第三話『覚醒』(1)
1
AD三二七五年六月二三日午後八時三一分
アリスは、自らの油断を悔いていた。
ずっと自分はルナに追随する形で屋根を伝ってきた。だというのに、あの伏兵に気付かなかった。気付けばルナはスパーテインと、鋼は村正と対峙し、ブラスカは既にハルバード片手に敵陣に突っ込んでいる。
ともなればハウリングウルフは使えない。あの兵士一団を一気に吹っ飛ばしたかったが、今の状況ではブラスカも巻き込む。
ハウリングウルフを分解して後ろに担いだ後、懐にあった大型ナイフを二本出した。もはやこれしか手はないだろう。
しかし飛び降りようとした瞬間に彼女の通信機に連絡が行った。ブラッドからだった。
「何よ?」
アリスは不機嫌になりながらもそれを取る。
『レムが……ルナと同じになりやがった』
一瞬、時が止まった気がした。まさかとは思ったが、ブラッドはこう言うときには冗談は言わない。
ルナと同じような存在になった。恐らく、何かがこれから起ころうとしている、そんな風にアリスには思えた。
聞くところ、レムは短期的な衝撃波を起こした後、背中から翼を生やし、それが収まるやいなや眠ったという。
もうこれだけ聞くと何を言っているんだと言いたくなってこないでもないが、アイオーンなど訳の分からない存在が出る世の中だ、何があっても不思議じゃない。
出来る限り早期に撤退させる。アリスはブラッドにそう言い、ブラッドはレムを引き連れて先に退却させることにした。
通信を切ると、一度溜め息を吐く。
何が起ころうとしている。
アリスは考えたが、正直常人におよび付くのは無理だろうと、あっさりと考えるのをやめ、ナイフを両手に持ち、そのままビルから飛び降りた。
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スパーテインの斬撃はまさに『暴風』と呼ぶに相応しかった。一振りで街路樹が一瞬にして切断されていくのだ。
鉄塊にも似た、それでいて何処か気品のある剣だった。身の丈に匹敵する巨剣、どう考えても重量は桁違いのはずだが、スパーテインはそれを難なく操っている。
ルナは、左手に持ったPPK/Sをスパーテインに向けて発射する。
だが、いとも簡単に彼は大剣の刃を横にして刃先をシールド代わりにして弾いた。さすがに九ミリACPではあのEL製の武器は砕けないし、何より読み切っている。
「甘いぞ、フレーズヴェルグ」
スパーテインは静かに言った。まるでその言いぐさは親が子に教えるような口調だ。それが妙に腹が立った。
「そっちこそ、大剣故のワンパターン攻めが目立ってるわよ」
大剣はその大きさ故に凪払うこととその重さで切り裂くこと以外道がない。だが、強がりを言ってみたものの、それを感じさせないほどの早さでスパーテインの剣劇は襲いかかってくる。まるであの鉄塊を棒きれでも振るうかのように使っているのだ。
小細工は無理だ。そう判断したルナは、PPK/Sを胸ポケットにしまうやいなや、大地を蹴り上げ、スパーテインの元に切り込む。
刃を一度あわせ、すぐにはじいた。二度目、ルナはスパーテインののど元を狙ったが、やはり軌道を読んでおり、防がれた。
三合目でスパーテインの反撃、横から大剣を一気に振りかざした。ルナは一度距離を取って回避する。
慣れない土地での逃走劇による疲労が、僅かだが、たまり始めていた。
先程の宙を斬ったスパーテインの剣風が、今になって襲う。
破壊力も桁外れだ。
喰らったら、死ぬしかないわね。
ルナは一度呼吸を整え、また疾走した。
意地でも帰る、そして負けない。そんな意志だけが今の彼女を支えていた。
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ハルバードを握る力が余計に強くなった気が、ブラスカはしていた。
いつも、彼は華狼と敵対するときに心が痛んだ。
今でこそベクトーアの精鋭として前線に立っているが、三年前までは華狼軍の一兵士だった。
傷だらけの全身も、その時の名残であり、戒めだった。甘さが生んだ傷、それを今でも彼は戒めとして心身共に刻んだ。
黒色と黄色のハーフとして生まれた彼だったが、生まれた地方では人種差別による迫害に会い続けた。
差別をなくすべく、この国を内部から変えよう、そう思い軍に志願した。だというのに、親はその華狼に殺された。
それで国を信じることが出来なくなった。
そして、何かわからない『力』にすがろうとする国に、彼は絶望した。
一人が短刀片手に突っ込んでくる。
その刃は何のためにあるんや。
ブラスカは心の奥底で、相手に問う。
自分の答えは、はっきりしている。だから何の迷いもなく、短刀をいなすやいなや、相手の胴をハルバードで二つに分けた。
返り血で、少し自分の体が赤く染まったが、気にしなかった。気にしている場合でもない。
まだ残りは精鋭二七人、先程降りてきたアリスが半分を受け持っているため、実質一四人。
なかなかにきつい勝負やな。
ブラスカはそう思ったが、何故かルーン・ブレイドといると心が高揚するのだ。
だからだろうか、目の前の相手を睨め付けた後、宙を一度斬った。
「ワイの刃は、そう簡単に折れはせえへんで」
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金属音がひた走っていた。剣劇の鳴り響く音、それは、いつも鋼の心に、不思議な高揚感を与えてくれていた。
しかし、今目の前で戦っている相手に対してだけは、そんな感情も湧かなかった。
鋼と村正、互いに引けない兄弟同士、十八年ぶりの再会で二人は、戦場で斬り合った。
疾走する両者、互いに重なり合う金属音、実力はほぼ互角だ。
鋼が剣を振るえば村正はそれを受け流し、村正が剣を向ければ鋼がそれを防御する。それの繰り返しだ。もうこれで何合目なのかすらわからない。
一度だけ鍔迫り合いが起こったが、互いにはじき返し、少し距離を取った。
鋼はまた大地を疾走し、村正へ向かう。
だが、当の村正はいったん鋼から離れロングコートの胸元に手を伸ばしハンドガンを出す。
フェンリルの兵器下請け会社『スルト』が開発した『M-68「ディズィー」』だった。ダブルカーラムタイプのハイキャパシティマガジンをを装備することで総弾数を増やし、ダブルアクション機能を搭載しているスタンダードながら優秀な銃だ。見る限り、村正は威力追求のためか、口径オプションの『357Sig』タイプを使用していた。
村正はそれを鋼に向け、二、三発立て続けに発射したが、鋼は来る弾丸を両刃刀を回転させて切り払った。
だが、その一瞬をつけ込まれた。村正が既に鋼の真後ろにいる。鋼は反撃に出ようとしたが、遅かった。
村正は鋼の左の脇腹をフィストブレードで突き刺した。だが、刃先が突き抜けることはなかった。代わりに刃先からは金属音が響く。
鋼の上着の一部が破れる。それに村正は驚いているのを、鋼は見逃さなかった。
それもそうだ、自分のアーマードフレームは脇腹の一部も覆っているのだ。顔を除いた左半身のほぼ全てを機械化していた。それ故に彼は『鋼鉄の放浪者』の異名を持つようになったのだ。普通の神経を持っている者ならば、驚くのも無理はなかった。
鋼は一瞬見えた村正の隙を突き、逆に村正の腹部を両刃刀の反対側の刃先で突き刺した。腹部から飛び出た返り血が鋼に付くと同時に村正が口から血を吐くが、それでもなお、彼は突き刺さった鋼の両刃刀の刃を手に持つやいなや、咆吼をあげ、一気にそれを抜いた。
よろめきながら、村正が後方に下がる。
鋼は額の汗と血が混じった液体を、一度ぬぐい、村正の方を向いた。村正の腹部からはどす黒い血が滴り落ち、荒い息づかいをしていた。
だというのに、目の力はより一層鋭くなっている。
まさしく、村正はその名の通り、刀なのだ。戦で戦えば戦うだけ研ぎ澄まされていく。それがこの男だった。
自分と、同じような男だった。
村正が唇にしたたり落ちている血を拭うと、腹部に開いた穴が、徐々に塞がっていった。
鋼は眉間にしわを寄せた。
『人間』ではない。鋼はいつもこの事が最大のコンプレックスだった。それ故に彼は復讐だけでなく、『人間であることの証明』をするために戦っていた。それに関しては村正も同じであっただろう。
村正は呼吸を整える。
そこに突如として来るナイフの刃。村正は瞬時にそれを回避する。
長身の女だった。確か、アリス・アルフォンスとかいう名前だと、ルナから聞いた。
邪魔しやがって。
鋼は心の奥底に、妙な怒りを感じた。
女に男同士の一騎打ちの呼吸が分かってたまるかとも、同時に思った。
だが、どうやら村正は撤退するらしい。
アリスの繰り出した二合目のナイフを一度フィストブレードで受け流した後、後ろのビルの屋上へと、一気に跳躍した。
「今の所は下がっておくぞ。だがすぐに来るさ。それまで首洗って待ってろ、鋼」
村正は鋼を見下ろしながら強い調子で言い放つ。
「上等だ、ブラッドダイバー」
少し、鋼は目を閉じた。そうしていると、気配が分かるのだ。
目を開けたら、村正の気配は消えていた。
「下がったか」
アリスはほっと一息つく。
「馬鹿野郎が……」
鋼は力のない口調で言った。
どうやら兄弟同士で、決着を付けねばならないらしい。
それもまた、一興か。
鋼はふっと笑うと、両刃刀を持って、戦陣へと向かった。
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筋は悪くない。スパーテインは目の前で対峙するルナを見ながらふとそう思った。
まだ齢は一九、考えても見れば、この年の頃の自分はただひたすら強さを求めるだけだった。
だというのにこの少女は、当時の自分では考えられないほど、色々と深く考えている。
国のこと、民のこと、そして何より忠節のこと。
拳が向かってくる度に、スパーテインにはルナが語りかけてくる気がした。拳が会話を求めている、そんな気さえもしていた。
正直言うと、部下として彼女が欲しいと思った。
だが、まだ甘い。太刀筋は悪くないのだが、まだ若いのだ。
ルナが突っ込んでくる。刃を前方に突き出してきた。しかし、スパーテインはそれを大剣で止めると、余っていた片方の手で、思いっきり開いていたルナの腹を殴った。彼女の顔が、苦痛に歪むのが見えた。
追撃する前に、ルナは一度距離を取る。さすがに仕切り直しと考えたのだろう。そのまま突っ込んでくるという愚は犯さなかった。
少しむせた後、彼女は血の混じった痰を吐き捨てた。しかしよく見てみると、相当額に脂汗が浮いていた。
「く、やってくれるわね……」
ルナはせき込み終わってから口を手で拭った。スパーテインはルナと対峙する。
「全身是武器とすべし。脇がまだ甘い」
相手に渇を入れる。
まったく、敵の兵士に何を言っているのだ、私は。
スパーテインは苦笑するほかなかった。
いつの間にか、この少女が自分を越えるような存在になることが、何故か楽しみに思えてきていた。
そう思うのも無理はない。ルナはあれだけのダメージがあるにもかかわらず、まだ立ち向かってくる気でいるのだから。足は少しふらついているが、覇気はある。下手な人間には出来はしない。
鋼達は他の部隊との戦闘に躍起だ。正直あの三十の兵士はスパーテインが特に育て上げた生粋の猛者だ、あの三人が相手でも十分な立ち回りが出来る。
それでルナとは一対一になれた。
正直、立ち会いたかったというのがある。考えてもみれば、彼女との対峙は二度目だ。一度目はスパーテインも目を見はる戦略を見せ、勇猛さでも引けを取らなかった。だが、まさかこんなに若い少女とは、夢にも思わなかった。
「負けない……絶対に……!」
その様子にスパーテインは渇を入れた。
「ならば私を殺すつもりで来い! 力を抑えるな! 私を本気にさせろ!」
「言われずともやってやるわよ!」
ルナの気が、肌を刺激する。先程よりも強い。
これが自分の追い求めていた気の一つだった。なかなかにやる。そう思えた。
ルナがスパーテインに向けて突進し、一合。武器をはじくが、片手。ルナが開いた右手で開いたスパーテインを一気に殴りかかろうとした、まさにその時、突然、一発の銃声が響き、ルナの動きが止まった。
両者一瞬何が起きたか分からなかった。思わずスパーテインも目を見張る。
最期の一撃として、自分の部下が彼女に向けて撃ったのだ。既に撃った段階でその兵士は絶命している。
何故撃った。一瞬、そう問うた。答えなど返ってくるはずもない。
銃弾はルナの右肩を貫通していた。ルナは口から血を吐き、その場に倒れ込む。
直後、鋼が突っ込んできた。スパーテインは反応して大剣を向けようとする。
だがその時、異様な殺気を感じた。ルナの方をから来ていたその殺気に反応して振り向いた瞬間、スパーテインの表情が驚愕に満ちた。
ルナがゆらりと立ち上がっているのだ。しかし、その表情はもはや悪鬼と言っても差し支えがない程の狂気に満ちていた。
スパーテインはルナの眼を見て背筋に悪寒が走った。広がる物はただひたすら深淵と底知れぬ殺気だけ。本当に先ほどまで対峙していた人物と同じなのか?
いや、明らかに違う。違う何かがある。スパーテインの勘はそう告げている。
その時、ルナは言葉にならない甲高い咆哮を上げながら、スパーテインへとナックルの刃先を向ける。
はじく。言葉は、聞こえてこない。まるで心がなかった。彼女らしくない、そう思えた。
しかし、直後、スパーテインに悪寒が走った。殺気がまた違うところから来ている。
真後ろ。そう感じた時、スパーテインは一歩下がり、すぐさま後方を向く。
そこには、何かがいた。何かまでは、よくわからない。黒い炎で覆われた人間のシルエットのようにも見えた。
黒い炎が一瞬で広がり、周囲の死体を焼き尽くすやいなや、直後、炎が固形化して襲いかかる。
「何?!」
さすがに表情に驚愕の感情が満ちる。早い。しかも変幻自在に突っ込んでくる。
防ぐと同時に、まったく動いていないその黒い炎へと、スパーテインは一歩ずつ歩を進める。
そして、黒い炎へと後二歩に迫ったとき、突然その炎は消えた。周囲の炎も消え去っている。
なんだ? そう思ったその直後、また後ろから殺気がした。すぐさま後ろを振り向くと、ルナがいた。そして、何も表情を動かさず、死んだ目のまま、彼の左目めがけ、刃を振り下ろした。
避けることが出来なかった。左が赤く染まった。それだけは分かった。視界の範囲が狭まったのを感じると、痛みが来た。
「ぐ……!」
スパーテインは左眼を抑えた。おびただしい血が、手に滴り落ちていることは、右目で分かった。そして手に持っていた大剣は、ものの見事に破壊されていた。
私に慢心があったというのか。
スパーテインは、唇を噛み締める。
「何だ……?!」
「ヌアアアアアアアアアアアアア!」
鋼が言った直後にルナはこの世の物とは思えない咆吼を挙げた。
その瞬間、その場にいた誰もが呆然とした。彼女の背中からめきめきと何かがうごめくようにして出現する。
それは、何本も生えた巨大な翼だった。その瞬間、戦いの手がすべて止まった。アリスとブラスカはその隙に鋼の所へ急ぐ。
「何だ……これは……?!」
鋼が驚嘆の声を漏らしていた。
やはり何かいるのか。スパーテインは、肌でそう感じていた。
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