[本文]第七席

突っ立ち上がった木村きむら剛四郎ごうしろうにわ先に棗形なつめがた手水ちょうずちょうずばちがございます。目方めかた七八十貫目もあろうと青苔あおごけが生えてまこと立派りっぱな者でございます。その青苔あおごけ逆手さかてで撫で上げはいでしまうと、上と下とにをかけてウ……ンと気合きあいを入れると、なんの苦もなく差し上げました。


但馬たじま天晴あっぱれ、天晴あっぱれ」


と、殿とのさんは誉めている。剛四郎ごうしろうは、


剛四「おのれ水野みずのころしやがった仇敵かたき討ちだ」


と、口の中につぶやきなが、廊下ろうかの柱に向けて投げ付けた。柱はボキッとうと折れてしまう。ドシンン……メキメキッとうと棟はジンワリ下って来た。床板ゆかいたは飛んでしまう。殿とのさんは乱暴らんぼうなことをいたす奴だとおどろいている。大原おおはら亀太郎かめたろう、同じく亀之助かめのすけ兄弟きょうだいは、おれ一番いちばんあばれてやろうとうので立ち上がり、にわ先にあるおおきな赤松あかまつを根そぎにいたした。枝をき千切ってしまうと、それをばえんしたんで、ヨイショヨイショと担ぎ上げた。御殿ごてん縁側えんがわ、メリメリバッチンと飛んでしまい、屋根やねは曲ってしまう。


続いて他の連中れんちゅうも幾つとなく並べてあります石燈籠いしどうろうを取って御殿ごてん目掛けて投げ出した。乱暴らんぼう狼藉ろうぜききわまりない。若手の連中れんちゅうが総立ちになってあばれ出したのでございますから、御殿ごてん七分通とおり壊してしまった。殿とのさんは側にはいられないからうしろに下って、


但馬たじま天晴あっぱれ、天晴あっぱれ」


と声をけておりますが、最初から御殿ごてんを潰しにかかっておるのですから、かつら市兵衛いちべえはモウこれ位で良いと思ったから、


市兵いちべ「こりゃこりゃモウ良い。わかやつはどうも気が荒くてこまる。止せ止せ、モウこれでいいから止せ止せ」


連中れんちゅう老爺おやじ、もうこれで良いか」


市兵いちべ「これでチッとは胸もスッとした。これだけ潰してやれば普請ふしんにはいずれ七八万両、大方おおかた十万両もいるだろう。これだけしてやったら広島ひろしま御殿ごてん七八分通とおり潰してやったようなものじゃ」


うので、一同いちどうしずまってしまいました。浅野あさの但馬たじまのかみおどろきながら青くなっておいでに相成あいなった。


但馬たじまかつら市兵衛いちべえ、どうもそのほう連中れんちゅう無法むほう者がおおいの。これ見ろ御殿ごてんちゃちゃにしたでないか」


市兵いちべ「はい。まことにどうも年のわかやつ後先あとさきの考えがございませんから、乱暴らんぼうつかまつりまして困ります。まことに早やおそれ入ったる次第しだいでございますが、しかし御前ごぜん、如何でございます。これだけの力量りきりょうがあれば、真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめいりまするに手間てまひまはかかりますまい」


但馬たじま「うむ実に天晴あっぱれである。汝等なんじら共首尾しゅび好く三名さんめいくびるにおいてはキッと大禄たいろくってし抱える事である」


市兵いちべ「ありがとうございます。つきましては御前ごぜん


但馬たじま「うむ」


市兵いちべ我々われわれども長らく山にこもりおりまして仙人せんにん同様どうよう境涯きょうがいでございましたゆえ、嚢中のうちゅうまことに欠乏けつぼういたしております。願わくば支度したく金といたして少々しょうしょういただきとうございます」


但馬たじま「うむ如何いかにももっともである。いくら許りあったらよい」


市兵いちべ左様さようでございまする……どうじゃ連中れんちゅう、どのくらい貰ったらいい」


但馬たじま左様さよう軍師ぐんしに宿賃を出してもらうのもどくな。五十両ごじゅうりょうずつあったら行けるだろう」


市兵いちべ一人ひとりまえ五十両ごじゅうりょうか。それ位取ってもよかろう……御前ごぜん、どうか一人ひとりまえ五十両ごじゅうりょうねがいます」


但馬たじま「なに五十両ごじゅうりょうもうすか。苦しゅうない。者輩ものども金子きんすを取らせい」


勘定かんじょう奉行ぶぎょうおどろきました。六十九人ろくじゅうきゅうにん五十両ごじゅうりょうづつとえば大層たいそうなお金でございます。仕方しかたがない。六十九人ろくじゅうきゅうにんむかって一人ひとりまえ五十両ごじゅうりょう金子きんすあたえました。連中れんちゅう一同いちどうまことに喜びまして、


連中れんちゅう「マアこれで結構けっこうだ。お酒はよばれるし金子きんすはもらう。薩摩さつまへ帰る路銀ろぎん出来できた。御殿ごてんは叩き潰してやったからこれから関門かんもんんで三千人さんぜんにん同勢どうぜいを残らずころしてしまえば、水野みずの無念むねん晴らしは出来できる」


うのでかつら市兵衛いちべえ総代そうだい相成あいなって、


市兵いちべ御前ごぜんまこと御馳走ちそう相成あいなりました。追って吉報きっぽうもうしあげます」


とそのままでもって介田峠かいたとうげ切通きりとおしの関門かんもんむかってやって来ました。


市兵いちべ「ヤッ亀田かめだ、おち遠で……」


大隅おおすみ「これはかつら殿どの、如何でござる御前ごぜん首尾しゅび……」


市兵いちべ御前ごぜん首尾しゅびまこと上首尾じょうしゅび御前ごぜんから御酒ごしゅ頂戴ちょうだいに及び、お支度したく金まで頂いて帰った」


大隅おおすみ「いや早やそれはまこと結構けっこうでござる。どうか万事ばんじねがもうす」


市兵いちべ「よろしい。ついては我が大将たいしょうになれば、命令めいれいいたさんければ相成あいならぬ」


大隅おおすみ「なるほど、どうか何分なにぶんにもよろしく」


市兵いちべ「それではその三千人さんぜんにんは一千五百人ずつに分れて、この両側りょうがわに二列に並んでもらう」


大隅おおすみ「よろしゅうございます」


うので、三千人さんぜんにん両側りょうがわに二列に並びました。


市兵いちべ「皆立っていてはいかんから、座って大地だいち両手を突き、頭をすり付けい」


大隅おおすみかつらどの、なに故でござる」


市兵いちべ「マアなんでもいい。命令めいれいを聞かぬところしてしまうぞ」


どうも乱暴らんぼう大将たいしょうだと思ったが仕方しかたがない。


大隅おおすみ「これでよろしいか」


市兵いちべ「ウム、それでよい。そこで真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめいんでも決して手向てむかいをいたすな。相手あいて油断ゆだんさして置いて、我々われわれんでってしまうから。計略けいりゃくは密なるを良とする。決してバタつくな」


大隅おおすみ「かしこまりました」


市兵いちべ木村きむら、チャンと準備じゅんび出来できたから、チッと許り煙火えんかちなさい」


剛四「よし心得こころえた」


うので木村きむら剛四郎ごうしろう懐中かいちゅういたしておった焔硝えんしょうを紙に包んだまま、火鉢ひばちの中へ投げ込みましたから、バチバチズトン……と破裂はれつした。大変たいへんな音であります。同勢どうぜいはアレッと驚く。亀田かめだ大隅おおすみまゆひそめて、


大隅おおすみかつら殿どの、あれは何んでござる」


市兵いちべ「あれは我が大将たいしょうとなったるの祝いの狼煙のろしだ」


大隅おおすみ御冗談ごじょうだんばかり……」


市兵いちべ「なに冗談じょうだんでない。そのほうも知っておるであろう。これは千羽烏せんばがらす狼煙のろしだ」


しかしこれは即ち合図あいずでございます。軍師ぐんし準備じゅんび出来できたから登りなさいと狼煙のろしでございます。さてふもと彼方かなたにては、今に合図あいずがあるかと三挺の駕籠かごを待たして、大助だいすけ幸安ゆきやす待っておいでになりますと、ただ今狼煙のろしが上りましたから、それとうので山に上りました。先の駕籠かごには真田さなだ大助だいすけ絵符えふだを付けました。次の駕籠かごには荒川あらかわ熊蔵くまぞう、その次には穴森あなもり伊賀いがのかみう、三挺の駕籠かごにはいさぎよくエンサカホイホイとドンドン登ってまいりましたは、介田峠かいたとうげ関門かんもんでございます。関所せきしょ出来できてあるから駕籠かごは中へよう入りません。


駕籠かご旦那だんなさま、こんな所に関門かんもんがございます」


大助だいすけ関門かんもんがある。まあいい。私が断るから入れ」


中にドンドン入ってくる。かつら市兵衛いちべえこれをながめて、


市兵いちべ「ヤアヤアそれに通行つうこうさる御人ごじん、しばらく待たれい」


駕籠かご旦那だんな、どうしましょう」


大助だいすけ「よしよし一寸ちょっと駕籠かごを下せ」


いながら駕籠かごの垂れを捲って頭を出しました大助だいすけ幸安ゆきやす


大助だいすけ「ヤアお関守せきもり、ご苦労くろう千萬せんばん、かくう我は真田さなだ大助だいすけうしろに続くは荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみ三名さんめいでござるが、これから薩摩さつまむかって帰る道中どうちゅうでござる」


側に近寄りましたかつら市兵衛いちべえは、


市兵いちべ「ヤアこれはおめずらしい。軍師ぐんし真田さなだ大助だいすけ殿どのでござるか。旧福島ふくしま家来けらいかつら市兵衛いちべえ連中れんちゅうでござる。薩摩さつまむかってお帰りとはなにより結構けっこう我々われわれも後より薩摩さつまむかって道中どうちゅうお伴をつかまつる。ボツボツお立ちください」


大助だいすけ「しからば御免ごめんください。さらばさらば」


うと三挺の駕籠かごはドシドシと行ってしまう。亀田かめだ大隅おおすみはこれをながめて、ジッとはしておられませんから、


大隅おおすみかつら殿どの三名さんめいの者をおやりになって、どういたされる」


市兵いちべ「マアよいじゃないか。先程さきほど云ったとおりだ。計略けいりゃくは密をって良しとするだ。むこうに油断ゆだんさせておいて、そうしてってしまうから」


大隅おおすみ「いいじゃないかでござらぬ。彼をらなければ相成あいなりません」


市兵いちべ「マアやかましくうな……」


サア連中れんちゅうがポツポツと立ちはじめる。


連中れんちゅう老爺おやじ心得こころえておるぞ」


うと、六十九名ろくじゅうきゅうめい荷物にもつ背負せおったそのままでってボツボツ関門かんもんを立ち掛ったものでございますから、亀田かめだ大隅おおすみはモウ堪りません。様子ようすが変だと思いましたから、


大隅おおすみかつら殿どの、なにが為にお討ちに相成あいならぬ」


市兵いちべ「ハッハッハ、計略けいりゃくはここだ。我々われわれ真田さなだ主従しゅじゅう三名さんめいの供をして薩摩さつまに帰るつもりである。それが為に実は出迎でむかえをしたのである。浅野あさの家来けらい出迎でむかえをしたので、結構けっこうでござらぬか。サア連中れんちゅう行こうか」


と立ち上がったから、初めて欺かれたるを知った亀田かめだ大隅おおすみ


大隅おおすみ「おのれにくむべきかつら市兵衛いちべえ主人しゅじんを初め我々われわれをよくも欺いた。者輩ものども真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめいは後からつとして、こ奴等やつられッ」


言葉ことばにハッとこたえて立ち上がったが、早や弓の弦ははずしてしまい、矢は折れている。大砲たいほう鉄炮てっぽうがねは捩じ切ってある。一つとして道具どうぐあいだに合うべきものはない。残念ざんねん至極しごくう奴をかつら市兵衛いちべえ尻目しりめながめて、


市兵いちべ我々われわれむかって手向てむかいするとは猪口才ちょこざいな。黙って通せば生命いのちを助けやるが、手向てむかいするとあれば仕方しかたはない。我々われわれが立つ土産みやげだ……サア連中れんちゅう、長らくのあいだ山籠やまごもりをして腕前うでまえを試した事がない。大阪おおさか入城にゅうじょうする手始はじめだ。野郎やろう共をぶち切ってしまえッ」


うと衝立ついたて市兵衛いちべえわれたかつら市兵衛いちべえ関門かんもんの前に立って大手おおてを広げんだ。三千の同勢どうぜい相手あいてにして立ち向かったのでございますから、サアこうなるとエラい騒動そうどうでございます。かつら市兵衛いちべえ大音だいおんじょうを上げる。


市兵いちべ「ヤアヤアとおからん者は音にも聞け。ちかくばって目にも見よ。かくう我はもと福島ふくしま正則まさのり家来けらいであったかつら市兵衛いちべえだ。サアきたれッ」


一刀いっとうき抜くとさき大勢おおぜいの中へ斬りんだ。残った六十八名ろくじゅうはちめい連中れんちゅうあばむ。ところに先へドンドン下って行きました荒川あらかわ熊蔵くまぞう駕籠かごの中でヒョイとこれをき付けて、


熊蔵くまぞう駕籠かご、チョッと下せ。今聞けばかの太閤記たいこうき山崎やまざき天王山てんのうざんのこかつら市兵衛いちべえとな、あの親爺おやじ、まだ生きているのか」


いながら、駕籠かご中から飛んで出ました。


熊蔵くまぞう軍師ぐんし


大助だいすけ「なんだ」


熊蔵くまぞうかつら市兵衛いちべえ味方みかたでございますか」


大助だいすけ「うむ。我々われわれ味方みかただ。ここを浅野あさの家来けらい三千人さんぜんにんで固めているから箱根はこねやまの二の舞をやったのだ。市兵衛いちべえ親爺おやじ年寄としよりだから昔の勇気ゆうきはなかろう。そのほうも行ってあばれてこい」


熊蔵くまぞう「ヤア軍師ぐんし千萬せんばんかたじけない。しからば御免ごめん候」


うと大剣たいけんの反りを打たしてバラバラッと飛び付け来ました。あばれる事と云ったら熊蔵くまぞうは喜んでいる。


熊蔵くまぞう「ヤアヤア蛆虫うじむしはいども、とおからん者は音にも聞け、ちかくばって目にも見よ。かくう我は大阪おおさかかた木村きむら主計頭かずさのかみ郎党ろうとう荒川あらかわ熊蔵くまぞうおに清澄きよずみである。慶長けいちょう十九年じゅうくねん明くれば元和げんな元年がんねん五月ごがつ七日なのか大阪おおさかじょう落城らくじょう相成あいなった慶元けいげん両度りょうどのこり、荒川あらかわ腕前うでまえくらって往生おうじょうしろッ」


あばんだ。亀田かめだ大隅おおすみ広島ひろしま家来けらいがなんぼ強いと云っても、難波なんば戦記せんき太閤記たいこうきとの挟み撃ちだ。両方りょうほうから滅多めった無上むじょうに斬りまくられたから堪りません。同勢どうぜいおおい許りでなんのやくにも立たぬ。ワアワアと騒いでドンドン逃げ出しましたが、早や五六十の死人しにん怪我けが人が出来できましたから、亀田かめだ大隅おおすみもこりゃたまらんと思ったのか、馬にち乗るがはやいか、ハイヨハイヨとドンドン広島ひろしま城内じょうないに逃げて行ってしまいました……かつら市兵衛いちべえこれをながめて、


市兵いちべ「ヤア連中れんちゅう、逃げる奴はい駆けるには及ばぬ」


連中れんちゅうまとめて大助だいすけところへやって来ました。


市兵いちべ「まず軍師ぐんし、おめでとうござる」


大助だいすけ「いやまことにご苦労くろう千萬せんばん……」


市兵いちべ「しかし事によると後からるかも知りませんが、殿後しんがり身共みどもいたしますから、御安心ごあんしんねがいたい」


大助だいすけ「いやまこと千萬せんばんかたじけない」


うのでって、荒川あらかわ熊蔵くまぞう並びに六十八名ろくじゅうはちめい連中れんちゅうが、駕籠かご前後ぜんごいてドンドンと山を下る。かつら市兵衛いちべえ殿後しんがりいたして後から付いて行き、段々と広島ひろしま城下じょうかとおり抜けまする。

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