[本文]第五席

亭主ていしゅ「そりゃ旦那だんな、お教えもうしますが、危のうございますよ。ことによれば生命いのちを取られんければなりません」


大助だいすけ「いやそれはかまわん。是非ぜひとも教えてくれ。浪人ろうにんの中に知っておる者もいようと思うから、是非ぜひとも行きたい」


亭主ていしゅ「それではお出でなさいませ」


うので、大助だいすけ矢立やたてを取り出して、紙を展べますると、亭主ていしゅ裏山うらやまの井ノ口谷いのぐちだにへ行く道順みちじゅんを書いてくれました。


大助だいすけ「うむ。かたじけない。それではこれから行って来よう」


無紋むもん羽織はおりを脱いで亭主ていしゅに渡し、六文ろくもんせん羽織はおりちゃくいたしました。


大助だいすけ亭主ていしゅ、そのほう立ちえったら、彼等かれら両人りょうにんにこの話はせん様にしてくれ」


亭主ていしゅ承知しょうちいたしました。それでは旦那だんなさま、おはやくお帰り遊ばしませ」


大助だいすけ「うむ。用事ようじさえ済めばかえってる。それでは万事ばんじ頼むぞ」


亭主ていしゅ「かしこまりました」


うので亭主ていしゅは山を下ります。


こちらは大助だいすけ幸安ゆきやす、ただ一人ひとりって山を次第しだいに上ってお出でになりましたが、山又山とうち続く深山しんざんでございます。梢を伝う猿の声、轟轟ごうごうと流れる谷川たにがわの響きを耳にしながら、ようよう井ノ口谷いのぐちだにに掛かって来ました。すると丁度ちょうど谷の下口にむかってかやいおり一軒家いっけんやがございます。棟には煙がかかっている。大変たいへん小さい家でございますから大助だいすけは、


大助だいすけ「ははあ、ここに六十九人ろくじゅうきゅうにんもいるのからん」


と思いながらお出でになりまして、松の木の陰からこう内を覗いて見ますると、六十余じゅうよ老人ごろうじん真っ白なおひげ左右さゆうに生やしまして、着たるものはとえばボロボロに相成あいなたのを綴りわせて身にまとい、囲炉裏いろり釣瓶つるべを懸けまして、なにがグツグツと煮ていらっしゃる。その姿すがたはかの宮本みやもと武蔵むさし木曽きそ山中さんちゅうなべ蓋試合ふたじあいいたしました老人ごろうじんと同じ様でございまする。


そこで大助だいすけ入口いりぐちの所まで進んでまいり、


大助だいすけ卒爾そつじながら物をお尋ねもうす。御老人ごろうじん卒爾そつじながら物をお尋ねもうす」


声をかけますると、その老人ごろうじんが、


老人ごろうじん「ははァ、何れのお方かは存ぜぬが、かく人里ひとざとはなれた山中さんちゅうに来られるとは、さだめし道に迷ってのことならん。遠慮えんりょはない。お入りなさい。何をお尋ねになる」


大助だいすけ「しからば御免ごめんください」


と内に入りましたが、大助だいすけはその老人ごろうじんの顔をながめて、


大助だいすけ「オオこれはめずらしい。長らくのあいだ面会めんかいいたしません。おわすれになったかもらぬが、貴殿きでん福島ふくしま家の英雄えいゆうかつら市兵衛いちべえ殿どのでござらぬや」


市兵いちべ「はい。身共みどもを捉えてかつら市兵衛いちべえわるる御貴殿ごきでんはなんと御人ごじんでござるか。見ればまだお年の若い御貴殿ごきでんかつら市兵衛いちべえ一向いっこうおぼえはない。いずれの何人でござる」


大助だいすけ「いやおわすれあったか。かく拙者せっしゃ越前えちぜん大谷おおたに刑部ぎょうぶ少輔しょうゆうの孫に当った真田さなだ大助だいすけ幸安ゆきやすでござる」


市兵いちべ「ゲェ……さては真田さなだ大助だいすけ左衛門佐さざえもんざ幸村ゆきむら軍師ぐんし御賢息ごけんそく大助だいすけ幸安ゆきやす殿どのでござったか。ただ今までの無礼ぶれいの段は平にご容赦ようしゃ……」


といきなり高い所からにわに飛び下りまして両手を突きました。


市兵いちべ「これはどうも大助だいすけ殿どのでございましたか。年を取ると次第しだいに目が悪くなりまして、お見それしました。どうかお上りください。そこは端近はしちか、いざお上りください」


大助だいすけ「いや、そう丁寧ていねいになれると困ります。しからば御免ごめんください」


と庵の傍に上りました。下手に下りましたかつら市兵衛いちべえ


市兵いちべ「まず一別いちべつ以来いらい壮健そうけんでお目出めでとうござるが、大阪おおさかもとうとう落城らくじょうに及んだそうで、実に残念ざんねんな事でござる。難波なんば戦争せんそうには主人しゅじん福島ふくしま正則まさのり江戸えどにおりまして戦争せんそうに出ませず、まこと遺憾いかん千万せんばんでござったが、秀頼ひでよりこうには薩摩さつまにお落ちに相成あいなり、井上谷いのうえだに閑居かんきょ遊ばしたとう話はきました。して又貴殿きでん人里ひとざと離れてかかる山中さんちゅうへ、我々われわれがおる事をご承知しょうちにておしに相成あいなりましたか。ただしは無為むいにお出でになりましたか、如何なん次第しだいで……」


大助だいすけ「いやもとより貴殿きでん等の居る事を承知しょうちして参ったので……」


市兵いちべ「ハテナ、何者なにものからおきになりました」


大助だいすけ「それはある人からうけたまわったが、六十余ろくじゅうよめいもいるとうが左様さようでござるか」


市兵いちべ「はい。全く左様さようで……」


大助だいすけ「しからば貴殿きでんにおはなしもうすが、このたび二代にだい将軍しょうぐんより斯く斯く云々かくかくしかじか上使じょうしが参ったるにより、拙者せっしゃならびに荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみ三名さんめい江戸えど表にみ、将軍しょうぐん談判だんぱんの上、大阪おおさかにて十万石じゅうまんごくを持って豊臣とよとみ再興さいこうう事に相成あいなりました」


市兵いちべ「なるほど、それは早やまこと結構けっこうなこと……」


大助だいすけ「これ故十万石じゅうまんごく墨付すみつき頂戴ちょうだいに及び、薩摩さつまへ帰る途中とちゅう箱根はこねやまおいてまず稲葉いなば丹後たんごのかみが斯く斯く云々かくかくしかじか始末しまつ京都きょうとまいれば斯く斯く云々かくかくしかじか次第しだい、しかるにこのたび此方こちらまいれば浅野あさの但馬たじまのかみ我々われわれらんとうので、介田峠かいたとうげ切通きりとおしに亀田かめだ大隅おおすみ三千人さんぜんにん軍勢ぐんぜいき連れて、鉄砲てっぽう千梃せんちょう大砲たいほう三門さんもんって固めております。それが為に水野みずの吉左衛門きちざえもん殿どのが……」


市兵いちべ水野みずの吉左衛門きちざえもん、あれは我々われわれ朋輩ほうばいでござった。それがどうかしました」


大助だいすけ「その水野みずの殿どの我々われわれを助けくれんが為に、殿どのいましめましたがき入れがない。ついに亀田かめだの為に一命いちめいを落しました」


市兵いちべ「これはどうも残念ざんねんなことをいたしました」


大助だいすけ「なお主に忠義ちゅうぎ姉川あねがわ三平さんぺい久能くのう一平いっぺい両人りょうにん仲間ちゅうげんまでが殿中でんちゅう斬死ざんしいたしました。この事を前夜に水野みずの吉左衛門きちざえもん身共みどもまくら神に立って告げらせてくれましたるにより、実はこれへまいりました。おどくでござるが、このたびの所をおたすねがいたい。薩摩さつま無事ぶじ帰れば貴殿きでん方はいずれ知行ちぎょうにおのぞみはあろうが、ただ今ではかく隠居いんきょ同様どうよう秀頼ひでよりこう、とても大禄たいろくってし抱えることは相成あいならぬが、一度いちど大阪おおさか入城にゅうじょういたせば改めて大禄たいろくをおつかわしになる事でござる。一は水野みずの殿どのとむら合戦がっせんいたして、何分なにぶんともに秀頼ひでよりこう御味方おみかたねがいたい」


うのをき終ったかつら市兵衛いちべえ


市兵いちべ「これは軍師ぐんし、モウ一度いちど豊臣とよとみ再興さいこういたしますれば、これにしたる喜びはござらぬ。知行ちぎょうに望みはありません。かかる山中さんちゅうおいては老後ろうごの楽しみもござらぬ。いで花々はなばなしく合戦かっせんいたし、なんとか功名こうみょうをあらわしたいものでござる。しばらくおください。一同いちどうまねきまするから……」


うと、横にけてありましたあやしいたけふしを抜いたような物、俗にホウトウ貝とうものをって、谷間たにまの方向にむかってブウブウ……と吹き込みました。そのホウトウ貝の響きが反響こだまに響きますると同時どうじに、向手むこうての方でドウドウバリバリッと上ったは、どうやら合図あいず狼煙のろしらしい。それと同時どうじ彼方かなた谷間たにま此方こちら谷間たにまからるわるわ、三人さんにん五人とち伴れ立ってドンドンせ上がって来ましたが、いずれも満足な着物きものを着たものはございません。ボロボロになった羽二重はぶたえを身に纏って、むしろはたてて太鼓たいこを打つものもある。あるいはてつぼう等を提げる者もある。


六十余ろくじゅうよめい一騎いっき当千とうせん勇士ゆうしばかりが、谷を越え山を越えてドンドン駆け付けて来ました。


○「ヤアかつら親爺おやじ、ただ今ホウトウ貝が鳴ったが、ぞくでも来たか、浅野あさのの方から追手おってでも来たか。ぞく何処どこにいる」


市兵いちべ「こりゃこりゃあわてるな。わかやつというのは仕方しかたがない。貴様きさまたちにせるものがあるからまいれ」


○「左様さようか」


うので、市兵衛いちべえの後からプラプラ付いてくる。


市兵いちべ「どうだ。おれ の前に座っておいでになる御人ごじんを存じおるか」


○「親爺おやじ見慣みなれぬ若い武士ぶしだな。一体いったいどこの何者なにものだ」


市兵いちべ「こらどこの何者なにものとは無礼ぶれいであろうぞ。このお方は真田さなだ大助だいすけ左衛門佐さざえもんざ幸村ゆきむら殿どの御賢息ごけんそく大助だいすけ幸安ゆきやす殿どのである」


○「ゲェ……それじゃかつら親爺おやじ真田さなだ大助だいすけ名軍師めいぐんしか」


市兵いちべ「うむ」


○「これは早や無礼ぶれいいたした」


うといずれも刃物を大地だいちに投げ出して両手を突きました六十八名ろくじゅうはちめい、「かくの方は福島ふくしま郎党ろうとうにて、箕作みつくり左衛門ざえもんもうす」「拙者せっしゃは同じく民部みんぶ七郎兵衛ひちろべえもうす」「拙者せっしゃ浜田はまだ市左衛門いちざえもん」「身共みども木村きむら剛四郎ごうしろう」「拙者せっしゃ大原おおはら亀太郎かめたろう、同じく亀之助かめのすけ……」とサア六十八名ろくじゅうはちめいの者が各々おのおの名前なまえを語った。大助だいすけ幸安ゆきやす一通ひととおりの挨拶あいさつをして、


市兵いちべ「いやいや各々おのおの方、おどくであるが何分なにぶんともかつら市兵衛いちべえ殿どのから様子ようすを聞いておたすけをねがいたい」


○「左様さようでございまするか……親爺おやじ軍師ぐんしがなにかおたのみになったのかい。戦でもする上手うまい話か」


市兵いちべ「今話して聞かせるが、実は斯く斯く云々かくかくしかじか次第しだい我々われわれ朋友ほうゆうであった水野みずの吉左衛門きちざえもん斯様かよう次第しだいじゃ」


○「むむう。なる程、にくい奴は浅野あさの但馬たじまのかみだ」


市兵いちべ「それで我々われわれ味方みかたをしてくれとおっしゃるのだ」


○「味方みかたするもせんもない。豊臣とよとみ秀頼ひでよりこうがもう一度いちど大阪おおさかじょう入城にゅうじょう相成あいなればこれより嬉しいことはない。関東かんとう大名だいみょうと再び合戦かっせんいたしてくれん。知行ちぎょうもなにもいらぬ。無禄むろく奉公ほうこうする」


市兵いちべ「それは今も願った所だ。軍師ぐんし御安心ごあんしんください。一同いちどう無禄むろく奉公ほうこういたしたいと望みおりますから……」


大助だいすけまこと千万せんばんかたじけない。しかし市兵衛いちべえ殿どの拙者せっしゃ同道どうどうして貰ってはこまる。どくであるが計略けいりゃくもうすからそのとおりやっていただきたい」


市兵いちべ「はい」


大助だいすけ明日あすここを御出立ごしゅったつになれば斯く斯く云々かくかくしかじか計略けいりゃくって広島ひろしま城内じょうないを潰してもらいたい」


市兵いちべ「なるほど。流石さすが軍師ぐんし、実にその計略けいりゃくにはおどろき入りました。委細いさい承知しょうちいたしました」


大助だいすけ「それでは関門かんもんおい御面会ごめんかいつかまつる。万事ばんじよろしくおねがもうす」


市兵いちべ「かしこまりました。一同いちどうの者、軍師ぐんしをお見送みおくりもうせ」


うので一同いちどう松尾山まつおざんふもとまで送りました。そこで大助だいすけは礼を述べて、そのま西条さいじょう旅籠はたごへお帰りに相成あいなりましたが、こちらは浪人ろうにん六十九名ろくじゅうきゅうめい、その夜それぞれ支度したくいたしまして寝みましたが、いよいよ翌朝よくあさになりますと、


△「サア親爺おやじ、立とう」


うので、六十九人ろくじゅうきゅうにん勢揃せいぞろいをいたしました。その風体ふうていと云ったらなんとも言い様はございません。いずれも山男やまおとこ同然どうぜんあやし気な袋を首にかけておるものもあれば、太鼓たいこ背中せなかに縛り付けているものもある。むしろはたには墨黒々すみくろぐろと「井ノ口谷いのぐちだに浪人ろうにんぐみ」と書きまして、それをば民部みんぶさきに引ッ掲げて、ドンドン山を下りて来ました。丁度ちょうど広島ひろしま介田峠かいたとうげ切通きりとおしへただ今掛かかって来ました。


関門かんもんにはチャンと亀田かめだ大隅おおすみ大将たいしょう相成あいなって、今やるかと固めております。そこへ遠眼鏡とうめがねふもとの方を見ておりました雑兵ぞうひょうの奴が、内へ飛びんで来た。


○「へい、お関所せきしょ大将たいしょうもうし上げます」


大隅おおすみ「なんだ」


○「ただ今麓ふもとの方からあやしい奴らが大勢おおぜいまいります。その勢およそ七八十人ひちはちじゅうにんって井口谷浪人ろうにんぐみと書きましたあやしいむしろはたてて様子ようすでございます。ことによれば松尾山まつおざん裏山うらやまなる旧福島ふくしま浪人ろうにんどもかもれません。如何いかがいたしましょう」


亀田かめだ大隅おおすみこれを聞いて、


大隅おおすみ「フウン、かつら市兵衛いちべえ一隊いったいだな。必ずって相手あいてになるな。奴等やつらにひッ掛ったら大変たいへんだ。ドンナ事をするかも分らぬ。必ず相手あいてになるな。黙って関所せきしょを通せ」


○「委細いさいかしこまりました」


うので、一同いちどうの者はしずまりかえってひかんでおりまするところへ、ふもとの方からエイエイワアワアとときこえを挙げて登ってまいりました。木村きむら剛四郎ごうしろう関門かんもんながめ、


剛四「親爺おやじ、まァてい。見れば関門かんもん出来できておる。事によると我々われわれを通さんかもれぬぞ」


市兵いちべ「マアいいからおれに任しておけ」


かつら市兵衛いちべえは年を取っても矢張り昔取った杵柄きねづかでございます。なかなか元気がいい。一番いちばん先に立って関門かんもんへ入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る