私が好きなのは、あなたなんです 前篇

 一番最初に彼女の存在を知ったのは、ライブが始まる直前だった。大手の音楽会社から「メジャーに進出しないか」と言う話が来たのは、つい一年前の事だった。

 高校生バンドが彗星のごとく現れてメジャーデビューと言うのは確かに格好いいし、自分達の曲もそれだけの力があるとは分かっていても、ただそれをそのまんま勢いで「はい」と言い出せないのが七種の性分であった。

 それにバンド仲間は何も言わない。


「まあ、そうだよなあ」


 堅実に堅実を重ねる性分であれば、そもそもバンド活動に勤しんではいない。でも飛び抜けてロック一直線に真っ直ぐ走るのであれば、そもそもメジャーデビューの話を保留にするような事なんてしないのだ。

 七種達demainには秘密がある。メジャーデビューの話にすぐに飛びつく事をしないのは、そもそもその秘密が原因なのだから。

 彼らは全員、同じ児童養護施設の出身であり、この秘密を世間に公表されて、育った施設に迷惑がかかるのが一番困るのであった。


「俺らに金が入ったら、確かに施設には金が入る。けど」


 自分達にメジャーデビューを勧めてくれた音楽会社は、自分達の過去を全面的に公表する気なのが引っかかったがために、一旦ストップが入ったのだ。今の時代、簡単にネットに音楽が流されてしまう為にCDは売れなくなってきてしまっているし、ネットでアマチュア音楽家達が自身の曲を発表してメジャーに進出すると言う現象だって起こっている。差別化を図るのであったら、歌い手達のドラマを全面的に押すのが手っ取り早いのだが、後先考えない事をされて、自分達の施設に迷惑がかかるようであったら困るのである。

 断ったら断ったで逆恨みされても困る。だから保留と言う形にしたのだが。

 悩みながらも次のライブが決まっている。ライブハウスも押さえられて、ファンが楽しみに待っている以上は開催しないといけない。七種は悩みながらも歩いている中、彼女に出会った。出会ってしまった。

 小柄でアリスルックの似合う少女が懸命に姉を守ろうとする姿。よくよく聞いてみたら同い年の友達を小柄で華奢な身体で精一杯助けようとしているらしかったのだが、どっちみち自分の事よりも友達を優先させていたと言う訳だ。

 彼女の話をしていたら、バンド仲間は音を合わせつつ「あー……」と顔を綻ばせた。


「何ダヨ?」

「ガキの頃の七種にすっげえよく似てるなあって思ってさ」

「そうかあ……?」

「俺らが因縁付けられたらすぐに盾になるってとこなんか、本当お前そっくり。さっきのおチビちゃんもそんなんだったんだろう? なあんか懐かしいなあって思って」


 ギターをピィーンと弾くと、今日もいい声で鳴いてくれた。

 ああ、そうか。あのアリスは自分によく似ていたのか。同い年なのにも関わらず幼い容姿。子供扱いされた事に心底むくれた顔をしていた彼女の顔を思い出して、自然と七種は顔を綻ばせていた。

 次に出会った時は、単位対策に久々に学校に通うようになってからだ。同じクラスになり、教科書やノートの面倒を見てもらうようになってから、ようやく彼女は学校でも目立つ存在だと言う事を知った。見目麗しい兄弟は学校に女性ファンを作り、彼女はそんな兄弟に変なちょっかいがかからないよう威嚇していた。まるで親猫が小猫を守るように毛を逆立てているようで、ふわふわした白いシャムネコが毛を逆立てている様が自然と想像できた。そして友達思いであり、兄弟の面倒を見つつも友達を無下にするような事も決してしない。

 彼女の強気な振る舞いは家族を守ろうとする気持ち、家族を大事にしようとする気持ちの裏返しだと気付いた途端、七種にとっては眩しいものに見えるようになってしまった。そうバンド仲間に言ったら、あきれ返ったように「出たよ、七種のファミコンが」と言われてしまったが。


「ファミコンって何だよ」

「ファミリーコンプレックスの略。だって、お前が一番家族愛に飢えてるじゃん」

「そうかあ?」


 彼女が当たり前のようにもらっている、兄に守られるような事も、弟に甘えられる事も、彼女が当たり前のようにしている妹として、姉として振る舞っている様も、七種には足りないものだった。

 大事なものだった。だから目が離せなくなってしまったのだ。

 メジャーデビューの話は、まだ答えが出せていない。そんな中ショッピングモールでのライブが決まったのは突然だった。普段だったら全国チェーン展開のCD屋主体のライブであり、当然ながらプロしかライブができないのだが、彼らがインディーズながらもインディーズランキングでも上位を占める彼らだったら問題がないだろうと言うショッピングモール側からのオファーに寄るものである。

 ライブハウス以外でだったら路上ライブはした事があるものの、こんな特設ステージをわざわざ作ってもらったのは初めてであり、いつもとは違う緊張感が心地よかった。


「音がいつもとちょっと違うな」


 音が拡散しやすい路上とも違う。音が反響しやすいライブハウスとも違う。そんな場所で理想の音を拾うのにはリハーサルの時もなかなかの至難の業であったが、それでも彼らはこの緊張感を噛みしめながら舞台に立った。

 たくさんの客の中、歌を歌う。

 ふと視線を上げた時、マイクを持ちながらふと七種の歌声が途切れる。


「おい」


 マイクに拾われないように密やかにドヤされ、七種は歌を間違った風情でまた歌を続け始めた。

 二階の螺旋階段の先に、確かに彼女がいたのだ。前にライブハウス前で見たアリスルックでもなければ、当然制服姿でもない。可愛らしいサマーワンピースでこちらをじっと見ていたのだ。目を潤ませて。

 次の曲。歌詞が出て来た時は自分に神が降りて来たんじゃないかと自画自賛した「アカシックレコード」に入った途端、とうとう彼女は今にも嗚咽が聞こえそうな勢いで泣き始めた。彼女を連れていたのは、確か同じ苗字の……春待男だったはずだ。

 ちょ、何で泣くの。泣き止ませようとしている春待男は、溜息をついたかのように肩を揺らすと、彼女の手を引いて去って行ってしまった。それに一瞬七種は喉を詰まらせつつ、どうにか歌い上げる。

 最後まで歌を歌って、トークは自分ではなく他メンバーが担当するので、それを聞きながらお開きとなったが。楽屋に戻った途端心配された。


「七種、お前歌詞忘れるタマじゃねえだろ。どうかしたの?」

「……春待女がいたんだ」

「春待女っつうと……お前のお気に入りの大家族の紅一点だっけ?」

「泣いてた」

「はあ?」

「うわ、ちょっと探しに行っていい?」

「探しに行ってって……今ライブ終わった所でそのまま探しに行ったらファンに追いかけられるだろ、ちょっと待てよ」


 ありがたい事に、全員止める気は全くないのだった。人目を引く赤い髪が帽子に突っ込まれ、フードを羽織れば、そこら辺を歩いている高校生と何ら変わらなくなったように見えた。


「さっさと行って来ーい。あとついでに告ってこいよ」

「何でだヨ!?」

「お前ファミコンこじらせてうるさい。さっさと告って玉砕してこいよ。そしたらお前もすっとすんだろ」

「……おう」


 そのまま楽屋を飛び出す。通路を駆けても、どこに彼女がいるのかなんて分からない。もしかしたらもう帰っているかもしれないと一瞬考えたけれど、外は大雨だから、ギリギリの時間までショッピングモールのどこかにいると考えた方がいい。ファッションフロアを見て、カルチャーフロアの店一軒一軒を巡り、フードコートを通り過ぎる。しばらくうろうろしていた所で、声が聞こえた。

 フードエリアの端っこ、喫煙コーナーの前に、二人は立っていた。声を掛けられる雰囲気からはかけ離れた空気を二人して醸し出していた。


「私は三樹の事、家族としか思えない。私が好きなのは睦月君であって、三樹じゃない。三樹は三樹で、睦月君の替わりにはならない」


 甲高い、ただ声だけ聞けば中学生、下手したら小学生にだって聞き取れそうな女の子の声は、間違いなく彼女のものだった。

 言い合いをしているのは、春待女と春待男だった。言葉の一つ一つは互いの思いのぶつけ合いであり、剣呑とした空気を醸し出していた。自然と七種は歯をギリッと噛みしめていた。

 もしこの剣呑とした空気の原因が俺なら、俺は大馬鹿だ。


「それに、三樹にはクラスメイトの子がいるでしょう? 私を騙すみたいな事してデートして、その子に対して本当に失礼だって思わないの?」

「……そっくりそのまま、その言葉をりつに返すよ」

「三樹?」


 三樹、と呼ばれた春待男の影が動く。それに春待女は強ばる。


「俺の気持ちを、勝手にりつの考えで決めつけるな。俺はりつが好きだ。ずっと好きだった。もし一緒にいられるなら、家族でもいいって思ってたけどそれは間違いだ」


 そう言い出すのに、七種は自然と足を踏み入れていた。もう空気を読まないとか知らない。空気は読むもんじゃない、感じるものだ。その足を踏み入れた音に、ようやく春待女と春待男は彼の存在に気が付いた。


「む……つき君……?」


 春待女の目は真っ赤になり、頬は涙が線になって乾いていた。対して春待男は剣呑とした態度を隠す事もせず、その苛立った雰囲気そのままで七種を睨みつけて来ていた。


「……一体何の用だ?」

「あー……泣いてるの見たから。その」


 思わず追いかけてしまったが、何をすれば正解なのかが分からなかった。泣いているから見に来たって言えば、泣くなって言えば正解なのか、どうして泣いているのと言えば正解なのか。

 思わず頬をほりほりと掻いて七種はじっと春待女を見たら、途端に春待女の顔がぐしゃり、と歪む。目はうるうると潤み出したと思ったら、また声を上げて泣き出してしまった。


「って、ちょ……!? 何で! どうして泣くの!」


 思わず七種が悲鳴を上げると、春待男は途端に睨みつけた。


「……あんたのせいで」

「あん?」

「りつが泣く原因はあんただ。もしあんたがこれ以上りつを泣かせるなら、俺は絶対にあんたを許さない」


 それだけ言うと、七種のかけた冷たい声とは打って変わって、ひどく優しい声で春待女の背中を軽く七種の方に押し出した。


「……話があるなら、ちゃんと最後までする事。ちゃんと吐き出せよ。駄目だったとしても、俺がいるから」


 春待女はきょとん、とした顔で春待男を見上げたが、春待男はふっと笑うと、また冷たい顔で七種を睨み、その後二人の脇をすり抜けて立ち去って行ってしまった。それにただ、七種と春待女は呆然とする。


「……あー、こんな所で立ち話も難だしさ。とりあえずどっか、店にでも入る?」

「う、うん……でも、この時間だったらさ、店とか空いてるかなあ」

「多分端っこの喫茶店とかだったらまだマシなんじゃねえかナア」

「うん……」


 こくん、と頷く仕草は小動物じみていて、やっぱり可愛いと七種は思った。自分は思っている以上に、想像していた以上に彼女の事が気になっていたらしい。

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