[本文]第二席

吉左きちざ「サア母上ははうえ、おやすみ遊ばせ」


寝所しんじょ母親ははおや案内あんないしました。唐紙からかみめそのまま我が居間いまに入って、机の前に座りましたが、腕を組んで太息ふといきをついて、


吉左きちざ「ああどうも困ったことが出来できた。こりゃ如何いかがいたしたらよかろう。あの具合ぐあいでは殿どの意地いじづく、身共みどもがいやとえばだれか外に差しつかわしになるに違いない。ああどうかして三名さんめい生命いのちをたすけもうさんければ相成あいならぬが、どうしたらよかろうらぬ」


としばらくのあいだ考えておいでになりましたが、何気なしにヒョっと前の本を御覧ごらん相成あいなりますると、主辱しゅはずかしめらるれば臣死しんしすという語がございますから、ポンとひざを叩いて、


吉左きちざ「なるほどこれに違いない。主辱しゅはずかしめらるれば臣死しんしすじゃ。よしそれでは明日あすには早朝そうちょう登城とじょういたし、御前ごぜんにモウ一度いちど御諫言かんげんもうし上げ、おき入れくださればそれで良し、もしおき入れないとあれば、やむを得ず四二万よんじゅうにまんごくの君にをかけて、拙者せっしゃ死骸しがいこしをかけ割腹かっぷくいたし、後は若殿どのって家督かとくねがうより仕方しかたはない。しかし我が死ねば後に残った老母は露頭ろとうに迷う。それが一つ苦になるが、最早もはやいたし方はない。忠義ちゅうぎの為には親の生命いのちを取った仮令たとえもあれば、せめてもの事に母親ははおやにありし事共ことどもを書き付け置かん」


うので、夜の目もおやすみにならないで、机にもたれて涙片手かたてに、今日きょう殿中でんちゅうにあった事共ことども、詳しく手紙てがみに書き付けました。その中に四更しこう(今の午前1-3時)の鐘のきぬたの音のうちに混じる頃も過ぎ、追々おいおい更け渡りました真夜中まよなか半となりますれば、世の中はシ……ンといたしてまことに静かでございまする。


吉左きちざ「モウ母上ははうえもおやすみになったからん。ドレ一寝入ねいいたそう」


うので、大剣たいけん小剣しょうけんを床のあいだに飾りまして、今居間いまを立とうといたしまする一刹那いっせつなにわかにキャッとあげた一声、


吉左きちざ「あれ合点がてんの行かぬ女の声、もしものことがあったのではないか」


あわ狼狽ふためいて、母親ははおやいまの方へ走り行き、唐紙からかみの外より見まするとうと、なんの香からぬが、香の匂いが馥郁ふくいくといたして、居間いま一杯いっぱいに満ちてある様子ようす


吉左きちざ「はて不思議ふしぎ、なんで今時分じぶんに香をたいて……」


あやしみながら、


吉左きちざ母上ははうえ、おやすみになりましたか? 吉左衛門きちざえもんでございます。お身体からだにお変わりはございませんか」


と声をかけましたが、返事へんじがない。


吉左きちざ御免ごめんください母上ははうえ、お居間いまひらきますから……」


唐紙からかみを開けて見ますれば、六枚折りの屏風びょうぶがキリキリッと廻してある。その屏風びょうぶを横に畳んで、ヒョイと前を見ますると、父親ちちおや水野みずの権兵衛ごんべい位牌いはいを起きまして、母は一通いっつうの書き置きをにぎったそのまま、喉にむかって短刀を突き刺し、うつむせに血に染まって倒れておりますから、これをながめておどろきました吉左衛門きちざえもん、側に寄るや否や母の手より短剣たんけんうばりました。




吉左きちざ母上ははうえ如何いかなれば斯様かよう御短気ごたんきな事を遊ばしました。何故なにゆえ御自害ごじがいでございまする。母上ははうえ吉左衛門きちざえもんでございます。お心を確かに……」


すがる。母笹枝ささえは苦しき息の下より、


笹枝ささえ吉左衛門きちざえもん、決しててしやるな。私も水野みずの権兵衛ごんべい女房にょうぼう、そなたを産んだ母じゃもの、そなたの素振そぶりがあやしい事は存じております。今日きょうお帰りになった時、御前ごぜんにて試合をしたとわれたが、木太刀たちでもって怪我けがした傷か、人に割られた傷か分らぬ位でどうしましょう。今話を聞いておれば、なにか豊臣とよとみ忠義ちゅうぎを尽し、真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめいを助けんため、明日あすはなお一度いちど殿とのさんに諫言かんげんをいたし、もし諫言かんげんき入れぬ時は、殿とのさんを殺害さつがいに及んでそなたは切腹せっぷくいたしてあいてるとの事、しかしこの母がいる事ゆえ、後に心が残る様子ようす、それゆえ母さえおらずば、心に残るものはない。十分の働きも出来、また十分の諫言かんげん出来できるでありましょう。吉左衛門きちざえもん、決して心配しんぱいするでない。御当家とうけも元は豊臣とよとみ家来けらいなれば、大阪おおさかには是非ぜひ忠義ちゅうぎを尽さなければ相成あいならぬ。ついては明日あす殿とのさま御諫言かんげんもうし、もしおき入りでなき時は、親の仇とりなさい。サアはや介錯かいしゃくをしや」


われて吉左衛門きちざえもんは、ひざの上にあられような涙を落し、


吉左きちざ「いや母上ははうえ今日きょう拙者せっしゃかえりました時に、いつわりをもうして済まぬと思いましたが、今更いまさら承知しょうちになればいたし方ございません。今日きょう御殿ごてん次第しだいはおきなすったとおりに毛頭もうとう相違そういはございません。しからば甚だ不幸ふこうでございまするが、豊臣とよとみの為でございますれば、母上ははうえ一命いちめい頂戴ちょうだいつかまつります」


と涙ながらに吉左衛門きちざえもんは、口に南無なむ阿弥陀仏あみだぶつとなえながら、後にまわって母の生首なまくびち落しました。血糊ちのりぬぐってさやおさめ、死骸しがい布団ふとんに巻きましたが、太息ふといきをついた吉左衛門きちざえもん


吉左きちざ「これだれかおらぬか」


う声の下よりふすまの外に声して、


一平いっぺい「ヘヘッ旦那だんなさま、おまねきでございます」


吉左きちざ何者なにものだ」


一平いっぺい「はい。姉川あねがわ三平さんぺい久能くのう一平いっぺいでございます」


吉左きちざ「なに仲間ちゅうげんか。そのほうらは何時いつにここに参っていた。下司げす下郎げろうの身をって主人しゅじん寝所しんじょに忍び入るとは無礼ぶれいであろう」


一平いっぺい「はい。実は無礼ぶれいを帰りみずまいりましたが、旦那だんなさま、とうとうお母様は御自害ごじがいを遊ばしまして……」


吉左きちざ「しからばそのほうらは様子ようすを見ていたのか」


一平いっぺい「はい。旦那だんなさま今日きょう御殿ごてんからお退さがりになりましたその時から、どうも様子ようすあやしいと実は見ておりましたので、これにはなにかふかい訳がある事だろうと存じまして、両人りょうにんは寝もいたしませず、ご主人しゅじんの身にかかる一大事だいじ、どうか様子ようすきたいと、先程さきほど忍んでまいりまして、おはなしは残らずうけたまわったのでございます」


と声を湿らして語り出た。吉左衛門きちざえもんはこれを聞いて嬉しく思い、


吉左きちざ「うむ。左様さようか。何時いつに変らぬそのほうらの忠義ちゅうぎ感心かんしんに及んだ。話を聞いた上はいたし方ない。母の死骸しがい片付かたづけをしてくれ」


一平いっぺい「はい承知しょうちいたしました」


吉左きちざ「そこで母の死骸しがい片付かたづけが済めば、最早もはやそのほう共に用事ようじはない。何時いつまでもし使う考えであったが、こういう次第しだいであるから是非ぜひがない。ついてはここに五十両ごじゅうりょうずつ金子きんすがあるから、これを資本しほんにして好きな商売しょうばいいたせ。それでもし主人しゅじんの恩を思えば、命日めいにちには一片いっぺん回向えこうをして、香花こうげ手向たむけてくれるよう、これを只管ひたすらねがっておく」


両人りょうにん「エエ旦那だんなさま、この五十両ごじゅうりょう金子きんすをもらって、どうするのでございます」


吉左きちざ「今云ったではないか。これを持って好きな商売しょうばいいたせと元手もとで金子きんすだ」


両人りょうにん「はい……」


吉左きちざ「まあ五十両ごじゅうりょうでもあれば、一文いちもん商売しょうばいくらいは出来できるであろう」


両人りょうにん「しかし旦那だんなさま私共わたしども一文いちもん商売しょうばいをする為に、そんな了見りょうけん御当家とうけ奉公ほうこうしたのではございません。旦那だんなさま主従しゅじゅうの縁とはそんな浅いものではございません。親子は一世いっせ主従しゅじゅう三世さんぜとやら、人さんの話に聞いております。どうか済みませんが御親切ごしんせつ銭六文ろくもんだけねがいます」


吉左きちざ「なに六文ろくもんくれ? 六文ろくもん持ってどうする」


一平いっぺい人間にんげんが死にましたら棺桶かんおけの中に六文ろくもん入れると決っております」


吉左きちざたわけたことをうな」


一平いっぺい「決してたわけた事ではございません。どうか済みませぬが、私共わたしどもも一つ旦那だんなさまのおともねがいとうございます。貴方あなた御殿ごてんに遊ばしますれば、私共わたしども刃向はむかう奴の家来けらいどもをって死にとうございます。冥土めいどたびには主従しゅじゅう三名さんめい連れでまいります。どうか明日あすのおともをさせていただきますよう」


吉左きちざ「うむ。よく云ってくれた。実に持つべきものは家来けらいだ。忠義ちゅうぎ面にあらわれたそのほうらの言葉ことばまことに嬉しく思うが、どうしてもれてく事は出来できぬ。身共みども武士ぶしである。殿とのさま御前ごぜんにするに、下郎げろうを連れてにしたとわれては、武士ぶし面目めんもくに関わる。供のは相かなわぬ」


両人りょうにん「イイエ旦那だんなさま、なんと仰いましても是非ぜひともおともねがいます」


吉左きちざ「いやならぬとえばならぬ」


両人りょうにん「いやどう仰ってもおともねがいます。どうしても私どもはひまを貰って帰る訳にはなりません」


吉左きちざ無理むりう奴だ。なんと云っても供はかなわぬ」


両人りょうにん「じゃァいたし方はございません。私共わたしどもはただ今限りでおひまもらいまして、これから御殿ごてんみ、思う存分ぞんぶん働いていたします」


吉左きちざ「どうもいたし方のない奴だ。身共みども言葉ことばき入れぬとあれば、最早もはや了見りょうけん相成あいならぬ。両名供に手打ちにいたすがどうだ」


両人りょうにん「はい。どうぞ旦那だんなさま御随意ごずいいねがいまする」


吉左きちざ「うぬ、憎っくきその一言いちごん家来けらいを思い温和おとなしくえばり、飽くまで主人しゅじん軽蔑けいべついたす。最早もはやいたし方はない。両名供にぷたつにいたしくれるから覚悟かくごに及べッ」


一平いっぺい「はい。遅かれ早かれ死ぬ生命いのちでございます。名もない者のに殺されるより、旦那だんなさまにかかって死んだほうが何程なにほどマシかもれません。三平さんぺいおれは先に行くから手前てまえは後から来い」


三平さんぺい「イヤイヤ、お前よりはおれが先に行くから、お前は後から来い」


一平いっぺい「おい冗談じょうだんうな。おれが先だ。旦那だんなさま、私を先にっておくんなさい」


吉左きちざ「エエイ、喧しくうな。そのほう両人りょうにん一度いちどってやるから左様さよう心得こころえい」


両人りょうにん「ありがとうございます。どうか両人りょうにん一緒いっしょねがいます」


うので両人りょうにんは前の方に並びました。えりして、首筋くびすじかみを撫で上げました。


両人りょうにん旦那だんなさま、ここからってくださいませ」


吉左きちざ「ウム」


と頷くと吉左衛門きちざえもん一刀いっとうを持って振りかざしました。


吉左きちざ覚悟かくごはいいか」


両人りょうにん覚悟かくごはよろしゅうございます。旦那だんなさまの為に斬られましたら今御自害ごじがいあそばした御老母ごろうぼ様、いずれ冥土めいどで迷っておりましょうから、後から飛び付けて右と左からを取ってあるかないか知りませんが、三途さんずかわ川端かわばたで、旦那だんなさまのお出でになるのを待っております。どうかおはやくおねがいまする」


と、殊勝しゅしょうにもを合す奴をご覧になりました吉左衛門きちざえもん、真ん中にズッと一刀いっとうを入れて振り被りましたが、どうしてこの剣を下せましょうや。


吉左きちざ「うむ。なんとそのほうらは忠義ちゅうぎものである。かほど忠義ちゅうぎ家来けらいを持ちながら生命いのちてなければ相成あいならぬ水野みずのの心、推量すいりょういたせ」


両人りょうにん「はい」


吉左きちざ「そち等の忠義ちゅうぎに愛でて、苦しゅうない。明日あすは共を許してやるから左様さよう心得こころえい」


一平いっぺい「そんなら旦那だんなさま、お共を許してもらえますか」


吉左きちざ「うむ。供を許してやる」


一平いっぺい「ありがとうございます……三平さんぺい喜べ、明日あすの供を許して貰えば、手前てまえ何人殺ころすつもりだ」


三平さんぺい「何人て、殺せるだけころすつもりだ」


吉左きちざ「コレコレ、斯様かようなことをうには及ばぬ」


両人りょうにん「はい」


吉左きちざ「とにかく母の死骸しがい片付かたづけをせんければ相成あいならぬ」


両人りょうにん「はいかしこまりました」


そこから支度したくかかりましたが、もとより葬儀そうぎ出来できません。畳を上げて床板ゆかいたをめくってしまい、床下ゆかしたを掘りまして母の死骸しがい布団ふとんに巻いたまま穴の中に埋め、その上に印の為におおきな石を置いて、ここに回向えこういたしました。それから吉左衛門きちざえもんは、


吉左きちざ「そのほうらはこの五十両ごじゅうりょう金子きんす各々おのおの持っておれ」


両名「旦那だんなさま、死んでいくのにお金はいりません」


吉左きちざ「いやそうじゃない。人間にんげんは死ぬ時に金がなければ後弔あととむらいも出来できぬ事になる。金があればとむらいもいたしてくれるから、肌付はだつき金だから持っておれ」


両名「左様さようでございますか。それでは頂いておきます」


吉左きちざ左様さよう看板かんばんではいかぬ。これを着ろ」


うので両人りょうにんながらさらの浅葱あさぎ看板かんばんを着ました。


吉左きちざ「それからソンな真鍮しんちゅう銅輪どうま脇差わきざしではとても人は斬れん。これをつかわすから……」


刀箱かたなばこから取り出しました二本の名刀、一本いっぽん小原おばら右馬頭うまのかみ一本いっぽん備前びぜん長船おさふね名代なだい刀鍛治かたなかじが打ったものでございます。

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