[本文]第六席

市兵いちべ「こりゃ許せ」


○「へい」


市兵いちべ貴様きさまたちは何じゃ」


○「私等わたしら浅野あさの家の家来けらいでございます」


市兵いちべ「フウン浅野あさの家来けらいか。してなんじゃこんな所に関所せきしょこしらえて……」


○「チョッと様子ようすがあって関所せきしょを固めております。どうぞおとおりを……」


何方どちら関所せきしょの番人か分りません。


市兵いちべ関所せきしょの頭はだれだ」


○「亀田かめだ大隅おおすみ様でございます」


市兵いちべ「フウン、亀田かめだか。亀田かめだなれば満更まんざららん顔でもない。ちゃみせで休めばちゃ代料だいりょうがいるからしばらくのあいだ関所せきしょ休息きゅうそくさせてもらう。サアわかやつも入るがいい」


とドンドン関所せきしょへ入って来ました。なんと云っても六十九人ろくじゅうきゅうにん人数にんずうでございます。関所せきしょ家来けらいはアッとおどろいている間にドンドン詰めけました。


市兵いちべ「いやどうも草臥くたぶれた。どくだが亀田かめだ大隅おおすみを呼んでくれ。是非ぜひとも呼んでくれ」


番人も仕方しかたがないから、この事を亀田かめだいました。大隅おおすみはこれを聞いて、


大隅おおすみ「うるさい奴等やつらだ。仕方しかたがない。今行くから……」


うので装束しょうぞくを改めてて来ました。


大隅おおすみ「ヤアこれはおめずらしい。かつら市兵衛いちべえ殿どのはじ御一同ごいちどうでござるか」


市兵いちべ「いやめずらしや亀田かめだ大隅おおすみか。ひさしくわんな」


大隅おおすみ「御同前でござる。しかし何時いつに代らず壮健そうけんでお目出めでとうござる。して大勢おおぜいでこれからいずれへ……」


市兵いちべ「どうも亀田かめだ我々われわれは井ノ口谷いのぐちだに山籠やまごもりしていたが、里にいるように大酒たいしゅ大食たいしょくが出来ずまこと不自由じゆうだ。それでモウ山籠やまごもりも嫌になったから、どこかへ仕官しかんしようかと思ってて来た」


大隅おおすみ「なるほど、左様さようでござるか」


市兵いちべ「して大隅おおすみ、なにゆえ斯様かようところ関所せきしょかまえている」


大隅おおすみ「これはご承知しょうちかも知りませぬが、薩摩さつま真田さなだ大助だいすけ荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみ三名さんめいが、将軍しょうぐんより墨付すみつきを頂いて薩摩さつまむかって帰ります。その途中とちゅうここをとおりますから、是非ぜひとも三名さんめいれいと厳命げんめいで、ここを固めております」


市兵いちべ「フウン、これは耳新みみあたらしいことを聞く。なにか難波なんば戦争せんそう失敗しっぱいをした軍師ぐんし大助だいすけ幸安ゆきやす荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみ三名さんめいろうとうのであるか」


大隅おおすみ左様さようでござる」


市兵いちべ「こりゃいい都合つごうだ。犬も歩けば棒に当るとはこの事だ。どうぞ大隅おおすみ我々われわれ一同いちどうで一つ三名さんめいるから、浅野あさの家へ仕官しかんちをしてくれる事は出来できぬか」


大隅おおすみ本当ほんとうでござるか」


市兵いちべ「全くだ。どうぞ一つおねがもうす」


大隅おおすみ「いやそれなれば御前ごぜんもお喜びに相成あいなるでござろう」


市兵いちべ「どうだ一同いちどうの奴、今聞いたとおりだが、浅野あさの家に仕官しかんをするか」


○「如何いかにも親爺おやじ仕官しかんするなら、ドンな主人しゅじんでも仕える」


市兵いちべ左様さようか。それでは亀田かめだ万事ばんじねがもうす。その礼として三名さんめい首尾しゅび良くるから……」


大隅おおすみ「かなじけのうござる」


市兵いちべ「サア連中れんちゅう、モウのそのそと奉公ほうこう口をさがまわるにも及ばん。我々われわれ主人しゅじん持ちだ。浅野あさの但馬たじまのかみ我々われわれ主人しゅじんであるから真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり用意よういに及べい」


一同いちどう親爺おやじ如何いかにも承知しょうちした」


市兵いちべ「そこで大隅おおすみ我々われわれ浅野あさの家に仕官しかんするとう事を通知してもらいたい」


大隅おおすみ承知しょうちいたしました。しからばこれよりただちに城に立ちかえって、左様さようもうします。しかしもしそのあいだ三人さんにんまいりますれば、何分なにぶんともにおりを……」


市兵いちべ「その安心あんしんに及べ。大丈夫だいじょうぶだから……」


安心あんしんどころが大不安ふあんだいふあんしんだが、亀田かめだ大隅おおすみはソンなことは知りません。


大隅おおすみ「ありがとうございます」


うと馬にヒラリち跨りました。むちをあてるとハイヨハイヨと広島ひろしま本城ほんじょうへ差して駆け出しました……


後に残った連中れんちゅうたがいに顔を見合みあわわせて、


一同いちどう「サア上手うまい事いきよった。親爺おやじどうしよう」


市兵いちべ「マアおれに任せておけ。そうしておれ指図さしずとおりせい……こりゃ雑兵ぞうひょう、ここに三門さんもん据えてあるのは何じゃ」


○「これは大砲たいほうでございます」


市兵いちべ大砲たいほうか。こんな大層たいそうなものをって真田さなだを討たんでもいい。人家じんか弾丸だんがんが飛べばどうする……木村きむらこの大砲たいほう片付かたづけてしまえ。邪魔じゃまになるから」


木村きむら剛四郎ごうしろううのはこの中での力強ちからづよでございます。


剛四「如何いかにも心得こころえた」


大砲たいほう三門さんもん関門かんもんの横の方へ持って行き、大砲たいほうがねひねり切ってしまった。


剛四「こうさえすれば大丈夫だいじょうぶだ。到底とうてい間にわぬから……」


市兵いちべ「こりゃそこにっておるのは鉄砲てっぽうでないか」


雑兵ぞうひょう左様さようでございます」


市兵いちべ「ソンなものは糞のやくにも立たぬ。片付かたづけてしまえ」


雑兵ぞうひょう「へい」


するとバラバラと連中れんちゅうて来て、


一同いちどう「サア我々われわれ片付かたづけてやるから此方こちらへ出せ」


雑兵ぞうひょうっております鉄砲てっぽうをドンドン片付かたづけた。そして次々に皆引がねを捻じ切ってしまう。


剛四「こうさえすれば大丈夫だいじょうぶだ。親爺おやじやり弓矢ゆみや沢山たくさんあるがどうする」


市兵いちべ「ソンなものも片付かたづけてしまえ」


剛四「よし心得こころえた」


うので弓の弦をはずしてしまう。矢はボキボキ折ってしまう。やりは真ん中から折ってしまう、ドンドン片付かたづけると云っては武具ぶぐらしいものは皆谷間たにまに放りんでしまいました。これをながめておどろいたのは雑兵ぞうひょうでございます。


雑兵ぞうひょう「そんな事をして貰ってはる事が出来できません」


市兵いちべ「何ァに大丈夫だいじょうぶだ。我々われわれは腕と力をってってくれるから……」


雑兵ぞうひょう左様さようでございますか。どうかよろしくおねがいします」


雑兵ぞうひょうの奴ばらはどうする事も出来できません。ドダイちゃ連中れんちゅうだと呆れておりました……


こちらは亀田かめだ大隅おおすみ浅野あさの但馬たじまのかみにこの話をしますと、大いに喜びました。


但馬たじま「それは結構けっこうだ。余も水野みずの吉左衛門きちざえもんが討ち死にしたについては、強い家来けらいがないので、心寂こころさびしくなった。彼等かれらを抱えれば百万ひゃくまんの敵がるとも心丈夫こころじょうぶ相成あいなるから、知行ちぎょうは幾らでも苦しゅうない、目通めどおりさせい」


大隅おおすみ委細いさい承知しょうちいたしました」


そこで亀田かめだ大隅おおすみは馬にまたがってビュウ……と戻って来ました。


大隅おおすみ「おち遠うでござった」


市兵いちべ「イヤ亀田かめだ苦労くろうであった。してどうであったかな」


大隅おおすみ主人しゅじん左様さようもうしたらことほかのお喜びでござる。一同いちどう面会めんかいしたいから城内じょうないむかってまいれとの事でござる」


市兵いちべ左様さようか。それでは大隅おおすみどくであるが戻ってるまで連中れんちゅう荷物にもつを預って置いてもらいたい」


大隅おおすみ「かしこまりました」


市兵いちべ「それでは連中れんちゅう行こう」


うのでってあやし気な荷物にもつを預けておいて、切り通しの関門かんもんて、ドンドンと広島ひろしま城下じょうかんで来ました。大手おおてから六十九人ろくじゅうきゅうにんという異形の浪人ろうにん大手おおてを降って入り、取次とりつぎにこの事をうとすぐにお縁側えんがわおい面会めんかいう事になりました。なにをもうしても四十二万にまんごくの広いにわでございます。そこへ通しました。縁側えんがわには薄縁うすべりを敷いて、浅野あさの但馬たじまのかみそれにひかえられました。その後、そして左右さゆうには家中の者がズウ……と居並んでおります。


六十九人ろくじゅうきゅうにん浪人ろうにんござの上に並び込み、頭を下げている。


但馬たじま「あいやかつら市兵衛いちべえひさしく面会めんかいいたさん。何時いつ壮健そうけん目出度めでたいのう。予は浅野あさの但馬たじまである」


市兵いちべ「ハハ、ありがたきお言葉ことば、まず御前ごぜんにはうるわしきご健勝けんしょうの体を拝し、我々われわれ浪人ろうにん一同いちどうの身に取って大慶たいけい至極しごくに存じたてまつります。このたびはおし抱えくださるるとの事、ありがたき幸せに存じまする」


但馬たじま「うむ。如何いかにもし抱えるが知行ちぎょうに望みがあるだろう」


市兵いちべ「いや別に知行ちぎょうに望みはございません。ほんの小禄しょうろく結構けっこうでございます」


但馬たじま「しからば汝から幾らなりとももうしてみよ」


市兵いちべ「はい知行ちぎょうはただ今はもうしません。真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめいりましたる時にいたしまする」


但馬たじま左様さようか。しからば知行ちぎょうは追っていたす。どうだ酒はやるか」


市兵いちべ「はい。御酒ごしゅいたって好物こうぶつでございまする」


但馬たじま「うむ。者共、彼等かれらに酒をつかわせ」


そこから係の者が酒を出しました。なに分六十九人ろくじゅうきゅうにんという大勢おおぜい、それも山男やまおとこみたような人間にんげんばかりでございますから、一々いちいち銚子ちょうしを持ってまわる訳にいきません。四斗樽よんとだるひしゃくえて五艇ていうものをにわに並べました。家来けらいの者が、


家来けらい「どうか御随意ごずいいにそれでってお上りをねがいたい」


市兵いちべ「いやまこと結構けっこうでござる」


その後へさけさかなが出ます。魚と云ってもするめの裂いたのにカズノコくらいでございます。それを幾皿いくさらとなく山の様に積んで出しました。サア連中れんちゅうは喉をグウグウらしました。


○「親爺おやじ我々われわれ毒味どくみいたすから……」


うと連中れんちゅうこもをめくって仕しまい、鏡板かがみいた拳骨げんこつをガンとらわすと鏡板かがみいたが飛んでしまった。酒はナミナミ入っている。それへ五合ごごうひしゃくをつけますと、サア呑むの飲まんのて、こんな時に思い切り呑まねば相成あいならぬというので六十九人ろくじゅうきゅうにん連中れんちゅうがグイグイみはじめた。


そればかりではございません。さけさかなもスッカリ食ってしまった。牛飲馬食ぎゅういんばしょくう奴でございます。たらふくいしまたから、こうさえすれば大丈夫だいじょうぶだとうのでかつら市兵衛いちべえが、


市兵いちべ御前ごぜん大変たいへん馳走ちそうになりました」


但馬たじまのかみはよく食う連中れんちゅうだと見ておいでになった。


但馬たじま「まだ酒が残っておる様でないか」


市兵いちべ「もうこれで結構けっこうでございます」


結構けっこうはずだ。四斗樽よんとだる四艇ていあまり空けた。一石六斗余あまりの酒をってたかって飲んでしまったのでございます。いずれも坂田さかた金時きんとき糞喰くそくらえとよう顔付かおつきをしておるのももっともの次第しだいでございまする。そこで但馬たじまのかみはこれを御覧ごらん相成あいなって、わんでもいいのに、


但馬たじまかつら市兵衛いちべえ


市兵いちべ「ハッ」


但馬たじま「どうじゃ、太閤記たいこうき山崎やまざき天王山てんのうざんとむら合戦がっせんには、其方そのほう一番いちばん功名こうみょうであったが、最早もはや年を取っては腕が鈍ったであろうのう」


市兵いちべ「はいおそれながら人の目から見ればそうかもれませんが、年は取りましても腕は鈍らぬつもりでございます。御前ごぜんさけさかなとしてチョッと拙者せっしゃが腕の方をおもうしましょう」


但馬たじま「うむ所望しょもうだ。せてくれい」


市兵いちべ「しかしまだ御当家とうけ家来けらいうわけではございません故、丸切まるきりおもうす訳にはまいりません。ホンの指先ゆびさき力量りきりょうだけを御覧ごらんに入れます」


但馬たじま「ウム指先ゆびさきの力か。面白おもしろい。如何いかがいたしてせる」


市兵いちべ「しからば御免ごめんください」


うと殿とのさんの横においてありまする鹿の三叉みつまたつの刀架かたなかけがあります。これは徳川とくがわ家康いえやすから拝領はいりょうした品で、なかなか立派りっぱなものでございまする。市兵衛いちべえはその刀架の大剣たいけんくだしてしまって、三叉みつまたをひん握ると元の席にやって来ました。殿とのさんは大切たいせつ品物しなものだからヒヤヒヤしてござる。しかし今更いまさらその品はならぬとはえませんから、黙って見ておいでになる。


承知しょうちとおり鹿の角はかたいものでございまする。それを市兵衛いちべえ指先ゆびさきの力をせるために、二本の指でつまんでその枝になっておる所をポリポリと飴をちぎる様にちぎってしまった。殿とのさんはなんと力のつよやつだとおどろいてお出でになる。市兵衛いちべえはこれは家康いえやすからもらった品だと知っておりますから、再び間にわないようにしてやろうとうので、


市兵いちべ御前ごぜん指先ゆびさき力量りきりょうはこれ位でござる。こっちは細うござるがこの太い所でもこのとおりで……」


いながら、一寸ちょっと位ずつに粉末こまちゃにヘシ折ってしまった。殿とのさんもこれをながめて惜しいとうわけにはいかぬ。


但馬たじま市兵衛いちべえ、なかなか天晴あっぱ天晴あっぱれ」


ふるえ声を出して誉めていらっしゃる。


但馬たじま「ヤアどうも市兵衛いちべえ感心かんしんに及んだ」


市兵いちべ「まず年を取りましてもこれ位のものでございます……コレわかやつ親爺おやじでもこれくらいの事は出来できる。そのほう等は年を取った親爺おやじにおくれを取ってはならぬ。お酒を頂戴ちょうだいしたばかりが能でない。チット腕前うでまえあらわしし抱えていただく丈の力量りきりょう御覧ごらんに入れろ」


連中れんちゅう目配めくばせをしましたから、


剛四「いや親爺おやじ、確かに承知しょうちした。それでは浅野あさの御前ごぜんに腕の力をおせ申そう」


と突っ立ちましたのはこの中での力強ちからづよ木村きむら剛四郎ごうしろうでございまする。

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