命を尊び涙する心が育まれるのはいくつくらいからなんだろう。小さい子は、口では「命は大事」って言ってるけど(多分学校でならって)、実際にはかなり残酷。
お墓を作ってあげる一方で、ツバメの餌としてショウリョウバッタを雛の口に運ぶ。
先生やりっちゃんのような感傷を持たずに。
そこは通過点なんだろうか。それとも感性の問題?
作者からの返信
秋ちゃん、ありがと。
この回を書くために、私はこの物語を書いたのかもしれません。
そのくらい、思い入れがいっぱいの回です。
命の尊さって、ふと想像力のような気もします。
相手の痛さを思いやるって、人生を総動員してもなかなか難しい。
本当に心からわかるのは、やはり大切な命を失ってから。
そう思う一方で、食物連鎖を肌で感じるこどもの頃の残酷な感覚も
必要な通過点のような気もするんですよね。
葉月先生、さすが、先生ですね。
生命は、食物連鎖で全て繋がっている。
だから、お墓なんか作っちゃダメ。アリさんの行為を邪魔しちゃだめ。
ううん、深いなー。
りっちゃんも、また一つ成長した。
かな? うん、だよね。
作者からの返信
如月の葉月先生のキアゲハさんの思い出から繋がった回でした。
こういう感覚は本当に忘れていて、葉月先生に思い出させてもらった気がします。
律はほんと、ぐんぐん成長していきます。うふ。