Beyond The Border

 その日、あたしらは空を喪った――――




「解散――ッ!?」


 訓練の号令でしか出さないような、心の底からの叫びが飛び出した。今まさに戦争が始まろうとするこの状況で、『紅鷲航空隊レッド・イーグルス』の解散が知らされる現状を理解できなかった。


 あたしを呼び出した空軍参謀総長、ハゲダルマのヒロミチはバツが悪そうに頭を掻く。あくまで威厳に満ちた表情を努めつつも、その表情には僅かに申し訳なさが含まれていた。


「君たちだってわかっているだろう。空は昔のように自由ではない」

「だからなんだ。戦争は空を制した者が勝利するんだ、それくらいあなたでも分かるはずだ!」

「それは、制する空が開けていれば、の話だ」


 ヒロミチ総長は呆れたような顔でインスタントコーヒーを啜る。隕石落下前に整えられた高級な調度品に飾られた部屋の中で、食料だけは偽物だ。だが、コーヒーなどという嗜好品が届くほどには、復興が進んでいる。そんな最中に起こった事変だった。

 

 正式な開戦はつい3日前。隕石が2つに分断した大陸に、それぞれの復興があって、それぞれの思惑があった。異なる政治形態が同じ大陸に生まれれば、戦争は容易に起こり得る。


 技術は30年分喪われた、と誰かが言っていた。人工衛星はことごとく破壊され、大陸中の情報は分断され、我々はまた地べたを這いずっている。だからこそ、空はこの戦争において、最も重要な領域テリトリーなのだ。


「ホワイトアウト・ホールをはじめ、吹雪の壁ウォールは大陸を分断しているんだ。作戦というのは、兵士が帰還する前提で立てる。この状態で空を制する、というのは作戦じゃなく――無謀なんだ」

「だからこそ――だからこそ、あの壁を超えれば勝ちは見えるんです! 確実に壁越えが可能な機体を開発すれば!」

「その開発費用でいくつの師団が派遣できる。此度の戦争、航空隊に出番はない。海すらまともに航行ができない今、かなめは陸なのだ」


 10年前の隕石は大陸の全てを絶った。地形を、気候を、全てを以て人々の営みを絶ち尽くした。


「実戦もしたことがない陸軍が。隕石の被害がこれだけで済んだのはあたしらが冒した無謀のおかげだっていうのに、それでもこっちに頼ろうとしない」

「無謀というものは、他に策がない時に初めて選択肢に挙がるものだよ」

「お言葉ですが、陸軍を吹雪の中に派遣するのも無謀でしょう。地に足ついてることがそんなに安心ですか」


 ヒロミチ総長は口ごもる。彼にも立場があってのことだろうが、それはお互い様だ。あたしとヒロミチ総長はいつもこうして無遠慮に言葉を交わすことにしていた。


向こう側連合はもともと産業共同体なんです。技術力で負けてるんだ、既存の兵器で勝てる戦争じゃない。勝敗はこの環境にいかに早く適応できるかにある」

「――あるいは、相手が適応する前に武力でもって攻め切るか」

「な――――」


 あまりにも馬鹿げた話だった。確かに、10年前のままの単純な兵力分布なら国軍陣営の方が勝る。だが、この10年で互いに何が起こったかは把握できていないのにも関わらず、この戦略はあまりにも相手を侮りすぎている。


「……ここまでが、空軍参謀総長としての通達だ」

 

 表情が変わった。ヒロミチ総長は飲み干したコーヒーを机に置き、おもむろに資料を取り出す。


「ここからは私個人としての独り言になる。正直なところ、この戦略では戦争に勝てないだろう。だが、上は本気だ。この飛行隊だけじゃなく、空軍の存続すら危ぶまれていた」


 広げられた資料。見ると、それは航空航路図のようだった。所々に赤いマーカー。作戦決行予定日と記された日付は、すぐ最近のものだった。


「輸送隊任務と空の観測任務は何とかねじ込んだから、航空機の発着は公式に可能だ。文書はいくらでも変えてやる――空軍の意地を見せてやるんだ。10年前、隕石の撃墜作業にあたったのは我々だ」


 これは、君にしか頼めない任務だ――。

 ヒロミチの口角はひきつっていたが、目は笑っていなかった。







「エヴァ――……マム」


 総長との話が終わり、ガレージに戻るといつもの顔が待っていた。


「グレース」

「どういった話でしたか」

「紅鷲航空隊は解散だとさ」

「それで?」


 切れ長の目、短く刈り揃えられた赤毛、細身で筋肉質な身体。グレース・マンマバラン、28歳。12年前もから、あたしは彼女を後ろに乗せて空を駆けている。当時の少女の面影は見当たらず、彼女は姉に似て美人だ。


 グレースとは、あたしが21、グレースが16の頃に出会った。彼女はあたしの姉の義理の娘で、両親が流行り病で亡くなったのをあたしが引き取ったのだった。以来、空の仕事には彼女がついて回っている。

 隕石を墜とした時なんて、彼女はキャノピーに隠れて同乗してきた。その時から、あたしは彼女に隠し事はできないし、敵わないと思っている。空でのことと、ベッドでのことなら、彼女の方があたしについて詳しい。


「――任務を、貰ったよ。なんで任務があると?」

「そういう顔でした」


 もしただの解散なら、貴女はその辺のゴミ箱か何かを蹴り飛ばしているでしょうし。グレースはそう言って、あたしの右、2歩後ろをついて歩く、彼女の定位置。


 任務が決まった時、あたしらは決まってガレージ内をぐるぐると歩き回る。戦闘機の顔を、床のエンジン染みを、滑走路の禿げた塗装を見て回る。なぜ、と聞かれると困る。これは儀式だから。昔から、初めてグレースと作戦を遂行した時からの。


「それで、内容は」

「偵察。いわゆる簡易的な脅威査定スレッド・アサスメント。あたしらの機体一機で連合側の陣地に侵入、吹雪を盾にしながら敵前線の装備を写真に収める」

「他のメンバーは」

「危険すぎるから連れていかないし、連れていけない。あんただけしか」

「わたしならいいと?」

「いいだろ、別に。あたしの後ろに乗るんだから」

「かまいません、マム」


 マム。隊にいる間に、いつしかマムと呼ばれていた。叔母さん呼ばれることがなくなったのは少し寂しかったけど、この呼び方は同じ部隊の仲間としての信頼の証だ。


 ガレージ内は底冷えする寒さだった。窓の外はいつも通りの雪。コンクリートの冷えがそのまま伝わってくるかのような空気感だ。乾いた空気に唇が割れて少し痛んだ。


「――しかし、偵察なら我々の他に適任がいるのでは」

「不満?」


 いいえ。少し意地の悪い答えをしたあたしに、グレースは淡々と返す。彼女の疑問は確かにもっともで、あたしとしても、半ば面子めんつでこの任務を受けた部分もある。だが、そんなことは彼女は分かっているだろう。


にそれだけのスキルがあることが重要なんだ。空軍、攻撃隊の必要性と実力を知らしめないといけないから。上の連中は空軍では壁越えができないと思っているらしい」

「陸軍ですら壁越えはできていないのに」

「できてないからだろうね」


 現在、一番の激戦区はホワイトアウト・ホール、隕石が穿った大穴だった。大陸の中心部に落ちた隕石は気候に干渉して、周囲に吹雪を巻き起こしている。隕石は全て、多かれ少なかれ資源としての力を持っているらしい。総じて、隕石落下地点は互いの勢力が激突することになる。


 未知のエネルギーだか知らないけれど、早くその恩恵を受けたいものだ。分かりやすいのがいい。兵士に必要なのは原理じゃなくて使い方だから。


「落下地点は台風の目だ。陸ルートなら、ホワイトアウト・ホールに拠点を作らないことには壁越えは厳しいだろう。距離的にも資源的にも、両陣営が欲しい要所だ。恐らく、あそこを取らないことには陸ルートで壁越えはできない。膨大な命があの釜にくべられることになるぞ」

「だからこそ、そうさせないために――壁を最初に越えられるのが我々だと」

「嬉しいか」

「ええ、他の者には譲りません」


 彼女は昔から、あまり感情を表情に出さない。けれど、12年も付き合っていれば、彼女が喜んでいることくらいは分かった。







 久々の空だった。あの日の空の蒼も、海の青もそこにはない。空は分厚い雲で覆われ、海はまるで灰汁のよう。けれど、それでも空はあたしらのものだと、操縦桿に掛かる重さが伝えてくれる。


『吹雪、来ます。カウント、3、2、1』


 後部座席のグレースを。隕石の落下以後――まあ、あたしらは以前からだけど――飛行機は二人乗りが原則だ。把握すべき機材は2倍以上に増えた。気候変動のせいで、安定した飛行は保てない。そしてその機材でさえも、国軍製だと精度が怪しい。だから、機材を把握する人員と操縦する人員は別々になっている。


『国軍の技術は偏ってますからね』

『あたしの考えてることを読むなって。喋るのは連絡の時だけでいい』

『だってしょうがないじゃないですか。つながってると、分かっちゃうもんは分かっちゃうんです』


 国軍が力を入れているのは、戦場における通信の部分で、義体技術を応用した神経伝達がどうのとか、そういう話だった。簡単に言うと、つながっている相手の考えが分かる。


『簡単に言うとって、なにも理解できてないだけですよね』

『あのな、兵士が知るべきなのは使い方だけで仕組みは必要ないんだよ。……こんな時だけ饒舌になって』

『それは関係ないです。久々の二人きりの空だからです』


 まったく。今回の任務は紅鷲航空隊の連中にもオフレコだ。あいつらに話せば絶対についてくる。だが、万が一にもここで全滅ともなれば、空軍でまともに動ける攻撃隊はなくなる。失敗を考慮した作戦であるのは気に入らなかったが、仕方のないことだった。


『これはもともと陸軍の技術なんです。小隊レベルでの運用が検討されてたらしくて、なんでも、小隊全員の感覚を共有して死角をカバーし合う、みたいな設計思想らしいんですが、衛星が使えない今は機材が大きくなりすぎるので戦車隊かこういう飛行隊にしか導入されてないんだとか』


 機体が大きく揺れる。即座に機体の体勢を修正、グレースは状況データを入力。予想された、吹雪の弱いルートは、正解率8割といったところだった。復興調査の際に立てられたビーコンの観測結果はおおむね間違いないらしい。あとは目視と計算で微修正を繰り返しながら地図を更新していく。


 書類上の任務は観測任務になっているし、実際これは重要な仕事だ。隕石の影響で起きている吹雪の動きを逆算すれば、隕石の場所も分かるのだという。資源の獲得にプラスになる、というのがヒロミチ総長が上にこの任務を通したロジックだった。


 隕石が落ちてから、あの日の自由な空は喪われた。戦争が始まってからは、その空そのものすらも奪われようとしている。


 空はあたしらのものだ。あたしらは、あたしらの空の為に闘うのだ。


『そろそろです』


 グレースからの信号。視界が赤外線カメラに切り替わる。雪で視界ゼロホワイトアウトになっては、全てに対応できない。あたしは操縦桿をいっそう強く握りしめ、渡された航空航路図に従って各ポイントを選ぶ。


 なるほど、確かに吹雪の影響が少ない。正確には、バランスが取れていると行ったほうがいいか。吹き荒れる吹雪同士が干渉して、比較的飛びやすい箇所を、縫うように進んでいく。できるだけ機体に負荷が掛からない、最短最速のルートを探る。風が機体を揺すり、雪がキャノピーに打ちつける。


 機体の体勢の維持は、2人体制でようやくといったところだった。吹雪に揉まれる度に、計算と勘で”飛べる姿勢”に持っていく必要がある。


 計器が信用できない空というのは暗闇と変わらない、師匠に当たる上官はそう言っていた。信頼できる計器を見つけろ、ヒントはそこら中にある。壊れた計器の中、飛行機の振動や周囲の音で誤差を計算する――およそ人間とは思えない業をやってのける、機械のような人だった。


 、あたしはよくそう言ったものだった。


『もう少しで壁越えです。現在、ホワイトアウト・ホールの横を通過中――速度一定に保ちつつ、風に煽られないよう機体の向きを調整してください』


 打ち付ける雪が強くなってきた。吹雪が増している。10年前の亡霊は、あたしらをあの世Beyondに引きずり込もうと必死だ。吹雪に呑まれた者は等しく、穿たれた擂鉢すりばちに、あの地獄の釜に叩きこまれることになる。


 吹雪のという表現は正しくないのかも知れない、というより、それは外側Outerから眺めた時の考え方だった。ここは境界Borderだ。国と国の境界、敵と味方の境界、生と死の境界――こちら側Homeあちら側Beyond。隔てられているのではなく、全て隣り合わせで、その距離はゼロなのだ――


突風ガスト!!!』


 巨人の腕に揺さぶられたような、とてつもなく大きな振動――衝撃。いけない。超自然に呑まれかけた。冷静になった操縦桿を握る手に汗が染み出る。風の流れを見て機首を上げようとした時――赤外線カメラの端に不自然な発光が見えた。


『……揺れるぞ』

『アイ、マム』


 追い風になっている流れに機体を預け、一気に加速する。雪ではない、もっと嫌らしい殺意に満ちた感覚がした。同時に機体を回転させつつ下降、高度を下げつつ上を見た。直後、機銃が横を掠める音。見ると発光の位置が明らかに変わっている。想定される最悪の可能性は――。


『グレース!』

『明らかに吹雪の音じゃない波形があります――特定、この機体に搭載されているのと同じ機関砲です。でも、精度が違い過ぎる。予想される弾丸の収束半径、30メートル。……さっきの突風はミサイルによるものですね』

『敵機――迎撃は無理な位置だな、最高速で吹雪を抜けるか――』

『吹雪の流れに乗ってそのまま帰還ですか』

『性能が違い過ぎる。あいつら本気で空を獲りに来てるんだ。この情報は絶対に持って帰らないといけない――くそ、最悪だ』

『確認された敵機数、4。内、一機のみからミサイル攻撃。方向を視覚にマークします』

『統率が取れすぎてるな。やっぱり技術で先を越されてる』


 機銃掃射が激しくなる。ミサイルによる突風を考慮しつつ最短かつ比較的安全なルートを縫って飛ぶ。妙だった。最善手を取っているはずなのに、釈然としない何かがある。


 背筋に冷たいものを感じた。久々過ぎて忘れていた、生々しく、何度も薄皮を削がれるような――恐怖。全てにおいて相手に先を越されている。このままの進路はまずいと、本能的に察している。


 それは完璧すぎるからであり、弾丸を避け、ミサイルを避けていれば通るであろうルートが存在してしまっているからだ。敵は吹雪の動きを理解している。これは会敵じゃなく、恐らくは全て――


「エヴァ」


 肉声だった。思考はグレースにも伝わっている。あたしが考えている無謀を、不安を、を彼女は理解し覚悟している。本当に2人の時だけの呼び方。言わずとも、意図は分かる。あたしは迷いを捨てた。


「これは賭けだな……」

「勝ちましょう」


 操縦桿を限界まで引く。吹雪に沿って平行に飛んでいた機体が90度回転し、ほぼ吹雪に対して垂直になる形になった。機体が轟音を上げて軋む音がしたが、そんなことに構ってられない。エンジンの出力を最大まで上げ、強引に吹雪の中へ入っていく。


 こちらの急な挙動に明らかに機銃の掃射が乱れたが、即座に修正されたのか、すぐにこちらに狙いが定められる。だが、当たる気配はない。やはりあれは計算された動きだ。相手の生存を視野に入れた誘導だ。

 

 12年前、国が一つだったころに演習で経験した動き――無人機。ミサイルを撃ってくる機体のみ有人機で、機銃で相手を誘導する3機の僚機を携えているのだ。

 それはさながら狐狩りフォックス・ハントで、確実にこちらを捉えに来る。三匹の猟犬でもって対象を誘い出し、狩人が止めを刺す。重要なのは、猟犬の命は惜しくないというところで、台風の目の中に逃げ込んだあたしらを、リスクに構わず追ってくる。


 だが、それは好都合だ。台風の目の無風状態、目視で無人機を確認できることに意味がある。あたしらの機体はホワイトアウト・ホールの真上に出た。そのまま、渦を巻くように上昇していく。時間をおいて、3機の無人機も背後に飛び出してきた。


『奴らの写真、撮れたか』

『問題なく。保管して、プレゼントボックスに詰めました』


 よし――。機体はみるみる上昇していく。上空から逃げると思ったのであろう、3機の無人機は機銃を本格的にこちらに狙いを定め始める。銃弾が右翼に当たって跳ねる音が聞こえた。そして実際、その判断は正しい。フレアを撒き、ミサイルを撹乱する。

 まだ駄目だ、まだ。軋みが激しくなる。急激な上昇と、今までの無理な挙動による負荷が、被弾によって表出し始めていた。限界は近い。


「グレース、本当に――」


 謝罪を口にしかけて、彼女の思考に気が付いた。最期に彼女と繋がっていることの、なんと幸せなことか。あたしが後ろを向くと、ゴーグル越しのグレースと目が合った。


「――ありがとう、あたしの為に死んでくれ」

「喜んで」


 機体を包む轟音が消える――。


 ホワイトアウト・ホールの真上。そこには空があった。初めて彼女と空を飛んだ、あの時と同じ澄み切った蒼があった。空はどこまでも広がっていて、境界Borderなんてない――今、暗雲の上に広がる世界の美しさは、あたしとグレース二人だけのものだった。


 あたしはプレゼントボックス――飛行データを収めた箱ブラックボックスの入った飛翔体――を発射する。偵察任務の、ツールだ。

 景気のよい白煙を立て、飛翔体は雲の中に消えていくのを静かに見つめる。ミサイル弾頭のブラックボックスを誰かが見つけて、空の為に闘ったあたしらのことを憶えていてくれればいい、そう思いながら。


 束の間の静寂は終わりだ。機体をロールさせる。空は反転、あたしは横目で、蒼と別れを告げた。地面と3機の無人機と向かい合う形になり、一気に降下する。


 機銃掃射――ホワイトアウト・ホールの吹雪の渦を背負いながら回転しつつ下降。両翼に被弾はしたが、この程度今さら問題はない。中枢を撃ち抜かれた先頭の無人機が黒煙を上げて墜ちていく。


「星一つ――」


 つぶやきながら、狙いは残り2機の無人機。グレースからとるべき機動のイメージが送られてくる。機体の負荷を考慮しない、限界の動きマニューバ――地面に向かって加速、銃弾を掠めつつ2機とすれ違い――180度反転。地面はあたしの背後、轟音に歯を食いしばる。人間がしていい動きではない。嘔吐感をこらえつつ、即座に対応しつつある二機のエンジンを撃ち抜いた。


「――――星……――3っ……つ――――!」


 エンジンを最大まで吹かせる。機体は地面と垂直だ。天の蒼を見据え、操縦桿を握りしめる。


「目標――ミサイル機……! 刺し違える!!!」


 グレースが叫ぶ。機体の揺れが限界に達するタイミングで、敵隊長機と同高度にまで達する。弾道の計算はグレースが済ませてくれている。

 静寂、研ぎ澄まされた緊張。繋がっているのは、感じるのはグレースだけ。


捕まえたガッチャ


 空気が解放される音がした。低い噴射音と共にミサイルが放たれる。同時に、左翼から爆炎が上がった。その爆発の勢いのまま、機体は吹雪の渦側面に叩きつけられ、視界はホワイトアウトし――――――




















「見えますか――、空」


 気づくと、空があたしを覗いていた。天蓋のない、台風の目の内側からの景色。手の届くことのない蒼。身体が動かない。冷たい雪の感触を全身に感じた。かろうじて動く首でグレースの声のする方を見る。


 グレースはすぐ隣に、同じように、雪原に横たわっていた。彼女が血まみれだから、たぶんあたしも血まみれだ。痛みは感じなかった。


「グレー……ス――」


「あの日の……蒼です、あの蒼……」


 そうだ、蒼だ。あたしらが命を懸けた蒼。未来に託した蒼。


「エヴァ――。私たちは、やりきれたんですよね――?」


「……そうだ。あたしらは、やるべきことを――成し遂げた。だから――」


 だから、今くらいはこの蒼を二人占めしよう。


 あたしらの空は奪われた。


 あたしらの空は喪われた。


 伸ばしても手の届かない、遥か高みにある蒼。 


 今、この蒼を見ているのは、知っているのはあたし達だけ。







 境界Borderのない、このBeyondを――






 

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