[本文]第三席

吉左きちざ「サアこの名剣めいけんつかわす。これをって明日あすにしてくれ。これは小原おばら右馬頭うまのかみ、こっちは備前びぜん長船おさふね名剣めいけんである。いずれも五百石以下の者では差せない刀であるから、しっかりやってくれ」


両名「ありがとうございます」


吉左きちざ「それで御飯ごはんを食べたかろうが、御飯ごはんは食べぬように。そのほうらはどう死様しにざまをするか解らぬが、なぶりころしにせられた時に、切り口から御飯ごはんておってははじをかくから、よいかはじをかくともはじをかくなとう例えもある。よって両名ともに酒を飲んで夜を明かすがよい」


両名「はい。かしこまりました」


そこで両名は酒肴さけさかな用意よういいたします。そのあいだ吉左衛門きちざえもん屋敷やしきに置きましたる腰元こしもと下女げじょなどに、それぞれお金をやって、その夜の中に立たしてしまいまする。そうしておいて、主従しゅじゅう三名さんめいたがいに酒を飲んでおりましたが、早や二つみっつも過ぎ、むつ(日の出ごろ)の鐘が鳴り響きましたから、


吉左きちざ「サア出立しゅったつに及ぼう」


いので主従しゅじゅう用意よういに及びます。水野みずの吉左衛門きちざえもん白綾しらあやって襷十字たすきじゅうじにあやどりました。その上からは羽織はおりしました。もっとも手拭てぬぐいは四つに畳んで何時いつでも鉢巻はちまき出来できるように懐中かいちゅういたしました。


そのまま緒太おぶと草履ぞうりに身を乗せて、姉川あねがわ三平さんぺい久能くのう一平いっぺい両人りょうにんを連れて死出しで旅路たびじう、自分じぶん屋敷やしきを後にながめて広島ひろしま城内じょうない御登城ごとじょう相成あいなります。夜前やぜんからき続き御登城ごとじょうでございますから、御門ごもんはチャンと開いております。「水野みずの様のお上り……」と触れむと同時どうじに、玄関げんかんに上りました水野みずの吉左衛門きちざえもん


吉左きちざ「コレ姉川あねがわ久能くのう、これがわかれに相成あいなるかもれぬ。必ず卑劣ひれつしにざまをするでないぞ。縁があればモウ一度いちど面会めんかいいたすかもれぬが、最早もはや今生こんじょうわかれであるから左様さよう心得こころえい」


両人りょうにん「はい。どうか旦那だんなさま、十分のお働きをねがいます」


吉左きちざ「うむ、さらばである」


とそのまま御殿ごてんへお上りになりました……


後では両人りょうにんの者、吉左衛門きちざえもんの姿が見えなくなるまで見送みおくりって、仲間ちゅうげん部屋へやにやって来ました。早や方々の仲間ちゅうげんが四五十人集まっております。


両人りょうにん「どなたもお早う」


○「オオ姉川あねがわ久能くのうか。エライはやいな」


両人りょうにん「うむ」


○「なんだな。昨日きのうはお前らの所の主人しゅじん、エライどくだったな。殿とのさんに面体めんていを斬られたとか。それが為に御家ごかちゅう一同いちどう昨夜さくやからお詰めになっておれ等も帰られんと始末しまつだ。それはそうと看板かんばんがさらだが」


両人りょうにん「うむ。見てくれ。ちゃんとサラでな」


○「なにかい。それはそう物かい」


一平いっぺい「なにそう物でない。一度いちど国にかえって来ようと思ってな」


○「国へ帰ると。てめぇは広島ひろしまざいではないか。ちょっと行けば昼にかえってこられる所だ」


一平いっぺい「うむ生れたのは広島ひろしまだが、親爺おやじ本国ほんごくへ帰るのだ」


○「本国ほんごく何処どこだ?」


一平いっぺい「ズッと西だ」


○「西から豊前びぜん小倉おぐらか?」


一平いっぺい「まだずっと西だ」


○「薩摩さつまかい?」


一平いっぺい「まだまだ」


○「馬鹿ばかッ、どこまで西だ」


一平いっぺい「ズッとズッと西だ。十万億土じゅうまんおくどう所だ」


○「なに十万億土じゅうまんおくど……久能くのう姉川あねがわも大分酔っておるな」


三平さんぺい「うむおれら酔っておる。昨夜さくやからガブガブ飲んだのや。人間にんげん末期まつごの水というがおれらは末期まつごの酒を飲んだのや」


△「オイオイ相手あいてになるな、大分酔っておる」


三平さんぺい「オイ、おれらは仲間ちゅうげんだが、差している刀を見てくれ。この腰物こしのものどうや」


▲「なるほど、ホンマ物やな」


三平さんぺい「お前らの差している真鍮しんちゅう銅輪どうまの木刀と大分違う。なんと腰物こしのものか知ってるか」


▲「解らんな」


三平さんぺい「そりゃ分るまい。これは日本にほん一の刀鍛治かたなかじ屋小原おばら右馬頭うまのかみうのや」


▲「フン成程なるほど


三平さんぺい久能くのうが差しているのは備前びぜん長船おさふねう。五百石以下の武士ぶしでは腰におさめることは出来できんとう代物だ」


▲「なるほど。立派りっぱなものやな」


三平さんぺい「作りだけと思っているか。中身をせてやろうか」


▲「いやモウ分ってる。見ないでもいい」


三平さんぺい「斬れへんと思てるだろう……久能くのう一度いちど抜いてせてやれ」


一平いっぺい「よし心得こころえた」


うと久能くのう一平いっぺい、ズラリき抜いた。


▲「オイ危い」


一平いっぺい「どうだ光ってるだろう」


▲「うむ。光ってる光ってる」


一平いっぺい「錆びた刀と違うぞ」


▲「いや分った、分ったからおさめてくれ」


一平いっぺい「まあ良い。おそいかはやいか抜く刀だ。今までおれらを可愛がってくれた奴はよいが、おれ二人ふたりを憎んでいた奴は、この刀でバッサリころすのだ」


▲「オイオイおかしな事をうな。さやおさめてくれ」


一平いっぺい「まあいい。人間にんげんうものは、死ぬ気になったらこれ程強い者はない。どうじゃ一つ切ったろうか」


▲「オイオイ、冗談じょうだんうな。分ってるからまァおさめてくれ」


一平いっぺい「はッはッハ、えろう怖がっているな……三平さんぺい、どうしよう」


三平さんぺい「そうだ。ちゃちゃに斬るわけにはいかん。入口いりぐちに待って皆殺ころしにしてやろう」


一平いっぺい「なるほどそれもよかろう」


うので両人りょうにん仲間ちゅうげん部屋へやのいりぐち にテンと座って、奥の方の騒動そうどうち受けました……。


はなしは変りまして、水野みずの吉左衛門きちざえもん御殿ごてんむかってお上りに相成あいなり、自分じぶんの席に着いておいでになります。家中は残らず詰めておる。ところむかって但馬たじまのかみさんお出でに相成あいなりました。家中の者を残らず見渡みわたしますると、水野みずの吉左衛門きちざえもんは相変わらず席に着している。昨日きのうの額の傷はそのまま、別に手当てあてもしていない。顔色かおいろ蒼醒あおざめているが、行儀ぎょうぎよく座っている。


但馬たじま「うむ、それにひかえたるは水野みずの吉左衛門きちざえもんか」


吉左きちざ「はは、御意ぎょいさまにございまする」


但馬たじま昨日きのうはそのほうが予にむかって無礼ぶれい過言かごんもうしたにより、額を破ったが、さだめし立ちえってとくと考えたであろう。本日ほんじつ登城とじょういたすからには、真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめい所存しょぞん相違そういあるまい。首尾しゅびよく三名さんめいれば褒美ほうびつかわす。早速さっそく切通きりとおしにむかって出張しゅっちょうに及べ」


言葉ことばが終るのを待って、静かに頭を上げました吉左衛門きちざえもんは、


吉左きちざ「いや御前ごぜん昨日きのうもうし上げましたるとおり、例え御前ごぜんなんおおせに相成あいなりましょうとも、三名さんめいることは相成あいなりません」


但馬たじま「なに、しからばどうあっても討たぬともうすか」


吉左きちざ「はい。水野みずの吉左衛門きちざえもん武士ぶしにございまする。武士ぶし言葉ことばに二言はありません。昨日きのう御前ごぜんの為に打擲ちょうちゃくされたがために、今豊臣とよとみに対して刃を向けるものにございません。なにとぞ三名さんめいをおたすくだされたく存じまする。もしおたすくだかれん時においては、水野みずの吉左衛門きちざえもん少し存じ寄りがございます」


大剣たいけんを取って殿とのさんの傍にヂリヂリと近寄ちかよらんとする。これをながめた浅野あさの但馬たじまのかみは、


但馬たじま「ウヌ、無礼ぶれいな奴だ。またいたしても予に対して諫言かんげんだてをするか。だれかある。彼をれい」


殿とのさんのお言葉ことばでございますから、家中の者三さん四名よめい立ち上がって、水野みずの吉左衛門きちざえもんの傍に近寄った。


甲「水野みずの殿どの、君命である。神妙しんみょうにせられよ」


いながら、大剣たいけんをスラリき抜いて、水野みずのって掛るから、吉左衛門きちざえもんはハッタとにらんで、


吉左きちざ「ジタバタいたすな。汝等なんじらどもに恨みはないが、しかし身共みども味方みかたいたして、御前ごぜん諫言かんげんもうさぬ日には、どいつこいつの容赦ようしゃはない。っててるまでの事、ひかえおれい……おそれながら御前ごぜん真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめい生命いのちをおたすくださればそれでよし、もし三名さんめいをおたすくだかれん時には、貴方あなた生命いのちを取って、若殿どのって相続をねが所存しょぞんでござる。返答へんとう如何いかにございまする」


と着たる羽織はおりをバッと脱ぎてますると、はや襷十字たすきじゅうじ綾取あやどってある。手拭てぬぐいを取り出しますると、目の吊るばかりに後鉢巻うしろはちまきに及びました。一刀いっとう目釘めくぎに湿りをくれると、柄にをかけ返答へんとう次第しだいによっては、一刀いっとうの下に斬りくださんのいきおい、ご覧に相成あいなった但馬たじまのかみは、


但馬たじま「おのれ憎っきその一言いちごん主人しゅじん生命いのちを取るなどとは、無礼ぶれいきわまる。それ者共、水野みずのれッ」


と再度の沙汰さたに家中の者は総立ちとなって、「水野みずの観念かんねんに及べッ」と左右さゆうからってる。


吉左きちざ最早もはやいたし方はない。うぬらが何程なにほどの事やあらん」


さやをズラリ払った五郎ごろう正宗まさむね名剣めいけんみぎひだりに薙ぎたおす。こう梨割なしわ空竹割からたけわり、あるいは大袈裟けさ腰車こしぐるま、ザックバランと切りたおす。死骸しがいはバタバタと増えるばかり、血はドンドンと流れ出る。ここに大広間おおひろまは一場の修羅場しゅらば相成あいなりました。殿とのさんはおどろいて御寝所ごしんじょへ逃げてお入りに相成あいなります。


吉左衛門きちざえもんは後をけようと思うが、家中の者が遠巻とおまきにひかえておりますから、近寄る間がない。水野みずの刃傷にんじょうだ……発狂はっきょうだ……刃傷にんじょうだ……とう声が喧しい。この声が御殿中でんちゅうに響きましたから、上を下へのだい騒動そうどう、グングンこれが下へも聞こえてきた。仲間ちゅうげん部屋へや入口いりぐちで待っておりました久能くのう一平いっぺい、この声を聞いて、


一平いっぺい姉川あねがわ、どうやら始まったぞ」


三平さんぺい「オット合点がてん心得こころえた」


うと両人りょうにん一刀いっとうをズラリ抜いたから、数多かずおおくの者はこれはと許りおどろいた。


皆「危い危い、ヤア仲間ちゅうげん刃傷にんじょうだ……」


と騒ぎだした。両人りょうにん入口いりぐちに立って、


両人りょうにん「コラばたつくな。こうなったからには容赦ようしゃはない。四十二万にまんごくの家中の奴は皆仇みなかたきだ。それ……」


うなり小原おばら右馬頭うまのかみ備前びぜん長船おさふねの名刀で斬り出した。可哀想かわいそうに集っている仲間ちゅうげんは皆が木刀でございますから、


○「そりゃ斬りよったぞ。逃げい逃げい」


一平いっぺい「おのれは逃すものか。おのれはおれを憎みやがった奴だ」


と切り付けたが、両人りょうにんは生れてまだ刀を抜いた事がございませんから、刀が自由じゆう相成あいならぬ。腕を落してみたり耳を切ったりあるいは股を切ったり、死人しにん余計よけい出来できぬが怪我けが人を沢山たくさんこしらえた。その中にも両人りょうにんは腕がダルクなってくる。髪の元結もとゆいは斬れてザンバラ髪と相成あいなる。身体からだ一面いちめん血みどろになりながら、


一平いっぺい姉川あねがわ


三郎さぶろう「むむ」


一平いっぺい「まだ生きているか」


三郎さぶろう「生きているとも……」


一平いっぺい「何人程切った」


三郎さぶろう「うむ大分切ったぞ。三十人くらいってるだろう」


一平いっぺい「そうか。おれも二十五六人はった」


なんの事はない。両人りょうにんちゃちゃまくるのでございますから、仲間ちゅうげん共はうのていで逃げ出すという有様ありさま、ここに十四五人程は死人しにん出来できました……


こちら御殿ごてんおいては水野みずの吉左衛門きちざえもんのためにまくられてられ、生命いのちからがらドンドンドンと玄関げんかん先へ逃げて来ますると、玄関げんかん先においては、「仲間ちゅうげん刃傷にんじょうだ、刃傷にんじょうだ」と叫んでいる。御殿ごてんでは、「水野みずの刃傷にんじょうだ、刃傷にんじょうだ」とう騒ぎ、家中の者はこれをながめて、主も主なら家来けらい家来けらいだ。それ逃すなッ、とバラリ飛んでる。き抜いた刀をって無我むが夢中むちゅうになっている姉川あねがわ三平さんぺい久能くのう一平いっぺい肩口かたくちを臨んでズボッと浴びせけた。


アッとうと両人りょうにんっくり返って、


両人りょうにん「おのれ斬りゃがったな」


と立ち上がろうとすると、


甲「無礼ぶれいな奴だ」


と又ぞろザックリやられる。可哀想かわいそう両人りょうにんの者は、家中の者にサンザンにまくられ、最早もはやえなくなった。ヨロヨロとよろめいて、玄関げんかんの前に坐りんだ。


一平いっぺい姉川あねがわ


三郎さぶろう「むむ、久能くのうか苦しいぞ。モウ目が見えへんわい」


一平いっぺいおれもだ。今際いまわきわにモウ一度いちど主人しゅじんの顔を見て死にたい。ご主人しゅじん……」


三郎さぶろう「ご主人しゅじん……ご主人しゅじん……」


一所懸命いっしょけんめい両人りょうにんが呼ばわる。その声が天道てんどう未だ地に落ち給わざりしか、必死ひっし相成あいなって御殿ごてんで働いておりまする水野みずの吉左衛門きちざえもんの耳に入った。


吉左衛門きちざえもんが気付いてみると早や五十人からの死人しにんでございまする。血の垂れる一刀いっとうを提げた吉左衛門きちざえもん


吉左きちざ「どうも残念ざんねん至極しごくだが、殿とのさんを取り逃がしてしまった。最早もはやいたし方ない。しかし下郎げろうの両名はどうしているからぬ。今聞こえたは確かに下郎げろうの声、まだ無事ぶじでいるかしら。一目面会めんかいしてやりたい」


と思ったから、そのまま玄関げんかんの方へ走り出た。家中の者は手並てなみをおそれて逃げ出すから、あたかも人なき所を走るがごとくドンドン玄関げんかんさしてやって来ました。

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