第13話 先生の涙


 葉月先生が、泣いているように見えた。


 私はいつものように、近道を通って庭に回った。先生の姿が見えたから、声を掛けようと思ったの。そうしたら、先生が縁側に座って、少し眼鏡を上げて目をこすっているのが見えた。


 え、先生、泣いてる? 


 そのまま立ってたら、先生が私に気付いて

「あ、りっちゃん。いらっしゃい」

って、いつものように笑ってくれたんだけど、どこか哀しそうで。


 お茶を取りにいってくれた先生を見送って座ろうとしたら、縁側の下にキアゲハが動かなくなっているのを見つけた。

 あ、先生、この姿を見てたんだ。


 このキアゲハさんは、ずっと先生の家で暮らしてた特別な蝶々。

 いつもナミアゲハさんと、なかよくひらひら遊んでいたよね。


 先生はいつだってやさしいんだ。倒れている虫に手を差し伸べようとする。

 こうして失われた命に向かって、そっと涙を流している。きっと、いつもは一人で見送っているんだろうな。


 先生が 戻って来たので

「ね、先生。お墓作ってあげたい」

って言ったら、先生は黙ったまま、首を横に振った。

 でも、このままだとキアゲハさんはどうなっちゃうの。


 しばらくしたら、ありたちがキアゲハさんを運んでいくの。

 私があわてて手を出そうとしたら、先生が私の腕をぐっと掴んで、「そのままにしておきましょう」って言うんだ。

「生き物は自分の死を無駄にしません」

 そう言って、目を逸らさずにキアゲハさんの行先を見守っている。


「食物連鎖として、次の命に引き継いでいくんですよ」

 私はその言葉で涙があふれてきてしまって、声をあげて泣いてしまった。

 先生だってさっきまで泣いてたのに。いちばん悲しいはずなのに。


 姿が見えなくなって、日も暮れて、私はぼんやり縁側に座っていた。

 先生が手渡してくれたお茶を飲んだら、ふとため息が洩れた。



 この前、庭の草でジャンプをしていたショウリョウバッタ。

 あの小さな子は、どのくらいの命を約束されて生まれたのだろう。

 いつ、この世から去ってしまうのだろう。


 そんなの人間だってわからないのにね。

 私は中学生だから、まだまだ生きていくのがあたり前のように思ってるけど、人の命がどのくらいあるかなんて、誰にもわからないんだ。


 ひまわりがまっすぐ立っている。

 散りゆく命がある一方で、大きく花を咲かせる命が輝く。もちろん、こちらも永遠に続くわけではないって、わかっている。


 いくつもの命が存在している庭を見て、去っていく命を惜しんで涙を流した日があったことを、先生の隣で見つめたことを、忘れたくない。


 この庭にも、夏が終わる気配がしている。







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