第8話 瀕死の蝉


「葉月せんせい。玄関先で、せみがひっくり返ってるよ」

 部活帰りの蒼が、そう言いながら入って来た。


 三人で見に行くと、扉の前で、せみが仰向けに転がっていた。

「もう死んじゃってるのかな。硬直してるみたいだね」


 せみって、長い間地下に潜ってて、地上に出て来たらたった1週間くらいしか生きられないんだっけ? せつないね。何も願いを果たせないままじゃないのかな。

 あ、今度ちゃんと先生に訊いてみよう、せみの生涯のこと。 


 せめてお墓を作ってあげたらどうだろうと思いながら、考えなしに両手で掬いあげようとしたら、せみが急にブブブと羽をばたつかせたので、私は心底ドッキリしてしまって、体中の毛が逆立つような気がした。


「先生、怖かったよー」


 ちょっと泣きそうな私に、先生はやさしくこう言った。

「りっちゃん。虫も人も同じでね、何かしようとすると怯えるんですよ。助けてあげようと思っても、それが相手には恐怖になってしまう。そんな時はね、セミの脚の前に指を一本出してあげる。触らないの。そうするとセミは自分からそこに掴まろうとしますよ」


 それを聞いた蒼が、ゆっくり指をせみの方に近づけた。

 しばらく待っていたら、せみが蒼の指にきゅってしがみついた。


「そうです。そうしたら、ゆっくり土の上に置いてあげましょう。セミが力尽きても、そこで土に還れるように祈りながら」


 蒼はすごい。素直に先生を信じて、せみをやわらかそうな土の上にそっとのせた。

 臆病な私は、先生の「虫も人も同じ」って言葉に感動しながらも、やっぱり捕まられたら怖くて固まっていたと思う。

 蒼は、小さな頃から、てのひらにアオガエルをのせて、なかまーとか言ってたもんなぁ。



 葉っぱの陰から、ショウリョウバッタがぴょんっと飛び跳ねた。

 カメレオンみたいに、ほとんど葉と同化している小さなバッタは、虫がこわい私でも、なんだかほっとできる存在。


 弓なりになった細長い葉をトランポリンのように使って、ホップして、次の大ジャンプに備えているのかな。


 手のひらに乗っかられても、鳥肌立てずにいられる子。

 とんがった頭の先の2本の触覚がぴーんと伸びていて、アンテナ張って聞き耳立ててるみたいに思えるの。

 ねえ、君はどのくらい生きられるの?



 先生が、バケツに水を汲んで来た。

 鏡を斜めに入れ込んで、光の分解の説明をしてくれる。ここにも水を撒いた時と同じように、虹ができていく。


 世界は今、七色に区分されて、私たちのことを見つめている。


 木の上から別のせみの声が響いてくる。

 生きていることを知らせる声に、耳を傾ける。








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