第二話『再会』(1)-1

AD三二七五年六月二三日午後八時一七分


 華狼陸軍アシュレイ駐屯地。街から数キロ離れた荒野に佇んでいる基地だ。

 スパーテイン・ニードレストはふと、街の方角を見据えた。

 一言で言うと岩のような男だ。筋骨たくましい肉体と、優しさと厳格さと冷徹さを併せ持ったダークグリーンの瞳に同色の髪の毛が印象的な巨漢、それが彼だった。

 そして彼の背負っている武器もまた、彼のその体格に合わせたかのように巨大な大剣だ。


 任務のためにこの基地へ来たものの、この基地に所属している兵士は軒並み練度と意識レベルが低い。そんな状況が彼を少し苛つかせた。

 普段は冷静な彼だが、剛胆な面もある。特に、昨日はそれが如実に表れた。

 街で女性を強姦した兵士を問答無用で斬首に処したのである。

 それ以降、気を引き締めるためにも、訓練を強化したが、今度は訓練中の死者が数名出た。


 生ぬるい、生ぬるすぎる。それが彼がここに二日間滞在して感じた感想だった。

 華狼陸軍第一四機械歩兵師団大隊長にして階級は少佐。『ロックウォール』の異名を持つ華狼屈指のエースでイーグ。

 そんな肩書きを持っていたとしても、彼は最前線に行くことを好んだ。

 そして、今はここが『最前線』と化すのだ。

 奴が、フレーズヴェルグが、今の自分の縄張りに現れたのだから。

 念のためこの基地に元々からいたM.W.S.隊である『ドレッド隊』に待機を命じ、住民の避難を急がせ、捕獲用にと対人用の小型M.W.S.『ガンビッド』を三機ほど行かせることにした。

 スパーテインは大剣を鞘にしまい、街に背を向ける。


「楽しみにさせて貰うぞ、フレーズヴェルグ」


『彼女』との対決を少し心待ちにしながら、スパーテインは待機していた五八式装甲車に乗った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 月明かり以外何も明かりがなかった。互いの顔を僅かに視認できる程度の明かりしか差してない路地裏に鋼はフレーズヴェルグと共にいた。

 フレーズヴェルグはちらりと鋼を見た後、軽快に突然笑い飛ばす。


「いやー、ごめんごめん。ちょっとやりすぎたわ、アハハハハ」


 反省がまるで感じられない。というか、この女は変だ。ルックスは悪くないが、凄く変だ。鋼の第一印象は最悪の一言に尽きる。


「まさかこいつがこうも変人たぁな……」

「ん? 誰が変わってるですって?」


 思わず小声が出てしまったようだ。言った瞬間、クライアントは少しだけ殺気のある微笑を浮かべていた。

 だからすぐに


「いや、別に」


と、素っ気なく返し、一つため息を吐いた。

 クライアントはパーカーのファスナーを外した後、ポケットからゴムを出して髪の毛の端を縛る。

 長い、緑がかった黒髪だった。


「しかしお前多重人格?」

「違うわよ。『一応』」


 鋼はその言葉に妙な違和感を覚えたが、この時は大して気にしなかった。


「あ、そう。で、なんだってああまで人格変えてきたんだよ?」

「いろんな所でうちら大暴れしてるから他国軍に結構面は割れてるらしくってね。だからばれないように変装を、って考えたわけ」


 苦笑しながら答える。

 しかし変装も大して意味を成さなかったのでは、と鋼は思ったが、それはこの際置いておいた。


「あ、そう。で、フレーズヴェルグ、これからどーすんだ?」


 鋼は少し苛ついたような口調で話す。

 その直後だった。


「ルナ・ホーヒュニング」


 クライアントが静かに言った。思わず、鋼は彼女の方を振り向く。

 その瞬間、僅かに差した月光が彼女の顔を照らした。

 その時見えた彼女の表情は、まるで華のようにすぐに折れてしまいそうに感じる脆さを持っているようにも見え、そして、あまりに重い哀しみを背負った、暗い表情に見えた。

 だが、それと同時に、彼女自身が気付いていないような強さを兼ね備えているようにも見えた。


「あたしには『ルナ・ホーヒュニング』って言う立派な名前があるの」


 何かに縛られることと堅苦しいことを何より嫌う自由奔放を信条とした、優しさと哀しみを誰よりも知っている戦うことがおおよそ似つかわしくない女性、それがフレーズヴェルグと呼ばれた女性-ルナだった。

 そう言われて、純粋な気持ちで鋼は言う。


「いい名前だな」


 一瞬だけ、ルナの頬が赤くなった気がしたが、それを気のせいだと鋼は自分に言い聞かせる。


「しかし、簡単には出させてくれそうにないわね……。こう言うときのために段取り組んだのに、何でまだ来ないんだか……」


 ルナはむくれた。


 何なんだ、こいつは……。つーかガキじゃねぇか、おい……。


 鋼は呆れて小声で呟く。

 さっきのあの表情は間違いだろう、そう思った。


「何か言った?」


 ルナはナックルを展開させる。半ば脅迫だ。

 地獄耳甚だしい。


「空耳だろ?」


 鋼は身の危険を感じ取って無理矢理話を丸めた。

 すると突然巨大な振動がする。少しだけ彼等は身を出して路地を見入った。

 鋼達は驚いた。

 それもそうだろう。たった二人を捕まえるためだけに、対人用小型M.W.S.『ガンビット』が既に三機も展開していたからだ。

 一二.七ミリ二連機関砲を両腕部に取り付けたこの機体は、通常のM.W.S.には無力だが、人に対しては巨体の表す威圧感によって先天的な恐怖を与える。コアパーツのコクピットにあるキャノピーが不気味に光っている。


 大捕物に発展してんなぁ、おい。


 鋼が体を引っ込めた、その直後ルナが突然彼の手を取り、路地裏の奥へと疾走を開始する。


「ど、どうした?!」

「こっち! あそこにいたら後十秒後にはあたし達蜂の巣よ!」


 鋼はルナの手をほどくと、彼女に併走して暗い路地裏を奥へと走った。


「なぁ、何でんな正確な時間がわかる?」


 鋼の問いにルナははぐらかすように


「勘よ、勘!」


と強く言った。またしても妙な違和感を覚えたが、それどころではなかったので黙っていた。

 するとルナはまた、さらに深い路地裏に入れと言う。鋼は辟易した様子を見せながらもルナの指示に従った。


「ここなら当分気付かれないはず。後は隙をついて脱出しましょう」

「了解」


 その時、鋼は足下に何か堅い物があることに気付いた。

 マンホールだ。地下に潜れば下水道につながっているはずである。


「こん中ってどうなってんだろーな?」


 鋼はマンホールをつま先で軽く叩いた。


「下水道? そっか、ここを使って巻きましょ」


 ルナの一言に鋼は頷いた。

 鋼はマンホールの取っ手を握る。

 すると少ししか力を入れていないにも関わらず、すぐ引っこ抜けた。

 しょぼい作りだと、二人して呆れる。

 鋼は先にルナを行かせた後、武器ケースを肩に担ぎ、ペンライトをつけ口にくわえる。

 そしてマンホールの蓋を閉めてルナの後を追った。

 深い深淵が続いていた。鋼は口にくわえたペンライト一本で下を照らしながら梯子を降りる。


「下にはまだ着かないのかしら?」


 ルナは軽く愚痴る。


「ほーゆーはんはふはひらいか?」


 鋼はルナの方にライトの光を向けて聞いてみた。

『こういう感覚は嫌いか?』と聞きたかったらしいがペンライトを加えているため隔絶が上手くいかない。

 ルナはぷっと笑った。吹き出す寸前だった。微かに体が小刻みに震えている。


「や、やっぱり、後で……」


 彼女は笑いを堪えるのに必死のようだ。


 今すぐこの場で斬ってやろうか、この野郎。こんな状況だから斬られねぇんだ、ありがたく思いやがれ。


 鋼は心の奥底で、今度こそ聞こえないように愚痴った。

 そんな時、光が足場を照らす。最下層に着いたのだ。

 鋼とルナは梯子から離れる。

 悪臭と暗闇、そして下水の流れる静かな水の音が下水道を支配している。何もかも吸い込みそうな闇、それが延々と続いていた。


「で、さっきの感覚は嫌いか?」


 鋼は先程の質問を再度聞いてみた。

 ルナは軽く頬を人差し指でかいて考え、そしてこう答えた。


「足場のない浮遊感って言う感じがして嫌いね」


 ルナが下水道の地図を展開しながら答えた。どうやら事前に作成していたらしい。

 鋼はただ一言


「あっそ」


と返した。先程のことは未だに苛ついているが、まぁいいかと無理矢理納得させた。

 鋼はライトで照らしながら地図を確認するやいなや、自分の頭に極めて正確なロードマップを作成した。

 鋼の記憶力は相当の物だ。何せ今まで受け持った依頼の陣営からコード番号から果ては作戦区域におけるポイントのナンバリングまですべて覚えているのだから。頭の中にロードマップを描くくらい簡単である。


「わーった。こっちだな」


 鋼が右を向き、一歩踏み出すやいなや


「ちょっと待った!」


とルナは声を上げ、鋼を止めた。


「んだよ?」


 鋼はもう一度ルナの方を向き返した。


「どこに出るか、考えてある?」

「ああ、この場所」


 鋼はルナが持っている地図の一カ所を刺した。『第十五区画』とその地図には記してある下水道出口だ。

 ルナは頭をかいた。


「ダメよ、そこ」


 鋼としては納得行かなかった。自分の編み出した最善の考えを否定されるのはやはり気にくわない。


「なんでだよ、おい」

「読めちゃうのよ、簡単に。確かに街の出口には一番近い。だからそこですぐに脱出しよう、それがあなたの考えでしょ? その点に置いてはあなたのはじき出した答えは間違いではない」


 ルナに言われたことは鋼も考えていたことだった。さすがにこうまで言われるとは思わなかった。


「だけど、それだったら相手も同じ事を考える。少なくとも、あたしが相手だったらね。ならどーするか、答えは三ポイントに別れる」


 ルナは地図のあるポイントを刺した。


「まずはここ」


 そこには『第十二区画』と書いてあった。

 ここは街の西側の出口より三百メートル離れた場所だ。出る場所が先程入った場所と同じような裏路地であるため発見されにくいが、脱出するのが非常に面倒くさい。


「次にこのポイント」


 ルナは『第二十六区画』を指さした。

 街の南側出口より二百メートル離れた場所。人目に凄まじく付きやすいが脱出できる場所が大通りなので、一気に脱出が可能であることが利点。


「最後はここ」


 ルナは『第一九区画』を指さした。

 街の東側出口より二四〇メートル離れた場所だが出る場所が結構入り組んだ所である故敵を巻きやすい。だがその分、自分たちも敵を巻くのに苦労がいる。


「どれもハイリスクハイリターン、さ、どうする?」


 ルナは地図から指をそらした。

 鋼は頭の中で状況をシミュレートする。

 まず真っ先に消えたのが第十九区画だ。相手には地の利がある。それ故に巻くことはほとんど不可能に近い。

 次に消えたのは第十二区画だ。

 だが、ルナとしては納得いかないのだろう。


「なんで?!」


と声を荒げた。

 実際一番確実に脱出できるルートだろう。が、


「俺の性に合わねぇからだ。それ以外に理由はねぇよ」


と言ってルナを黙らせた。

 呆れている。ルナが頭を抱えているところを見て、鋼はそう思った。

 というか、コソコソ行動するのが鋼は嫌いなのだ。だからこの選択肢を消した。

 しかし、残った選択肢は第二十六区画、一番敵が集まっていそうな場所だ。

 だが、鋼の瞳は自信に満ちている。まるで例え何千人来ようが負ける気はないと言わんばかりに。

 この瞳にルナは押される。


 赤の瞳、遺伝子では余程の突然変異が起こらない限りこの色の瞳が現れることはない。カラーコンタクトでも入れているのかとルナは思ったが全く違う。

 天然の赤だ。今まで見たこともない紅蓮の炎の如く輝くその瞳、それに彼女は惹かれた。

 鋼を見ると何故かルナまで自身が沸いてきた。だから信じてみようか。そんな気にさせた。


「ふ~ん、わかったわ。じゃ、行こっか」


 今度はルナが鋼より先に一歩前に踏み込んだ。

 あれで納得したのか。鋼からしてみれば不思議でしょうが無い。


「何で俺に従おうと?」


 ルナは振り向いてくすりと笑った。


「眼よ、眼。あなたの眼、すごく自信ありげで絶対に負ける気がないって言う感じがしたから。それだけよ」

「赤い眼、そんなにいいか?」

「好きじゃないの?」

「まーな。つーかここまで来ると結構どーでもよくなっちまうもんだけどよ」

「そう。でもあたしは、すごく綺麗な色だと思うわよ、その色」


 こんな事言われたのは生まれて初めてだ。ずっと赤の瞳にコンプレックスを持っていた。

『奴』の片目も赤かった。自分のよりどころを壊したあの男、人間とは異なる畏怖の存在、その人物も赤の瞳を持っていた。

 同じ畏怖な存在でしかない。ずっと心の内でそう思っていた。

 なのに今の一言はどうだ。

 綺麗な色、ルナは確かにそう言った。そんな事言ったのは彼女が初めてだ。

 だからかどうも複雑な感情を抱いた。


「鋼さん、どうしたの?」


 ルナの声が聞こえて鋼は我に戻る。


「……なんでもねぇよ」


 鋼は苦笑した。

 そんな中、ルナはブツクサと文句たれながら鋼と共に暗い下水道を歩く。


「臭いわね~……こりゃ、帰ったら速攻風呂決定ね」

「確かにいい匂いじゃねぇな。つーか鼻につくこの匂い、気にくわねぇな」


 鋼は下水道の匂いに何かを感じ取った。嫌に鼻に残るような匂い、それが彼に昔を思い出させた。

 匂いは全く違う。だが、鼻につく匂いという感覚は彼が昔感じた匂いと同じだった。

 その匂いは、血の匂い。

 ただひたすら広がる赤、それから臭ってくる簡単には忘れられない鼻につく匂い、それが彼には気にくわなかった。


 さっさと出てぇなぁ……。


 鋼は重いため息を吐いた。


「どうしたの?」


 ルナの声で鋼はようやく我に戻る。


「……なんでもねぇ。行くぞ」


 鋼とルナは再び歩みだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る