人魚

 君はもう死んでしまったので、僕が君に逢える場所は夢の中だけになってしまった。

 君と初めて手を繋いだ堤防の上を今は僕一人だけで歩いている。ずっと向こうの海の中に夕焼けが落下していくのを眺め、色々なモノが変わってしまったことを実感する。君がいないだけで世界はこんなにも変わってしまった。空気はとても重く、鉄の味がするし、何処からか飛行機の墜ちる音が聞こえ、耳鳴りのように僕を悩ます。

 もうこの世界に君はいないけど、夢の中に行けば君に逢える。

 君と初めて手を繋いだ堤防の上を今も僕は君と手を繋いで歩いている。君は海に還っていく夕焼けを見ながら人魚になりたいと呟く。僕はその言葉を聞き、ここが海であるかのように錯覚する。ここの空気はまるで海の中のように青く、海水の味がする。絶え間なく押し寄せる波の音を聞いているうちにどうしようもなく不安になり、僕は君の手を強く握った。君はバニラビーンズのように笑い、手を握りかえした。

 目が覚める。僕は起きあがり、カーテンを開ける。朝日の下にある窓の外の景色を眺める。海に人魚はいない。君はこの世界にいない。

 太陽が昇りきらないうちに僕は堤防の上を一人で歩き、何処かに行く。夕焼けが海の中に沈む頃に僕は堤防の上を一人で歩き、家に帰る。そして君に逢うために眠る。

 夢の中、堤防の上を歩く。けれど僕は一人だ。手を繋いでくれる君はいない。ああそうだ、君はもう死んでしまったんだ。

 僕は悲しくて悲しくて涙を流す。君が死んだことは知っていたけど、どうしようもなく悲しかった。夢の中、泣きながら堤防を一人で歩く。海の向こうで飛行機が墜落している。だからもうここに音はない。

 目が覚める。君はカーテンを開け、僕に笑いかける。おはようと僕は言い、そして涙を流す。

 どうしたの、と君は僕に訊いた。泣きやまない僕の手をそっととり、優しい言葉をくれた。

 怖い夢を見たんだ。世界が終わってしまった夢だ。僕は終わってしまった世界で堤防の上を歩いてた。たった一人で泣きながら歩いてた。

 大丈夫。君はあやすように言い、僕の頬を撫でた。もう大丈夫だよ。

 僕は目を閉じる。怖い夢を見た。とてもとても怖い夢だった。息を吸う。鉄の味がした。それと絶え間なく押し寄せる波の音。

 目が覚める。僕は起きあがり、カーテンを開ける。朝日の下にある窓の外の景色を眺める。海に人魚がいた。人魚はバニラビーンズのように笑い、僕に向かって手を振った。

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