やめて下さい、そういう趣味はないんです 中篇
「……最悪~」
「まあ、仕方がないな。最近が異常気象で全然降らなかっただけだし」
「そうだけど~」
三樹が冷静な中、私は思わずげんなりとした声を上げてしまう。今年は空梅雨だと思っていたのが、出かけて早々雨に見舞われてしまった訳だ。だからこうして花屋のあるショッピングモールから出る事ができずにいる。
「まあ、花屋に着けばいい訳だから、早く行こう」
「そうねえー……」
三樹は今日はラフなシャツにジーンズと、さっぱりとした格好をしている。オタクっぽく見えないのは、シャツがただのポロシャツとかワイシャツじゃなくって、小洒落てボタンではなく編上げの紐で結ぶタイプだからかもしれない。
対する私は白いサマーワンピースにサンダルと、どう考えても雨で歩くにしては完全にチョイスミスの格好だ。
ワンピースはスカートの裾が濡れてしまったが、歩いていたら乾くだろう。問題ない。今日が土曜日のせいか、外は雨でも車で来ている人達のおかげでショッピングモール自体は賑わっているようだった。ファッションエリアをほんの少し通り過ぎた辺りに雑多なアイテムを売っているエリアが存在し、そこに花屋も存在する。フラワーアレンジメントも教えられるようなっているせいか、奥には広いテーブルや席もあって、花を入れている場所には色とりどりの花で溢れ返っている。
「うん、ここだね」
「そうだなあ……退院祝いの花ってどういうのをあげればいいんだ?」
「入院中のお見舞いの花は寝付かないようにって根の付いてる花は駄目。同じ理由で退院祝いも後に残さないようにって意味で鉢植えは厳禁って言うのがマナーかなあ。後季節感は大事。バラだったら一年中送れるけど高いもんねえ」
バラは一輪だけでマンガ一冊買える程度の値段になるから、正直高校生のお小遣いじゃきつい。三樹はバイトだってしてる暇がないから、おばさんからの仕送りでやり繰りしてるんだもの。余計無理ね。
二人で花を見て回っていたら、ちょうど初夏らしい花のコーナーに出る。柔らかいパステルカラーの花はスイトピー。ピンク色に白、水色の花がゆらゆらと空調でそよいでいる様が可愛らしい。
「あ、スイトピーなんかがいいんじゃないかな。退院祝い渡したい子ってどんな子?」
「……真面目が過ぎるからなあ。普段から勉強に遅れないようにって、よく俺のノートを写させてる」
「そりゃ春からずっと入院してたんだったらね……」
三樹が気にしてる子だったらきっといい子なんだろうと、私はほっとする。花言葉は「門出」だし、ちょうど退院祝いにも向いている花だからちょうどいいだろう。
私は店員さんにスイトピーの花にカスミソウを混ぜてもらって、退院祝い用のラッピングと明日取りに来る旨を伝える。
「かしこまりました。カードのメッセージはどうなさいますか?」
店員さんは退院祝い用にカードを持って来てくれると、それとペンを勧めてきた。私は自然と三樹の方を見る。
「どうすんの?」
「ん……そうだな」
しばらく考え込んだ後、三樹はそれにさらさらと書いた。神経質で堅いけれど、綺麗な文字だ。
【退院おめでとう
学校でもよろしく】
それに私は思わず変な顔をして三樹を見る。愛想が相変わらずないな、本当に。
「本当にこんな無愛想なのでいいの? 何か相手の子に失礼」
「……勘違いさせたくないって昨日言ったと思うけど」
「はあ?」
勘違いするも何も、何を言っているのかこの従兄弟は。私は少しだけ目を細めるけれど、三樹は気にしない素振りだった。ああ、もう。私は思わず大げさに溜息をつきつつ、ふと時計を見る。
今の時間だったら喫茶店に寄ってもそんなに混雑してなさそうだ。土日になったらお昼と三時のおやつの時間になったらどれだけ待ってもなかなか席が空かない、なんて事はざらにある。
「まあ、いいや。それより付き合ってあげたんだから、お礼位はしなさいよ」
「お礼って、お前なあ……」
「お茶位おごってくれてもいいじゃない」
「……マイペースだな、本当に。別にいいけど」
今度は何故か三樹に大げさに溜息をつかれてしまい、私は思わず首を捻ってしまう。別におかしい事は言ってないと思うんだけど。この辺りだったら、もうしばらく歩いた先に本屋やCD屋が並ぶエリアがあり、雑貨屋エリアとサブカルチャーエリアの間位に、美味しい紅茶の店があったはず。時間を考えたら、今だったらお昼目当てのお客さんがひいて座れるはず。私達はそこまで足を伸ばそうとした時だった。
雑貨屋エリアとサブカルチャーエリアの間が人の頭だらけになっていた。女の子の量がすごい。中にはカップル連れもいるけど。
「何あれ」
「さあ、俺が知ってると思うか?」
「期待はしてないわよ」
私達が軽口を叩き合っている中、女の子が黄色い声を上げているのに、私は思わず肩をピクンと跳ねさせる。
「キャー、NATANEー!!」
「え、NATANEって……」
思わず看板を探す。普段ショッピングモールの催し物は全然見ないし、最近は兄弟から逃げ回っていて、結構話す機会が減っていたから知らなかった。まさかと思うけど、今日ライブだったの、demainの! 私が思わずうずうずそわそわとし出すのに、自然と三樹は呆れたように溜息をつく。
「あそこのライブ、見たいの?」
「み、見たいです! でもさ、多分あそこCD買わないと席座れないんじゃないかな……」
頭を見ている限り、ライブ用の特設ステージに座席スペースはあるみたいだけれど、皆が皆CD屋の袋をぶら提げているんだから、多分それで席の優先順位が決まるんだろう。それにますます三樹は呆れたような顔をする。
「見たいんだったら事前にチェックしておけばいいのに」
「し、仕方ないでしょ……最近ふー兄やよっちゃんが過保護だったんだから……」
「いや、そりゃ過保護になるんじゃないの、二葉さんも四海も。六花があんまりにも考えなし過ぎて」
「か、考えてない事もないですっ!」
私がギャーギャー騒いでいる間に、ギターがジャーンと音を立てて奏でられた。途端に一瞬、ショッピングモールの喧騒が消えたような気がした。次にドラムのリズム、ベースのビートが響き渡り、睦月君の歌が朗々と響き始めた。
他のライブであったら、手拍子でリズムを取る事もあるかもしれないけれど、demainの場合は誰もがただ目を見開いて、耳を澄ませて、食い入るようにして歌を聞き始める。私も思わず呆気に取られかけたけれど、はっとしてくいくいと三樹の服の裾を引っ張った。そしてライブの邪魔にならないように、小さく一言かける。
「……せめてもうちょっと歌の聞きやすい場所に移動しよう?」
「はあ……いいけど」
三樹は呆れかえったような顔をしたけれど、私はそれを無視しつつ、人だかりからほんの少しだけ離れて、特設ステージの真後ろにある二階行きの螺旋階段を昇る。そこだってもちろん人は混雑しているけれど、階段の昇り降りのために何とか警備員さん達が規制をしているおかげか、特設ステージの辺りよりは人が引いている。そこでじっと私は睦月君が歌っているのを見た。
まだ一曲だって言うのに、額には汗を噴き出して前髪を貼りつかせている。赤い髪が歌に合わせて揺れて、揺れる。その様がきれいだなあと私はぼんやりと眺めて、そしてほっとする。この距離だったらきっと私の事は気付かない。本当に恋なんてした事がない私にとって、恋って言うのは本当に他人事で、このステージと螺旋階段の距離感みたいに眺めているものだった。巻き込まれるなんておこがましいし、当事者になるのなんて恐れ多い。でも。
今は睦月君に私はきちんと認識されていて、私も睦月君の人となりをクラスメイトとして知っている。もし、きっと。ファンと一緒の扱いをされたら、私は死んでしまうんだろうなと他人事のように思ってしまった。
曲は私が衝撃を受けた「アカシックレコード」に変わる。私は自然と鼻がツン、とするのを感じていた。
「……おい、りつ?」
「あ、あれ?」
三樹に声をかけられて、私は思わず自分の目からこぼれ落ちているものに気が付いた。涙の線が出来上がって、私の頬を伝っていたのだ。私は思わずそれをゴシゴシと手で擦るけれど、それでも嗚咽は止まらず、ライブの邪魔になっちゃうと慌てて鞄からハンカチを出した。
ハンカチで顔を隠しながら、それでも曲を耳にする。
好きだけど、でも。どうすればいいのか全然分かんない。クラスメイトで、隣の席で。もし告白して玉砕したら、きっと気まずくなっちゃって、今の距離感でいられない。
幼女扱いでもいい。ただのクラスメイトでもいい。隣同士で机をくっつけて教科書を貸しながら、必死に曲を作っている彼を覗き見れる、その距離でもいい。
でも頭の中で矛盾が出てくるのだ。
ちゃんと好きって言いたい。一緒にいろんな事をしてみたい。何がしたいって言うのかは分からないけれど。一緒にいると何だかむず痒くなってくる、こそばゆくなってくる、そんな関係を続けてみたい。
ロッカーとファンじゃ、距離が遠過ぎるよ……。
そこまで考えたら、涙も嗚咽も全然止まらなくなってきた。
と、そこまで考えた所で、私の空いている手を掴まれた。掴んできたのは三樹だ。
「……行こう」
「何で」
「いいから」
「ちょ……私は、睦月君の歌を聞きたくって……!」
「いいから」
三樹は私を引き摺って、どんどんと離れて行った。私達の背中を追いかけるように歌が響き渡ってくるけれど、それもどんどんと遠ざかっていく。
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