第八章 儀式開始

「ジイさん、死にたいのか?」

 大野組の若い組員が凄む。しかし、何百人と手強い生徒達を相手にして来た原田には、そんな虚仮威(こけおど)しは通用しない。

「誰がジイさんだ、洟垂はなたれ小僧が! 引っ込んどれ!」

 原田の方が迫力があった。組員は思わず後退あとずさりしてしまった。

「……」

 剣志郎は焦っていた。

(こいつら、只のヤクザじゃないんです、事務長。頼むから逃げて下さい)

 そんな剣志郎の祈りも通じていない。

「威勢がいいな、あんたは。だが、本当に死にたくなければ引っ込んでいた方がいいぞ」

 工藤が進み出て原田を睨んだ。原田は工藤を見て、

「一人の人間を誘拐しておいて、何だ、その言い草は? あんたが国会議員だろうが、与党の大物だろうが、そんな事は私には関係ない。剣志郎君を解放して、とっととこの学園の敷地から出て行け!」

 するとそこへ、美月と安本が駆けつけた。

「剣志郎!」

 美月は剣志郎の姿を見つけて叫んだ。

「ほお、これはこれは。感動の親子対面ですな」

 真人(まひと)がニヤリとして美月に言う。美月は真人を睨んで、

「貴方達は、一体何をするつもりです?」

「何を? 竜を起こしに来たのですよ。貴女も同じ事を考えていたのでしょう、奥さん?」

 真人の言葉に美月は凍りついたように顔を強ばらせた。

(何だ? どういう意味だ?)

 剣志郎は美月を見た。美月はそれに気づき、顔を俯かせた。

「この学園の責任者として、あなた方の行動は見過ごせませんね。警察に連絡をして下さい、事務長」

 安本は工藤と真人と大野を順番に見ながら言った。

「はい」

 原田が建物の中へと走った。安本はそれを見届けてから、

「貴方達は勘違いしている。この地に眠る竜は、眠らせていてこその竜です。起こしたりしたら、どんな事が起こるのか、わかっているのですか?」

「わかっているから、こうして来ているのですよ、理事長」

 真人は真顔で答えた。そこへ実人(みひと)が追いついて来た。

「来たか、実人。儀式を執り行うぞ」

「はい」

 実人は美月と安本を氷のような目で一瞥してから、キャンピングカーの中へ入って行った。

「何だ、あの男……?」

 安本は、この中の誰よりも、実人に対して恐怖を感じた。

「この地に眠る竜は、国をひっくり返す程の力を持っている。私はこの国を手に入れたい。だから、竜を起こす」

 真人の言葉に工藤と大野が仰天した。

「何を言い出すのだ、辰野! お前は……」

 工藤は真人に掴みかかろうとしたが、

「下郎め、お前は神の生け贄に過ぎぬ」

 実人と同じように身体から竜の気を発すると、工藤を縛り上げ、絞め殺してしまった。

「……」

 安本と美月は息を呑んだ。大野と組員達は、歯の根も合わない程驚いている。工藤の遺体は白目を剥いたままでその場に倒れた。

「次はお前だ、大野。よくも私達を裏切ろうとしたな」

 真人が嬉しそうな顔で大野を見た。

「ま、待ってくれ、裏切ったりしないから! 待ってくれ!」

 しかし、真人は全く聞く耳を持たなかった。大野も、そして組員達も、次々に真人の竜の気で殺された。

「何という事を……」

 安本は怒りに震えて、真人を睨んだ。真人はクククと低く笑い、

「安心しなさい。我が神は穢れた者を生け贄とする。貴方達には生け贄の資格がない」

「何?」

 安本は眉をひそめた。

「工藤は金と欲に染まった、政治家の風上にも置けぬ悪党。大野は、今まで何人東京湾に沈めて来たかわからない程の殺人者。どちらも、穢れに穢れ、我が神の生け贄に相応しく、この世に不要な存在」

 真人は得意そうな顔で言った。

「バカな……。そんな神がいるものか!」

「いるのさ。この地にね」

 真人は、学園の裏を指差した。美月は、組員が倒されて実質的に解放された剣志郎に駆け寄ろうとした。

「動くな!」

 真人は美月に怒鳴った。美月はギクッとして立ち止まった。

「父上、準備ができました」

 衣冠束帯に着替えた実人がキャンピングカーから榊と玉串を持って現れた。

「邪魔はせんように。この者達と同じ事になりますぞ」

 真人は実人にもがく剣志郎を担がせ、学園の裏へと歩き出した。

「命が惜しくなければ、来るがいい」

 実人はそう言い捨て、去った。そこへ入れ違いに藍と薫がバイクで現れた。

「理事長!」

 藍はバイクから降りると、安本に駆け寄った。

「連中は竜の眠る祠に向かっています」

「わかりました」

 藍はチラッと美月を見た。二人は初対面ではないが、互いに気まずかったので、会釈しただけだった。

「この人達は……?」

 薫が工藤達の遺体を見て、藍に尋ねた。

「竜の気で殺されたようです」

 藍の答えに、薫は蒼くなった。そこへ原田が戻って来た。

「警察はすぐ来ます」

 彼は安本に報告しながら、工藤達の遺体に気づいてギョッとした。

「連中が?」

 原田は藍を見て尋ねた。藍は黙って頷き、

「皆さん、危険ですから、学園の敷地から出て下さい」

「はい……」

 原田は唖然としたままで、安本に促されると、美月と共に学園の門へと歩き出した。

「藍さん」

 美月が立ち止まって言った。

「はい」

 藍も立ち止まった。

「剣志郎をお願いします」

 美月は深々と頭を下げた。藍は、

「わかっています。必ず」

 薫と目配せして、学園の裏に走った。

「雅……」

 藍は姿を消している雅の事が気になっていた。


 一方仁斎は、竜が起きてしまった時の事を考え、学園全体を結界で封じるための準備をして、神社を出た。

「何かあったようだな。泉進、頼むぞ」

 仁斎はそう呟き、学園を目指した。


 泉進は新幹線で東京を目指していた。

「間に合わんかも知れんな」

 彼は雅が閉じ込められていた祠で、ある物を見つけていた。それを白い布に包み、持って来ている。

「もし、これが奴らの言うご神体であれば、姫巫女流でも太刀打ちできぬ。何としても、あの土地の竜の気は目覚めさせる訳にはいかぬ」

 泉進は両手の拳を強く握りしめた。

(そして雅を岩手に封じた理由。その理由が儂の読み通りだとすれば、一つだけ可能性がある)

 泉進の言う可能性とは何であろうか?


 真人と実人は、祠の前に来ていた。

「おお」

 剣志郎が近づいたせいで、祠が震動している。真人はその様子を見て、

「まさしく読み通り。そして、あの古文書に書かれていた通りだな、実人」

「はい」

 実人は剣志郎を地面に寝かせると、目隠しを取り、タオルを口から引き抜いた。

「貴様、解け!」

「五月蝿い。騒ぐと、またこれをねじ込むぞ」

 実人は冷静な口調でタオルを剣志郎の頬に押し当てた。

「くっ……」

 タオルを口にねじ込まれていると、呼吸をするのも辛い。それを思って、剣志郎は黙った。

「何をするつもりです、兄さん!」

 薫が現れた。実人は薫を見て、

「邪魔するな。今度は平手打ちではすまさんぞ」

「……」

 薫は涙を流していた。真人が、

「辰野神社の厄介者が、ノコノコとこんなところまで来おって。身の程を知るがいい」

「お父さん!」

 薫は涙声で叫んだ。

「何をしているの、貴方達は!」

 藍が現れた。剣志郎は藍の声を聞きつけ、

「藍!」

 すると実人が、

「騒がないで下さい、器様」

 剣志郎の脇腹を蹴った。

「ぐうっ……」

 剣志郎は地面をのたうち回った。藍は実人を睨み、

「今度はあの時のような訳にはいかないわよ」

「それはどうかな」

 実人はあくまで無表情である。

「神剣、草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)!」

 藍の右手に光の剣が現れた。実人はそれを見て、

「なるほど。段階としては、本当は十拳の剣を出すのが姫巫女流のはずだが、もはやそのような余裕はないと判断したか」

「うるさい!」

 藍は走り出し、実人に接近した。

「懲りない女だ」

 実人は竜の気を出し、藍を縛ろうとした。藍がそれをかわそうとした時だった。

「何!?」

 実人の身体を黒い剣が貫いた。

「グフッ……」

 実人は口から血を吐いた。彼の後ろには、根の堅州国から現れた雅がいた。彼の黄泉剣が、実人を背中から貫いたのだ。

「今度は避けられなかったな」

 雅はニヤリとして、剣を根元まで突き刺した。

「ぐおお……」

 実人は再び血を吐いた。

「兄さん!」

 薫が叫んだ。すると真人が、

「愚かなり、小野雅。実人はそのような穢れた剣では殺せぬ」

「何?」

 雅が真人に気を取られた瞬間、実人は剣から抜け出し、竜の気を雅に放った。

「くっ!」

 雅は傷を負いながらも、根の堅州国に逃げた。

「この程度では、私は死なぬ」

 実人は何かを唱えながら、傷口を手でさすった。すると、光が収束し、傷が塞がってしまった。

「まさか……」

 藍は驚愕していた。

(姫巫女流にも、治癒の祝詞はあるけど、あれほど急速に治す事はできない……)

「ここから先は、何人たりとも入る事を許さぬ」

 実人はまた何かを唱えて、真人と剣志郎、そして祠のみを囲むように結界を張ってしまった。

「くっ!」

 藍はその結界を剣で斬りつけたが、只弾かれただけだった。

「兄さん、やめて! こんな事をして何になるのよ!?」

 薫が結界に縋りついて怒鳴った。しかし実人も真人も、全く振り向かない。二人は剣志郎を祠の前に寝かせた。すると、更に震動が大きくなり、学園の建物までが揺れ始めた。

「どうすればいいの……?」

 藍は呆然としていた。


 安本と原田と美月は、建物が揺れているのに気づいた。

「これは一体?」

「理事長、ダメです。外にいないと」

 学園の敷地に戻ろうとする安本を原田が止める。

「……」

 黙り込んでいた美月が、意を決したようにいきなり走り出した。

「ああ、竜神さん!」

 原田は美月が学園の中へと入って行ってしまうのを見て叫んだ。

「事務長、私はここの責任者です。行かせてもらいますよ」

 安本は原田の手を振り切り、美月を追った。

「どうすればいいんだ?」

 原田は途方に暮れた。その時、警察車両が数台到着した。

「誘拐犯はどこです?」

 刑事の一人が原田に尋ねた。

「この中ですが、今は危険なので入らない方がいいです」

「は? どういう事です?」

 からかわれていると思ったのか、刑事はムッとして尋ねた。

「どうした、原田君?」

 そこへ仁斎がやって来た。原田は地獄に仏だ、と思い、

「ああ、仁斎さん。大変なことになりまして……」

「わかっておる。ここは頼んだぞ」

 仁斎はそれだけ言うと、敷地に入って行った。

「何ですか、今の老人は?」

 刑事はますます怒りの形相で原田に詰め寄った。

「ハハハ、いや、その、えーとですね……」

 人生始まって以来のピンチだと原田は思った。


 剣志郎の身体の中の竜の気が現れ、結界の中を飛び回った。すると遂に祠が崩れ、注連縄が切れてしまった。

「うううっ!」

 剣志郎が、暴れる竜の気に呼応するように苦しみ出した。

(時間がかかると、剣志郎が保たない。どうすればいいの? 早く来て、お祖父ちゃん!)

 藍は心の中で叫んだ。


 仁斎は学園の外周を見ていた。

「あの時かけた封印が、何者かに根こそぎ破られているな。やはり、そこまでわかっているのか」

 仁斎は、以前泉進が見つけた土を掘り返した跡を見ていた。そこは昔、地鎮祭の時に仁斎が封印のために榊を植えたところだったのだ。それが皆、引き抜かれていたのである。

「この地を我が流派の気が支配する地にすれば、例えどんな神であろうと、決して藍は負けぬはず」

 仁斎はそう呟き、榊を植え始めた。


 震動は学園全体を揺るがし始め、窓ガラスが割れた。美月はその破片を避けながら、祠へと走った。安本も破片をかわしながら、美月を追った。

「剣志郎……」

 美月は目を赤くしていた。


「これは予想以上だな、実人。これなら、日本どころか、世界を支配できるぞ!」

 真人は狂喜して叫んだ。

「そんな事は絶対にさせない!」

 藍はそう言い放つと、

「姫巫女流奥義、姫巫女二人合わせ身!」

 究極奥義を使った。

「姫巫女流の最終奥義か……。しかし、無駄よ」

 真人は藍を嘲笑った。藍の身体に倭国の女王である卑弥呼と台与が降臨した。すると、更に剣志郎が苦しみ出した。

「あっ!」

 藍は泉進の言葉を思い出した。


『つまり、彼奴が藍ちゃんを諦めて、別の女に心を向けたために、藍ちゃんと彼奴の気の流れに不都合が生じたという事だ』


「いけない……」

 しまったと思った藍だったが、剣志郎を助けるためには、究極奥義で戦うしかない。

「無駄かどうかは、やってみなければわからない!」

 藍は左手を振り、

「神剣十拳の剣!」

 剣を出した。そして、

「神剣合わせ身!」

 椿に教わった方法。藍は神剣を合わせながら二人の女王も合わせるイメージを浮かべた。

「姫巫女の剣!」

 その剣が出た時、初めて実人が振り返った。

「何だ、あれは?」

 彼は姫巫女流を研究し尽くしていると思っていたが、その剣だけは知らなかったのだ。

「気に病む必要はない。何をしても無駄だ。この結界は破れぬ」

「はい」

 真人の言葉に実人は再び前を向き、真人と共に祝詞を唱え始めた。

「何?」

 藍には聞いた事のない祝詞だ。

「何、これ?」

 気分が悪くなった。しかも、周囲に何か得体の知れない霊体が集まり始めている。

「何が起ころうとしているの?」

 藍と薫は、その異様な状態に周囲を見渡した。

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