[本文]第四席

水野みずの吉左衛門きちざえもん一刀いっとうを提げてヒョイとむこうを見れば、七八名の家中の者に切り伏せられて、両名の者は横になって、


両名「ご主人しゅじん……ご主人しゅじん……」


う声も早やむしいき、その声を聞いて吉左衛門きちざえもんは、まだ両名は生きておるかと玄関げんかんからヒラリ飛んで下りました。バラバラッと飛んでるや否や、両人りょうにん仲間ちゅうげんいておる家中の者を後からズバリと斬り落した。アッとうまに早や家中の武士ぶし三四人切り倒されましたから、残った者はおどろいてそのまま逃げてしまいます。最早もはやだれる者はいないから、吉左衛門きちざえもん一刀いっとうを横に置いて、姉川あねがわ久能くのうえり髪を掴んでひざ元へき寄せました。


吉左きちざ「こりゃ姉川あねがわ久能くのう、心を確かに持てい。傷口きずぐちは浅いぞ。確りいたせ」


と云ったが、モウ解らぬ。なにしろむしいきで、ただただご主人しゅじん……と、呼ばっておる。


吉左きちざ「オオ主人しゅじんだ。水野みずのだ。こりゃ心を確かに持てい」


と云ったが更に分らぬ。


吉左きちざ「ははァ、最早もはやえぬよう具合ぐあいである」


うので、両人りょうにんの者の耳のはたに口を当て、


吉左きちざ「こりゃ姉川あねがわ久能くのう主人しゅじん水野みずのであるぞ」


と呼ばわりますと、どうやら両人りょうにんの耳に入った様子ようす


両人りょうにん「ご主人しゅじんでございますか」


と見えぬをむきてて取り付く奴の腕首うでくびを取ってひざき寄せ、


吉左きちざ姉川あねがわ久能くのう、よくもこれまで無事ぶじでおってくれた。出来でかしたぞ。流石さすが水野みずの下郎げろうだ。よくった。しかし傷は深手ふかでであるから到底とうてい助からぬ。名もない者のに掛るより身共みども手自てずから首うち落してやるから、左様さよう心得こころえい」


両人りょうにん「ありがとうございます。旦那だんなさま、モウ貴方あなたのお顔を一目ひとめる事が出来できません。一時いちじはや苦痛くつうめてください」


吉左きちざ「うむよい了見りょうけんだ。それに直って観念かんねんに及べッ」


うや否やな南無なむ阿弥陀仏あみだぶつ声諸共もろとも姉川あねがわ三平さんぺい久能くのう一平いっぺい生首なまくびをぶち落しました。吉左衛門きちざえもんはその両人りょうにんの首を前に並べて、


吉左きちざ姉川あねがわ三平さんぺい久能くのう一平いっぺい、よくも忠義ちゅうぎを働いてくれた。身共みどもも直ぐに割腹かっぷくして跡を追ってまいるから、一足先ひとあしさきに母のおともいたしてくれ」


と、を合したなりでって、念仏ねんぶつとなえておいでに相成あいなります。折から後の方にあらわれましたのは、みのたけ六尺ろくしゃくに余った大の勇士ゆうし黒革縅くろかわおどしよろい南蛮鉄なんばんてつ小手こて脛当すねあててを着けたるが、二間半にけんはん穂長ほながやり小脇こわきに抱え、忍びあしに飛んでるがはやいか、吉左衛門きちざえもん脾腹ひばらを臨んでブッスリ突いて来た。


あわや吉左衛門きちざえもん芋刺いもざしに相成あいなったかと思いの外、ヒラリと身体からだをかわしたその早業はやわざ、彼の勇士ゆうしが空を突いてトントントンと前に蹌踉よろめくめく奴のやりつかをグッと掴んで、


吉左きちざ「こりゃッ、何奴どいつなれば卑怯ひきょう未練みれんにも我をだまちにいたす。かく水野みずの吉左衛門きちざえもんは汝が如きにだまちをらう我ではない。面改めくれん」


いながら、やりを取ったままグルリッと前に回した。丁度ちょうど磁石の針のようだ。彼の勇士ゆうしやりと共に前についてまわった。顔をながめて吉左衛門きちざえもんは、


吉左きちざ「オオめずらしや。汝は亀田かめだ大隅おおすみではないか」


浅野あさの家の大隅おおすみえば有名ゆうめい豪傑ごうけつでございます。その亀田かめだもかなわんとうから、吉左衛門きちざえもん余程よほど強かったに相違そういございません。


大隅おおすみ「イヤこれは水野みずの殿どの面目めんもく次第しだいもござらぬ」


吉左きちざ卑怯ひきょう未練みれんな汝の首をち落すのは造作ぞうさもないが、汝の生命いのちを取れば最早もはや浅野あさの家には強い家来けらいはない様になる。よって我が生命いのちを汝につかわす間、我が生命いのちを取って殿どの諫言かんげんいたし、真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめいを助けくれるよう、万事ばんじ頼むぞ」


大隅おおすみ如何いかにも心得こころえてござる」


吉左きちざ「しかし身共みども水野みずのだ。汝にむかって生命いのちをやることは出来できん。死首を取って殿どの諫言かんげんいたせ。これを見よ」


うや否や、相手あいてやりを掴んで我が腹に突っんだ。グッとひねっておいて刀を拾うと我が首に当てがって、自分じぶんと首をち切った。大変たいへん豪傑ごうけつでございます。亀田かめだ大隅おおすみはその首を持って御前ごぜん差出さしだしました。


大隅おおすみ「うむ。亀田かめだ大隅おおすみ天晴あっぱれだ。このたび手柄てがらによって五百石の加増かぞうつかわす間、三千人さんぜんにん同勢どうぜいき連れて、介田峠かいたとうげ切通きりとおりに参って三名さんめいの者を討取れい」


亀田かめだ大隅おおすみ水野みずのを殺そうとしたくらいですから、もちろん但馬たじまのかみ諫言かんげんてはいたしません。


大隅おおすみ委細いさいかしこまりましてございまする」


とここに亀田かめだ大隅おおすみ三千人さんぜんにん大将たいしょう相成あいなって、介田峠かいたとうげ関門かんもんを築き、真田さなだ主従しゅじゅう三名さんめいんでくればりくれんと用意ようい厳重げんじゅうに固めておりました……


はなしは変りまして、ここに真田さなだ大助だいすけ荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみの山名は、京都きょうと発足はっそくいたしまして、旅路たびじをグングンとお出でに相成あいなりました。


間の道中どうちゅうあずかりまして、広島ひろしまより五里手前てまえ西条さいじょう宿しゅくでございまする。ちょうどその日のお昼頃でございますから、昼食ちゅうじきいたそうとうのでとあるちゃみせに入りました。


大助だいすけ亭主ていしゅ、許せい」


亭主ていしゅ「はいお出で遊ばしませ」


大助だいすけ「どうだ。お前の方は宿が出来できるか」


亭主ていしゅ「はい。お宿もいたします」


但馬たじま左様さようか。それではチとはやいが我々われわれ三名さんめい一宿いっしゅくいたすから……」


亭主ていしゅ「ありがとうごございます」


荒川あらかわ熊蔵くまぞう、妙な顔をして、


熊蔵くまぞう軍師ぐんし


大助だいすけ「なんだ」


熊蔵くまぞう今時分じぶんに宿を取らなくてもまだ真昼まひるでございますから、広島ひろしままで行って今晩こんばんお泊りになっては如何でございます」


大助だいすけ「いや少し天文てんもんわるいから今晩こんばんはここで泊る」


熊蔵くまぞう成程なるほど、どういう天文てんもんで」


大助だいすけ本日ほんじつ西行いしゆき悪しと天文てんもんあらわれている」


熊蔵くまぞう「ヘエ……朝からでございますか」


大助だいすけ「いや朝はどうもなかったが、先程さきほどになって道中どうちゅう天文てんもんを考えると、どうも西行いしゆきはわるい。お泊りなさいとある」


熊蔵くまぞう左様さようでございますか。どうも今までに貴方あなた天文てんもんの外れた事はございません。それでは泊ることにしましょう」


そこで三名さんめいはここでお泊りに相成あいなりました。さて翌朝よくあさ相成あいなって大助だいすけ出立しゅったつするかと思うと、まだゆっくり休んでおりますから、荒川あらかわ穴森あなもりの両名は支度したくいたしまして、


熊蔵くまぞう軍師ぐんし、モウお目覚めざめになっては如何でございます」


大助だいすけ大層たいそうはやいじゃないか」


熊蔵くまぞうはやい事はございません。何時いつ貴方あなたに起されておりますのに、今日きょうはどういうものでございます。御出立ごしゅったつは如何でございます」


大助だいすけ「マアゆっくり滞在たいざいいたせ」


熊蔵くまぞう「イイエ、どうもゆっくりはしておられません。我々われわれ一日滞在たいざいいたしますれば、一日大阪おおさか入城にゅうじょうが遅れる訳、一日もはや薩摩さつまに帰らなければ相成あいなりません。十万石じゅうまんごく墨付すみつききをご覧に入れて、はや大阪おおさか入城にゅうじょうがしとうございます」


大助だいすけ荒川あらかわ、そりゃだれでも同じ心だが、本日ほんじつ西行いしゆわるいと天文てんもんあらわれた。今日きょうは休もう」


熊蔵くまぞう左様さようでございますか。大変たいへん西行いしゆきがわるいと天文てんもんでございますな」


大助だいすけ「うむ。それで今日きょう一日だけは酒でも飲んでゆっくり養生ようじょうせよ」


熊蔵くまぞう「ありがとうございます」


そこから大助だいすけは起き上がって御飯ごはんいただきました後、


大助だいすけ亭主ていしゅ


亭主ていしゅ「へいおまねきにございます」


大助だいすけ「お前にちょと尋ねたいことがある」


亭主ていしゅ「へい」


大助だいすけ「お前はこの土地とちの者か。遠国えんごくから参って宿をしておるのか」


亭主ていしゅ「なに私はこの土地とちの者でございます」


大助だいすけ左様さようか。じゃ聞いたら解るだろうが、この西条さいじょう付近ふきん松尾山まつおざんう山があるか」


亭主ていしゅ「へいへい、ございます。ちょうどこの向いに見えておりますのが、松尾山まつおざんでございます」


大助だいすけ「なるほど、その松尾山まつおざんむかって見物けんぶつに行きたいと思う。亭主ていしゅどくだがみち案内あんないをしてくれぬか」


亭主ていしゅ「かしこまりました。お出で遊ばしまする様、旦那だんなさま宿帳やどちょう薩摩さつまの御藩で佐々木ささき金吾きんごと記してございましたが、薩摩さつまのお方で大変たいへんこの付近ふきんの事をご存知でございまするな」


大助だいすけ「なに知っておるとう程ではないが、なにかの本で見たと思っている。とにかくひとつ案内あんないをしてくれ」


亭主ていしゅ「かしこまりました」


すると荒川あらかわ熊蔵くまぞうが黙って聞いてはおりません。


熊蔵くまぞう軍師ぐんし、山行きでございますか」


大助だいすけ左様さようだ」


熊蔵くまぞう我々われわれもおともねがいます」


大助だいすけ「いや今日きょうは供はならぬ。少し山に登って天文てんもんを考えたいから、そちら二人ふたりは宿に残って酒でも飲んで休んでいてくれ」


熊蔵くまぞう邪魔じゃまになるのなら仕方しかたはございません。おはやくお帰り」


大助だいすけ「よし承知しょうちに及んだ」


そこから包みの中から取り出しましたは六文ろくもんせんの紋の付いたお羽織はおり、それをば風呂ふろ敷に包んで亭主ていしゅに持たせ、松尾山まつおざんむかってお上りに相成あいなりました。ドンドンと山を登って行く。亭主ていしゅ大助だいすけがここで休もうと云ってくれぬから、往生おうじょうをいしました。


亭主ていしゅ旦那だんなさま一体いったい松尾山まつおざんのどこまでお出でになるのでございます」


大助だいすけ「そうだ。どことう事もないのだが、どうだモウ山の何合なんごうまでは登ったか」


亭主ていしゅ左様さようでございます。モウ八合までは登りました」


大助だいすけ左様さようかな。それでは弁当べんとうでも開く事にしよう」


亭主ていしゅ「サアサアお食べあそばせ」


そこから松葉まつばを集めて来て湯をかし、弁当べんとう用意よういに及びましたが、やがて御飯ごはんも済みますと、


大助だいすけ亭主ていしゅ


亭主ていしゅ「へい」


大助だいすけ「お前に聞いたら解るじゃろうが、この裏山うらやまに井ノ口谷いのぐちだにう谷があるか」


亭主ていしゅ「へいへい、井ノ口谷いのぐちだにうのがございます。旦那だんなさまはよくご承知しょうちでございますな」


大助だいすけ「いや別に深く知っている訳でもないが、その井ノ口谷いのぐちだに見物けんぶつまいりたいが、案内あんないをしてくれる事は出来できぬか」


亭主ていしゅ「そりゃ旦那だんなさま折角せっかくでございますが、おことわりをいたします。そんなところへ行きましたら最後さいごすけ、帰る事は出来できません」


大助だいすけ「なぜ帰れない。ははァ何か、年経こうへ獣物けだものでも住んでいるか」


亭主ていしゅ「イイエ、獣物けだものではございません。人間にんげんが住んでおりますので、私はまだ行ったことがございませんが、この裏山うらやまの井ノ口谷いのぐちだにには浪人ろうにん六十九名ろくじゅうきゅうめい、山篭りをしているそうでございます」


大助だいすけ「なに浪人ろうにんか。何処どこ浪人ろうにんだ」


亭主ていしゅ「なんでも大阪おおさか難波なんば戦記せんきのこりやら福島ふくしまさんの御家来ごけらいたちでございます」


大助だいすけ「ははア左様さようか。福島ふくしまこう郎党ろうとうやら大阪おおさか残党ざんとうこもっているか。成程なるほど六十九人ろくじゅうきゅうにんも……」


亭主ていしゅ左様さようでございます」


大助だいすけ「そいつは面白おもしろい。どういう手合てあいか一つ面会めんかいして来よう。亭主ていしゅ案内あんないしてくれ。どうだ」


亭主ていしゅ「なかなか案内あんないどころでございません。みんなつよやつらばかりでございますから、ドンな目に会うかれません……」


大助だいすけ「なに亭主ていしゅ、そんなものはないよ。身共みども退治たいじしてやる」


亭主ていしゅ「そりゃ旦那だんな、危のうございます。旦那だんなさまはなにもご承知しょうちございませんが、福島ふくしまのおいえが断絶しましたから、その後へむかっていま浅野あさのさんがお出でになりました」


大助だいすけ「なるほど」


亭主ていしゅ「その時の殿とのさんが御《》領分りょうぶん巡見じゅんけんになりまして、この松尾山まつおざんもお取り調べになりました」


大助だいすけ「うむ」


亭主ていしゅ「するとこの谷間たにまから六十何名という浪人ろうにんてましたので、浅野あさのさんがお前等は福島ふくしま家来けらいか、それならば大禄たいろくをもってし抱えてやると仰いました」


大助だいすけ「なるほど」


亭主ていしゅ「ところがウンといません。我々われわれ忠臣ちゅうしんである。忠臣ちゅうしん二君にくんつかえずとやら、二度にどと主は持たぬ。ことに浅野あさのような二股大根の家来けらいになる我々われわれではないと、殿とのさんをばボロ糞に云ったので、浅野あさのさんは大変たいへん立腹りっぷくになりまして、予にむかって悪口わるぐち雑言ぞうごんいたす奴は予の領分りょうぶんに置く事は相成あいならん。早々そうそうここをれとう。すると浪人ろうにんが立とうが立つまいと此方こちら勝手かってだ。立たすだけの力があれば立たして見ろとう。猪口才ちょこざいなりとうので、五百人の軍勢ぐんぜいしました」


大助だいすけ「フフン成程なるほど面白おもしろいな」


亭主ていしゅ「とうとう六十九名ろくじゅうきゅうめいと五百人とでやまなか戦争せんそうをやりました所が、六十九名ろくじゅうきゅうめいのために浅野あさのさんの家来けらいは片っかたっぱから大方おおかたやられました」


大助だいすけ「フフッなるほど」


亭主ていしゅ「残ったものはうのていかえって、もうそれっきりになっております」


大助だいすけ成程なるほど中々なかなか強いの」


亭主ていしゅ「強いの強くないのでございません。私等わたしらが行きましたら、いいところへ来たとうので、浪人ろうにんものってたかってそりゃ下帯したおびを洗えとかめしを炊けとかボロ糞に使われて、とても帰る事は出来できません。山で持って生害飼ごろしになるかもれません。折角せっかくでございますが案内あんないはおことわりをいたします」


大助だいすけ左様さようか。お前が行けねば仕方しかたがあるまい。身共みども一人ひとりで行くから道順みちじゅんを教えてくれ」

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