たんぽぽ
ちょっと待っててね、と言ってから彼女は通りの向こうにある店へと歩いていき、そして道を渡る途中で車に轢かれて死んでしまった。
それからずっとその場所で彼女のことを待ち続けている。
あの時に彼女が向かった店はもう潰れており、今では別の店舗が入っていた。彼女を轢き殺した車はスクラップになったと誰かから聞き、彼女が流した血の痕はいつの間にか消えていた。あの日の痕跡はことごとく消え去っていて、僕がここで彼女を待っているのが唯一の名残だった。
そうやって当て処もなく彼女のことを待ち続けていたある日、彼女が死んだ道路の端にヒビが入っていることに気づいた。そこはちょうど千切れた彼女の右手が転がっていた場所だった。だからなのか、僕はその日から毎日そのヒビ割れを眺めて過ごした。
ヒビはすぐに大きくなり、やがてそのヒビ割れの隙間から小さな芽が生えてきた。アスファルトを押し上げ芽吹いたそれは日毎に大きくなっていった。茎を伸ばし、葉を持ち、そして黄色い花を咲かせた。
たんぽぽだった。
死んだ彼女はたんぽぽの花が好きだった。僕はいつしかそのたんぽぽばかりを眺めて過ごすようになった。
日が経ち、やがては黄色い花も散り、たんぽぽは白い綿毛にくるまれた。ゆらゆらと揺れる白い綿毛。けれどある日、いつもより強い風が一つだけ吹くとその綿毛が一斉に空を舞った。
飛んでいく白い綿毛。一つ一つが自由に、気ままに空を飛んでいく。呼ばれるようにそっと手を伸ばすと綿毛の一つが僕の手の中に落ちてきた。
僕のところに来た小さな白い綿毛。手の中にあるその白い綿毛を見ていると僕はなんだかよくわからない気持ちになり気がつくと涙を零していた。
僕は、彼女が死んだときに泣いていなかったこと、泣くのを忘れていたことに気づいた。
また風が吹き、手の中の綿毛は風にさらわれ飛んでいった。僕は涙でにじむ目でその綿毛を追ったけれど、もう、何処にも見つけることはできなかった。
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