第10話 スノードームの夢


 葉月先生の研究室で、スノードームを作ったの。

 外国ではスノーグローブっていうらしい。

 ほら、透明な球の中に景色や人がいて、手の中で振ると雪が舞うおもちゃのこと。

 昔のパリ万博で、エッフェル塔を入れたものがはじまりなんですって。


 先生が前に作ったというスノードームを見せてもらう。

 わぁ、電球だよー。なんかね、宇宙空間みたいなの。

 火星や地球や、宇宙船のおもちゃが入ってて、宇宙飛行士もゆらゆら遊泳してるんだよ。

 先生がこどもみたいな顔で、目をきらきらさせてる。


 あんなすてきなものが、自分で作れるなんて思わなかったな。

 すごいな、先生は。魔法使いみたい。

 あの水の中のような透明な部分は、精製水とグリセリンという、とろりとした液体を使うの。

 小さなジャムの空き瓶にたくさん作ってプレゼントしてもいいなぁ。


 雪はね、スノーパウダーにしたいな。

 先生、何を入れればいいの?

 わぁ、ラメって意外。色がつきすぎて派手な気がするから。

「パラパラと舞い降りて来ると、光が当たって綺麗なんですよ」


 氷の大地の上にシロクマさんのフィギュアを入れてみたんだ。

 さみしくないように2頭ね。ここでなかよく遊んでね。

 半透明のオーロラビーズで雪山も作って(山というより丘みたいだけど)、まるで物語の一場面を切り取ったみたいになった。

 なんてロマンチックなんだろう。



「ココア入れてきますね」

 そう言って、先生がキッチンに立った。後姿を見送る。

 先生のココアはほんのり甘くて、私にはマシュマロひとつ浮かべてくれる。

 淡くとけていくんだ。


 ストーブの前に座って、できたてのスノードームを壊さないように、そぉっと振ってみよう。

 きらきら、さらさら、粉雪ちらちら。

 氷の上でじゃれてはしゃぐシロクマたち。

 まるでそこに北極の海が現れたような世界。


 私、この場所にいるとなんだか落ち着くの。

 家とはちがう、先生がいるここ。

 なんだかほわーっと安心する。あったかい空気に包まれる。



 体がうまく動かない。


 吹きすさぶ雪の中を懸命に歩いているのだけど、全然前に進めなくて、ずっと同じところで足踏みしている。

 誰かが大きな手で遮っているみたい。足が重い。


 雪が風に乗ってぐるぐる巻きに襲ってくるから、口が開けられない、助けを求めることができない。

 これって遭難しているの? あと一歩が踏み出せなくなったら、私もう誰にも会えなくなっちゃうのかな。


 うっすら光が射す方へ、どうにか誰かのいる方に。

 辿り着きたいのは、灯りのついた避難場所。



 りっちゃん、りっちゃん。


 あれ、葉月先生の声? 私のことを呼んでる?


 りっちゃん、こんなところで寝たら風邪引きますよ。


 え? 先生の声? あ、なに?


 声の近さにびっくりして、思わず私を起こしてくれた先生の腕にしがみついてしまった。


「どうしましたか? りっちゃん」


 あわてて手を離す。心臓がどきどきする。


「あ、ごめんなさい。こわい夢を見てました……」



 私いつのまにか眠ってたんだ。ストーブの前でひざかかえたまま。

 やかんがシュンシュン音を立てて、たくさんの湯気を作ってる。


 夢を、見てた。ゆめでよかった。


 ぼんやりと夢の残像に浸ったまま、椅子に座る。

 どうしてこんな夢を見たのかな。悲しくて不安になるような……。


 いつまでも夢から戻れなかったら苦しい。

 目が覚めたら先生がいてくれた。私の先生。

 悪い夢から助けてくれた先生の笑顔。

 誰かがいてくれるしあわせ。

 ううん。誰かじゃなく、それが先生だったことのしあわせ。



 ひらひらと、舞い散る人工の白い雪。


 ね、先生。

 スノードームって世界を閉じ込めちゃったみたいですよね。

 吹雪もだいじなものも全て一緒に、同時に。


 さっき素敵に見えていた世界が急に残酷に見えてしまう。

 白っぽい淡いやさしい雪野原ではなく、急に青ざめてみえる。

 雪山のビーズが水の泡のように儚く。溺れてしまうね。

 逃げられないように捕まえてしまった。ごめんね。


 でも、何かを手の中に大切に囲っておけるなら。

 ふっと一瞬だけ考えてしまったことは、秘密。


 葉月先生なら、何を閉じ込めたいですか。







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