第四話『合流』(3)-1
3
AD三二七五年六月二四日午前三時四三分
珍しく雪の降る日だった、それがルナの抱いていた最初の感想。
あの日、仕事が忙しかった父が三日ぶりに帰ってきたからみんなで食事にでも行こう、そう言って家を出た。
それが悲劇の始まりだとは思いもしなかった。
そして、少し歩いたところで突然の閃光。
そのたった一つの閃光が、家族を、思い出も、全て奪った。
一瞬だったので何が起こったのかは覚えていない、それがあの事件での第二の感想。
目が覚めたら、血の海があり、そして自分の左腕は重度の火傷を負っていた。
これが俗に言う血のローレシアだった。
それを再度体験した彼女の視界が、突然漆黒の闇に包まれた。
そんな中で浮かび上がってくる何かがある。
左半身に刻印を刻み、左腕が変貌し、瞳が赤くなっている、自分の分身。心の中に潜む『何か』だった。
『弱いままだな』
それは、にやりと不気味な笑みを浮かべながら静かに言った。
「うるさい! 強くなるって決めたんだから! あれに囚われずに生きるって決めたんだから! あんたごときにとやかく言われる筋合いはない!」
ルナは必死にそう言い返す。
『弱い存在に用はない』
その言葉を言うと、急に、左手が軽くなった。ふと覗いてみると、無い。それと同時に、自分の存在が暗闇と同化していく。
『消えろ、そして楽になれ』
光が差し込まなくなった瞬間、夢が覚めた。
「嫌ぁっ!」
体を思いっきり起こす。心臓の音が張り裂けんばかりに自分の鼓膜を刺激している。
一度、頭を振るった。何度か深呼吸して呼吸を整える。
やっと、落ち着いた気がした。左腕を確認しても、特に異常は見受けられなかったし、暗闇ではなく、少し明るく電灯の付いた自分の部屋だった。
「夢か……。嫌な、夢ね……」
ルナは額の汗を拭う。気づけば体中汗だくになっていた。そして、その時に彼女は涙も流していたことに気付いた。涙をぬぐった。
腕にある火傷がまた疼いた。
彼女はこういう悪夢によく襲われる。それは過去に固執しすぎている証であるかもしれないと、ルナは何処か感じていた。
夢と正反対のことを感じてどうすると、一生懸命否定しようとするが、時間の無駄だと諦めた。
その上、自分の中にはまた何か違う自分がいる。だから彼女は今更悪夢にうなされ、そしてそれに怯える。
情けない、彼女は自分をそう思うことがある。
その時、彼女はここでようやく風呂から上がった後そのまま寝てしまった事実に気づいた。
「いけない、風邪引いちゃう……」
彼女はしょげた様子で寝間着に着替えようとするが、今更もう一度寝ようという気が起こらない。目が冴えてしまった。その上もう一度眠りについたらまたあの悪夢に魘される、そんな気がした。
だから彼女は洗面所に放ってあったベクトーアの軍服とも思えるジャケットとスラックスを身につけ、軽く髪の毛をとかした。
起きて溜まった仕事でも片付けよう、そういう方が、気が楽だった。
そして四時間後、午前七時〇三分のこと。彼女は書類片手に大きな欠伸をしていた。
低血圧の怠さが今更彼女を襲う。父も兄も抱えていた、いわば遺伝の持病みたいなものだった。
そのクセ従姉妹であるレムは血圧が普通と来た。理不尽だと、何故か思うときがある。
半分徹夜状態で仕事をしていて疲れている。その上自分の妹がコンダクターになった。それが普段の判断力を低下させているのだろう。
そんな中、部屋に通信が入った。怜からだった。ベッドサイドにある通信パネルが彼の不機嫌そうな顔を示す。
ルナは急いでベッドサイドへ向かった。
『あいつが目を覚ました。来たけりゃ来い。ただし俺を起こすな』
その一言だけ言って通信は切れた。
「あ、ちょっと!」
返そうと思ったらもう既に切られている。目の前のモニターは真っ黒だ。
ルナは大きくため息を吐いた。
レムの目は覚めたが、喜びの心境とはほど遠い。
これから彼女はレムに彼女がコンダクターとなったことを言わなければならない。だが、それは同時に人であることのアイデンティティを捨てろと言っていることと同義語だ。
出来る限りショックは抑えてやらなければならない。妹に対して最低でもこれくらいの気遣いをしてやるのが姉としての努めだと彼女は思う。
だが、それがショックで本当に二度と立ち直れない状態に自分がしてしまったらどうする?
そんな不安にも駆られたが、後々で分かったって、今分かったってそう変わらない。いずれレム自身が知らなければならないことだ。
だから彼女は腹を決めた。
正直に言おう、と。
ルナはベッドから出て、部屋を出ると、レムのいる医務室へと重い足取りで向かった。
叢雲の全長は実に五〇〇メートル近くある。そのうち三分の一は背部にあるジェネレーターユニット、残り三分の一は整備デッキや武装ユニットであるため、一般的な施設は残り三分の一ほどである。
しかし、五〇〇メートルの三分の一というとそんなに距離がないように感じるがこの戦艦は何層にも重なっているため実際に居住ブロックから医務室へ向かうためにはエレベーターを二階分下って更に九〇メートル歩いた後にあるエレベーターに乗ってそれで一階下った先五〇メートルにやっとあるのだ。
かなり億劫である。それが余計にルナの気を重くする。
だが、歩き出してしまったのだからもうしょうがない。後戻りなど、出来やしない。
それが一番わかっているのは彼女だ。現実は真摯に受け止めなければならない。それが今までの人生で学んだことだった。
そして長い通路を伝って医務室に着いてみると、そこにはレムがベッドを背もたれに起きあがっていた。
「あ、姉ちゃん、おはよ」
レムはいつもと変わらない表情をしていた。いつものあどけなさの残る明るい表情。そして朝から無駄に元気よさそうな血色のいい表情をしている。
それがルナには痛かった。ため息をついた後、レムのベッドの横にいすを用意して座った。
何から話していいものか悩む。
だが言わなくてはならない。口の中の唾を飲み込み、一大決心の元、レムに話を持ちかけた。
「レム……その……」
「私の背中に生えたあれのことっしょ?」
あっさり言ってのけたことが、逆にルナには怖かった。
「あれは……」
「知ってるよ。発症したんしょ?」
あっさりと言い当てられた。しかもその言葉の言い方には吹っ切れた間すら感じられる。
さすがにルナもこればかりは予測できなかった。
こういうのに限ってどうして予知能力出てくれないのか、と今更嘆く。
「なんで……そこまでわかるの?!」
「夢に出て来た」
「は?」
ルナは当然聞き返した。
その後、レムは夢の中の一部始終をルナに話した。
随分とまた興味を啜られる話だった。アイオーンの殲滅をアイオーン自ら頼んできたのだ。これ程傑作なことがあるかと、笑い転げそうになった。
聞き慣れないアイオーンの名『セラフィム』、そしてプログラムというやたら機械的な言語の意味合いは何なのか、考えども答えは何一つ浮かばない。
そして、そんな考えている最中でもレムはいつもの調子を崩さない。ルナはふとそんな様子のレムに聞いてみた。
「それはいいとして、いいの? コンダクターに目覚めたってことは、人であるってことを捨てるって言う意味合いもあるのよ?」
ルナの一言にもレムはいつもの態度を崩さなかった。
「別にいいよ。これ自体、一種の戒めだと考えれば」
「戒め?」
「人間に対する戒めってこと。たぶん神様からの。ゴッドか、デウスか、ヤーヴェか、アッラーか。ま、どれも同じ神だけどさ」
レムはアイオーンが一種の神なのではないかと考えていたらしい。
アイオーンの言葉の意味合いは古代語で天使を意味している。先ほど出現したのはアイオーンだ。要するに神の尖兵がやってきて自分に対して罰を与えたとそう考えたようだ。
そう思うからこそ、彼女は気が楽でいられるのだろう。
もう呆れるほか無かった。学校の理系の成績はとてつもなくいいクセに、神とか非現実的な物は割といても不思議ではないと考える傾向が、レムにはあった。
「神、ねぇ……。いるんだったら嫌な神ね、それも」
「だろーね。それにさ、さっきの話に戻るけど、やっぱどうあろうと私は私だもん。能力が発症したって、どうあったって」
どうせ自分の中にもう一つ何かが有ろうと自分が確立されていることに変わりはなく、そして、自分が自分であることは不変の物。
そんな風に割り切れるのはレムの心が強いからだとルナは感じ取った。
「強いのね、あなたは」
「そんなに私は強くはないよ。今を生きることだけで私精一杯だもん。他のことなんか考えてたら頭が変になりそうだよ」
ここでようやくレムは少しだけ影を見せた。実際にショックがないと言えば嘘になるのだろう。
「お母さんが死んだときに思ったんだ、もっと明るく考えてれば、お母さんも死ななかったんじゃないかな、ってね。多分、それが今の私を決定づけたんだと思う」
今まで見たことのない程、深い影をレムは落とした。
ルナは母という物を知らない。自分が生まれてすぐに死んだらしい。そして、レムは四歳まで母と一緒だったが、その母は死んでいる。
誰もが心に傷を負っている。傷を負っていない人間などいやしないのだ。
「って、私はなんでまたこんな話を朝っぱらからしてんだろ。バカか私は!」
急に切り返した。普段の明るい表情になる。特に無理矢理やっているという様子もない。
だからルナにはそんなレムが羨ましい。簡単に割り切れる思いや何もかもに向けられるポジティブな感情。それが欲しいと何度も願った。
だが、そう簡単に性格を変えればいいと言うものではない。ルナは決して、他人をいたわる優しさという名の美徳を捨てるべきではないのだ。
「そう言えば姉ちゃん、顔色悪いよ? どしたの?」
レムにかえって励まされている自分がいた。そんな自分を余計に情けなく思った。
「なんでもない……なんでも……ない……」
ルナは自らの拳を、強く握った。少しだけ、視界がかすんだ。
泣いていることに、気付いた。
血のローレシア以来、いや、子供の時から自分は物事をネガティブな方向にばかり考えてしまう時があった。
しかしそれをレムは感じ取ったのか
「朝から暗い気分にさせんなぁ! 何度言わせりゃわかるんじゃぁ!」
と、大声で怒鳴ると同時に、思いっきりルナの頭に手刀を与えた。それはもうルナの頭がめり込まんばかりに、だ。
彼女は悶絶して頭を抱える。
痛い。言葉にならない意味不明の言語が口から迸っているのを少ししてからルナは検知した。
そして復帰後
「な、何すんのよ?! はげたらどうするの?! 若ハゲなんて美少女にあるまじきステータスじゃない!」
と怒鳴りつけた。
「暗い気分吹っ飛ばすにはこれくらいするのがいいっしょ? つか、美少女? 姉ちゃん、言ってること痛い」
「あう……今のはやっぱしまずかったか……」
一度頭を抱えたが、すぐに立ち直った。
「っていうか、さっきのもう少し加減ってもん考えてよ! あたし寝てないのよ?!」
「んなもん知ったこっちゃな~いも~ん」
レムの言っていることの方が正しい。故にルナはついにカチンと来た。ここで彼女はレムが病人であるにも関わらずコブラツイストをかける。
「姉の言葉には従うの! 妹ってーのは姉に対し絶対服従! 目上の人の意見には従うべし! これ世の中の常識! わかった?! ん?!」
なんかどう考えても大概がルナの中だけの常識であるようにしか思えない。
その間にもレムの表情が苦悶に満ちていく。というより、蒼い。
「ぐ……ぐるじ……」
レムはルナの手をばんばん叩く。
「ギブ?」
「ギブアップ!」
ルナがレムを離す。その表情は、不敵に笑っているようだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まったく、なんて姉だと、レムは心底感じていた。
異様に暗かったかと思えば、すぐに復活してあろうことか病人である自分にコブラツイストを掛けてくるとはなんたる姉だろう、とも思った。
玲曰く、どうも倒れていたのはコンダクターの能力負荷が掛かりすぎたことと、失血による貧血が原因らしい。今は回復し、点滴も外してある。
医務室の扉が開いた。誰かビタミン剤でも処方してもらいに来たのかと思ったが、開いた瞬間に、心臓のうなりが止まらなくなった。
村正が、いる。
侵入されたのか。一瞬、レムはそう思い、
「村正?!」
と、声を上げて驚いた。
だが、よくよく見てみれば腕は義手だし、髪の毛は逆立っていないし、左頬には顔半分を覆わんばかりに巨大な十字傷がある。
「そいつたぁ別人だ。俺は鋼なんて呼ばれてる」
鋼は静かに言うが、言葉の端々に殺気立った印象がある。何があったのかについては、聞こうという気は起きなかった。
「あ、なんだ。あんたが鋼?」
「で、てめぇが、フレーズヴェルグの義理の妹とやらか?」
「ありゃ、聞いたんだ。外ではソードダンサーとかサイバネティクスピクシーとか呼ばれてたりするんだよ、私は」
「ソードダンサーなんざぁ聞いたことねぇぞ。後者は傭兵の間でもかなり有名だがな」
ソードダンサーは彼女の自称だ。聞いたことがないのも無理はないかもしれない。
「ま、そんなもんだろうね。本名はレミニセンス・c・ホーヒュニング。ちなみにcはconcequenceの略。だから正式名称はレミニセンス・コンセクエンス・ホーヒュニングとなるわけさ」
「……あんだって?」
確かに長いがミドルネームまで完璧に言った場合、彼女の本名はこうなる。
鋼も聞き返して当然だ。長すぎる。そのおかげで彼女にも悩みとして長すぎるが故にフルネームを空で言える友人の少なさという点があった。
しかも大概の連中が一度で名前を覚えてくれない。そのことはレムもわかっているからか
「ま、長いと思うよ、自分でもさ」
と軽く答えただけだった。
「そう言えばあなたの名前なんて言うの?」
ルナが聞いてきた。どうもこの姉は好奇心が旺盛すぎる。
「俺か? どうせすぐに消える。教える必要はねぇだろ」
鋼の言い分はもっともだ。傭兵であるが故に、雇われる人間に情を移す必要など存在しない。逆に名前など教えられれば情が移る一方だ。
だが、ルナは例え傭兵だろうが一兵卒であろうが、一つでも名を覚え、語り合おうとする。それはルナの美徳でもあると、レムは考えていた。
「ちょっと、今の態度は結構気にくわないわね。喧嘩売ろうってんなら買ってもいいわよ」
ルナが立ち上がり、腕を鳴らす。流石にああいわれると彼女の方としても頭に来るのだろう。
「やろうってんなら俺ぁここでも構わねぇぜ」
鋼とルナは、互いに身構える。そして、一度互いに少しかかんだ瞬間、医療班班長質の扉が蹴破られた。
「るせぇんだよ、ピーチクパーチク! 俺様が睡眠できねぇだろうが、このボケ!」
案の定、玲が出てきた。殺気の度合いが並ではない。趣味の睡眠を妨害されたことが相当彼としては癪に障るようだ。
しかし、それと同時に鋼の表情が唖然としていた。どうも医者の憤怒にだけ、唖然とした表情ではなかった。
そんな鋼から出た言葉は、ただ一言。
「てめぇ、華狼でくたばったんじゃ……?」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
唖然とした。鋼からしてみれば、何故この男がまだ生きているのか、さっぱりわからない。
軍需関係の雑誌で読んだことがあったが、ベクトーアには玲・神龍なる怪しげなナノマシン工学の第一人者がいるという。
恐らく彼がそうなのだろうと思ったが、しかし、今の口調、叫び方、何より静かに巡らせている闘気は、明らかに昔、自分に義肢を付け、両刃刀技術を教え込んだジェイス・アルチェミスツそのものだった。名を偽ろうとも、こういう生来の覇気だけは偽ることは難しい。
元々アルチェミスツ家は文武両道を志し、紅神を常に力の象徴として祭り上げてきた創世記から続く華狼の名門である。
その嫡男である彼は昔、『ジェノサイダー』なる異名を持ち戦線を転々としていた。そんな中で、重傷を負った鋼は彼に拾われたのだ。
何故拾ったのか、それについては教えてくれなかった。
そして数え年で一四になった秋、何を思ったのか、玲-ジェイスは鋼に紅神を引き渡した。独り立ちしろと、その時に彼は言った。
本当に持って行くべきなのかは、迷わなかった。あの当時、自分にはあのゲリラの村で惨劇を繰り広げたあの男を殺すことしか考えていなかったからだ。しかし、年を取るにつれ、自分のやったことが本当に正しかったのか、疑問に感じ始めた。
紅神を貰ってから三年後に、ジェイスが死罪になったと耳にしたが、それと同時にたった一日で脱獄した後、数ヶ月後にあろうことか研究中だった医療用ナノマシンを取引材料にベクトーアに亡命したという噂も耳にした。
それを頼りに、鋼は玲が生きていることを諦めなかった。
そして、その男は唖然としながら自分の目の前にいた。
「あぁ? どうして知って……って、まさか、俺が紅神与えたあのガキか?!」
声も同じだ。間違いなくこいつがジェイスだ。
だが、なんだか異様に腹が立ってきた。考えてもみれば、言いたいことが山ほどある。
「よぅ、久しぶりだな、師匠さんよ」
鋼は思いっきり玲の肩を叩いたが、玲の方は特に痛がる様子を見せていない。軽く触れても、衰えはしたが結構筋肉があるからだろう。
「俺としてはてめぇの顔はもう一生見たくなかったんだがなぁ。相も変わらずの脳みそ腐ったような面構えしやがって」
玲は軽快に笑い飛ばすが、もう上っ面だけであることがバレバレだ。目が笑っていない。むしろ、目の前にいる獲物をどうやって殺すかと考えている獣の目である。
「はっはっは、俺もてめぇの面なんざぁ二度と見たかなかったぜ? いんや~、こんなとこで会うたぁ人生ってわかんねぇもんだよなぁ、あぁ? 藪医者さんよぉ」
「そうだなぁ。ま、こっちとしてはいつでも殺せるタイミングが整っただけありがたいと見るべきなんだろうな、竹みてぇに空気しか入ってない空っぽのおつむしか持ってねぇクソガキ」
「ど、どしたの? つか、何があったの?」
ルナが明らかに引いている。そしてこの一言に対して二人は強烈に殺気だった目でルナに向けると同時に、互いを指さした。
「この藪医者野郎、昔俺にナノインジェクション施されて病原体にかからねぇのいいことに飯にサルモネラ菌入れて実験しやがったんだよ!」
「このガキぁそれに恨みもって俺の武器ケースに有線爆弾仕掛けやがったんだよ!」
そう大声で言うと、一度頭が冷静になった。すると玲が鋼の腕に目をやる。こういう時、彼は普段の悪い目つきが更に悪くなるということを、鋼は思い出した。
「アーマードフレーム随分ガタが来てんな」
一瞬でアーマードフレームの調子を見抜いた。さすがに見る目は衰えていない。
「だがめんどくさい。野郎を入れるのはすんげぇやだ。特にてめぇだったらなおさらだ、つか帰れ」
一瞬玲に期待した自分が、鋼にはアホらしく思えた。
「てめぇなぁ……。これてめぇの制作物なんだからてめぇで仕事やれってんだ、給料ドロボー」
その後、一〇分近く交渉して金の力で無理矢理鋼はアーマードフレームを見てもらった。
この時、病室にいたルナとレムは引いていたと言うことを知るものはいない。
玲の部屋に入ってみると、その乱雑ぶりは見事としか言いようがなかった。
カルテの山が有るかと思えば実はその中心部にあるのはエロ雑誌の山だったり、周囲にはその雑誌に付いてきたポスターが所狭しと並んでいる。
だがそのクセにベッドの周囲だけは片付けられている。睡眠は昔も趣味だったが、相変わらずのようだ。
更にこれまた昔の趣味であるタバコのコレクションも相変わらずだった。十年前に比べ、明らかに量が増えている。
「部屋片付けろよ」
最初に出てきたのはこの言葉だった。実際、そうとしか言えないほど汚い。
「この雑然とした空気がいいんじゃねぇか」
さっぱりわからなかった。これでナノマシン工学第一人者と言うから信じられない気分になる。
「さてと、調整してやる」
玲は机の上の工具箱を開けた。中にはアーマードフレーム調整道具が全て入っている。
が、なぜか爆薬やら大型ナイフ、挙げ句に小型のチェーンソーまで明らかに趣旨の違うアイテムまで入っていた。
鋼はすかさず工具を掴む。
「てめ、これで俺を殺す気だろ!」
「ち、ばれたか。野郎の相手なんざぁしたかねぇからこうやっておどしときゃぁ普通ならすぐにビビって退散するんだがな……。しかもてめぇだったらなおさらだ」
とんでもない男だと、心底鋼は思った。
言っていることは完璧にセクハラ、その上医者のくせして患者を救う気ほとんどなし(女性とよほどの重傷者除く)というのは昔から変わらない。こんなのがよく医療チームの班長なぞやっていける物である。
しかし、お前が調整した奴だろと言うと、玲は一度舌打ちをしてから、鋼の手をメンテすると言った。
鋼は腕の付け根にある接続ボルトの強制解除スイッチを押して義手の連結を解除する。
彼はそれを片手で持ち上げ玲に渡した。
「はいよ」
玲はそれを受け取ると更に義手を分解する。各関節部から人工筋肉の繊維が見えた。
「鋼、これかなり無茶しただろ?」
「しょーがねーだろ。戦場じゃそれくれぇあったりめぇなんだよ」
「そうはいうけどよぉ、ここまでガタ来ててよく生きてこれたもんだ……。このままくたばっちまえば良かった物を……」
玲の毒舌にいちいち構っていたらこっちが疲れるということを鋼はようやく学習した。それ故に完全無視を決め込む。
まさか鋼にこんな忍耐力があるとは思わなかった。
相手してくれなくてつまらんからか玲は思い出したように鋼に聞いた。
「足の調整は?」
「一応問題はねぇが昨日フレーズヴェルグに乗られて一回壊れた。その後俺がパーツで無理矢理レストアした」
「……調整してやる。料金五割り増しだ」
玲は思いっきり頭を抱えていた。
一方の鋼はもっと深く頭を抱えていた。
ただでさえ少なくなってきている金なのに先ほど機体の改造費支払わざるを得なくなってきているわ、自分のアーマードフレームの調整費用取られるわで踏んだり蹴ったりである。
破産申告でも申請するかねぇ……。
そんな風にも思った。
しかしどこに申請する気だ、鋼よ。
なお、修理は意外なほどスムーズに事が運び三十分で調整は終了、その後鋼は部屋から無理矢理追い出されたのだった。
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