落果
病的なほどに白く、不健康なほどに清潔な広い部屋で私は残りわずかの余生を過ごしていた。
もう何年も生きられないと聞かされてから、もう何年も過ぎていた。何年も、何年も、この白く清潔な部屋でただ無意味に生きて、それは本当に何の意味もなく、価値という価値が考えられない酷く無価値な生活を送ってきた。吐き気がするくらい無価値な生き方だった。
そしてその背徳的な生き方は、私が完膚無きまでに無価値になるその瞬間まで、つまり、私が死ぬその瞬間まで続く予定だった。
そんな死よりもタチの悪い生を味わいながら気色の悪い時間を重ねていたある日、私の前に天使が現れた。
哀しいことだが、君はもうすぐ死ぬことになった。
宗教絵のような笑顔を浮かべ、天使はそう告げた。私がそんなことは知っていると言うと、天使は表情を変えずに、そうか、とだけ言った。
死を前にして君には一つだけ願い事を言う権利がある、と天使が言う。そして私の願い事を叶えるために自分はここに来たのだと。
天使の言葉を聞き、私は窓を見た。この広い部屋にある、たった一つだけの窓。
窓から眺めることのできる風景は、別に素晴らしいモノだというわけではなかった。眼下にはただ平凡に森が広がり、後は空くらいしか見ることは叶わない。凡庸で、価値といった価値の感じられない風景。
それでもその風景は、この白く清潔な壁以外に私が唯一眺めることのできる風景だった。
私は羽根が欲しいと言った。空に飛び立つための、羽根が。
張り付いた笑顔のままで天使は、わかったと言った。そして、こう続けた。だけど、羽根があるだけでは空を飛ぶことはできない。空の飛び方を知らなくては、たとえその背に羽根があったとしても空でただもがき続けるという無様な結果で終わるだけだ。
空を飛ぶのに必要なのは、空の飛び方を知ることと、空を飛ぶための羽根の二つ。そして叶えられる願い事は一つだけ。
その背に羽根を宿したとしても、空の飛び方を知らなくては、空を飛ぶことはできない。空の飛び方を知ったとしても、空を飛ぶための羽根が無くては、空を飛ぶことはできない。
どうするのか、と、天使が訊いた。
それでも羽根が欲しい、と、私が言った。
天使は頷くと、私の背に羽根を宿した。
それは、この部屋の病的なまでに白い壁よりもさらに白い羽根だった。
それは、この部屋の不健康なまでに清潔な壁よりもさらに清潔感溢れる羽根だった。
私は、両手で窓を開けた。
白く、蒼い空が広がる。
この広い部屋とはなにからなにまで違う、空。
空を前にした私に、何処か遠い場所から天使が囁いてきた。
たとえ明確な形をしていなくても、誰でも空を飛ぶための羽根は持っている。なのに空を飛べないということは、それは君が空の飛び方を知らないか、もしくはとうの昔に君は──
私はその言葉を背中で聞き流し、窓枠に足をかけた。勢いよく踏み出し、部屋の外に出る。空へと、飛び出す。白く蒼い空に抱かれるような錯覚を覚えながら私は背に宿した羽根を羽ばたかせ、
そして私は、落下していく。
モンブラン 坂入 @sakairi_s
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