エピローグ それぞれの思い
辰野親子が引き起こした「竜事件」は決着した。
安本の連絡で、再び現れた警察は、学園の敷地で死んでいる工藤代議士と大野組の大野組長、そしてその手下達の遺体を搬送するため、大型車両を伴っていた。
しばらく安本が事情を説明し、警察は引き上げた。
朝日が眩しい。藍は目を細め、また始まる今日という日を実感した。
「雅……」
彼女は今日こそかつての許婚である雅を引き止めようと思っていた。しかし、雅にはその気はないようだ。藍が近づくと、離れてしまう。悲しくて、泣きたくなった。
「藍」
仁斎が声をかけた。藍は涙を拭って、
「何?」
仁斎は穏やかな顔で藍を見ていた。
「まだ待て。雅は椿との事をまだ清算し切れていない。もう少し、待て」
「うん……」
それはわかっていた。しかし、死んでしまった椿には永遠に勝てない。もどかしかった。
「それより、あの男の事はどうするつもりだ?」
「あの男?」
藍はキョトンとした。仁斎は呆れて、
「例え
「あ!」
藍は剣志郎の事をすっかり忘れていた。そしてそれを仁斎に指摘されて、顔が破裂するのではないかというくらい、赤面した。
「わ、私……」
藍はシドロモドロになった。仁斎はニヤリとして、
「まあ、儂はその方が良い。彼奴はお前とは合わん」
「お祖父ちゃん!」
その言葉にはムッとしてしまう。剣志郎は良き友ではあるが、愛する人ではない。藍は改めてそう思った。しかし、剣志郎をきちんと評価しない仁斎の態度は許せない。
「お前自身、まだよくわからぬようだな」
「ええ……」
時間がかかる。雅が椿の死をまだ乗り越えていないように、自分は剣志郎との事を昇華し切れていないのだ。そう思う。
「それで良い。まだ若いのだから、焦って結論を出す必要はないぞ、藍ちゃん」
泉進が口を挟んだ。すると仁斎が、
「お前は用がすんだらさっさと出羽に帰れ、泉進」
「うるさいわい」
年寄りが一番元気だ、と藍は思い、溜息を吐いた。
「は、はは、は……」
全てが消失してしまった杉野森学園跡地を見て、原田事務長は乾いた笑いを漏らす事しかできなかった。安本もショックを受けてはいたが、
「事務長、建物はまた造れば良いのですよ。生徒達が誰一人被害に遭わなかった事を喜びましょう」
「理事長……」
理想に燃える安本と違い、現実主義者の原田は、大きな溜息を吐いた。
「藍さん」
薫が声をかけて来た。彼女は意識を失ったままの兄の実人(みひと)を救急車で運んでもらうため、その到着を待っているところだ。
「この度は、私の父と兄が、大変なご迷惑をおかけ致しました」
薫は身体が二つに折れるのでは、というくらい深く頭を下げた。
「いえ、私は別に……。むしろ、貴女のお父さんとお兄さんは、私達小野家の者が引き起こした騒乱に巻き込まれたのだと思います。詫びなければならないのは、私達の方です」
藍の言葉に仁斎も頷き、
「そうだな。源斎、舞、そして建内宿禰が引き起こした日本の気の乱れが、各地に及ぼした影響は計り知れん」
「ありがとうございます」
薫は涙ぐんで答えた。
「どうするつもりだ、これから?」
一人離れて立っている雅に、泉進がそっと近づいて尋ねた。
「まだ日本の気は乱れたままだ。収めねば、また同じ事が起こる」
「なるほどな。ならば、儂の所に来い。お前に本当の気というものを教えてやる」
「いらん世話だ」
雅はそう言ったが、
「気が向いたら、顔を出す」
泉進はニヤリとして、
「相変わらず、口が悪い奴よ」
「お互い様だ、ジイさん」
雅も泉進を見てニヤリとした。
「いつまで藍ちゃんを待たせておくつもりだ?」
泉進は真剣な顔で言った。雅も真顔になり、
「待たせているつもりはない。俺は死ぬまで椿に詫び続ける。だから、藍は待つ必要はない」
「おい……」
雅の頑迷さに、泉進は呆れてしまった。
「藍は俺のような一度黄泉路に足を踏み入れた人間より、本当に藍の事を思ってくれる人間とこれからを過ごした方がいい」
雅は、剣志郎の思いに気づいているのだ。だからこそ、尚の事藍の思いに答える訳にはいかない。
「ならば直接そう言え」
泉進が言い放った。雅は泉進を見て、
「俺もそれほど割り切れてはいない。仮にも藍は、許嫁だったのだ」
と言うと、藍を見た。藍も雅の視線に気づき、彼を見た。
「また会う事もある」
雅はそれだけ言うと、根の堅州国へと消えてしまった。
「雅……」
藍はしばらく雅が消えた場所を見ていたが、救急車の音に気づき、
「薫さん、来たみたいよ」
薫に声をかけた。
薫は実人の搬送を手伝って救急車に同乗し、その場を去った。
「さてと。儂らも行くとするか」
仁斎は泉進を見て言った。泉進は安本と原田に、
「災難だったな」
「いえ。皆さんのおかげで、他所に迷惑をかけずにすみました。ありがとうございます」
安本は泉進に頭を下げた。泉進は苦笑いをして、
「儂よりも、仁斎や藍ちゃん達に言ってくれ。儂は大した事はしておらんから」
「そうですか?」
安本は微笑んで応じた。
「また後でな」
仁斎は安本と原田にそう告げ、歩いて行った。藍は安本達に近づき、
「この度は大変なご迷惑をおかけしました」
頭を下げた。すると原田が、
「本当に迷惑だった」
「事務長……」
安本が驚いて
「だから、責任を取って辞めるなんて言わせないよ、小野先生」
原田は言い添えた。藍はビックリして、
「えっ、その、あの……」
機先を制されたため、彼女は言おうとしていた事を言えなくなってしまった。
「貴女は自分で思っているより、ずっとこの学園に貢献しているし、いてもらわなくては困る存在だ。もちろん、竜神君もね」
原田はニッとした。藍は苦笑いをして、
「ありがとうございます、事務長」
「私も事務長と全く同意見ですよ、小野先生」
安本が優しく微笑んで言った。
「ありがとうございます、理事長」
藍はもう一度深々と頭を下げた。
それから数時間後、学園跡地は大騒ぎになった。教職員には原田が連絡を取り、全校生徒には安本の自宅にあるコンピュータを使ってメールを送信して、学園が災害で倒壊したと連絡した。保護者会や同窓会など、あらゆる組織が動き出し、学園が陰も形もなくなったのがマスコミに知れたのは、正午過ぎだった。各メディアが跡地から緊急報道をし、安本と原田は、その対応に追われた。
その頃、藍は剣志郎が入院している病院を訪れていた。
「藍さん」
ナースセンターで病室を尋ねていると、後ろから美月に声をかけられた。
「あ、お母さん」
藍は振り向いて会釈した。美月はニコッとして、
「その響き、いいわね」
「は?」
キョトンとした藍だったが、自分が美月を「お母さん」と呼んだのを思い出し、赤面した。
「ありがとう、藍さん。見舞ってあげて。もうあの子も、意識がしっかりしているから」
「はい」
美月が先に立って歩き出し、剣志郎のいる病室に行った。
「おはよう」
美月は遠慮したのか、中には入らず、廊下に残った。藍はそれに気づいたが、仕方なく一人で中に入った。病室は個室で、剣志郎はベッドを起こした状態で、こちらを見ていた。
「おはよう」
彼はどことなく居心地が悪そうだ。
「大丈夫?」
藍が尋ねた。剣志郎は、
「ああ。一時は死ぬかと思ったけど、大丈夫だよ」
「そう。良かった」
藍の微笑みに、何故か剣志郎は赤面して俯いた。
「どうしたの?」
「いや、別に……」
剣志郎は、九州の病院での事を思い出したのだ。
「変なの」
藍は全く思い出していないので、剣志郎がどうして顔を下に向けたのかわからない。
「あのさ」
不意に顔を上げたので、覗き込んでいた藍が驚いて下がった。
「きゅ、急に顔上げないでよ」
「あ、悪い」
謝ってしまってから、どうして謝らなければならないのか、と不満に思う剣志郎だったが、そういうところがいけないのかも知れないとも思い、
「俺、その、藍に言っていない事があって……」
「武光先生の事?」
藍はツンとして尋ねた。剣志郎はビクッとしたが、
「あ、ああ。俺、武光先生と付き合っている」
「フーン。それは良かったわね」
藍の言い方は酷く冷たかった。剣志郎はシュンとして、
「でも、彼女に悪いので、はっきり断わろうと思う」
「えっ?」
意外な言葉を言い出す剣志郎に、藍も驚いた。
「どういう事よ? 貴方も武光先生が好きなんじゃないの?」
「いや、全然」
剣志郎は藍を見て答えた。藍はムッとして、
「それは酷いわ。武光先生が可哀想」
「そ、そうだよな」
剣志郎はまたシュンとしてしまう。でも何とか、
「俺、昔から、強引な女性には何も言えなくてさ。小学生の時も、全然好きでもない子と交換日記してた」
「は……」
藍は呆気に取られた。
「それで?」
藍はしばらく剣志郎が黙っていたので、先を促した。
「あ、ああ。でも、そんな性格が良くないんだって、大学生の時思い知ってさ。好きでもない子に告白されて、好きな子に告白できないで落ち込んでいる自分が嫌になった。だから、教員になろうと思った」
意味が分からない。藍はそう思った。
「何で告白できないと、教員になろうと思うのよ?」
鈍感なのか意地悪なのか、剣志郎は藍を見て考えてしまった。十分伝えているつもりだったが、後もう一歩と言うところに来ると、藍自身が蓋を閉じてしまったかのように、全く反応しなくなるのは、今まで何回もあった。
「好きな人が、教員になっていたから」
剣志郎は顔を赤らめて、藍を見つめた。藍もドキッとして剣志郎を見た。
「俺はずっと藍の事が好きだった」
初めてシラフの時に言われた。藍はすっかり気が動転していた。
「な、何よ、いきなり……。冗談?」
「違うよ。冗談なんかじゃない。杉野森学園で初めて出会ってから、ずっと好きだ」
「……」
ここまで真正面に告白された事はなかった。藍も高校や大学で、それなりに男子には人気があって、どこまで本気なのかわからないような告白はされた事があった。しかし、その頃の藍は今以上に雅との事を引き摺っていたから、誰から告白されようと心は動いたりしなかった。只一人、剣志郎を除いて。
「もう……」
藍は恥ずかしくなり、背を向けた。剣志郎は、大学時代に酔った勢いで何度も藍に告白している。本人は覚えていない。だから藍も何回めからか、本気で相手をしなくなっていた。そして、剣志郎は自分をからかっているか、何かのゲームのつもりで言っているのだと思うようになった。
それでも、同じ職場になって、武光麻弥という微妙な存在が現れ、藍も剣志郎を意識するようになった。そんな中で、九州の事件があり、二人は急接近した。だが、雅が現れると、藍の剣志郎に対する感情は振り出しに戻ってしまう。藍も悪いのだが、剣志郎も悪い。彼自身、雅を意識するあまり、卑屈になっていたからだ。だが、そんな繰り返しを打ち破ろうと、剣志郎は動いた。
「俺は本気だ。だから、お前もちゃんと答えてくれ。はぐらかさないで」
剣志郎は真っ直ぐに藍を見ている。藍は背を向けたままで、
「わ、私は……」
剣志郎は思わず唾を呑み込んだ。藍が振り返る。
「私は、その、えーと……」
顔が赤い。そんな藍も可愛い、などとにやけてしまう剣志郎は、本当に「藍一筋」のバカである。
「おはようございます」
そこへいきなり武光麻弥が現れた。
「あ」
同時に口にする藍と剣志郎。
「小野先生、おはようございます」
「お、おはようございます」
藍はドキドキして答えた。剣志郎も嫌な汗をかいている。
「剣志郎さん、私全然知らなくて、ごめんなさい」
剣志郎さん……。いつの間にかそんな呼び方してたんだ……。藍は麻弥をチラッと見て思った。そして、剣志郎が麻弥に何と言うか確かめようと思ったが、
「小野先生、後は私が。どうもありがとうございました」
麻弥に言われてしまい、病室を追い出されるように出た。
「……」
剣志郎が何も言えないのも情けないが、そんな結末にホッとしている自分にも呆れていた。
(こんな関係、いつまで続けるのよ?)
自分自身にもどかしさを感じる藍だった。
「あら、藍さん」
美月が戻って来た。
「どうしたの?」
「はあ、武光先生がいらしたので、私、帰ります」
美月は苦笑いして、
「そうですか。わかりました。また来て下さいね」
「は、はい」
藍は美月に会釈して、廊下を歩き出した。
(まだ終わっていない。辰野神教の騒動は、始まりに過ぎないのかしら?)
藍は雅の言葉を思い出し、気を引き締めた。
確かに日本の気の乱れは収まっていなかった。何か起こる気配が漂っていた。
ヒメミコ伝 太古の神 神村律子 @rittannbakkonn
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