ちょっと待って下さい、逆ではないですか 前篇
最近、春待家の紅一点の様子がおかしい。
正確には春待家には母の存在があるのだが、残念ながらローン組みもろもろを終了させて念願のマイホームを手に入れた瞬間に転勤を言い渡された不幸な父に着いて行って、今は東京で高物価と戦っているはずである。
この所自室に閉じこもりっきりの彼女を心配しない兄も弟もいないし、少々距離感のある従兄弟だって気にはなると言うもの。
「橘さんに誘われて繁華街に行ってから、何かりっちゃん浮足立ってるなあ……」
そう何気なく言ったのは大黒柱の一哉である。彼は基本的にビールを飲むのは六花が席を外している時だけであり、彼女の前だといいお兄ちゃんの態度を崩さない。実際の所彼は大学時代から結構な酒飲みだと言う事も、一度酒の飲み過ぎてサークル仲間に運ばれてくると言う迷惑をかけていると言う事も知っているのは両親と他の兄弟達だけであり、六花の目にはなるべく入らないようにしているのは、「お兄ちゃん最低」と言われたらへこむ自信しかないからである。
目に入れても痛くない程度には、六花を可愛がっている自信がある。
一哉の何気ない一言に反応したのは二葉である。
「あー……確か言ってたなあ、強硬なナンパに合ったって言うのは」
「この間ライブの時だよねえ」
四海もまた二葉に同調する。普段人に対してあまり興味を示さない六花が、顔をひん曲げて悪口を言うのには、こりゃ何かあるなと思わない方がおかしい。
一見すると二葉は典型的な体育会系であり、この手の話には相当鈍感に見えるだろうが実の所そうでもない。二葉は自身のテンションの上げ下げが自然と大会の結果に左右すると分かっているから、押し付けられるような色恋沙汰からはとことん逃げの一手を示すようにしていた。当然ながら身内にその手の話が出て来た場合も、それで自分の身内のテンションを左右するか否かを見極めるように出来ている。
彼女がこの所、今までの彼女が好きにならないようなロックをずっと歌詞カード見ながら聞いてる事は知っている。そして歌詞カードに目を通すたびに溜息をついていると言う事も。
それでいて隠しているつもりなのだから、こりゃ相当自分の事については鈍いと言って聞かせているようなものだ。だから彼女に色恋沙汰が現れたら兄弟が心配して彼女の一挙一動を気にすると言うものである。
中学時代、六花は自分に恋愛話が何個も湧いてきたと言うのに気が付いていない。その時は四海が学校でいじめられていてそれどころじゃなかったからことごとく断っていたのだが、六花が振った相手のファンである一部女子は彼女をいじめ始めた。しかし六花はそれを「うちの兄弟のファンに嫌がらせされてるんだ」と勘違いして相手にしなかったのである。あまりの鈍さと彼女の事を好きだった男子が止めに入ったがために、いじめは収まったが、もし彼女に振られた挙句に嫌がらせを消しかけるような男であれば、兄弟の報復は免れなかった。正直危ない所だったと言う事を当事者達だけが知らない話である。
睦月七種。
六花の同じクラスの男子ではあるが、出席日数ギリギリで最近まで学校に来ていなかった。
インディーズバンドのボーカリストであり、最近ファンの間でそろそろメジャーデビューするんじゃないかと噂されている。根拠は最近バンドメンバーの露出が極端に少なくなってきたからで、ライブのチケット販売は専らバンドの手伝いをしている人々が行っていて、前までやっていたバンドメンバーの直売りが減った事が挙げられている。
NATANEは特に人気があり、歌詞のレパートリーの広さと歌唱力に定評がある。何よりもファンを大事にするし、一度会ったファンの名前をよく覚えているため、それで勘違いしたファンによる恋人ごっこ騒ぎなんかも起こっていたらしいが、それは話し合いによりどうにか円満に終了させた、との事。
四海がスマートフォンで検索をかけた内容を皆で読み、考え込む。
「……りっちゃん、むっくんの事好きなのかなあ。初めてなんだよ? あんなに男の子に対して脅えてたの」
「それ、脅えてたっつうよりどう考えても照れて顔合わせられないって奴だろ……」
二葉はギリッとしつつ、四海は心配そうな顔で一哉を見る。一哉はビールを仰ぎつつ、遠い目をする。
「んー……子供子供って思ってたりっちゃんもとうとう年頃かあ。寂しくなるなあ」
「兄貴はそう言って。それがもうちょいまともな奴ならともかく、俺は反対だからな。バンド野郎っつうのは」
「二葉も過保護だなあ」
「兄貴にだけはゼッテー言われたくねえ」
そう言って吐き捨てる二葉。六花は本人は無自覚だが、相当できた妹である。大会前になったら何かと頑張れと女子が差し入れを出すが、その大半は食べる事ができないためにもらう前に断っている。無愛想だからとかストイックとかよく分からない事を言われるが、単に食事制限で油脂の入ったもののほとんどは食べる事ができないだけである。その辺りで断るのに苦労していた所、六花と来たら「ふー兄にお菓子を渡していいのは私だけなんだから、あなた達は向こうに行ってくれない?」と有無を言わさず追い返してしまったのである。そのため当然ながら自分のファンに文句を言われ続ける事となったが、六花はそれを全部無視してしまった。
一見すると意地が悪く見えるが、六花が意地の悪く見える行動をするのには大抵理由がある。上っ面だけ見て声をかけるような連中にそんな妹を渡す気はさらさらない二葉であった。
対して四海は困ったように髪を揺らしている。
「んー……よつも確かにね、りっちゃん取られるのはすごくすごーく困っちゃうけど、でも……よつのせいでりっちゃんが幸せじゃなくなっちゃうのはやだなあ……」
元々春待家の人々は代々美形が生まれやすい家系ではあるが、四海の不幸はよ過ぎる血筋がかけ合わさった結果、下手するとどんな女の子よりも可愛らしい顔の作りになってしまったのである。小学生中学生の男子と言うものは残酷な生き物であり、女顔と言うたったそれだけでもいじめる口実になってしまうのである。
結果、随分と引っ込み思案な性格になってしまった四海の盾になっていたのが六花である。六花は四海の手を引いて堂々と歩き、「女顔であなた達に迷惑かけたかしら? 女の子にもてないからって弱い者いじめしてひどいのね」と言ってのけ、小柄で一見すると四海と双子にも見えかねない彼女が男子をいじめ返して泣かせていたのである。
六花は愛らしい見た目に反して苛烈なのに対し、四海は穏やかに穏やかに育ったがため、六花と同じような格好をして学校に通うようになっても、誰も何も言わなかった。
一見すると体育会系男子で無神経な事を言いかねない二葉すら、四海が女装する事に対して何も言わなかったのだ。
「よつにとって一番格好いいのはりっちゃんだから、だからよつが一人前になるまではりっちゃんとお揃いにする」
そう言い出した時、兄姉は揃って思ったのだ。
この末っ子は、男らしさを発揮するところを間違えていると。
こうして四海と六花はほぼ変わらない姿で一緒に歩くようになったが、六花は「よっちゃんはちゃんと姉離れできるのかしら……」と心配しているが、兄弟にしてみれば心配するところが逆なのである。うちの妹、兄弟離れさせてあげられるんだろうか、と。
兄弟それぞれが、六花の現状に思いを馳せているのを、上の階で今頃ずっとロックを聞いているだろう彼女の事を気にしつつ静観しているのは三樹である。居候の身だし、兄妹間の話に口を挟んでいいのかは測れなかった。
「そう言えば、三樹。お前はあのバンド野郎、同じ学年だろ? 何か知らねえの?」
「知らないのって、言われても……。本当に睦月は学校に出席単位ギリギリで来ているので、俺もよく知らないんです」
「悪い噂を流すってのもフェアじゃねえしなあ……」
どんなに悪印象であっても、やるなら堂々と潰しにかかる。スポーツマン精神に乗っ取った考え方をする二葉である。それに苦笑しつつ一哉がようやく空になったビール缶を置く。後で六花に見つかる前に洗って捨ててしまおう。燃えないゴミ当番にゴミ当番の日を当ててもらって黙って捨てているのは一哉である。
三樹は困ったような顔でそれぞれの顔を眺めた。
ビールを飲み終えた後はちびちびと残った酒のつまみだろうビーフジャーキーとチーズクラッカーを齧っている一哉は、静観の姿勢を変えないつもりらしい。長男だし、そもそも教師だ。妹の恋路の行く末を見守って、成就したら祝って、失恋したら慰める心づもりらしい事がありありと見えた。
邪魔するつもり満々なのは二葉と四海である。三樹から見てみれば、二人とも相当六花に執着しているのだから、こりゃあ睦月は相当困る事だろうと言う事は想像ついた。
自分はと言うと。
「……そもそも、それ以前に睦月が六花の事何も思ってなかったら、何の問題もないんじゃないですか?」
六花が明らかに睦月を気にしているのは見て取れるが、肝心の当事者である睦月の本心が明らかではないのだ。だから、今の所は一哉と同じく静観の姿勢を三樹もまた崩すつもりはない。
──そう、今の所は、だが。
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