第三話『覚醒』(2)

AD三二七五年六月二三日午後八時四〇分

 

 夜の空を一機の何かが動いていた。

 夜の闇と同化している漆黒の装甲に、まるで呪いのようにしかれたライン取りが印象的な機体。


 だが、何かM.W.S.とは違う。

 その機体の名は『BA-012-Sファントムエッジ』、ブラッドの愛機である。


 ブラッドは狭いコクピットの中、意識のないレムと二人きりだった。シートベルトで体が締め付けられている気がして少しいらだっている。

 彼は一度拠点に戻るために機体のブースターをふかしていた。

 しかしそんな中、レムが苦しみ出す。ブラッドはコンソールパネルをいじり操縦をオートモードに切り替えた。

 後ろに固定してあるレムの所へブラッドは行く。


「ち……なんだってんだよ……?!」


 いくら医療体制を整えるように言ってもその間に何が起きるかわからない。

 不安を感じると同時に、ルナが『暴走』したのかと、彼は感じ取った。


「姉……ちゃん……」


 喘ぎながら、レムが一言だけ発する。レムに触れようと思ったが、やめた。

 もう少しだけ、我慢してくれ。ブラッドはそう彼女の心に何度も言い続けた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「やっばいわよ、これ……」

「暴走……やな……」


 アリスとブラスカが鋼の近くに駆けつける。


「暴走?」

「あいつン体ン中、何かが眠っとンのや。そいつが時々ああやって出現の予兆見せんねや」


 ブラスカの言葉に鋼は驚きを隠せなかった。爆弾、そうとしか思えない。

 だというのに、使い続ける理由はなんだ。ベクトーアは国の規模の割に人材は恐ろしく豊富だ。だとすれば、何かあるとしか、鋼には思えなかった。


 今のルナはルナであってルナではない。だとすれば、殺す気で行かない限り止められない。そんな気がした。

 ルナの前にいたスパーテインが、静かに退却の号令を流した、まさにその直後だった。

 ルナの翼から光が発せられ、それが手に集まっていく。

 人間の体内エネルギーたる『気』の固まり。夜の闇が吸い込まれそうな程に黒いそれは、あたかも負の感情を表しているかのようにも、鋼には思えた。


 球体状になったそれを、ルナは退却しようとしている兵士の軍勢に無造作に投げる。

 その瞬間、いとも簡単にその場にいた兵士が消えた。否、一瞬で焼け焦げて消し飛んだのだ。断末魔の悲鳴さえ聞こえなかった。恐らく、自分が何故死んだのかも理解できなかったであろう。

 ルナの表情は全く変化していない。ただひたすら虚空の続く闇のような輝き一つない瞳を持ち、そして全くの無表情だった。

 その様子に腸が煮えくりかえったのか、ブラスカが拳から血を出しながら握っている。

 そして彼はハルバードを一度構え、暴走したルナに突進していった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ええ加減にさらせぇっ!」


 いつの間にか、そんな言葉が出ていた。自分でも珍しいほど熱くなっていると、ブラスカは心底感じていた。

 ハルバードを振りかぶるが、その斬劇はナックルによってうち止められる。


 なんちゅー力しとんねん……!


 歯を食いしばる。思いっきり押そうとしても、びくともしなかった。普段の彼女の力ではない。

 ふと、ルナの瞳を見つめる。背筋に悪寒が走るほどの、虚空が広がっていた。


 どうやれば戻るのか、それはまだ確立されていない。暴走自体、遭遇したのは二度目だ。

 一度目は殺すつもりで殴り飛ばして気絶させてから強引に直したが、こんな無茶極まりないことをやっていたら恐らくルナの体が持つまい。第一、彼女は一度軍に拘束され釈放された後も、打撲などが酷すぎて一週間の強制入院をやらざるを得なかった。


 筋肉が唸るのをブラスカは感じる。自分は怪力が自慢だというのに、この様子では持ってあと三分が限界だ。

 それを察知したからか、スパーテインは負傷した兵士を収容して、静かに撤退した。

 後で借りは返す。彼の残っている右目が、そう語りかけていた気がした。

 ブラスカはそれを何故か少しホッとしながら見るが、さすがに徐々に押され始めた。


 歯を食いしばる。それと同時に、後方で待機しているアリスに目配りをした。

 案の状だ、彼女は既にハウリングウルフを再度作り直して再び構え、ターゲットスコープのシステムを立ち上げ発射態勢を整えている。

 アリスの瞳には殺気が浮かんでいる。本気で殺そうとしている、言うなれば獲物をねらう豹のような瞳だった。

 どうせ避けるだろう、それは分かるが、一瞬隙が生じる。それに全てを賭ける。

 一回、つばを飲み込んだ。その直後、ブラスカは叫ぶ。


「撃てや、アリス!」

「ブラスカ、避けろよ!」


 アリスは言い終わったその瞬間に弾丸を放ち、ブラスカは一度鍔迫り合いを解いて回避する。

 暴走状態のルナは、それを一瞬で感じ取り、秒速八〇〇メートルで飛んで来た弾丸を手に浮かべた黒い気の固まりで切り払う。

 だが、これにはさすがに相当神経を使ったのか隙も大きかった。これでブラスカには十二分だった。片手をハルバードから離し、ルナの鳩尾を思いっきり殴った。

 だが、止まらない。まだ羽が消えていない。このままではやられる。

 そう思ったとき、突然横から、鋼が出てきて、ブラスカを下げた。


 何を考えとんのや……。


 しかし、どこかでこの男が何をやらかすかを、異様に興味深く見つめている自分に気付くのに、そう大して時間は掛からなかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 傍観していた。率直に言うとそうなる。

 だが、鋼としては、さすがにそろそろ出るべきかと、感じ取った。

 虚空が広がった目。生気が感じられない。

 ルナが、ナックルを鋼へと向けた。

 右腕を、前面に出した。刃が突き刺さる。痛みがほとばしるのを感じるが、無理矢理彼女を拳一本で押さえ込んだ。刺された部分が再生しようとする。

 どうせ、刃が刺さったままなら、また抜けばいい。そう鋼が割り切ると、彼は静かにしゃべり出す。


「ったく、さっきまで俺に向けてた妙な目は何だってんだ、濁流みてぇな汚ぇ目になりやがって。俺はよぉ、てめぇのその目に、賭けてみたくなったんだ。こんなこと、俺にしちゃぁ珍しいんだぜ?」


 すぅと、息を吸うと、鋼はルナの魂に響き渡るように、叫ぶ。


「いい加減夢見てねぇでさっさと戻って来いやクソガキ!」


 そう言われた瞬間、ルナの目が、静かに元の輝きを戻していき、羽根が消え、ルナは鋼の手に倒れ込むが、すぐに離れた。

 ふと見てみると、目には恐怖心が浮かんでいた。

 ルナは自分の手を見てみる。血がべっとりと付いていた。誰とも分からない血。それが恐怖を煽り立てるのだろう。

 完全にルナはパニックを起こしていた。


「あたし、また……? やっぱり……あたしは……『人』じゃないの……?」


 彼女はその手を見て涙を流した。涙で、血が少しずつ、洗い流されていく。


「『人』、か……」


 鋼はつぶやく。

 なんとなく、ルナの気持ちも分かる。自分も『人』ではない。そう言われて育ってきたのだ。

 だが、それを叱責したのは、アリスだった。

 溜め息を吐いた後、ルナの頭を軽く叩く。


「呆れた子ね。そんな感情に流されるほど弱い奴をあたしはリーダーに選んだつもりはないわ。だけど、あたし達はどんなになっても、あんたを人として見る。それだけは変わらない。そこンとこわかる?」


 これが彼女なりの励まし方なのだろう。どこか不器用だが、それでいて優しい。そんな励まし方だ。

 それにしても驚いた。どう考えても何か得体の知れない物が眠っているというのに、彼らはルナを信頼している。

 仲間意識が強いのだ。それこそ信じられないくらいに。だから自然に態度はいつもと変わらない状態になる。

 ルナは改めてそれを納得した。


「……ありがとう……」


 ルナは涙を少し拭う。

 鋼はそれをただじっと見ていた。


 しかし、それを感じている間もなく大地に響き渡る振動と舞い上がる砂埃。

 M.W.S.群、全機が華狼の主力量産型M.W.S.『六九式歩行機動兵器「ゴブリン」』だった。

 緑の巨体と頭部の中心にあるモノアイが特徴の巨人が九機、こちらに向かってくる。全高二〇m、重量五四.三tもの巨人である。

 武装は六機が『六四式機械歩兵用円筒形薬莢型機関砲』と大型シールド、三機が『六八式機械歩兵用カノン砲』と『五四式パンツァーファウスト』が二本である。


「どうやら逃がしてくれそうにないわね」


 アリスは近づいてくる音の方向を親指で指す。ルナはその状況に舌打ちする。


「このまま基地まで突っ切ってもええんやで?」


 ブラスカの自信ありげな一言にアリスはこういった。


「その任務は明日でしょ? それにさっきブラッドから通信入ったけど、レムがなんかわけわかんないことに……」


 その言葉はルナを反応させるのに十分だった。


「……どういうこと? 何が起きたの?!」


 ルナの表情には焦りがあった。


「正直言って、よくわかんない。それに、そんなこと議論してる暇は無さそうね」


 アリスはあくまでもクールにゴブリンの来る方向を見つめている。

 仕方なく、ここでルナは街からの一時的な撤退を決め込んだ。これ以上戦闘をしたところでこちらの状況も芳しくないからだろう。


「ブラスカとアリスは鋼さんを引き連れて先に撤退して。ここはあたしが抑えるわ。やりたくはなかったけど、『あれ』使うしかなさそうね」


 ルナが全員より一歩前に出た。


「自分の尻ぬぐいは自分で、ってか?」


 鋼の言葉にルナは一つ頷く。

 それに溜め息を吐いた後、鋼はルナの前に出た。


「俺も残る」

「え?!」

「俺を何のために雇ってンだ? 俺を頼るだけ頼れ。ついでに後ろの二人はとっとと帰れ、俺からは以上だ」


 ブラスカとアリスはため息を一つ吐いた彼らに、ルナは一つ指示する。


「ポイントS-26に一時間後に集結」

「せやけど、おどれ大丈夫なん?」


 ブラスカの言葉にルナはにっと笑う。


「大丈夫よ、別に。さぁさ、行った行った」

「それじゃ、気を付けなさいよ」


 アリスの言葉にルナは一つ頷くだけだった。

 ブラスカはアリスと共に先に後退した。

 その後、鋼とルナは再びコンビを組んだ。

 思えばこの時から、この二人が相棒同士になることは決定的だったのかも知れない。


「鋼さん、ここで叩きのめすわよ」


 ルナの言葉に鋼は一つ頷く。


「了解した。今の俺ぁ滅茶苦茶腸煮えたぎっていんだよ。だが、おめぇは少し待ってろ。最初は俺がやる」


 ルナは少しむっとする。

 だがこの時、鋼は本当に腸が煮えたぎっていた。

 自分自身の兄との皮肉な再会に対して。自分自身が『人でない』事への劣等感に対して。そして、先程現れた『何か』に対して。


 俺は、何をしてやれるんだ。


 その感情が浮かんでは消える。

 ルナを救い出した時の傷は、既に再生しきっていた。刃も、抜き去った。痛みは少しあったが、大したことはない。


「テストにゃちょうどいいだろ?」


 そう言われると、納得したのかルナは一つ頷いた。


「わかったわ。でも、一分であたしが増援に来るからね」


 ルナは後ろを向いて鋼と離れる時少し暗い声で鋼にこう告げた。


「いい、絶対に死なないでよ? これ以上戦力削れるとやばいのよ? わかった?」


 口ではそう言うが、言葉に力がない。


「たりめぇだ。死ぬ気はねぇよ」


 ルナはその言葉にホッとしたのか、急に調子が上機嫌になる。


「よろしい。それともう一つ」

「あ?」

「また、『あれ』が発動してあなたを殺しそうな事態になったら、機体ごとあたしを撃ちなさい」


 だが、鋼は『また暴走するのではないのか』と不安そうなルナを見て更に強く言い放つ。


「てめぇに死なれっと金入ンねぇ。いざとなったら無理矢理止めてやる」


 ルナは鋼のその自信がどこから来るのかわからなかったが、本当に彼をいつの間にか信頼していた。

 どうして初対面の男とこうまで簡単に話し合えるのか、それがよくわからなかった。

 だけど少しだけ、彼女の表情には笑みがあった。


「サンキュ」


 ルナは鋼の肩を軽く叩いた後、後方へと疾走した。

 その様子を見送ると、鋼はゴブリンの方を向き、道路の真ん中でゴブリンの来るタイミングを計る。心臓の鼓動が少し高鳴っていた。そして遠くの方でゴブリンのモノアイが禍々しく不気味に光る。鋼に気付いたようだ。

 それに対して、鋼は挑発的な笑みを浮かべ、佇むゴブリンに向け、一言返した。


「来やがれ……、雑魚共」

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