第四話『合流』(4)-1

AD三二七五年六月二四日午前九時三〇分

 

 ヘリから降りて来たその男の目は、狂気に満ちていた。

 危うい目だと、スパーテインは感じる。目が金色だから、余計にそう見えるのかもしれない。

 狭霧のイーグ、エミリオ・ハッセス。目の前に対峙している男はそう名乗った。異様に暗い声だった。


「待っていた、ハッセス大尉」


 スパーテインは彼に敬礼した。エミリオもまたそれに習う。


「事態は聞いています。ルーン・ブレイドのメンバーが来たと。目の傷はその時ですか?」

「そうだ。貴公を呼んだ意味、わかるな?」

「はい。撃退せよ、ですね?」

「すぐ理解してくれて助かる」

「恐縮です。私はベクトーアに憎しみを持っています故、いくらでもやれます。『やれ』と言う言葉だけで十二分です」


 言動の端々にも、狂気がにじみ出ている。

 血のローレシアで家族を失ったことが、こういう性格を築き上げたらしいが、それ以外にも何かあるようにしか見えなかった。

 感じるのは、ベクトーアに対する憎しみ。それも果てしなく深い憎しみだ。目を見ると、それがありありと見える。


「直に、乱世にも終わりが来よう。それまでは戦い続けるしかない。そうだろう?」

「そうですね。あなたの目も、それ故ですか?」


 頷いた。だが、エミリオは表情一つ変えない。


「そうだ。乱世に終わりが来るそのためなら、私の片目ごときくれてやる」

「剛胆、ですな」


 一瞬だけ、エミリオの表情が動いた気がした。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 昼時だった。叢雲の中では、各自昼飯にありついている。ブラッドもまた、そんな一人だった。

 もっとも、普段と違って、鋼とブラスカがセットだが。一応鋼をブラスカと監視するという名目で一緒に行動している。

 一人でうろつかれて極秘資料のある所などに入られたらたまった物ではない上に産業スパイとして既にどこかが雇っている可能性もあるからだ。


「ここで美味い飯って何だ?」


 鋼が唐突に口を開いた。少しだけ苛ついた口調だ。恐らく先程のレムとの喧嘩で疲れたのだろう。

 あれを見たとき、ブラッドは面白い奴だと、鋼を見て心底思った。怪我の具合は大したことがなかったようだが、その怪我を圧してまで斬り合いの喧嘩、それも十六歳のガキ相手に本気になる奴があるかと、ブラッドは腹を抱えて笑いそうになった。

 その瞬間に確信したのは、この男は凄くバカだということだった。


「色々と種類は有るぞ。ラーメンから日本食からファーストフードまで全部一通り物がある。ついでに美味い」


 この船には信じがたいことに飲食街が存在する。いくら居住区が広いと言ってもこれはやり過ぎだろとブラッドは思っていたが、おかげで古今東西あらゆる食事が楽しめるので特に文句はない。

 しかし、鋼とブラッドの会話はまるで成り立っていないことに、当のブラッド本人が気付くのにそう時間は掛からなかった。


「だから何が美味いんだよ?」

「せやな、ラーメンやろな、やっぱ」


 ブラッドの代わりにブラスカが答えた。


「決めた。飯はラーメンにする」


 問答無用に、鋼が言った。


「あっそ……っていいてぇけどよぉ……」

「あのおばんの所から買うのはほんま、やめた方が身のためやで……」

「どこにでもいる普通のババァだろ?」

「あ、バカ!」


 ブラッドやブラスカの制止も聞かず鋼はラーメン店へ足を運ぶ。


「おばちゃん、ラーメンとチャーシューメン、両方大盛りで頼む」


 意外に食うなと、ブラッドは思ったが、所詮こんな物かとも思った。

 自分は相当の大食感らしい。昔レムにそう呆れられたことがある。夕食を食った後にラーメン屋をかれこれ五軒ほどハシゴしてそれぞれの店でチャーシュー麺と替え玉を一個ずつ頼んだことがあったが、別に胃袋はどうということもなかった。

 それだけ食ったにもかかわらず、体重は維持できているし、筋肉も結構ある。それと体調管理も問題ない。

 医学的に見てお前は異常だから解剖させてくれと、玲に冗談か本気かわからないことを言われたことがあった。


 しかし、あれだけの物を頼む客を、あの店主は放っておかない。

 確かに、あの店主の作るラーメンは美味い。

 だが、もう五五にもなるのに若い男に手を出そうとするクセがある。危うくブラッドとブラスカもかつて毒牙に掛かりそうになった。

 さすがに自分がいくら女好きでも、あれだけ年齢が行くと興味も失せる。抱いても衰えているような体には興味がないのだ。


 遠目に覗くと、鋼の体をまじまじと見るやいなや、店主は体を触り始めた。

 しかし、鋼はそれをすぐさま振り払うやいなや、逃げた。

 なんか、その光景を見ると監視の任務など、どうでもよくなってきた。


「ブラスカ、飯食うか?」

「せやけど、さっきおのれ負けたやん。どちにせぇおのれの奢りやで」


 そう言われると気が滅入る。

 あんなバカみたいな麻雀するんじゃなかったと、今になってブラッドは後悔した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「な、なんだ、あの婆は……?」


 鋼は廊下の一角で喘いでいた。

 全速力で逃げた。昨日よりも更に早かった気がする。

 最初に体を触られた。最初から


「ボディバランスがたまらない」


などと言い出してきた地点でまずいと感じた。

 その後言われたのが


「付き合わない?」


の一言だった。それも触りながら、である。

 自分も男だ。中年、否、老境にさしかかった女性に触れられても嬉しくない。


「ど、どしたの、傭兵さん?」

「うっわー、顔真っ青……」


 ルナとレムがいつの間にか自分の前に来ていて、交互に言った。

 それを機に鋼はルナの肩を掴むやいなや


「あの婆クビにしろよ、おい! こんな違った意味で怖い思いするのはかなりやなんだよ! 俺こん中であと一日過ごせッてか?! ストーキングされんぞ、俺!」


と嘆願する。

 これが自分の声かと思うほど、情けない声だった。

 ルナは後に『あの時の彼は目が血走っていた』と述懐した。


「あ、ああ、あの人ね……。ま、あれは関わったあなたの方が悪いわね」


 ルナが表情をひきつらせながら言った。呆れられているのが、目を見てすぐに分かった。


「でもあの婆さんのラーメン美味いよ? 特にチャーシュー麺はなかなか美味だし」


 レムが言う。そう言われると余計に腹が減ってくる。案の定、腹が鳴った。

 考えても見れば昨日からまるで食っていない。


「ちくしょー……まともなもんはねぇのか?」

「っていうか何が食いたいの?」


 ルナは間髪入れずに鋼に聞き返した。


「なんでもいいからまともな店員のいる美味い物」

「在り来たりだわね」


 お前に言われたくはないと言おうと思ったが、殴られる気がしたから言葉を飲んだ。


「そういえば、ブラッドとブラスカは?」

「あの二人なら俺を放ってすぐ自分の飯食いに行きやがった」


 自分に付いていたのが監視のためだろうというのは分かっていた。しかし、付いてるんだったらあの状況助けてくれよとも思った。


「俺らは遠巻きに見ていただけだ。被害受けたくねぇから」


 突然ブラッドが後ろからひょっこりと姿を現した。その瞬間、ブラッドに詰め寄り、涙ながらに


「何で逃げんだよこん畜生……。俺がどうなってもいいってのか、おい……」


と、異様に暗い声で言った。

 顔を見ると、ブラッドが明らかに引いている。後に『目の下がくぼんでいてあの時は奴が老境に達したかと思った』とまでブラッドが語るほど、鋼の表情は疲れ切っていたという。

 結局この後、ブラッドに牛丼を奢って貰ったが、食事一つに何故これ程疲れるのだろうと、鋼は箸を進めながら思った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 風が、少し強くなった。村正はそれを肌で感じる。

 アシュレイ駐屯地から東に百キロ、そこにフェンリルはキャンプを設営した。仮設テントと少数のM.W.S.、そして補給物資のみの簡素なものだ。


 配備されているM.W.S.はフェンリルの主力量産機『FM-068スコーピオン』が六機。

 球体状のカメラアイが頭部の前面部ほぼ全てを埋め尽くしているというフェンリル独特の頭部形態以外は、外見的特徴は見受けられない。だが内部は、アフリカの気候に合わせた全天候対応型のモデルである。


 しかし六機だ。自分の所持しているプロトタイプエイジス『XA-012紫電』を含め、更に増援として送られてくるM.W.S.二個小隊で計一三機。

 それだけであの基地を攻めてレヴィナスを奪取せよと、ネット経由で命令が来た。


 昨日鋼に刺された腹の傷はすぐに回復したものの、さすがに服装ばかりは変えざるを得ず、威厳も減った暮れもないTシャツを着ていた。黒のロングコートなど日を吸収して暑くなるだけだから着る気にもならない。

 しかし、そんな彼を嘲笑うかのように仮設テントの中も日が照り返すため暑い。

 どこにいても変わらないと感じた。


「村正様」


 突然、彼の後ろに従者が来ていた。昨日もいた男だが、相も変わらず名前も知らない。日が当たり顔が見えても、どのくらいの年なのかはよく分からなかった。


「どう思う? 今回の作戦は?」

「正直、かなり厄介であることは明白です。レヴィナスの保管場所が何処かも、未だに分かっておりません」

「機密だからな、そう簡単にばらしたりはしないだろ。ところで、全軍の指揮権があのロックウォールに移ったというのは、本当か?」

「間違いありません。彼が全体の指揮を執ることで、あの軍勢は一気に精強になります。不思議な男です。いるだけで兵士の力が大いに増す。現代の豪傑と歌われるのも無理はないと、私は感じております」

「そんなの相手に、十三機でどうにかしろってか? 無理難題ふっかけてくるな」


 村正は溜め息混じりに一度頭をかきむしる。


「俺としては、指令書に書いてあった十二機を囮にして接近するって事は、やりたかないんだが」

「しかし、それしかございますまい。もしくは、時を待ち両軍弱ったところを殲滅するが得策かと」

「後者は下策だな。時間だけで言うなら、正直ルーン・ブレイドに分がありすぎる。あいつらの利点は機動力だからな」

「でしたら、その策を取るしかございますまい。心苦しいでしょうが」

「場合によっては、兵の退路の確保、頼めるか?」

「お任せを。そういう無理に近いことにも応えるのが、従者としての私のつとめでございます」


 そう言って頭を下げると、従者はいつの間にか消えた。

 また名前を聞きそびれた。そう思いながら村正は、作戦指令書をもう一度見直した。

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