講談速記本 豊臣秀頼琉球征伐

山下泰平

[本文]第一席

エエ、前編ぜんぺん豊臣とよとみ秀頼ひでより西国さいこくくつわ物語ものがたりよりき続いて、直ちに口演こうえんいたします。


ここに芸州げいしゅう沼田ぬまたごおり広島ひろしま城主じょうしゅ四十二万にまんごくを領せられた浅野あさの但馬たじまのかみ長晟ながあきらう、この人は前にもうし上げましたとおり、太閤たいこう御取おんとりての大名だいみょうでございます。ご先祖せんぞを正しまするに、信濃しなののくに浅野あさの判官はんがん平国平たいらのくにひら末孫ばっそんでございます。但馬たじまのかみの親に浅野あさの弾正だんじょう少弼しょうひつ長政ながまさう、太閤たいこう殿下でんか御家来ごけらい有名ゆうめいな人でありますが、今では浅野あさの但馬たじまのかみ徳川とくがわ家康いえやすの第三女をめとって、松平まつだいら称号しょうごうを貰った。徳川とくがわとは親戚しんせきあいだがらとなりましたから、このたびはなんでもかんでも真田さなだ大助だいすけ荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみらんければ相成あいならぬ。徳川とくがわ御為おんためであるとうので、四十二万にまんごく御家ごかちゅうを残らずおまねきに相成あいなりました。


家中一同いちどういずれも綺羅きらを飾って、ほしごとくに並んでおりまする。但馬たじまのかみ長晟ながあきら小高こだかい所に座を占めて、一家いっかじゅう御覧ごらん相成あいなりました。


但馬たじま「ああ今日きょうそのほう方にそう登城とじょうもうし付けたのは余のでもない。このたび江戸えど表たる将軍しょうぐん厳命げんめいをもって、真田さなだ大助だいすけ荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみ三名さんめいれいと御上使ごじょうしである。以前に東海道とうかいどう箱根はこねやまにて稲葉いなば丹後たんごのかみぞこなった事であるから、今度こんど是非ぜひともこの広島ひろしまおいらなければ相成あいならぬ。ついては同勢どうぜい三千人さんぜんにん小銃じゅう千梃せんちょう大砲たいほう三門さんもんを持って、介田峠かいたとうげ切通きりとおしに関門かんもんを築き、彼等かれら三名さんめいる事にしたい。それがために今その三千人さんぜんにん大将たいしょうたるべきものを選ぶから左様さよう心得こころえい」


とあった。これを聞いて一同いちどうちじあがった。だれ一人ひとりとして頭を上げる者はございません。なんと云っても日本にほん有名ゆうめいなる軍師ぐんし真田さなだ左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむらせがれ大助だいすけ幸安ゆきやすでございます。一人ひとり薩摩さつま英雄えいゆう穴森あなもり伊賀いがのかみ、また一人ひとり難波なんば戦記せんきの生き残り荒川あらかわ熊蔵くまぞうおに清澄きよずみう、みな一騎いっき当千とうせん勇士ゆうし豪傑ごうけつでございますから、やりそこななったら大変たいへんでございます。それゆえだれも「某が一番いちばん大将たいしょうになりましょう」とう者はございません。


そこで但馬たじまのかみはややしばらくのあいだ御覧ごらん相成あいなって、ズッと見回みまわしましたが、ふと目に止まりましたは席の中程なかほどに座を占めました今年三十七歳に相成あいな禄二千五百石にせんごひゃくごくをもらいました水野みずの吉左衛門きちざえもんうもともと福島ふくしま正則まさのり家来けらいであった人でございまする。殿とのさんは吉左衛門きちざえもん御覧ごらん相成あいなり、


但馬たじま「オオそれにひかえるは水野みずの吉左衛門きちざえもんではないか」


家中一同いちどうはさては水野みずの殿どの選ばれたかと、いずれも水野みずのに寄せまする。吉左衛門きちざえもんは静かに少しく頭を上げて、


吉左きちざ「はい御意ぎょいさまにございまする」


但馬たじま「うむ、このたび三千人さんぜんにんの頭はそのほうもうし付けるから左様さよう心得こころえい」


水野みずの吉左衛門きちざえもんは頭を上げてキッとなり、


吉左きちざ「イヤ御前ごぜん、多くの内より不肖ふしょうなる吉左衛門きちざえもんにかかる大役たいやくおおせつけらまする段、身に取りまして如何ばかりか大慶たいけい至極しごくに存じたてまつります。しかしこのたび吉左衛門きちざえもん、少し考える事もございますれば、この大役たいやくは平に御免ごめんねがいまする」


とスッパリ断ったから、殿とのさんは怒り出した。


但馬たじま「なに水野みずの、そのほうはなにか、真田さなだを初め三名さんめい勇気ゆうきおそれて断わるともうすか」


吉左きちざ「イヤ全く左様さようにございません」


但馬たじま「それなら討てい」


吉左きちざ「君には何もご承知しょうちがありませぬが、おそれながら真田さなだ幸村ゆきむらせがれ大助だいすけ如何程なにほど勇気ゆうきありましょうとも、つに手間てまひまはいりませぬ。だがここをお考え遊ばせ。御当家とうけは今は四十二万にまんごくうおいえ御盛さかんにございまするが、これは何誰どなたのおかげにございまする。おそれながら故太閤たいこう殿下でんかの御取りてに相違そういございますまい。その故太閤たいこう殿下でんか御嫡男ごちゃくなん秀頼ひでよりこうがこのたびいえ再興さいこうについて真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめいが、将軍しょうぐんねがい出したものでございまする。御当家とうけにとっては旧主きゅうしゅにございまする。その旧主きゅうしゅ使者ししゃつとうことは先祖せんぞに対して甚だおそれ入りまするから、私は討ち得ません。どうか三名さんめい共におたすけをねがいとう存じまする。もしこの三名さんめいるにおいては大変たいへんでございまする。薩摩さつまには親の真田さなだ左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむらもおりまする。ことに島津しまづ家来けらい穴森あなもり伊賀いがのかみを討ちまする時は七十七ななじゅうななまん八百はっぴゃくこく島津しまづ薩摩さつま守、よもや高見で見物けんぶつはしておりますまい。何時いつ軍勢ぐんぜいをもって広島ひろしまるか分りません。さすれば天下てんか擾乱じょうらんの基でございまする。よってこのたびの所は何分なにぶんともにお止まりをねがいまする。もしこれをぞこいますれば、おいえ恥辱ちじょくのみならず、豊臣とよとみへは不忠ふちゅうでございまする。しかし討っても討たなくとも騒動そうどうは起きるに相違そういございませぬが、三名さんめいの者はこのままお見逃みのがしになりまして、将軍しょうぐんもうひらきの相立ちませぬ時においては、不肖ふしょうなれども拙者せっしゃ身にき受けて割腹かっぷくいたすまでにございまする。稲葉いなば丹後たんごのかみですらぞこないました三名さんめい、こちらで取り逃しましても将軍しょうぐんへはもうひらきは出来できまする。それゆえこのたびの所はおことわりをもうし上げます」


と、少しもはばかる所なくスラスラッと云ってのけました。但馬たじまのかみ長晟ながあきら元来がんらいかんしゃく持ちでございますから、先程さきほどからムカムカしている。ようよう言葉ことばが終ったから、


但馬たじま「黙りおれッ、たとえ当家とうけ如何いかよう相成あいなるとも三名さんめいの者を見逃みのがすにおいては、将軍しょうぐんに対して甚だおそれいる。またそのほうは我が先祖せんぞ太閤たいこう殿下でんか御恩ごおんにあったともうすが我が代になって一向いっこう豊臣とよとみ御恩ごおんは受けぬ。苦しゅうない。是非ぜひ討てい。なんともうしてもこの大役たいやくはそのほうもうし付ける」


吉左きちざ「いや、たとえ如何いかようおおせ付けられましても、この大役たいやくばかりは平におことわりをもうし上げます」


但馬たじま「なに、しからば斯程かほどまでにもうしてもこのやくつとめぬともうすか」


吉左きちざ御意ぎょいにございます。こうなるといずれ騒動そうどうが起きるのはさだまりきった事でございます」


但馬たじま水野みずの無礼ぶれいであろうぞ」


と仰って、傍にありました湯呑ゆのみみを取るがはやいか、吉左衛門きちざえもん面体めんていを臨んで発止はっしと投げつけた。水野みずの吉左衛門きちざえもんもとより体をかわすだけのうでおぼえはありますが、殿とのさんに手向かうことになりますから、ハッと頭を下げたその額にむかって発止はっしと当った。肉破れて血潮ちしおがタラタラと流れている。それを拭きもいたさず、


吉左きちざ「ハハッ、おそれ入りました」


とお頭を下げてお出でになる。


但馬たじま水野みずの目通めどおかなわん。退しりぞきおれッ」


おっしゃると但馬たじまのかみはそのまま奥の方へお入りに相成あいなります。場が白けてしまいましたから、家中の者は一人ひとり立ち二人ふたり立ち、それぞれお立ちに相成あいなる。後は水野みずの吉左衛門きちざえもんただ御一人ひとり残念ざんねんそうにいたして別にその血潮ちしおを拭いもせず、静々しずしずとお退さがりに相成あいなりました。


おお玄関げんかんまで退って来ますと、姉川あねがわ三平さんぺい久能くのう一平いっぺいあるじ忠義ちゅうぎ両人りょうにん仲間ちゅうげんが、履物はきものを揃えて出しまするに、


吉左きちざ「ヲヲ、姉川あねがわ久能くのうか。日々ひび世話せわ苦労くろうであるのう」


両人りょうにんおそれ入りました。どうかおし替えを……」


うので吉左衛門きちざえもん草履ぞうりをお脱ぎになって、履物はきものの上に身を乗せ、そのまま表へお出ましに相成あいなります。両人りょうにん仲間ちゅうげん草履ぞうり懐中かいちゅうに入れてから後から付いてまいります……


一平いっぺい「オイ姉川あねがわ


三平さんぺい「むむ」


一平いっぺい貴様きさま主人しゅじんの顔を見たかい」


三平さんぺい主人しゅじんの顔なら毎日まいにち見ておるじゃないか。おかしなことをうでないか。主人しゅじんの顔に変りはなかろう」


一平いっぺい馬鹿ばかッ、おれは今初めて見たんだが、面体めんてい割られている」


三平さんぺい「ゲェ……」


一平いっぺい額口ひたいぐちから大変たいへん血潮ちしおが流れている」


三平さんぺい「なるほど、どうしたんだろう」


一平いっぺい「サア解らぬ。四十二万にまんごく家来けらいで家の旦那だんな面体めんていを割るようなものはないはずだ。だれ主人しゅじんの頭を割ったんだろう」


三平さんぺい「サアおれの考えでは殿とのさまがお割りになったのかも解らぬ」


一平いっぺい殿とのさんとえば浅野あさの但馬たじまのかみだろう」


三平さんぺい「まあ大抵たいていその辺だろう」


一平いっぺい「どうして割ったんだろう」


三平さんぺい「なにか主人しゅじん意見いけんわんので、主の威光で持って打擲ちょうちゃくしたんだろう。しかたないからそのまま寝入ねいりされたに違いない」


一平いっぺい「しかし三平さんぺいおれりゃぁ今夜こんやかえっても眠られん」


三平さんぺい「なぜだ」


一平いっぺい「事によればああ旦那だんなであるから、お帰りになっても奥さんはなし、事によれば明日あす御殿ごてんに上って殿とのさんをって御切腹ごせっぷくになるかも解らぬ」


三平さんぺい「そうだろうか」


一平いっぺいれたことをえ」


三平さんぺい「じゃ貴様きさまどうする」


一平いっぺいれた事をえ、。親は一世いっせ主従しゅじゅう三世さんぜうからおれも供に主人しゅじん味方みかたをして討死うちじにするつもりだ」


三平さんぺい貴様きさま、剣術を知っているか」


一平いっぺい「知ってたってらんかって構うことはない。腕の続く限りちゃちゃにやるんだ」


三平さんぺい「違いない。じゃおれ討死うちじにだ。すると今晩こんばんは眠れんな」


仲間ちゅうげん両人りょうにんんは主人しゅじんの身の上を案じつつも屋敷やしきの前と相成あいなりますと、一人ひとりは先へ入りまして、「お帰り……」と声をかける。すると奥の方から早や年の頃六十になりました笹枝ささえさんと御老母ごろうぼ、髪を茶筅ちゃせんいたしましたがそのまま玄関げんかんへお出迎でむかえに相成あいなって、玄関げんかんの式台に両手ました。


笹枝ささえ「オオ水野みずの殿どの、お退さがりでございますか。御前ごぜん首尾しゅびは如何でございます」


吉左きちざ母上ははうえ、お出迎でむかえ甚だおそれ入ります。御前ごぜん首尾しゅびは極く上首尾じょうしゅび御前ごぜんより御酒ごしゅいただきまして……」


笹枝ささえ「それはまこと結構けっこうな事、サアちゃんとお仕舞しまいい遊ばせ」


吉左きちざ「はい」


笹枝ささえ「あれ吉左衛門きちざえもんや、ただ今御前ごぜん首尾しゅび上首尾じょうしゅびとおはなししになったが、その額の傷はどうされた」


吉左きちざ「はい。この傷でございまするか」


笹枝ささえ「さァ……」


吉左きちざ「いや母上ははうえ、決してお案じくださいまするな。実は御前ごぜんより御酒ごしゅくだかれたについて、御前ごぜんへご馳走ちそうのために家中の者を相手あいてに取って一本いっぽんの試合をいたしました。その時、相手あいて木太刀たちを掬い上げますると、木太刀たち天井てんじょうへ飛び上がり落ちる奴で我が面体めんていに傷を付けました。はッハハッア、俗にう畳の上の怪我けがでございます。御安心ごあんしんくだかれまするよう」


笹枝ささえ「それならよろしいが、私はまただれかに叩かれたのかしらと大層たいそう心配しんぱいいたしました。サァお仕舞しまいい遊ばせ」


吉左きちざ「ありがとうございます」


吉左衛門きちざえもんはそのまま上に上がりました。後では両人りょうにん仲間ちゅうげん


一平いっぺい姉川あねがわ


三平さんぺい「むむ」


一平いっぺいいまの話を聞いたか」


三平さんぺい「聞いたよ」


一平いっぺい「どうもおかしいな。今日きょう殿とのさんが御酒ごしゅくだされたから、そのご馳走ちそうのために家中の者と一本いっぽんの試合をした。ところが相手あいて木太刀たちを掬い上げたのが天井てんじょうへ上って、そのちたので面体めんていを割られたとう。内の旦那だんなは落ちてくる木太刀たちで傷を受けられるようなお方ではない。またそんな馬鹿ばか気たことがあろうはずがない。旦那だんなは今まで人に嘘を付いたことはないが、今日きょうのおはなしは嘘かもしれんぞ」


三平さんぺい如何いかにもそうじゃ。これにはふか意味いみがある事じゃろう」


あやしみながら両人りょうにん仲間ちゅうげん部屋へやへ下ってしまいました。


此方こちら水野みずの吉左衛門きちざえもん、奥の一間へお入りになりましたが、何時いつも一口酒を飲んで御飯ごはんを済まし、それからややしばら書見しょけんをしておやすみになる。しかし今日きょうは酒もみたくありませんが、母が心配しんぱいいたすであろうと思うから、膳の前に座って御酒ごしゅ何日いつものとおいただき、御飯ごはんも済ましてしまいました。


吉左きちざ母上ははうえ、少しお背中せなかをお擦りいたしましょう」


笹枝ささえ「いや水野みずの殿どの、私は宅にこうやって楽におります。そなたが孝行こうこうを尽してくださるから、別に身体からだはどうもない。そなたは日々ひびのおつとめエラかろう。はやくおやすみ、もしお身体からだわるいようなら医師いしを招いて傷の御養生ようじょうをなさる様」


吉左きちざ「いや別に対した傷ではございません。御安心ごあんしんください」


笹枝ささえ左様さようか。それでは母は一足先ひとあしさきに寝ますから……」


吉左きちざ「サアサア、おやすくだされ」


この吉左衛門きちざえもんう人は家中のうちでも余程よほど大身たいしんでございますが、いまだに女房にょうぼうも持たず老母に孝行こうこうを尽しておいでになるとまこと感心かんしんな人でございまする。

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