Abandoned Child


 私が両親と姉と、4人で暮らしていた昔のこと。小さな村だった。小麦色の、暖かい村。父は鉱物研究者として都会に勤めているから週末にしか会えないしそもそも会っても話すことはない。母も雑貨屋の経営で忙しかったから、私はいつも部屋で姉と一緒にいた。


 姉は村で一番の美人だったらしい。玉砕した男女数知れず、そんな話を聞いたことがあるほどに。無理のない話だ。透き通るような金髪と白い肌に、映える快晴のような蒼色をした瞳。姉の美しさは誰もが羨む絶対的な美だった。


 その頃、私が知っている世界は、全て四角に納まっていた。窓枠、車窓、写真。ガラスを隔てた、切り取られた世界の断片。あまりにも味気なく、病弱で部屋から出られない私の世界は色あせている。あるときそんなことを姉に愚痴ると、姉は部屋から駆け出し、スケッチブックを持ってきて、


「わたしが世界を見せてあげる」


 それから、私と姉はいつも絵を描いて過ごした。今までよりも姉は私の部屋に訪れ、色んな絵を描いてくれた。森を、空を、動物を、自然を、建物を、人を、営みを。クレヨンで、絵の具で、色鉛筆で。


 姉はそうして、姉が今まで触れてきた鮮やかな世界をスケッチブックに仕舞っていく。それは私にとって、初めて触れただった。世界はこんなにも美しくて、生き生きとしたものなんだということを初めて知った。姉の快晴の瞳には、世界がこう写っていて、それを知っているのは私と姉だけ。


 私にとっての世界はこうして、姉が切り取り描き出す美しい世界と等号で結ばれるようになっていった。この世界の中心にあるのは姉だ。姉の美しさこそ、私の世界の全てだった。





「ッ――――!」

 あの日地獄から醒める。眼前にあるのは埃っぽい仮眠室の天井だ。動悸。静かに深呼吸をする。大量の汗で髪も服も、肌にくっついて気持ちが悪い。10年が経った今でもあの悪夢から逃れられずにいるのを自覚して、自分がまだ姉のことを忘れずにいることを噛み締める。


 忘れるな。私がここで働いているのは、設計技師として彼女ファウと向き合っているのは何故か。これは奪われた世界の彩を取り戻す闘いなんだ。


 大丈夫、私は忘れていない愛している――。


 毎度、習慣になった確認作業だ。こんな悪夢を見た時は特に。胸に手を当て自分を落ち着かせ、ベッドから起き上がる。意識がはっきりしてくるとやっぱり部屋にこびりついた煙草の匂いが鼻につくな、そう思いながら新しい煙草に火をつけ、匂いを上書きする。


 茶色い部屋。実質的に私の居住スペースになっている仮眠室を心の中でそう呼んでいる。コンクリート造りの兵器廠アーセナルの角部屋はどうも通気性が悪くて空気が淀んでしまうから、湿度が高くて臭いが溜まる。こういう沈んだ匂いや空気感は茶色なのだと姉から教わった。だから茶色い部屋だ。おかげで他のスタッフは寄り付かないから、この部屋を自由に使わせてもらっている。


 キャパシティを超えた仕事を健気に遂行する換気扇の唸りを聞きつつ、窓の外に目をやると、いつも通り代わり映えのない銀世界。ああ、やはり美しさを奪われた世界は、こうも醜く味気ない。


 と、内線が鳴る。

『ファウストシュラークが帰還しました。調整をお願いします』


 今行く、とだけ答えた。配給のパンをくわえつつ、無造作にベッドに投げていた白衣を羽織る。私は姉の美しさをもう一度再現し、この世界に彩りを、絶対的な美を取り戻さなければならない。その為に私は早く彼女ファウを完成させなければならない。





 10年前、姉を隕石で失ったのは、私がたまたま検診の為に父と街の病院に来ていた時だ。私のいた街はたまたま隕石の落下を免れて、姉のいた村はたまたまクレーターに変わった。村の跡地に戻れたのは被災から1か月が経った後だった。同時に、惨状のあまりの醜さに、姉がいなくなったのだということを本質的に理解した。


 私の世界から永遠に美が喪われたと、そう思った。同時に、そのことに耐えられず何度もこの無意味な世界と離れようと思ったけれど、結局留まってしまった。

 そこからは姉の美しさを再現することに全てを費やした。


 一方で父は、喪った人々のことを、家族のことを悼む様子はなかった。彼の興味は既に隕石に向かっている。何かに取りつかれたように隕石の研究に打ち込む父の瞳はきっと私の瞳と変わらない。私は父のその態度が好かなかったし、喪った家族への無関心に復讐を誓ったけど、その気持ちは痛いほどに理解できた。彼にとって世界は鉱石が全てなのだろう。この親にしてこの子ありだ。


 姉の描いた世界を記憶を頼りに再現する絵を描いた。姉の姿を再現するための像をいくつも造った。姉の美を再現するためにいくつもの学問を修めた。復興の世の中にあっても美を追求する為に建築の道を志した。先端技術を、最新の情報を手に入れるために父の手助けを得つつ連合所属の造形技師になった。


 だけど、いくら全てに精通しようと、いくつモノを作り続けようと、どれだけの人から賞賛を浴びようと、彼女の瞳の蒼――快晴の蒼だけが再現できない。贋作の世界。そこには決定的に姉が足りない。厚い雪雲の天蓋がある限り、快晴は決して訪れないのだ。


 その最中で、初めて彼女ファウに――正確には、村で発見されたファウストシュラークのコアに出会ったのは、あの隕石災害の6年後、私が20の時だった。軍属の技師である私は、父に「見て欲しいものがある」と言われ、故郷の村に訪れたのだ。


 村の中心に鎮座する、私から全てを奪った隕石。だが、そこには私の知らない景色があった。調査の為に中心から砕かれた隕石の中心から覗くのは、細動する蒼色の隕石核――。


 直感。何一つ不純物のない神秘的な美しさを湛えた蒼。常人から見ればただの隕石核の結晶なのだろうが、この蒼は私しか知らない姉の瞳の蒼だ。私がいくら時間を費やしても決して再現できなかった、私の世界の中心に据えるべき蒼。


 それは全てを喪った私を奮い立たせるのに十分な美しさだった。運命。私から全てを奪った隕石は、私の姉の美しさを再び顕現させたのだ。


 連合所属の隕石研究者となった父は隕石核とその使用方法を初めて発見した研究者だった。リアクターと呼ばれる隕石核は、どれも既存の燃料とは次元が違う、革命的な動力源リアクターであると。

 だが、今回の蒼のリアクターに対する父の反応は今までのものとまるで違う。


「あれはただの隕石核ではなく、自己複製と複雑化を繰り返すケイ素シリコン構造体であり、我々に近い意識構造を保持しようとしている生命である」


 というのが父の主張。詳しくはわからないけど実際に主張は正しかったらしく、特定の機関を介することで、極めて人間的な知性を発現させられ、コントロールすればリアクターの秘めた力を自在に扱うことができることが発見されたのだ。


 父はかたくなに、この発見の責任者としてのポジションを死守した。どうやら上層部とひと悶着あって、最終的には父の上司も掛け合って「新たに発見されたリアクターを新兵器として運用する」という条件の下で落ち着いたらしい。


 一方、私はと言うと連合の利害も父の執着もどうでもよく、ただ姉の美しさを世界の中心に取り戻したかった。その為に兵器開発の設計主任に志願したし、姉の美しさを誰にも邪魔されず再現するためにどんなロジックも使用した。


 これはチャンスだ。唯一世界に足りないを補完するチャンス。奪われた私の全てを、姉の美しさを取り戻すチャンスだと、その時の私は強く心に刻んだ。





「ファウ、また無茶をしたでしょう」

「だってファウは早く帰りたかったんだもん」

「まったく……」


 ファウの兵器としての訓練が終わり、調整に入った夕方だ。外は一層雪が強くなっている。ガレージは特に底冷えする寒さだったから、電気ストーブをもう一台倉庫から引っ張り出してきた。私は記録に目を通しつつ、ファウの右肩の接合部分に機材を突っ込み、2メートルの巨大な機械腕を取り外す。


 重機然としたその腕は、一見しただけではまるで掘削機械のよう。そして、その見た目と機能は合致している。


 ファウストシュラーク拳による打撃。それがファウの呼び名の由来であり、兵器としての名称だ。つまりはパンチである訳だが、リアクターによる反重力エンジンと慣性制御によって、その威力は絶大なものになる。高高度から落下したファウストシュラークは、腕部の質量と運動エネルギーをそのまま破壊に利用できるから、理論的には小型の戦術核並みの損害を与えることができるというわけだ。


 リアクターの特性を検証しているうちに実現できた超常技術オカルトだが、自分で考えたアイデアとはいえ、ここまで成功しているとリアクターとしてのファウの底知れなさにぞっとする。慣性力自体を自在にコントロールできるのはファウのようにのみだから、慣性を変化させるだけのただのリアクターには応用できない。


 慣性制御の一般兵器への運用目途が立てば戦争は連合の圧勝で終わっていただろう。とはいえ、慣性変化による物質の固定と反重力エンジンは一般化が可能だから、航空機に搭載すれば吹雪の壁ウォールの中でも自在に航行ができるようになる。

 問題はこの力を国軍陣営が兵器に応用できているかどうかだ。両陣営の情報は互いに断絶している。は当分ないだろう。


 ――それにしても、と思う。実験データはほぼ理想値だ。対象の選定、規模の指示、破壊深度、そのどれも完璧にこなして綻びがない。ファウのポテンシャルの高さには目を見張るものがある。今、目の前で椅子に座って足をぷらつかせているこの少女は、記録の写真にある通りの大穴を穿った兵器なのだ。


 私は隕石から生まれた存在である彼女が、またこの大地に大穴を穿つよう仕向けている。姉を奪った隕石の子を使って、姉の美しさを再現しようとしている。


「ねー」

「……ん?」


 ファウは椅子の背もたれに上半身を預けるようにして座り、顔だけをこちらに向けている。右腕を取り外したファウは、右肩の機械部分を見なければ誰もが人間の少女と見間違うであろう出来だ。


 初めて連合上層部へのファウのを行った時、場にいる人間はその美しさに感嘆の息を漏らしたことを憶えている。ただ、目を見開き小刻みに震えていた父を除いて。


 それは多分、ファウがあまりにも姉に似ていたからだと思う。顔が似ている訳でも、声が同じな訳でもない。けれど、その瞳に据えられたリアクターの放つ蒼は、家族だけが知っている姉の美しさだ。私が目指した、私の世界に足りない姉の美しさ。


 どうだ。美しいだろう。私が今顕現させようとしているお前の娘の美しさはここにあるぞ。お前には分かるはずだ、二度とお前はこの美しさが忘れられない。こうして私はひっそりと、父への復讐を果たした――はずだった。

 この時に震えていたのは父だけではなく、私もだった。彼女が動けば動くほど、彼女の仕草は姉を彷彿とさせる。容姿は姉と違うはずなのに、


「ユカはさー。何の為にこんなことしてるの?」


 ファウが私の顔を覗き込むようにして尋ねる。一瞬、背筋に冷たいものが走ったのは、その仕草が本当に姉に似ていたからだろうか。得体の知れない感情に震える左手を身体の後ろに隠しながら、


「どうしてそんなことを聞くの……」

「だってユカ、なんかいつもむつかしそーな顔してるんだもん。楽しいのかなぁと思って」

「楽しい、か……。ファウはいま、楽しい?」

「楽しいよー。ユカがいてくれるし」


 あぁ――息が止まる。心臓が激しく脈打ち、こめかみに痛みが走る。私はファウの仕草に、一挙手一投足に姉の気配を感じてしまう。震えが止まらなかった。これは――これは、恐怖だ。


 私が望んだのは姉のだ。想い人である姉は記憶の中にいる。忘れてない。忘れていない。私は姉を忘れていない。姉は死んだ。私は姉を蘇らせたかったわけではない。私は姉の美しさを再現したかったのだ。


 彼女はまだ完成していない。姉の美しさを絶対的に存在させる為には、人間的であってはいけない――彼女は姉であってはいけない。


「そう……」


 声が震えていた。息が荒くなっているのが自分でも分かる。ファウは不安そうな顔をして――私が寝込んでいた時に看病してくれた姉の表情をして――かける言葉を探している。ファウはファウだ。私の創造物だ。私をその表情で心配するな――


「ファウはっ、ファウは何のために?」


 自分で言ったことながら無茶苦茶だ。自分が生み出した相手に向かって、そんなことを問うやつがどこにいるか。口に出してから、失敗だ、と思った。だが、私の訂正よりファウの方が速い。


「ファウはねー。ユカと一緒にいれたらそれでいいな。だから、ファウにしかできないことをして、ユカとずっと一緒にいるの」


 曇りない無邪気な笑顔がそう答える。私は相槌を打とうとするけど上手くできず――視界が歪み、そのまま床に倒れこむ。この感情は――? 恐怖か、罪悪感か、言葉にできない感情が涙になって溢れ、同時に私は嘔吐していた。声が出ない。


 沈む意識と涙で歪みきった視界に、必死な表情で私に駆け寄り、私の手を握る姉の姿が見える。私はファウという、私が創造した存在に向き合えていない。ファウを通して姉のファントムを見ている。




 好きなように生きた父の代償が娘からの復讐だとするならば、私はどんな報いを受けるのだろう。

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