神様
生きるのが辛くてたまらなくなったので死ぬことにした。死ぬといってもやり方は幾つかあるが、その中でも飛び降りが一番安易で準備の必要がないと思ったのでそのように死のうと決める。
早速エレベーターに乗り一番上の階のボタンを押す。エレベーターに乗っているのは私一人だけだったがドアが閉まる直前するりと滑り込むように猫が一匹乗り込んできた。見ればそれは隣の家で飼われている斑の猫だった。
ドアが閉まりエレベーターが上昇を始めると斑の猫は私に向き直り、少しかすれたところのある人間の声音で話し始めた。
「悪いことは言わない、飛び降りるのは止めておきなさい」
いきなり猫が喋り始めたのでよほど驚いたが、しかし私はもうすぐ死ぬのだからこんなことに驚いていても仕方がないと思い直しとりあわないことにした。けれど斑の猫はやんわりと諭すようになおも私に向かって話しかけてくる。
「死ぬなと言っているのではない、飛び降りて死ぬのは止めておきなさいと言っている。飛び降りるのは君のためにならない。私の言うことを聞くことが何よりも君のためになるんだ」
その言葉はなんだか不可解な説得力でもって私の決心を揺らすのだけれど、そのときはなんで猫の言うことを聞かなくてはいけないのだという心の方が勝っていたのでそのまま無視を決め込んだ。
「飛び降りると後悔をするよ」
かたくなに無視を続ける私をやんわりと脅すように斑の猫がそう言った。私はその言葉も無視をしたけれど内心では猫のことを恐れていた。本当はその言葉の意味が聞きたい、しかし聞いてしまえば斑の猫の言うとおり飛び降りるのをやめてしまいそうな気がするので聞くことができない。
この猫は何故私を惑わせるのだろう。何故飛び降りてはいけないのだろう。何故この猫は人間の言葉を喋るのだろう。
エレベーターが一番上の階に着きドアが開いた。私は慌ててエレベーターから降り、振り返る。エレベーターは無人だった。斑の猫は何処にもいない。
私は屋上に出るとフェンスを乗り越え端まで歩いた。遺書は面倒なので用意しなかった。あとは飛び降りるだけだ。
飛び降りた。
両足が屋上から離れると私の体は落下を始め、そして、後悔をした。ああ、死にたくない。まだ生きていたい。
なんでこんなことをしてしまったのだろうと心の底から後悔をした。なんで飛び降りてしまったのだろう。なんであの猫の言うことを聞いておかなかったのだろう。なんで死のうだなんて思ってしまったのだろう。
どうにかして生き延びることができないものかと手足をばたつかせ何かに掴まろうとするが何も掴めるものはなかった。見る間に地面が近づいてくる。
もう駄目なのか。そう思って諦めかけたとき、私の胸に斑の猫が乗っていることに気づいた。
「だから言っただろう」
斑の猫は淡々とそう言った。
私はようやくこの猫が何者なのかと疑問に思った。ただの猫ではないのだろう、しかしただの猫ではないのだとしたらいったいなんだというのか。
私の疑問を見て取ったのか、斑の猫はおっくうそうに肩をすくめてから言った。
「私は神だ」
神?
「そうだ。この世界は私が創ったものだ」
まさかこんなところで神様に会えるとは思っていなかったのでどうすればいいのかわからなかった。しかし今の状況を思い出すとすぐに私はみっともなく神にすがる。
ああ神様、助けてください。まだ死にたくないんです。生きていたいんです。どうか、どうか私の命を救ってください。
「それはできない」
神様はそう言って私の胸を蹴ると鳥のように跳躍し、遠くの木に飛び乗った。
私はそのまま地面に落ちてぐちゃぐちゃに潰れて死んだ。
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