やめて下さい、そういう趣味はないんです 後篇

 二階のレストランフロアを通過して、一番端にある喫煙コーナーの前に来た。今は喫煙コーナーは誰も使っていなくて、いるのは私達だけだ。匂いのせいか、この辺りには人通りがない。私はその間もグズグズになって泣いていた。三樹が手を離してからも、私はひたすらグズグズと泣き続け、鼻水と涙で水分を取るだけ取ったせいで、既にハンカチは吸水の役割を果たし切れなくなっていた。三樹はそんな私に溜息をつくと、自分の鞄からハンカチを取り出して、私のハンカチを奪った。


「……家帰ったら洗濯して」

「うう……ありがとう……」

「何でそんな泣くほど好きなの、あのNATANE、だっけ。睦月の事が」

「わ……かんない……理屈で人を好きになれるなら……とっくの昔に恋してるし……」


 私は新しいハンカチでグズグズと鼻をかみ、涙を拭きながら言う。本当そうだ。恋に理屈は通用しないって言ってたけど、本当に私はいつどういうきっかけで睦月君を好きになったのか、考えても全然分からないんだ。泣くほどロッカーとファンの間柄が嫌なんて、自分だって思いもしなかったんだ。

 それに三樹は溜息をつく。


「……正直、俺は睦月が羨ましい」

「何で……? あんたは別に……睦月君羨ましがらなくても、モテるじゃない……」

「距離が近いと、全然気付いてももらえない」

「はあ?」


 意味が分からず、私はほんの少しだけ涙を止めて三樹をじっと見た。三樹は真っ直ぐに私を視界に捉えていた。


「従兄弟同士で、一緒に住んでて、同じ学校に通ってて。家族も同然過ぎると、本気で全く気付いてもらえない。睦月は真っ直ぐに思いを寄せられて、ファンとして見られるのを泣くほど嫌がられているのに気付きもしない」

「はあ……?」


 私は思わずもう一度唸り声を上げてしまう。

 ちょっと待ってよ。ちょっと待って。おかしい、おかしい。私達はただ、三樹のクラスメイトが退院するから一緒に花を買いに来て、そこで睦月君のライブを見て、泣いて、ここでこの会話。

 おかしい、三樹が好きなのは、お見舞いにずっと通ってた女の子じゃなかったの? これじゃあまるで、三樹が好きなのは。

 三樹は私の返答に、本当に目を丸くして、また溜息をついた。


「……まだ分からないの? 俺が好きなのは、お前だよ。りつ」

「ちょ……ちょっと待ってよ。私、知らない。知らない知らない。本当に知らない」


 私はただ、馬鹿みたいにぶんぶんぶんぶんと首を振った。既に涙は、あんまりに驚いたせいで引っ込んでしまっていた。

 ちょっと待って。本気で待って。ゲームのシナリオにだって、こんなの聞いた事ない。主人公と三樹が出会うシナリオは、春待一家が攻略対象の時だったらいつだって存在するけれど、その時に三樹が六花を好きになったって言う展開は一ルートだって存在しなかったはず。私が生まれてから前世ログインするまでの記憶を探ってみても、そんなフラグみたいなものなんて一つもなかった。

 フラグもルートも存在しないのに、どこからそんな展開がぽっと出しちゃうのよ……!?


「待って! 三樹はそもそも、私に花を見て欲しいって頼んで、今日……」

「どうしてデートの誘いって取らないかな」

「従兄弟同士だし! 私、あんたを恋愛対象って思った事、一度もないわよ!?」

「りつは」


 私の頬にぴたり、と手を触れてくる。ちょ、やめてってば。私は頭の中が混乱し過ぎて、混乱が極まって、まともに三樹の顔を見る事なんてできやしなかった。

 乙女ゲームの主人公は、どうしてこうも急接近されてもドギマギせずに全部天然ボケでスルーできるんだろう。こんなの恥ずかし過ぎて、今すぐに逃げ出したいのに、人気のない道を三樹に通せんぼされる形だから、全然逃げる事だってできやしない。


「本当に家族の事ばっかり考えて……自分の事を大切にしない。俺は睦月と違って、お前を小さな女の子なんて思った事、一度だってない。いっつも無視してればいい事を無視できずに、真っ直ぐにぶつかって傷付いている。そんなのを一身に受けとめて、強がって、笑ってる子……。どうしてそんな強くて弱い子を放っておけるかな。

 お前を小さい子や意地悪って思う奴なんて放っておけばいい。俺がお前を守るから」


 ちょ……。私は逃げ出したい気持ちいっぱいで、首振り人形状態を継続したまま、ただただその三樹の告白を聞いていた。まさか私が小さい頃から、ふー兄やよっちゃんの盾になっていたのがそのまま三樹に好かれる要因になっていたなんて思いもしなかった。でも……これって保護欲であって、恋じゃなくない?

 私は何を言えばいいのか分からず、ただ呆然と口を開いていた。

 黙り込んでいてもなお、三樹は私の頬を撫でつつ、涙のラインを辿る。


「俺だったら、絶対にこんな風にりつを泣かせたりしない。俺に……俺にしとけよ」

「……だ」

「りつ?」

「嫌だ。恋って妥協するもんじゃないと思うの」


 どうにか頭を回転させて、それだけははっきりと言う。

 恋して好きになっちゃいけない人を好きになって、苦しい悲しいって泣いている女の子を私は何人も書いてきた。書いている当時は本当に恋なんてした事がなかったせいで、どうしてそんな苦しい相手を好きになるかが全然分からなかった。乙女ゲームだもの、他に好きって言ってくれる男の子がいくらでもいるんだから、そこに妥協すればいいのにって思っていたけれど、今だったらようやくその時書いていた女の子達の気持ちが分かる。

 理屈で恋ができるなら、きっと前世でも私は恋を重ねて来られたと思うし、きっと乙女ゲームのシナリオライティングを生業になんてしてなかった。恋が理屈じゃないから、苦しいんだ。

 情けない程に好きだから、恋なんだ。頭で恋してたら、それはもう恋じゃなくって恋愛ごっこだもの。


「私は三樹の事、家族としか思えない。私が好きなのは睦月君であって、三樹じゃない。三樹は三樹で、睦月君の替わりにはならない。

 それに、三樹にはクラスメイトの子がいるでしょう? 私を騙すみたいな事してデートして、その子に対して本当に失礼だって思わないの?」

「……そっくりそのまま、その言葉をりつに返すよ」

「三樹?」


 ふいに私の頬を撫でていた手が離れたと思ったら、私の顎をぐいっと掴まれる。距離が一気に縮まって、まるで三樹が私を捕食するみたいにじっと睨んでくるのだ。

 何で? 私は思ってしまう。どうして? どうして恋してるって相手に、そんな怖い事ができるの? どうして? 疑問符がいっぱいに並べられるけれど、三樹はぞっとする位に冷たい目で私を見ていた。


「俺の気持ちを、勝手にりつの考えで決めつけるな。俺はりつが好きだ。ずっと好きだった。もし一緒にいられるなら、家族でもいいって思ってたけどそれは間違いだった。

 一哉さんや二葉さん、四海が誰かに取られようとしたら、きっとりつは怒るだろうけど、家族だから完全に邪魔なんてしきれない。きっとりつよりも他の子が現れたらその子達の元に行くだろうさ。でも、俺は絶対にどこにも行かない。勝手に無茶して勝手に傷だらけになるなよ。目の前でそうなるのをただ手をこまねいて見続けるのなんて、もううんざりなんだ」


 そう言いながら、なおも距離が近付く。

 唇と唇の距離は、きっとわずか3センチ。ちょっと待って。これ、私のファーストキス……前世でだって一度も恋なんてした事ないのに、ここで三樹に奪われるのは、嫌。やめて、でも……。

 逃げたくっても顎をきつく掴まれて動けない。足はほぼ強制的に爪先立ちで、まともに抵抗なんてできない。

 やめてったら……本当に……。

 ──そう思った、時だった。

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