第一話『出会い』(2)
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AD三二七五年六月二三日午後七時五六分
「ここか」
鋼は酒場の前で足を止めた。
酒場の看板には『ヘヴンオアヘル』と書かれている。ピンクのネオンサインが目を引くが、少々寂れた感じの店だった。
ドアを開けて中へ入る。
客の割合は華狼の兵士が多いが、規律がなっていない。恐らく現地で雇い入れた兵士だろう、本国の兵士はもっとまともだし、練度が桁外れな者も多い。
鋼は対してその声が比較的聞こえない奥のカウンター席へと向かった。
ゆっくりとカウンター席へ腰を下ろし、キールを注文する。初老のマスターは静かにキールを作って鋼の前に置いた。それを一気に飲む鋼。
この男、酒も恐ろしく強くキール程度、ジュースと同感覚にしか感じないらしい。
そうやって飲み終えた直後、彼の横の席に一人の女性が座った。
少々華奢な体つきで身長は鋼より頭一つ分小さい。ライトグリーンのパーカーを着て帽子を目深にかぶっている人物だった。おかげで顔を判別することは出来ない。髪の毛は長めの黒髪を少々結ってある。
そして手には袋に巻かれた武装が取り付けてある。妙な膨らみがその武器にはあったがその武器が何であるか、鋼ですら判別できなかった。
その人物は鋼の横に付くなり、一言目にこういう。
「『荒野に『月光の剣』が舞い降りた』」
合い言葉だ。要するに『荒野の街に『ルーン・ブレイド』が舞い降りた』ということである。
クライアントだ、間違いない。鋼は瞬時にそう思った。
両性的な声だ。だが、どこか無理矢理声を作っているような印象も受けたが、特に気にせず鋼もまた受け取った暗号コードを解析した結果の言葉を言う。
「『それを鍛える鋼来たれり。その鋼、刃の糧とならん』」
その言葉に一瞬横のクライアントが安堵したような笑みを口元に浮かべたことを、鋼は気づかなかった。
少しだけ間を開けて、鋼から話を切り始めた。
「……依頼の正確な内容は?」
「前にメールで教えた通りだ。報酬は二五〇〇万。我々の部隊からも機体を派遣する。悪くはない条件のはずだ。貴君は基地の破壊のみに専念してくれればいい。その他のことは我々が受け持つ」
その時小さな悲鳴が聞こえた。どうやら華狼の兵士がウェイトレスにからんでいるらしい。
するとその様子に横の人物が立ち上がった。
「おい……」
鋼は止めることも出来なかった。いや、むしろ止める気がなかった。
やれやれだぜ……。
鋼は心の中でぼやく。
先程まで横にいた人物はゆっくりと華狼側の兵士達の所へと寄っていく。
「おい、やめておけ。嫌がっている」
クライアントは兵士に言ったがまるで聞く耳を持たず、むしろクライアントの体に興味を持ち始めた。
さすがにこれで本人の怒りが爆発したのか問答無用で一人の顔面を殴った。
この行動には全員ぎょっとした。もちろん、鋼もだ。
「下らないな。気にくわないのなら掛かってこい」
クライアントは静かに言い放つ。
「このアマ!」
兵士が椅子から立ち上がり殴りかかろうとしたが、その前に彼女は動いた。
懐に入り込むやいなや、顔面に掌底をかます。
その瞬間、その兵士の顎の骨が粉砕する鋭い音がしたのを鋼は聞き逃さなかった。
どうやら彼女が自分と同じ『イーグ』であるという噂は本当だったらしい。
特殊鉱石『レヴィナス』を体内に打ち込んだ人類、それを人は『イーグ』と呼ぶ。
レヴィナスとは二二〇六年、アラビア半島近海に『アーク遺跡』と名付けられる遺跡が発見されたと同時にその遺跡から発掘された鉱石の名称である。
いや、これは鉱石であって鉱石ではない。なぜならこの『存在』は固体、液体、気体の物質三形態をすぐさま再現できるからだ。この原理は現代科学でも証明できていない。
アーク遺跡は妙に人為的な処置が加えられており、マスコミに発表された当時、数多くの失笑を買ったのは言うまでもない。
だが、レヴィナスの発見と同時に世間の興味は一気に遺跡へと傾いた。
レヴィナスは科学で判断することのできない人間の『心理』を具現化する能力を持っていると同時に、鉱物としては桁外れの硬度とエネルギーを持っていた。
あらゆる事を可能にする無限の可能性を秘めた万能金属、故に誰が付けたのかはわからないが、無限のことを神の別名と表した哲学者から取って『レヴィナス』と呼ばれるようになった。
レヴィナスが軍事転用され始めたのはそれからわずか一年後、更に軍事利用された技術を人間が使うためにはレヴィナスを液状化して体内に入れればよいと言うことが突き止められたのはそれから一年後のことだった。
レヴィナスは古い歴史の元に成り立っている。
しかし、そんな歴史の上に成り立っているイーグの一人ともあろう者が、町中で兵士相手に情け容赦ない大喧嘩を繰り広げているこの構図を見たら、先人達はどう思うのだろう。
そんなことを、柄にもなく思った。
「何しやがんだ!」
他の兵士がクライアントに殴りかかってくるが、彼女はその突きを掌中に抑えた直後、そのまま当て身へと繋げた。
その兵士がよろめき、暢気に飲みかけだったキールを飲んでいた鋼に運悪く激突した。
鋼の簡易マントに、キールが掛かる。
掛かったキールを一度見た鋼は、離れようとする兵士の襟首をむんずと掴む。もがいて必至に脱出しようとするが、鋼の力はそれの脱出を許すほど甘くはなかった。
というか、見れば見るほど異常に腹が立ってきたのだ。
「酒の時間を邪魔するたぁ……」
静かにそう言った後、横に偶然置いてあったビール瓶で思いっきり頭を殴った。
瓶の割れる鋭い音が店内に響く。その衝撃で兵士は失神した。
「いい度胸してンじゃねぇかコラァ!」
鋼は失神した兵士の襟首を離し投げ捨てた後、そのまま手に付いたビールをなめた。
不味かった。
すると一人の兵士が鋼に指の骨を鳴らしながら近づいてくる。
「よくもまぁやってくれたな。名前名乗っておけ。墓場にきちんと刻んでやる」
大柄な兵士が殺気を漲らせて言ってくるが、当の鋼と言えば耳を小指でほじっているだけだ。
本当に緊張感がない。というか明らかに挑発している。
しかし彼に下手な兵士が挑むこと自体無謀以外の何者でもない。鋼の二の腕のタトゥーは、レヴィナスを打ち込んだ故に出来た『召還印』なのだから、一目でイーグとわかる。だというのに、まったくもって相手はそれに気付いていないらしい。
そしてこの態度に切れたのか、兵士達は腰のサバイバルナイフに手をかけた。傍観を決め込んでいた一部の客がさすがにまずいと思ったのか、一目散に出口に殺到している。
しかし、鋼はそういった動作一つ一つを楽しんでいた。いつの間にか、自分が不敵に笑っていることに気付く。
「お、抜いたか? 酒の時間邪魔した罪は死を持って償いてぇ、ってか?」
鋼は強烈な覇気を体にみなぎらせた。
そのプレッシャーが兵士を襲う。兵士は震えている。今の彼等は本能のみで鋼達にナイフを向けているような物だった。
「ま、そーまでしてぶっ殺されてぇなら遠慮せずにやってやるよ」
彼はそう言った後いすから立ち上がり、横に置いてあった武装ケースを手に取った。要するにそれを鈍器代わりに使用するというのだ。
それを見たクライアントは一言
「殺すなよ?」
と、念を押す。
しかし鋼は
「ンなもん相手の態度次第だ」
とだけしか言わない。
その直後、鋼とクライアントに対して兵士達は三人がクライアントに、二人が鋼に突っ込んでいった。
一人が腰を落として素早く移動し、鋼をサバイバルナイフで突き刺そうとするが、鋼はそれを義手で受け止める。
鋭い金属音が周囲に響く。
そして少し力を加え、思いっきりナイフの刃をへし折った。
「う、嘘だろ?!」
思わず兵士は声を上げるが、それと同時に鋼はもう片方の手で持っていた武装ケースの角を相手の腹部にぶつけ相手を失神させた。
そしてその兵士を地面に捨てる。
「喧嘩は相手を見てやるこったな」
鋼は倒れている兵士に対して冷たく言い放つ。
もう一方の兵士はやけくそになったのか、咆吼を上げながら突っ込んでくる。
すると鋼は突っ込んできた相手の腕を掴み脇で押さえ、力を入れて相手の腕をへし折った。兵士の悶絶した声が聞こえる。
それと同時に彼は兵士の手を離し、義足で回し蹴りをかまし思いっきり後方へと蹴飛ばした。
彼の義肢はアーマードフレームと呼ばれる戦闘用義肢だ。一〇年前からこれを愛用しているが、その利用する理由の多くを占めるのはそれに使われる装甲素材にある。
戦闘にも耐えるようにと考え抜かれた結果、アーマードフレームにはELが使用されており、その結果極めて強固な防御力と、通常の義肢では実現不可能に近い打撃力を兼ね備えることに成功した。
その威力を証明するかのように後方に吹っ飛ばされた兵士を待っていたのは、先程まで喧嘩を野次馬的立場で見ていた客と彼らの居場所である木製の椅子とテーブルだ。
そこに物の見事に兵士は突っ込みテーブルと椅子は木っ端微塵に崩れ去った。
木の崩れる音と客の悲鳴が同時に聞こえた。
それと同時にぐったりする兵士。泡を吹いて倒れている。
しかし、しかしだ、そんな様子お構いなしにこの男は左手の親指を地面へとたたき落とし
「雑魚が」
と言う。
最低だこの男。
しかし、義手義足とはいえ戦闘時間僅か一〇秒弱。圧倒的という表現がこれ程似合うこと有るだろうか?
一方のクライアントをちらりと見てみると、彼女は一人の兵士に対して地面を軽く蹴り少し飛び上がるやいなや、相手の左肩にかかと落としを喰らわせる。見事なまでに相手の肩が外れていた。
クライアントは成果を確認するまでもなく次の標的に牙をむけた。着地した後素早く反転し、もう一人の男の腹部を逆手で殴りつける。さらに追い打ちをかけるように悶絶して倒れそうな男の首に水面蹴りを喰らわせる。
彼女の黒髪が、弧を描くようにしてなびいた。兵士は目を見開いたまま床へと倒れ込む。
その様子に残された一人の兵士は愕然とする。それに対しクライアントはただ一言、どこか冷めた雰囲気で兵士にいった。
「出来ればここまで派手にはやりたくなかったんだけどなぁ……」
何故か、この時クライアントは今までと全く違う口調で話したが、それが聞こえた者は誰もいなかった。
その兵士はそんなこと無視してクライアントに向けて咆吼を挙げながら突進していった。
彼女は兵士の攻撃を自ら体を沈めることでかわす。
しかしその拍子に帽子が取れた。髪留めが外れ、結ってあった髪の毛がほどかれる。
そして、出て来た顔つきに鋼は驚愕を隠せなかった。
それもそうだろう。その人物は、自分より年下で、鋼の想像以上に幼かったのだから。
子供と言うには成長しているし、大人と言うには幼すぎる、そんな印象の少女。
瞳は戦争をしている人物とは思えないほど優しく、哀しい。
ダークブラウンの双眸が今までいったいどんな地獄を見てきたのか、そんなことにも興味をそそられるような瞳を持った、そんな少女だった。
彼女は下側から一気に兵士の顎に回転蹴りを決める。顎の骨が完全にへし折れる音が鋼の耳に聞こえた。
どうやら彼女、本当にあの『フレーズヴェルグ』らしい。しかし、まさかここまで若いとは……。
だが、考えてもみれば、自分もこれくらいの時に戦っていたのだから、そんなものかと思った。
しかしそうやって感傷に浸っているときだった。
「おい、あの女、まさかフレーズヴェルグか?!」
傍観を決め込んでいたと思われる華狼の兵士の一人がクライアントを指さしながら声を荒げた。その直後、一斉に周囲の座っていた客が立ち上がる。
どうやら面が割れているらしい。
ったく、その年齢にしては偉く面構えが知られてんな、おい。
鋼は心の中で愚痴る。
「あったー、やばいわね……」
クライアントは少し下がって、鋼と背中合わせになった。
ナイフを持った兵士達がじりじりと彼等に迫りくる。どう考えても捕まえると言うより殺す気満々だ。
一度退却した方が身のためか。その時彼らはそう判断した。
別に三〇人程度ならば彼等の腕前が有ればどうとでもなるが、基地に近いこともあり、いつまた増援が送られてくるかわかったものではない。それに消耗戦となれば恐らくこちらが負ける。
負け戦は仕掛けないというのは昔からの常識である。
「ずらかるわよ!」
クライアントは先程とはうって変わって少しハスキーな声になっていた。
しかし、鋼はそんなことを感じる間もなく、扉の目の前に立っている兵士を蹴り上げ、クライアントと共にドアを蹴破って舗装されていない道に出て、駆け抜けた。
追ってくる兵士は何とか彼らの脚力と人混みに紛れながら進むことで引きはがした。
一度暗い路地裏に入り、周囲の様子をうかがう。
周辺を華狼の兵士が警戒し始めていた。しかも、どうやら本部からの先遣部隊らしく、先程の兵士達より明らかに練度が高そうな雰囲気を漂わせている。
装備銃器は華狼陸軍の標準兵装『北部鉄鋼六八式突撃小銃』。それだけでもかなり厄介だ。
ったく、とんだ厄介ごとになっちまったもんだぜ……。
鋼は横でブツブツと言いつつもどこか落ち着いているクライアントを見ながら、何故か溜め息が洩れた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
少女を、誰かが呼んだ。
月明かりが煌々と照りつけるビルの屋上で、白金の髪の毛を月明かりに輝かせる少女は小さな声を聞いた。
誰の声だったか。それはよく分からない。それくらい小さな声だった。
「誰? 私を呼ぶのは……誰?」
月に向けて問いかけるが、返答などあるはずもない。
苦笑した。何をやっているんだ、そう思った。
待ち人である『姉』は、まだ帰ってくる気配を見せない。
そんな姉を、少女は月明かりの下で待っていた。
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