第14話 あこがれ


 葉月先生の研究室。先生は実験室って呼んでるお部屋。

 秘密めいた道具が並んでいて、ここにいるとなぜか落ち着く。


 夕方、私は先生の隣で夏休みの宿題の残りをやっていた。ちらっとのぞくと、先生は2学期の授業の準備をしているみたい。


 あ、雷の音が遠くに聞こえてきた。



 音が聞こえたらもう近くにいるって知ってから、外で雷に会うのがとても怖くなった。


 帰宅途中で雨宿りもできない時は、ものすごくどきどきしながら、傘を右手に持ち替える。せめて貫かれた時、心臓のある左側じゃなければ助かるかもしれない。なんて一縷いちるの望みを持って足早に歩く。当たったら衝撃で飛んでしまうんだろうか。


 走り出すと余計に雨に打たれて痛いような気がして、何もかもに臆病な私は、懸命に早歩きをする。



 ああ、きっと今も、そういう雨がやってくる。


 窓の外を見たらもう真っ黒の雨雲で、あっという間にざーっという雨がたたきつけるように降って来た。

 葉月先生は心配そうに庭の畑を見る。

「これは、しばらく止みそうもないですね」


 あまりにすごい雨で、もうすぐ夕御飯の時間なのに、七秒で帰れる自分の家に戻るのすら躊躇してしまう。

 しかも、雷が割と近くでドゴーンと落ちた音がして、椅子からきゃーっと飛び上がってしまって、あわてて机の下に潜る。


「りっちゃん。地震じゃないから避難しなくても大丈夫ですよ」

 やさしい先生の声がするけれど、私、ほんとに雷苦手なんです。


「まるで仔犬みたいですね。雷が苦手で、しっぽを丸めてしまってる」

 先生がひざまずいて、机の下を覗きに来てくれた。


「かわいいですね。震えてる仔犬さん。大丈夫ですよ」

 そう言って、私の王子様は、手を差し伸べてくれる。

 あったかい手。先生、眠いんですか。眠いと手があったかくなりませんか。


 どきどきしながら手をとった私のきもちを知るはずもない先生は、椅子を二つ並べてすぐ近くに座ってくれた。



 だんだんと雷の音が遠くに行った頃

「あたたかいミルク、のみますか」

 気がついたらすこし震えていた私を気遣って、先生が言ってくれた。


「はい。お願いします」

と言いながら、私はとっさにキッチンに向かおうとする先生のシャツを掴んでしまった。


「まだ怖いんですか。じゃあ、つかまって一緒に行きましょうか」

 私はしっぽを丸めたまま、先生にくっついていった。

「迷子の仔犬がついてきてしまったような感じですね」

 先生はくすくす笑いながら、歩く速度をゆるめてくれた。



 先生と二人きり。夏休みにはこんなことはしょっちゅうだったのに、急に意識してしまった私は、この幸福の意味を考えてしまった。

 そして同時に、自分の中の期待するきもちに気づいてしまった。


 せんせいが、だきしめてくれたりしないかな。ううん、するわけないよね。


 先生は私よりずっと年上で、でもこのくらいの年の差の恋人同士だって、世の中にはきっといるはずで、先生はまだ結婚だってしてない。

 でも、この前の人は、先生の恋人なのかな。


 大体、うちのママやパパは、こんな年頃の娘が隣の家で、男の人である先生と二人きりでいて心配じゃないんだろうか。

 先生のこと信頼している。いや、ちがうな。私がそんな対象になりえないって、きっと思いつくことすらしないんだろうな。


 私の先生に対するきもちって、なんなんだろう。

 恋、そう、初恋なのかなって、ずっと思ってるんだけど、なんだかもう少しちがうような。

 あこがれ、に近いような気もする。


 だって、ほんとに残念だけど、やっぱり先生が万が一にも私を抱きしめてくれたりしたら、それは先生が先生じゃないような気がしてしまうもの。


 コップを取る時も、みるくを注ぐ時もくっついている私、邪魔だろうなぁ。

 先生が横顔でおかしそうにそっと微笑んでいる。


 せんせい、だいすきです。心の中でちいさくつぶやいてみた。


 もうすぐ夏休み、終わっちゃいますね。








夏のものがたり - おわり -

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