第4話 りっちゃんは一日にして成らず


 大きなすいかを切ったので、蒼と一緒に、葉月先生の家に持っていった。


 先生のお家は、昔風の雰囲気が残っていて、なつかしい。

 研究室(先生は実験室って呼んでる)の外にある縁側に、運んできたお盆を乗せてから、先生に声をかけた。


「葉月せんせー。すいか食べようよ」


 先生は網戸を開けて、嬉しそうにほほえみかけてくれる。この笑顔を見ていられたら、もう十分だなぁって気持ちになる。


 そして、縁側に三人で並んで、すいかにかぶりついた。

 もちろん、私と蒼はちょっと塩を振ってね。甘くなる気がするもの。

 先生は塩振らない派なんですって。自然のそのままがすきなんです。


 こどもの頃は、種をぷっと飛ばすのがすきだったのだけど、さすがにすきな人の前で、それはできないよ。

 そうしたら蒼はね、立ち上がって飛ばすの。野菜畑に向かって。

「ねえ先生、すいかの芽、出てくるかなぁー?」

 小学生の男の子みたいに、にかーって笑いながら、口の周り赤いまま。


 でもね、なんともすっごくかわいいんだよね。

 葉月先生もそんな蒼を見て、めずらしく満面の笑みで、声出して笑ってるの。こういうのが自然に似合っちゃう女の子って、ほんとずるいよ、蒼。


「海野さんは、いつも元気ですね」

「先生、律はりっちゃんなのに、私はなんで海野さんなの?」

「学校では、山藤さん、と呼んでいますよ」

「だって、ここでは、りっちゃんだよー」

「お隣ですのでね。ここに来てからできた僕のお友だちなのですよ。りっちゃんは」

「私も先生のお友だちになりたいなぁ」

 ちょっと拗ねたような蒼が、また憎たらしいことに、かわいい。


「そうですか。でも、君は蒼ちゃんって感じがしませんね。どっちかというと蒼くん……。あ、いえ、蒼さんにしましょうか」

 蒼くんが似合い過ぎてて、私はくすくす笑ってしまった。



 ね、蒼。私が「りっちゃん」を手に入れたのには、月日がかかってるんだよ。


 先生は最初は私のことを「律子さん」って呼んでたんだ。

 学校では「山藤さん」だけど、家で呼ぶと、山藤さんはうちのパパのことになってしまって、ママのことは理沙子さん、私は律子さんって、きちんと分けてくれていたの。


 でもね、先生がここに来てから半年くらい経ったある日

「ご迷惑じゃなければ」(中学生に向かって、なんて丁寧!)

「これからは、『りっちゃん』とお呼びしてもいいですか」って言うから、私は飛び上がっちゃうくらい、びっくりしちゃった。


「僕は声があまり大きくないので、りさこさん、りつこさんと、どちらかに声をかけると二人が振り向くものですから。いつも申し訳ないかと」

 先生の声は少し低音でやさしいから、キッチンで私とママがにぎやかに話してたりすると、確かにいつも一斉に「なあに?」って振り返っていたかもしれない。

 心底申し訳なさそうに提案する先生がかわいらしくて、私はぶんぶんと首をたてに振ってたんだ。


 だから、あおー。簡単に、この特別を手に入れたわけじゃないんだよぉ。



 夕方になったけど、まだまだ夏の名残りが辺りに漂っていた。

「打ち水でもしましょうか」

 先生が庭にシャワーを撒いてくれることになった。わぁ、光が当たって、小さな虹の輪ができたよ。


 先生は、指先から光の水を出す魔法使いみたい。

 私たちは、はしゃいで、ホースから撒かれる水のアーチをくぐって、あっちに行ったりこっちに来たりを、きゃあきゃあ言いながら繰り返す。

「ああ、二人とも風邪をひきますよ」

 水がさっとかかった髪がだんだん濡れてきて、顔に雫が垂れる。


 蒼が、手で掬った水を、先生の顔めがけてかける。私も無邪気な振りをして、手加減なしで、いっぱいかけちゃおー。

「眼鏡がぬれたら、前が見えないじゃないですか。君たちときたら、ほんとにもう」


 きっと先生から見たら、私なんてただのこどもにしか見えないんだろうな。

 でも、どんな風に思われたとしても、先生の笑顔を見られるのなら何でもしちゃおうって、思えてくるから不思議。


 いつまでも、このままでいたいなぁ。こどものままでもいいから。







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