名も『アリナールD』とかいうなんか物凄く胡散臭い上色々と混ざってそうな名前である。ルナの暮らしている家に郵送で届けられたのだ。
で、飲むかも知れないからと実に三ヶ月もの間、叢雲内私室の冷蔵庫に入れっぱなしだった。
一日ずっと寝ないで働けるだけの強力な効果を持つらしいが、強力でありすぎた故か現在では効力を少し弱くした改良版が売り出されている代物である。
後で聞いた話では味も不味いらしく、売れ行きは最悪らしい。
罰ゲーム用にはいいかと、取っておいたのだが、まさか事ここに来てこの男が飲みたいと言い出すとは思えなかった。
しかも、このタイプはプロトタイプ、つまり、効果がきわめて強力な方だ。恐らく今飲んだら寝られまい。
だが彼はあっさりとそれのふたを開けて一気に飲んだ。
ルナもそれにつられて、コーヒー牛乳を一気に飲んでいた。
「ふぅ、美味い」
二人して同時にその言葉が出る。
似たもの同士なのかもしれないと、何故か思った。
話を切り出したのはゼロだった。
「この量、逆に呆れちまうぜ。今の時代ネットで何とかなるだろが」
確かに今のこのご時世、紙の資源がもったいないためネット経由で本を売り出す傾向が強い。そのくせになぜか彼女は紙媒体の本を好んでいた。
「本は枕にもなるし、それに読んでると電脳世界だけでは伝わらない何かがあるの。それを発見するのも結構楽しいのよ。暇なときにはこういうありとあらゆる本を読んで、いろんな人のいろんな考えを学ぶの。人生、少しくらいは勉強しないとね」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そこには二日前までは全く見せなかった年相応の少女がいた。
ルナは、笑いながら本について話していた。ゼロはその様子に、フレーズヴェルグとして恐れられているイーグの影を見いだせなかった。
ただ『ルナ・ホーヒュニング』という名の一人の少女がいるだけだ。
コンダクターであろうと、その本質は人間だ。ただ少し、普通の人間とは違うだけなのだと、彼女が理解しているかは、定かではない。
だが、そんなこと関係無しに、その瞳は輝いていた。
こうやっている姿は、別にありきたりだった。異名を持つほどおそれられている兵士とは思えないほどだ。
仮に戦争が起きず、コンダクターでもなければ、きっと彼女はこれとほとんど同じようなことを大学とかで友達と一緒に語り合っていたのかも知れない。
ゼロはその様子の中に、本来の彼女、そう、それこそ、普通の本好きな少女の姿を見た気がした。
「あたしはもっといろんな本を見てみたいの。本にはその著者のいろんな考えが住み着いている。それを見ていけば、いろんな人の考えがわかるし、それに影響されるなんて事もある。それを伝えていくことで、自分たちや後世の人たちがいろんな考えを持つ世の中を作れる。それこそが、本当の自由なんじゃないかなって思うの。誰もが自分の考えで行動して、自分の考えで道を開く。それができるような気がする」
「なるほどな……」
ゼロは一通り聞いたが、よく分からなかった。
ただ、壮大で、馬鹿げていて、しかも青臭く、しかし真理に近い、そんな思いだった。
「何か貸そうか?」
と、ルナが尋ねてきた。
「てめぇが面白ぇと思ったもんでいい。なんかあるか?」
「これでどう?」
ルナは一冊の本を取り出した。
その本の名は『エデンへの道』、マーク・バレンタインがこのころ出した新作小説だ。
スラム街の中で必死に生きようとする五人の青年達の物語をつづった物である。
「面白いのか?」
ゼロはルナに聞いた。
「マーク・バレンタイン、知らないの?」
「本なんざ読まねぇし」
「最近の出版業界若手ホープね。あたしはこの人の考えって結構好きよ。見てみると意外に面白いと思うわ」
「んじゃ借りてくぜ」
ルナに言いくるめられてゼロは本を受け取り、部屋を後にしようとソファーから立ち上がった。
「返却はなるべく早くね」
帰り際にルナがそう言う。
が、出口付近でゼロの動きがぴたりと止まった。
「……肝心の用件忘れてどうする……」
ルナもここでようやく思い出した。
「あ」
などと言いながら手をぽんと叩く。
確かに彼が来た理由は契約書でわからないところを聞くためだ。
「で、どこがわかんないの?」
ゼロは契約条件の所を指さした。ルナはそれを簡単に説明する。
ものの三十秒でそれは終わりを告げた。
一方、ゼロとルナが本について語った時間は一五分。
意外にも長かった。
だが、それでもルナは話し足りないらしい。適当に世間話を始めると、いつの間にか自分はまたルナの部屋のソファーに座りながら彼女と喋っていた。
得意な得物から、サバイバル体験から、本当にどうしようもないことまで、語り続けた。
そんな時に、
『苦手な物は何か?』
などという題材になったのだ。切り出したのはルナである。
しかし、どうしてこうなったのかは、よく覚えていない。
「で、てめぇの苦手な物は?」
まず相手が持ちかけてきた話題なのだから相手から情報を聞き出す。そのことを彼は一応理解している。
後はこの女が、どういう回答をするかだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「朝が大ッ嫌いね。低血圧だからきついのなんのって。で、そーゆーあんたは?」
ルナは自分でも驚くほどあっさりと答えていた。
確かに、自分の低血圧はもはや異常な数値になっている。朝気怠いのはそのせいだ。
家では目覚まし時計を何個も使っている。おかげでレムからは目覚めが悪すぎる上目覚まし時計がやかましいと、いつも朝からこっぴどく怒られてもいる。
しかしだ、ゼロの表情が先程から時間が経つにつれドンドン暗くなっていくのが目に見えて分かる。
よほど強いトラウマでもあるのだろうか。
それとも、やはりその手足の話なのか。
「……あれは、六年前だ」
静かにゼロが話し始めた。その口調は、恐ろしく暗い上に、何故か唇が少し震えている。
「適当に宿とった時に、飯は他に食いに行くかデリバリー注文しろっていわれてな、俺はピザを頼んだ。だがよぉ、そのトッピング、腐っててな……。その時のトッピングがナスとピクルスだった。それ以来、俺はナスとピクルスが大ッ嫌いだ」
固まった。
まるで一昔の前のギャグマンガみたいな展開である。
というか、なんか凄惨な血に塗れた過去でもあるのかと身構えていた自分が、ルナにはばからしく思えてきた。
「なんできょとんとしてんだ、お前」
そう言われて、こらえていた感情が爆発した。一気に吹きだし腹を抱えて笑ったのだ。それはもう大声で。
「れ、歴戦の傭兵ともあろう者がナスとピクルスにトラウマ持つって、アハハハハ! も、もうダメ、無駄に腹筋が鍛えられるわ、アハハハハ!」
「あ~……言うんじゃなかったぜ……」
ゼロは頭を抱えているが、そんなの構うことなく、ルナは笑いを止めることが出来なかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
レムは一人部屋で寝る準備に掛かっていた。
サイドボードに飾ってある写真を見る。そこには彼女が幼い頃に撮った母親と写る写真があった。もっとも、母親の写っている写真は、少ししかない。過ごした期間が、四年しかないからかもしれない。
その横にはオルゴールがある。昔誕生日にもらったもの、そして、母親からの最期の贈り物だ。
彼女はそのオルゴールを巻いて音を鳴らす。静かな音が耳に聞こえた。
その時の彼女の表情は普段の明るい彼女とは違う少し哀しみを含んだ憂いた顔だった。
オルゴールの音が鳴りやんだ時、彼女はゆっくりとベッドに入りシーツを掛けた。
ベッドサイドで電気を消して彼女はただ一言、
「おやすみ」
といって眠る。
今夜はいい夢が見れますように。
レムはそう思いながら、夢の世界へと落ちていった。
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