まやかし

 ヒナは、黒い布で髪を覆った。白い服を脱ぎ捨てて、木皮カパのドレスを身にまとう。地味な色合いが、神秘的な巫女の姿を包み隠す。


 周囲に人影がないことを確かめて、ヒナは庵を抜け出した。砂浜を走る。すでに日が落ちて、薄暗い。


 村の外れで砂浜は途切れた。黒々とした岩がゴツゴツと重なり合っている。


 この「黒岩の瀬」には伝承がある。二匹の巨大なサメが互いを食らい合って、ともに力尽きた。その死骸が、黒岩の瀬になったという。村の者たちは、この瀬に近付かない。神がかったサメの祟りを恐れている。


 ヒナは身軽に黒岩を上った。黒岩の瀬には一つ、洞穴の口が開いている。ヒナは洞穴に入っていく。魔力を帯びた洞穴は、ポゥッと明るい。


「海精クーナよ、ヒナが参りました」


 ヒナが呼ぶと、彼は潮だまりの中から体を起こした。


 晴れた日の海みたいな青い体。その全体に浮かび上がる白い波の紋様。スラッとして神秘的な、キレイな男だ。脇腹には痛々しい傷跡あった。


 彼が、海精クーナ。

 クーナはヒナに微笑んだ。


「無理をして来ることもないのに。村の者に気付かれたら、オマエの立場まで危険になるのだよ」


 低く優しい声。


 ヒナは首を左右に振って、クーナの青い体に抱きつく。髪を覆う布が外れた。青みがかった銀色の髪がサラサラとあふれ出す。


「アナタに会わずにはいられません。ワタクシはもう、アナタがいなくては生きていけないのです」

「ヒナ……」


「一年前、この洞穴で、傷を負ったアナタと出会いました。傷の手当てをするうちに癒されていったのは、ワタクシの心でした。ひとりぼっちだったワタクシは、アナタのおかげで心を得ました」

「オレも同じだよ」


「明後日の夜が待ち遠しいです。ようやく、ワタクシは巫女の立場から解放され、アナタの妻になれるのです」


 クーナがヒナを抱き寄せた。見つめ合う目が近付いて、二人の唇が重なる。クーナの手が、そっと動いた。ヒナの木皮のドレスが、はらりと落ちる。


 こっそりと、クーナは視線を上げた。


 青い光を放つまなざしで、クーナはアタシに微笑みかける。切なくて優しい顔をして、クーナは、声なき声でアタシに訴えた。


 見逃してくれぬか?

 オレとヒナは、愛し合っている

 ヒナの孤独を、オレはなぐさめたいのだ。


 すっとディスプレイが暗転した。自動的にクーナとヒナを映し出していたカメラワークがもとに戻って、アタシに焦点が当てられる。


 アタシは黒岩の瀬の入り口で立ち尽くしていた。


「つまり、クーナとヒナはデキちゃってて、ヒナはイケニエとして殺されるんじゃなくて、イケニエなんていうのはクーナの嫁になるための作戦で。じゃあ、アタシたち、クーナと戦わないほうがいいの?」


 ちょっと考える。

 それから、ハッと気が付いた。そろそろ待ち合わせの時間だ。


 アタシは駆け出そうとした。とたんに、グラッとした。慌ててパラメータボックスを確認する。


「軽度の状態異常? なにこれ? クーナのテレパシーが麻痺の効力でも持ってたの?」


 まあ、この程度なら、ほっときゃ回復するでしょ。

 アタシはちょっとふらつきながら、村に戻った。



***



 ラフはカイから話を聞き出していた。


「カイは三人の兄貴をクーナにやられてる。漁の禁忌カプの日に海へ出た罰だったみたいだけど」

「自業自得じゃないの」


「でも、カイにしてみりゃ、クーナは兄貴の仇だ。で、一年前、村の力比べで優勝した日、カイはクーナに勝負を挑んだ」

「結果は?」


「引き分け。カイはクーナの土手っ腹に槍を打ち込んだ。でも、とどめを刺す前に海から陸へ放り出されて、戦闘不能。クーナは槍を口にくわえて引っこ抜くと、どこかへ逃げ去った」


 ちょっと待って。今、変なこと言わなかった?


「口にくわえて引っこ抜く?」


 ラフはうなずいた。


「クーナは巨大なウナギの姿をしているんだそうだ」

「ウナギ? って、にょろにょろした魚よね?」


 ニコルがアタシを見上げて小首をかしげた。


「お姫さま、何か気になることがあるの?」

「アタシ、さっき、ヒナを尾行してたの。ヒナは村の外れの洞穴に入っていった。そこでクーナと会ってたのよ」

「会ってたって? デート?」

「ま、まあ、そんなもんだとは思うけど」


 デートなんて軽い言葉じゃなくて、もっとキレイで切ない光景だった。

 ニコルは重ねてアタシに尋ねた。


「大ウナギと美少女の、デート?」

「違うわ。クーナは大ウナギじゃなかったわよ。青い体をした男だった。ヒナとお似合いの美形だったわ。ヒナは、イケニエじゃなくて嫁になるんだって楽しみにしてた」


 ラフが、ふと硬い声で言った。


「シャリン、こっち向け」

「なによ?」

「……なあ、ニコル?」

「うん。おかしいね」


 なんなのよ? って訊こうとした、そのとき。


「黒岩の瀬の洞穴にヒナがいるのか?」


 いつの間にか、カイがそこにいた。槍を持った腕がわなわなと震えている。

 止める間もなかった。カイは黒岩の瀬のほうへと駆け出した。


「うわぁ、修羅場になっちゃうね」

「修羅場って……まあいいわ。とにかく行く。アタシは、カイのほうこそいけ好かないと思うわ」


 アタシはカイの後を追って駆け出した。ラフがアタシを呼び止めようとする。


「待てよ、お姫さま! その目の色……ああもう、聞けってば!」


 結局、ラフもニコルもアタシの後ろから走ってきた。



***



 洞穴の入り口で、アタシたちはカイに追いついた。


 クーナは洞穴の中に立って、静かな目でカイを見つめている。迫力と闘志は圧倒的だった。


 カイは吠えるように言った。


「ヒナを返せ!」


 木皮カパのドレスのヒナが、クーナの背後でビクッとする。クーナは低い声でカイに問いかけた。


「返さぬ、と言ったら?」


 カイは槍を構えた。


「バトル、来そうだな」


 ラフが双剣を抜いた。ニコルが杖を振るってバトルモードに変換する。


「ま、待ってください!」


 ヒナがクーナの前に立った。大きな目は真っ青な光に満ちている。晴れた海のように青い光。

 カイは構えを解かない。


「どけ、ヒナ。その大ウナギを倒してやる」


 この流れ、イヤだ。アタシはラフたちとクーナの間に割り込んだ。


「ウナギじゃないわよ。ヒナの話を聞いてやって。分岐、間違えてるんじゃないの? クーナとは戦わなくていいはずよ」


 ひゅっ、と、空気が鳴った。


 え?

 アタシのあごの下に、剣先。ラフだ。双剣のうちの一方をアタシに突き付けてる。


「下がっとくかクーナと戦うか、選んでくれ」

「な、なによ、わからず屋っ」

「選んでくれ」

「クーナは人の姿をしてるの。アタシが見聞きしたこととアンタたちが集めた情報、食い違ってる。このままじゃ気持ち悪いわ。戦うなら、どっちが正しいかハッキリさせてからにしてよ」


 ラフが危険そうに目を細めた。ゾッとする。この体勢じゃ、逃げることも反撃することもできない。


「お姫さまは戦線離脱だな。バトルが終われば、自分がまやかしにやられてることもわかるよ」

「まやかし?」

「見ろ」


 ラフは、双剣のうちのもう一方を掲げた。幅広の刀身にアタシの顔が映る。


「これ、なによ? どうして?」


 アタシの目が青い。ヒナの目と同じ色。そんなはずない。アタシの目、ローズピンクのはずなのに。


「状態異常になってるぜ。表示、気付いてたか?」

「気付いてたけど」


 思いがけない声に、名前を呼ばれた。


「シャリン、オレに答えろ」


 クーナだ。

 アタシはクーナを見た。切なさの色をした青い目。神秘的なグラフィックに、呑まれる。


「クーナ、なに?」


 アタシが応えた、その瞬間。

 青い光が視界いっぱいに弾けた。


「きゃっ!」


 強引な魔力がアタシの体を拘束した。一瞬のうちに洞穴の天井近くまで吊り上げられて、動けない。


 ラフがアタシを見上げた。


「やっぱ、やられちまったな。青いまやかしのおとぎ話を聞かなかったか? 大人の言うことを聞かない悪い子は、青い目をした人さらいに魔法をかけられちまうんだぞ」

「そんな」


 ニコルがアタシに杖の先を向けた。緑色の石が光る。状態解除の呪文だ。でも、ダメ。効かない。アタシの状態異常は治らない。


「あーらら。やられちゃったね。一定時間が経過したら、動けるようになるよ」

「一定時間って、どれくらいよ?」

「経験則で言うと、束縛の効力は八分から十分ってとこかな。お姫さまは魔力値が高くないから、もう少し長いかもね」


 ニコルはヒナを見た。ヒナは全身から魔力の気配を漂わせている。


「旅のおかた、お願いいたします。武器を下ろしてください」

「巫女さんってことは、補助魔法を使ってくるタイプかな。ボクが言うのもなんだけど、補助系を使われると面倒なんだよね。邪魔しないでね」


 ニコルは、テニスのサーブのフォームで、左手のツタの葉を右手の杖で打ち出した。宙を飛びながら、ツタが生長する。ツタはヒナの体を縛り上げて、洞穴の壁に貼り付けた。


 ラフは身をひるがえした。クーナに向けて二本の大剣を構える。


「さぁて。男だけのガチンコ対決といきますか」

「よかろう。武を以て語るのみだ」


 クーナは青い両腕を頭上に差し伸べた。何もない宙が凝り固まって、だんだんと形を持つ。長大な槍が出現する。


 アタシは声を張り上げた。


「待ちなさいよ! ねえっ! こういう展開ならアタシも戦わせてよ! アタシが戦える状態になるまで待って!」


 でも、カウントダウンは進んだ。

 3・2・1・Fight!

 バトルが始まってしまった。

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