第四話『合流』(3)-2

 レムは唸っていた。

 先程、ブラッドがブラスカと共に来た時に持ってきた物はよりにもよって雀卓だった。最初は難色を示していたルナも、『飯代賭けようぜ』というブラッドの一言にすぐ乗った。明後日が給料日だ。出来る限り飯代は使いたくなかったのだろう。

 ブラッド、ルナ、レム、ブラスカの四人で卓を囲んで既に勝負は五回目。だというのに、その賭けをやろうと言い出した張本人が物の見事に最下位である。そうは言っても、自分も割と尻貧に近いのだが。


 恐らくブラッドがこんなことをした一番の理由は大方趣味の女遊びが過ぎて金がないからだろうとは思ったが、ブラスカの方も付いてくると言うのは意外だった。

 ともなってくると、恐らくブラスカもまた、趣味の車に金を費やしすぎたのだろう。


 しかし本当にこれがこの日に作戦を控えた部隊の行動なのだろうか。それ以前にこの部隊に規則という物は無いのか。

 そしてレムは唸った末に、安牌だと思っていた五萬の牌を横に置いてリーチし、千点棒を置く。

 が、その瞬間ブラッドは


「ロン」


と言い放った。


「リーチ一発サンアンコー、後は、ドラ一か」


 ブラッドはにやりと不敵な笑みを浮かべていた。


「げ、やっちゃったか~……」


 レムは苦い顔をしながら片手で頭を抱え、渋々とブラッドに点棒を渡した。

 その後再び全員が牌をかき混ぜる。やかましい音が病室に響いた。


「次手加減しないよ」


 レムのその言葉を後目にルナはほくそ笑んでいる。

 何かあるなと、レムはすぐ分かった。

 だが、とりあえず今の状況をどうにかするかと、静かに、牌を捨てる。

 そして、三巡目にブラッドが牌を捨てた直後、不敵に彼女は笑い


「ロン! 見なさい、世にもレアな純正九蓮宝燈よ!」


と、強く言いきり牌の列を倒した。


「何?!」


 全員が驚きを隠せず彼女の方を一斉に向く。彼女は意地悪そうな笑みを浮かべた。確かに見てみるとダブル役萬である。まさかイカサマかと思ったが、この女はいつもこういう時の運はいい。

 早すぎるだろ。レムは呆れる他ない。

 そして、ブラッドの点棒は、ついに飛んだ。先程レムが渡した点棒も、ルナに持って行かれた。

 更にはチップまで消し飛んだ。大負けにも程があるくらい酷い。


「どーしてお前はここ一番で強いんだよ? 誰だよ、飯代賭けようって言ったの?」


 ブラッドの理不尽な問いに対し全員が


『あんただよ』


と一斉につっこみを入れた。

 一度集計すると、ブラッドの負けた点数がやはり桁違いだった。レムも相当やられたが、いくらなんでもブラッドのは酷すぎる。

 当然ブラッドの奢りが確定だ。


 頭を抱えているブラッドだが、ルナは更に追い打ちを掛けるようににんまりと笑っている。

 あれは当分の間集る時の顔だと、レムは知っていた。


 そんな時に、ふと班長室の扉が開き、鋼が辟易とした態度で出てきた。

 相当ふんだくられたなと、レムは感じた。案の定、鋼は溜め息を吐きながら玲に金を渡している。

 そして鋼が一度溜め息を吐くと、こちらを向いた。


「おめぇら、何やってんだ?」

「飯代賭けた麻雀や。ちなみに賭けしよう言うた本人がビリやで」


 ブラスカはにっと口を上げた後、ブラッドを親指で指した。


「じゃかあしい! 何で、なんで俺賭けやろうなんて言い出したんだ?! 甘いことに手ぇ染めるといつも変なことになりやがるんだよ、ちくしょー!」


 ブラッドは完全にヤケクソになっていた。その異様な暗さに全員が引きつる。

 しかしそんな中一人だけ冷静な人物がいる。


「飯代がやばいからでしょ? ほら、次行くわよ」


 ルナはやる気満々だ。これだけ勝てばそりゃやりたくなるだろう。

 しかしやろうとした瞬間にまた訪問者だ。アリスだった。


「いったいぜんたいあんたらは何やってんの?」


 開口一番、あきれ顔でアリスは言った。


「麻雀」

「んなもん見りゃわかるわよ。で、なんで?」


 ブラッド達は順を追って説明する。話を進めるごとにアリスの表情が呆れかえっていくのがわかった。


「あんたら、真の意味でバカね」

「悪かったな、バカでよぉ」


 ブラッドが切り返す。


「あたし曲がりなりにもバカじゃないわよ?」

「んなこと言ったら私だってバカじゃないよ~、たぶん。一応IQ二四〇あるし」


 ルナとレムが立て続けに文句たれた。

 一応IQは高い。しかし、学校の成績はいいとは言えない。だからバカじゃないというのは多分でしかないのだ。だいたい頭の良さはIQだけで決まるものでもない。


「IQ二四〇?」


 鋼の一言にレムは一つ頷く。その後、鋼はじっとレムを見るやいなや、一言。


「こんなアホみたいなガキのどこにそんな頭が入ってンだ?」


 レムの額に青筋が立った気がした。


「阿呆はないでしょーが、バ~カ」


 レムは左手の中指を立てて鋼を挑発する。

 鋼が額に青筋を浮かべた。どうやら相当来たらしい。


「今すぐ六浄豆腐作ってやるからそれの角に頭ぶつけて死ね、今すぐ死ね」


 いくらなんでも推定とはいえ当時齢二三の男がまだ当時一六歳の子供に本気で怒ってどうする。

 ちなみに六浄豆腐とはいわゆる『豆腐の角に頭をぶつけると死ぬ』とされているあの豆腐である。

 何故彼がこんな物を知っているのかは謎だ。

 だが、そんなことはどうでもいい。なんだか言動一つにも頭に来ている自分がいることにレムは気付く。


「痛むのイヤだろうから頸動脈一撃でばっさり切ってあげようか?」

「今すぐエアーズロックかグランドキャニオン連れてってやるからそっから飛び降りろ。今ならお得の供養とあの世への片道切符付きだ。料金はてめぇの保険金だ」

「腹切れ。介錯は私がやるからさ。ないしは市中引き回しでどうだろー?」

「それはてめぇが一人でやれ、ノータリンのクソガキ」

「うっさい、派手野郎。そのスカタンな髪の毛今すぐ手で引っこ抜いてあげようか?」


 その瞬間、ブチッと、何かが切れた音がした。


「このガキ……! 上等だ、コラ! 表出ろや! 怪我してよーが関係ねぇ、ぶっ殺す!」


 そう言われた瞬間、必死に抑えていた理性が飛んだ。

 気付けば、雀卓を思いっきりひっくり返し、鋼と対峙していた。ブラッドが


「俺の麻雀セットがぁっ!」


と喚く声が聞こえた気がしたが、無視した。


 体の調整とストレス解消にはもってこいだった。それで目の前にいるむかつく男をボコれば問題なし、彼女の頭はそう言う結論に達したのだった。

 というよりもさっきコブラツイストをかけてきた姉への復讐の矛先が見事に鋼に向いた形となっただけだったが。


「なんだと! 人が下手に出てればいい気になりやがって! 上等じゃぁ! ヌッ頃す!」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 もう呆れるほか無かった。

 小学生かと突っ込みたくなってくる低レベルな喧嘩と、互いに「ごめんなさい」を言わない意地の張り合い。何とも頑固だと、ルナは思った。


「あーあ、血気盛んねぇ、二人とも……」

「お前、こんな変な奴でいいのか、今回の任務……」


 ブラッドの一言にルナはこう切り返した。


「大丈夫よ。うちらみんな一言で言っちゃうと変人だから今更一人や二人増えたって別にねぇ」


 ブラッド達はもう何も言えなかった。

 しかし事も有ろうに鋼とレムは二人して病室で身構えている。

 が、ここで黙っておけるほどここの院長の心は広くない。玲はまたもドアを蹴破り病室に侵入してきた。


「てめぇらいい加減にしやがれ! こっちは寝不足だってーのにギャーギャー喚いてんじゃねぇってんだ、トンチキ共! これ以上暴れようってんならてめぇら揃ってこっから地上に放り投げっぞ!」


 玲はもう頭の血管がはち切れそうなくらい怒っていた。顔が憤怒に満ちている。

 これではいつ殺されるかわかったものではない。そう思ったルナは一目散に逃げたが、どうやら全員考えは一緒だったのか、みんな同じ方向に逃げてきた。


 しかし、こんなことで鋼とレムの気が収まるわけがなかった。そして、叢雲の中で決闘するという結論に二人はいたったようだ。

 この時から鋼とレムの犬猿の仲伝説が始まった。

 先程玲と殺気だった喧嘩をし、ルナとも喧嘩しそうになったにも関わらずすぐ喧嘩になる辺りで、鋼の学習能力の無さがよくわかる。

 しかし、出会ってからたった三〇分で喧嘩状態になるほど仲が悪くなると言うことはこの二人、元から相性良くなかったのだろうと、ルナは思った。

 同じチームには絶対に組み込めないと、溜め息を吐くばかりであった。


 結局話し合いの末に決闘場は整備デッキになったようだ。確かにあそこならばそれなりに広い。

 と、なってくれば報告に行かざるを得ない場所がある。

 この部隊のトップが鎮座しているブリッジだ。


 ブリッジに上がると、眼下には雲が一面に展開していた。一瞬綺麗だと思ったが、ブリッジ中央に位置する艦長席に座る男の表情は、まるで曇天の如く暗い。

 ロニキス・アンダーソン艦長は、聞いた瞬間に大きな溜め息を吐き、頭を少し抱えた。


「喧嘩か……。しかも傭兵と」


 また、溜め息を吐いた。

 齢は四七というが、どう見ても六〇前の老境にさしかかっているとしか思えないほど、疲れ切った表情をしている。

 四年前にこの部隊に来たが、理由は意味不明な左遷だったらしい。士官学校首席卒業というエリート街道まっしぐらで、四三にして中佐と、結構な昇進をしてきたが、愚連隊やら金食い虫やら昔から言われているルーン・ブレイドに配属されてから、彼の髪の毛は銀髪から白髪になっているこの部隊きっての苦労人だ。


「やっぱ、ダメ、ですか?」


 ルナもさすがに引きつった笑みしか浮かべられなかった。ここで倒れられたらどうしようという不安でいっぱいだった。

 だったら報告するなよと言いたい。

 少し悩んだ後、結局ロニキスは許可した。ルナがぺこりと一つ頭を下げて下がっていく。

 ブリッジの扉を閉めた後、ルナもまたロニキスと同じように、大きく溜め息を吐いた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 何故、こんなに血気盛んなのが多いのだ。ロニキスは頭を抱えるほか無かった。

 意味不明の左遷でこの部隊に来たかと思えば、基本的に無法者ばかりでいつもヒヤヒヤさせられる。しかも今回の喧嘩の相手は傭兵と最年少のレムときた。


 実際、この部隊で戦をするのは面白いことこの上ない。軍人として、それは本懐であるといえる。実際、大規模な戦を素晴らしい部隊とやって大々的に勝利を飾りたいという、端から見てみれば好戦的この上ない衝動の一つは叶った。

 だがそれにしたって、この部隊の人員の無茶ぶりはどうにかならないものなのだろうかと、いつもロニキスは思っていた。

 気付けば、もう神経性胃炎まで抱えている。そして案の定、また胃が痛み出した。


「艦長、胃薬です」


 すぐ横にいた副長のロイド・ローヤー少佐が錠剤の胃薬を差し出す。

 ロイドはよく出来た副官であった。ルーン・ブレイドは子飼いで諜報部を持っているが、彼はその元締めである。下腹がかなり出ているが、時に無茶をやるのが、ロイドという男だった。


「すまんな……」


 ロニキスは胃薬を一気に飲んだ。水無しで飲めるこのタイプが、彼のお気に入りだった。


「艦長苦労してますね」


 若手ナビゲーターのハルウィトは心配そうに言うが、一方のオペレーターの一人であるライルは


「そりゃあ、あのメンバーならなぁ。しょーがねーって」


と笑いながら言ってのけた。


「喧嘩の模様、リアルタイムで流しますか。そーすりゃおもしれーし」


 日系三世であるナビゲーターの浩司はコンソールパネルをいじってデッキの模様を前面のモニターに映し出した。

 どうもこのブリッジにも、結構扱いに苦労する連中が多い。

 まぁ、たまの余興にはいいかと、ロニキスもまた、モニターを見つめることにした。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 整備デッキは歓声に包まれている。周囲では賭場が発生し一万単位でレートが動いていた。そんな中で鋼とレムは互いに殺気だった目を向けあっている。

 鋼は武器ケースから両刃刀を出し、その剣先をレムに向けて挑発する。


 一方のレムはそれが挑発の手口だと知っている。そのためか彼女は至って冷静であるように振る舞い、愛用のジャケットを腰に巻いた。いつも彼女がこの船で過ごすときのスタイルである。

 だが、彼女の腸は相当煮えたぎっていた。


 なんて無礼で腹立つ野郎なんだ、死にくされ。


 レムは心の奥底で愚痴る。


「勝負は一本。どちらかが武器を落とした地点で負けだ」


 審判となっていたブラッドが言うと同時に歓声はより大きくなった。

 歓声はと言うと、


「やれー!」

「殺せ殺せ殺せぇ!」


とかお約束の物が多い。

 しかしこれが本当に今日作戦を控えた部隊の行動なのだろうか? 今更疑問が湧いてきた。

 しかも喧嘩とはいえ使用する物は各々が用いている実剣そのものだ。木刀などもあるが、あれではまったく実戦での感覚が研ぎ澄まされないというのが、ルーン・ブレイドの伝統だった。

 実剣でやることで互いに手加減しない極限状態での勝負を行う。これこそ、ルーン・ブレイド流の演習なのである。


「おい、レム、武器」


 ブラッドはレムにBang the gongを投げつけた。

 彼女はそれを片手で掴んだ後、自分の腰に鞘を固定する。


「さぁ、暴れる時間だ。『叩き込む』よ」


 そう言った瞬間、それに呼応するようにBang the gongの鞘が展開し、そこに納められていた双剣が機械によって押し出される。

 レムはそれを片方順手、片方逆手の独特の構えで剣を抜き、構えた。双剣の名の通り、鋼に徹底的に太刀筋を叩き込む気で、自分はいる。

 一方の鋼も負けじと両刃刀を軽く一回転させ、再び刃先をレムに向けた。


「てめぇは俺が会った奴の中で二番目にむかつく奴だな」


 一番目が誰なのか気に掛かったが、レムにとってそんなことどうでもいい。一番だろうが二番だろうが、むかつく奴に認定されたことには変わりないのだから。

 そのため彼女も挑発でもってかえす。


「光栄だね、私もだよ。私の中であんたは人物好感度ランクぶっちぎり最下位に認定されました。おめでとうございます。私からの記念すべき賞品はただ一ぉつ! ヌッ頃す! レミニセンス・c・ホーヒュニング、推して参る!」

「来いよ、クソガキ。能書きゃぁいらねぇ、掛かってきやがれ!」


 鋼とレムの挑発のし合い後ドックの中を突如静かな緊張が支配する。


「じゃあ、行くぜ」


 ブラッドの声と同時に歓声が再び巻き起こり、二人は咆哮を上げながら互いに向け突進していく。

 最初に斬りに行ったのは鋼だ。牽制代わりに両刃刀を横に払う。レムはそれを持ち前の運動力でしゃがんで避けた。

 確かに彼女は子供でありそして女性である故筋力では圧倒的に鋼に劣る。


 だが、彼女には大人顔負けの運動力がある。恐らくその運動力としなやかさは鋼でも永久に手に入れることは出来ないであろう天性の物だ。

 だから彼女は受けではなく避けに徹し、隙をうかがって攻撃を与えるいわばカウンターを狙うこととした。実際あの両刃刀のリーチやパワーだけはどう考えても凌げない。

 しかし、それと同時に大振りであるため大きな隙も生まれることにレムはすぐ気付いた。避けるやいなやアッパーのような姿勢から剣を繰り出すが、鋼は少し体をのけぞらせることでそれを避ける。

 少し鋼が間合いをあけた。長大すぎる両刃刀は零距離戦闘では不向きだ。多少距離を置かない限り自分に攻撃が当たるだけである。


 へぇ、思ったよりわかってるじゃん。だが、甘いねぇ。


 レムは一度唇を舐めるやいなやすぐさま疾走する。

 そのさなか、彼女は左手の双剣を鋼に向けて投げつけた。鋼はそれを上空にはじく。

 掛かった。レムはにやりと、不敵に笑う。一瞬上へと向く視線。ならば、下はがら空きになる。

 そう思い、レムは一瞬の隙を突き、あえて剣ではなく肉弾戦を挑んだ。


 脇が甘い。そう踏んだ彼女は鋼の脇腹へと蹴りを入れる。

 だが、どうやら相手は甘くないらしい。読んでいたのか、鋼はすぐさまその蹴りを入れた足を義手で掴もうとする。

 レムは鋼に足を捕まれる前に一度足を薙ぎ払い、バック転を一回して瞬時に後方へ下がった。


 この数合の打ち合いで互いに想像していた以上に機動力があることが分かった。

 だからこそ相手にとって不足はない。それが二人の思いだった。

 二人とも自然と笑みがこぼれる。まるで刃を向け合うことが友情の表現であることを示しているかのように。


 両者とも少し離れ一度体勢を立て直す。

 その後再び両者が走り寄り、互いの剣を互いの相手に対して振りかぶった。互いの剣先が幾重も当たり、その度に音が鋭く響き渡る。

 五十七合。この後連続して起こった打ち合いはこの数だったと公式的な記録は示している。

 肩で自分は息をし出したが、鋼は信じがたいことにけろりとしている。この男は化け物かと、心底思った。それに彼女のBang the gongは二本で使うことを前提として開発されたシステムであるが故、ショートソードよりリーチが短い。それでもっと鋼に深く入り込もうと思い、斬りにいく。


 だが、切り込んだ段階で気付いた。鋼にとってその距離は得意中の得意なのだ。

 鋼は勝利を確信したかのような不敵な笑みを浮かべながら、両刃刀を振った。

 目を閉じた。


 だが何故か、一向に剣が手から落ちる気配はない。

 何だと、目を開けると、あの翼が鋼の両刃刀を押さえ込んでいた。


 また発動したらしい。どういう周期で発動するのかまでは、よくわからない。

 最初に発動したときのような衝撃波は発生していないようだ。むしろ、整備員はヤケに羽に興味を持ったのか、一人がその羽に触れた。

 少し、くすぐったい。どうやら実体として存在しているようだ。


「熱っ!」


 だが、少ししてから整備兵からこの言葉が出た。羽自体がかなりの熱を持っている。ともなれば、この羽は冷却機関だと言うことだろう。

 実際、自分の体に今まで感じたこともないような気の流れを感じるが、同時にかなり熱い。その熱を逃すためにこれが付いているのだと、レムは感じた。

 そして、何故かふと思い出した。数少ない研究記録に寄ればコンダクターは発動した場合筋力その他が人間の限界を軽く超えるらしい。

 それが自分で試せるチャンスだ。そう思って彼女はブラスカの元による。


「ハルバード貸して~」

「はぁ? おどれ何言うとんねん?」


 ブラスカはあきれ顔だったが、一度溜め息を吐いた後、


「しゃーないのぉ。貸したる」


と渋々ハルバードを渡した。

 レムはBang the gongを腰の鞘へと戻しハルバードを握る。

 するとレムは自分でも信じがたい事にそのハルバードを両手に持ち替え、頭上で何回も豪快に回転させた後一気に振りかぶって構えた。

 その瞬間、静寂に包まれていた会場から歓声が戻った。


「ち、厄介なモン取り出しやがって……!」


 鋼はさすがに焦った表情を浮かべている。これはチャンスだと、レムは思った。

 長柄武器は、父親であるガーフィ・k・ホーヒュニングがかつて最前線で戦っていたときの得物だった。自分が子供の頃、彼はよく庭で長柄武器の調練に励んでいた。


 レムも見よう見まねで始め、後に父親に稽古を付けて貰った。軍人になった今でも、それは変わらずに続けている。

 一度試しにと宙を斬るようにハルバードを振るって感触を確かめた。


「よし、いい感じ」


 レムは瞳を凛と輝かせ、眼前で構える鋼へと疾走した。

 が、早い。自分でも驚くほど早い。今まで扱えなかったハルバードを持っているにもかかわらず、普段の速度より明らかに早い。身が軽くなった印象すらある。


 先程に比べ大降りになるとはいえ、当たれば体にかなりのダメージを与えられる。

 一合、まずは突くが、鋼が両刃刀ではじいた。二合、返して一気に振りかぶるが、今度は回避され、距離を取られた。

 む、とレムは唸る。そう簡単には仕掛けてこないようだ。


「んなとこで、負けられねぇんだよ。てめぇみてぇなムカつくクソガキに負けるなんざぁ示しがつかねぇ」


 そう言って、鋼はもう一度両刃刀を回してから再び構え、レムに向かって疾走する。

 極めてどうでもいいプライドだが、面白い男だと、何故か思えた。


 互いに咆吼を挙げる。何回か、互いの位置が入れ替わっていたが、傷は負っていなかった。

 そして十回目の交差の時、鍔迫り合いが起きた。互いの剣劇を止めたのだ。

 だがその時、突如鋼の脇腹から血が出て、彼の表情が苦痛に満ちた。

 レムは斬ったのかと思ったが、鋼は一度舌打ちする。


「ったく、あの時の傷か。やべぇな、ここばかりは再生出来ねぇってのに……」


 血が、かなりの量に上っていた。だというのに、この男の力は一向に衰えない。何故だと、レムは思った。

 脇腹までアーマードフレームで覆われているという鋼の体。だが、ナノインジェクションでもこの部分の出血が止められないと言うことは、恐らくこの部分は細胞が完全に壊死しているのだろう。


 村正が鋼の体を貫こうとしたという話は、ルナから聞いた。恐らくその時に傷ついたのだろう。それが今になって開いた、ということだ。

 そんな状態でも、戦うことを諦めないこの男は、不屈なのだと心底思った。

 そんな状態の相手にトドメを刺しても、自分がむなしくなるだけだし、負けとしか思えなかった。


 だからレムはハルバードを置いた後、瞳を閉じて、翼を消した。まるで粉雪のように翼は消える。体の熱も、急速に冷めた印象があった。

 鋼はそれを見て、刃を収めたが、かなり辛いのか、息が上がっている。だが、未だに剣から手を離そうとはしていない。


 医療班がやってくるが、鋼は自らの足で医務室へ向かうようだ。

 思わず、レムもギョッとした。


「ちょ! それで大丈夫なの?」

「別段問題ねぇよ。それに、てめぇも元をただしゃ怪我人だ。ほっといて戦闘中に倒れられると迷惑だ。早めに医者にでもかかっとけ」


 そう言って鋼は医務室へと向かった。

 背後から見る彼の背中には、異様な悲壮感があった。誰にも触れられない哀しみが広がっている。触れてはいけないのだろうとも思う哀しみだった。

 ルナが興味を持つ理由が、なんとなく分かった気がした。


「で、実際に使ってみてどうだった?」


 ルナが近づいてきて聞いた。気付けば、賭場は既に解散し、各々が仕事に取りかかっている。ハルバードも、回収されていた。


「なんだかな~、正直言ってさ、実感がやっと湧いたって感じ。あれだけ強大な力を自由に操れるんだからね。それと疲れる。たぶん、気を消費しているからだと思うけど」


 実際少ししてみると、疲れがどっと来た。相当の気を消耗するのだろう。

 それに、これに頼り続けたらダメ人間になる気がした。


「だからさ、そんなに使うのやめる。姉ちゃんと同条件でやってみたいんだ。自分だけってーの、なんか嚼じゃん」


 能力に頼ろうが、あくまでも個人で御する必要がある。大きすぎる力を御すには、より大きな力を、器たる自分が身につけねばならない。

 ならば、自分が強くなるしかないのだ。

 ルナもその言葉に答えて笑った。


「そっか。よし。一緒に強くなろう」

「うん」


 レムはただ一つその言葉で返した。

 少し、整備場の作業が性急になりつつある。

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