[本文]第八席

亀田かめだ大隅おおすみ広島ひろしま城内じょうないへ逃げて帰りますると御殿ごてん七分通とおつぶれている。これはと許りにおどろきながら但馬たじまのかみ注進ちゅうしんに及びますると、殿とのさんは聞いてこしぬかかさんばかりにおどろいた。


但馬たじま仕方しかたがない。うっちゃって置け。とにかくこの事を将軍しょうぐんへ伝えなければ相成あいならん」


うので早速さっそく江戸えど表へ早打ちでございまする……


此方こちら真田さなだ大助だいすけを初め総勢そうぜい七十二名は広島ひろしまから追手おってるかとかまえておりましたが、なんの気配けはいもございませんから、そのまま広島ひろしま退き、ドンドンと下関しものせきから三里の海上かいじょうを渡り、豊前びぜん小倉おぐらに着きました。小倉おぐら城主じょうしゅ三十六さんじゅうろく万石まんごく細川ほそかわ越中えっちゅうのかみでございまする。七十二人ななじゅうににんの一行は城下じょうか本町ほんまち平松ひらまつ治兵衛じへいかたに泊まり込みましたが、さてその翌日よくじつ相成あいなって、一同いちどう御出発しゅっぱつということに相成あいなります。その時亭主ていしゅが、


亭主ていしゅ旦那だんなさま御出立ごしゅったつでございますか」


大助だいすけ「うむ急ぎの旅であるからこれから出立しゅったついたそうと思う」


亭主ていしゅ「それでは旦那だんなさままことおそれ入りますが一寸ちょっと事付ことづけねがいたい事がございますので……」


大助だいすけ「なにの言付けだ」


亭主ていしゅ昨晩宿帳やどちょういただきましたが、旦那だんなさま薩摩さつま様の御家来ごけらいじゃそうでございますな」


大助だいすけ「うむ薩摩さつま家来けらいだ」


亭主ていしゅ「ところで薩摩さつまには勿体もったいなくも太閤たいこう様の若殿どの秀頼ひでより様がおいでになります」


大助だいすけ「うむ、おいでになる」


亭主ていしゅ「その秀頼ひでより様の御家来ごけらい大阪おおさか戦争せんそう名高なだか後藤ごとう又兵またべう方がおいでになります」


大助だいすけ「うむ身共みどもも存じおる」


亭主ていしゅ「時々はお会いでございますか」


大助だいすけ左様さよう、チョイチョイ面会めんかいいたす事がある」


亭主ていしゅ左様さようでございますか。その後藤ごとう又兵またべさんが、大阪おおさか入城にゅうじょうの時に私方わたくしかたへお泊りになりました」


大助だいすけ「フフン左様さようか。それは不思議ふしぎな事だ」


亭主ていしゅ「その時に後藤ごとう甚太郎じんたろう基房もとふさというお子さんを負うておいでになりましたが、足手あしでまといになるからとうので細川ほそかわ越中えっちゅうのかみさんへお預けになっておいでになりました。その甚太郎じんたろうさんが今では十三歳とう事でございますので……」


大助だいすけ「フフン成程なるほど


亭主ていしゅ「ところが何でございます。細川ほそかわ越中えっちゅうのかみさんがその甚太郎じんたろうさんをお育てになりまするにいて関東かんとうに聞えました」


大助だいすけ成程なるほど


亭主ていしゅ「そこで吾妻あづま天下てんかからこのたび使者ししゃが立ちまして、当家とうけおい後藤ごとう又兵またべを育ておるとう事である。今は子供こどもであるが後日のおそれがあるから、仕置しおきに及べとの事でございます」


大助だいすけ「フフン成程なるほど


亭主ていしゅ「その御上使ごじょうし神戸かんべ弾正だんじょう神谷かみや清七郎せいひちろううご両人りょうにんがお出でになりまして、明日あすこの小倉おぐらから少々しょうしょうはなれた黒崎くろさき大裏山おおうらやまの側で御仕置おしおきがございます」


大助だいすけ「フフン、それは可哀想かわいそうなことだな」


亭主ていしゅ「それでございますから、旦那だんなさま薩摩さつまへお帰りになりましたら、後藤ごとう又兵またべさんは御子息ごしそくのお殺されになった事はご承知しょうちでございませんから、お前の仕置しおきになったとう事を一寸ちょっと事付ことづけねがいたいのでございます」


大助だいすけ「なるほど左様さようか。如何いかにも事付ことづけをしよう。しかしどうもどくな事じゃ。明日あす仕置しおききを見物けんぶついたしその上で薩摩さつまかえって、後藤ごとう殿どのへのお事付ことづけをしよう」


亭主ていしゅ左様さようでございますか。どうかお泊り遊ばしませ」


そこから一旦いったん出立しゅったつしようとしたのを、一同いちどうがなお一日泊まりむことになりました。ところへ荒川あらかわ熊蔵くまぞうがバラバラッと進んで来ました。


熊蔵くまぞう軍師ぐんし、今聞けば後藤ごとう又兵またべ殿どの一子甚太郎じんたろう殿どの関東かんとうから上使じょうしが立って仕置しおきう事でございます」


大助だいすけ左様さよう


熊蔵くまぞう軍師ぐんしはなんとお考えになるかは知りませぬが、これを岡目おかめ見物けんぶつする事は出来できません。又兵またべ殿どの貴殿きでん御子息ごしそくはお仕置しおきに上ったから仕置しおき見物けんぶつして立ち帰ったとはもうされません」


大助だいすけ成程なるほど如何いかにも道理どうりだ。それでどうする」


熊蔵くまぞう「私の考えでは仕置しおき場を叩き破り上使じょうしなぐころしてしまい、薩摩さつま甚太郎じんたろう殿どのを助け帰りたいとう考えでございまする。どうか甚太郎じんたろうを助ける役目やくめ拙者せっしゃおおせ付けねがいとうございまする。決して御迷惑ごめいわくに掛るような事はいたしません。拙者せっしゃ一人ひとりはからいますから……」


大助だいすけ左様さようか。しからば荒川あらかわ、そのほうむかってもうし付けるから、甚太郎じんたろうを助けるがよい」


熊蔵くまぞう「ありがとうございます」


熊蔵くまぞうは大いに喜んで退ろうといたしまするところむかって飛び出したのはかつら市兵衛いちべえでございまする。


市兵いちべ「あいや軍師ぐんし、おねがもうす」


大助だいすけ何事なにごとでござる」


市兵いちべ今承うけたまわりましたが、どうも罪咎つみとがのないものを卑怯ひきょう未練みれん仕置しおきにあげるとは甚だ残酷ざんこくきわまった訳でござる。また細川ほそかわ越中えっちゅうのかみも黙って仕置しおきにあげさせるとは甚だ面白おもしろくござらぬ。実は拙者せっしゃ薩摩さつまに参っても後藤ごとう面会めんかいしてなんの土産みやげもござらぬから、せめてもの事に甚太郎じんたろうを助けて連れ帰りたい考え。ついては甚太郎じんたろうを助ける役目やくめ拙者せっしゃむかっておおせ付けをねがいたい」


うと荒川あらかわ熊蔵くまぞうが黙って承知しょうちをしてはいない。


熊蔵くまぞう「こりゃ市兵衛いちべえ


市兵いちべ「なんだ」


熊蔵くまぞう「なんだじゃない。甚太郎じんたろうを助ける役は軍師ぐんしから身共みどもおおせ付があった。チャンと身共みどもさだまっておる奴を横合よこあいから貴様きさまが助けるなんて余計よけいな事をもうすな。この役目やくめ身共みどもにチャンとさだまっておるから、左様さよう心得こころえい」


市兵いちべだまれッ熊蔵くまぞう。こういう役はそのほうは年が若いから失敗しっぱいを取る。年を取った身共みどもに任せておけ。是非ぜひともかつら市兵衛いちべえが助ける」


サアまたもやちゃもの喧嘩けんかが始まった。大助だいすけ幸安ゆきやすもこの小倉おぐらにまで道中どうちゅうあいだで、この両人りょうにん喧嘩けんか仲裁ちゅうさいには実に困られたのでございます……


熊蔵くまぞうだまれッ、この役目やくめ是非ぜひとも身共みどもがする」


市兵いちべ「いいやなんと云っても身共みどもが助ける」


熊蔵くまぞう「しからば貴様きさままで助けるとうか」


市兵いちべうにいや及ばぬ」


熊蔵くまぞう面白おもしろい。汝にそれだけの腕前うでまえがあるか」


市兵いちべ如何いかにもある。歳を取っても山崎やまざき天王山てんのうざんのこりだ。見事みごと身共みどもが助けてみせよう」


熊蔵くまぞう「おのれ二言目には山崎やまざき天王山てんのうざんまわしやがる。かく荒川あらかわ熊蔵くまぞう難波なんば戦記せんきのこりだ。見事みごと身共みどもが助けてみよう」


市兵いちべ「しからばそのほう折角せっかく軍師ぐんしが我におおせ付になったのを、まで一人ひとりで助けるともうすか」


熊蔵くまぞう左様さようだ」


市兵いちべ「こりゃ面白おもしろい。見事みごと助ける力量りきりょうがあれば助けてみよ。とてもじゃないが身共みどもの目の黒い間は、滅多めったに助けさす気遣きづかいはないから、おぼえがあれば一番いちばん腕で来い」


熊蔵くまぞう「ぬかすな、ほざくな、しからばそのほう仕留しとめておいて甚太郎じんたろうを助けるからサアきたれ」


大剣たいけんっ下げて立ち上がった。


市兵いちべ猪口才ちょこざい千萬せんばん、いざ来れ」


うと、同じく両人りょうにんの者は一刀いっとうさやはらいに及んで、サアきたれとチャンチャンチャリンと斬り結んだ。大助だいすけ幸安ゆきやすはこれをながめて吃驚びっくりいたし、表へ飛んで出ました。両人りょうにんあいだに割り入って、


大助だいすけ「まずまずしばらしばらく、両名ともしばらてい」


熊蔵くまぞう軍師ぐんし、おください」


大助だいすけ「いや御前ごぜん方は同士どうしちをしてどうする。左様さよう身分みぶんの軽い者ではあるまい。一旦いったん秀頼ひでよりこう随身ずいしんしたからには、主人しゅじん生命いのちであって私の生命いのちであるまい。拙者せっしゃじゃくねんものであるからじゃくねんものと侮って馬鹿ばかにするか。後藤ごとう甚太郎じんたろうを助けることは相かなわぬ。仕置しおきを助ける役目やくめを汝らにもうし付けたが取り上げるから左様さよう心得こころえい。たって勝負しょうぶがしたくばただ今限り豊臣とよとみ味方みかたでない。決してそのほうらは一行でないから左様さよう心得こころえい」


しかり付けた。両人りょうにん仕方しかたがないから、早々そうそうに刀をさやおさめましたが、どうも癇が立って眠れません。荒川あらかわ熊蔵くまぞう寝床ねどこの上に起き上がり、


熊蔵くまぞう糞垂くそたれめッ。おれがチャンと役目やくめを受けている奴を市兵衛いちべえ老爺おやじて来たからとうとう甚太郎じんたろうを助けることが出来できん様になった。大体だいたい軍師ぐんしが訳が分らぬ。年の若い軍師ぐんしうのはどうも仕方しかたのないもんだ。一旦いったんおれ一人ひとりに役をい付けておきながら、市兵衛いちべえにもい付けるなんて、甚だ決しからぬ」


とブツブツおこっている。市兵衛いちべえ市兵衛いちべえって、いしばり、


市兵いちべ糞垂くそたれめッ、折角せっかく身共みどももうしつかったのを熊蔵くまぞうめ、横合よこあいから飛び出しおって、余計よけいな事をかすもんだから、とうとう甚太郎じんたろうを助ける事が出来できん様になった。どうも後藤ごとう又兵またべわす顔がない。残念ざんねんなことをいたした。おのれッ、今に軍師ぐんしが眠ってしまったら、荒川あらかわをただ一刺しにころしてくれん」


と、一刀いっとうを取ってうなッております。荒川あらかわ熊蔵くまぞうおいても同じ事、あの親爺おやじ拳骨げんこつなぐころしてくれんとうなッておりました、こちらは大助だいすけ幸安ゆきやす、忍び足で寝所しんじょをお出ましに相成あいなって、両人りょうにん居間いまを覗いて見ますると、眠りもしないでウムウムうなっておりますから、おどろきました。


大助だいすけ「オヤこれは大変たいへんだ。ことによれば今晩こんばん騒動そうどうをしよるわい。年の寄ったちゃものわかやつあわもの始末しまつに終えん。こりゃ困ったことが出来できたわい」


と思われましたが、流石さすが軍師ぐんしでございます。お考えに相成あいなって、ソーッと忍んでお出でになりましたのは、荒川あらかわ熊蔵くまぞう居間いまでございます。


大助だいすけ熊蔵くまぞう、まだ休まんのか」


熊蔵くまぞう何者なにものだ」


大助だいすけ「こりゃ大声おおごえを出すな」


熊蔵くまぞう「オオこれは軍師ぐんしでございますか、お入りください」


大助だいすけ「うむ熊蔵くまぞう、なぜそのほうは寝ない」


熊蔵くまぞう「なぜと云って軍師ぐんし残念ざんねんで眠れません」


大助だいすけ「なぜ眠れん」


熊蔵くまぞう折角せっかく私が役目やくめを言い付かったのに、横合よこあいからグズグズ云った為にこれを助けることが出来できません。国へ帰り又兵またべむかって、合せる顔がございません。大体だいたい軍師ぐんし貴方あなたが訳が分りません」


大助だいすけ「なにが分らん」


熊蔵くまぞう「分らんでございませんか。かつら市兵衛いちべえは国から付いて出た奴でない。広島ひろしま介田峠かいたとうげから不意ふいにわいた虫みたいな奴でございます。私は国表くにおもてから江戸えど表までまいり、それから又国表くにおもてまで貴方あなたのお側を守護しゅごし、あばれる役は貴方あなた父幸村ゆきむら軍師ぐんしからおおせ付けになったのでございます。それになんぞ貴方あなたかつら市兵衛いちべえにお味方みかたをせられて、私をしかり飛すなんて大体だいたい訳が分りません。かつらを押えてくださるのが至当しとうだと考えます。私は軍師ぐんしを恨みます」


大助だいすけ「いや荒川あらかわ、実はそのほうい付けてやりたいのは山々だが、軍師ぐんしは年が若いからわかもの味方みかたをすると愚痴ぐちられるのが嫌だから、今日きょうはああ云って置いたが、実はそのほうむかってい付けたいのだ」


熊蔵くまぞう成程なるほど左様さようでございましたか」


大助だいすけ「それで改めて甚太郎じんたろうを助ける事は汝一人ひとりに言い付けるから、明朝みょうちょう汝一人ひとりんで助けい」


熊蔵くまぞう「はい。ありがとうございます。それでこそ本当ほんとう軍師ぐんしで……」


大助だいすけ「こりゃおベッカをうな。その代り云って置くぞ。必ずもって朝寝あさねをするな。朝早はや仕置しおき場にんで甚太郎じんたろうを助けい」


熊蔵くまぞう「かしこまりました。」


大助だいすけ「いつもの様に起さぬよって、必ずって朝寝あさねをする事は出来できんぞ」


熊蔵くまぞう「はい。朝寝あさねいたしません」


大助だいすけ「うむ、それではゆっくり休むがいいが、亭主ていしゅい付けて酒でも取り寄せ一杯いっぱい飲んで勇気ゆうきを養っておけ」


熊蔵くまぞう「ありがとうございます」


涙を零して喜びました荒川あらかわ熊蔵くまぞう早速さっそく酒を取り寄せてみ干しゴロリと横になりましたが、いがまわって来たので我をわすれて思わずグウグウ寝込んでしまいました。


こちらは大助だいすけ幸安ゆきやすかつら市兵衛いちべえ部屋へやへ来てみますると、り眠れんと見え、いしめておこっておりますから、ズイと入りました。


大助だいすけかつらどの」


市兵いちべ「オオ軍師ぐんしでござるか」


大助だいすけ「なに故にまだおやすみにならぬ」


市兵いちべ「どうも残念ざんねんで眠れません。大体だいたいあなたが分らぬ」


大助だいすけ「そはまたどういう訳で……」


市兵いちべ荒川あらかわ始終しじゅうあなたが連れていらっしゃるから、腕前うでまえ御承知しょうちでございまようが、拙者せっしゃ後藤ごとう面会めんかいをする土産みやげとして甚太郎じんたろうを助けてやりたい。それゆえ年寄としよりの肩を持ってくれるのが至当しとうなのに、わかものの肩を持たれるとは、まこと残念ざんねんでござる」


大助だいすけ「いやかつらどの、如何いかにも貴殿きでんにこのやくい付けたいのは山々でござったが、荒川あらかわがまたかくうものでござるから、実は今日きょうよう始末しまつになったので、ついてはかつら殿どの貴殿きでんにキッと言い付けるにって、明朝みょうちょう一人ひとりんでいただきたい」


市兵いちべ「これだッ軍師ぐんし千萬せんばんかたじけのうござる。それでこそ本当ほんとう軍師ぐんしだ」


同じようなことを云っている。


大助だいすけ「それではゆっくりおやすみあれ。亭主ていしゅに酒をもうし付けて置いてございまるから、一杯いっぱい飲んで……」


市兵いちべ「いやまことおそれ入ります」


大助だいすけ「必ずって朝寝あさねをしない様に……」


市兵いちべ「かしこまりました」


大助だいすけ幸安ゆきやすはここに上手うま両人りょうにんをおだてんで、酒の飲ませて寝さしてしまいました。計略けいりゃくらぬから両人りょうにんともに喜んで、グッと寝込んでしまったのでございまする。

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