第七章 儀式へ

 岩手県の辰野神社の裏手の森を、泉進は歩いていた。すでに日暮れ時で、辺りは薄暗い。

「間違いない。この先に雅がおる……」

 やがて前方に祠が見えて来た。

「あれか」

 泉進は歩を速め、祠を目指した。


 雅は、泉進の気配を感じる事はできなかったが、祠の外で鳥達が騒ぐのを聞きつけ、外に目を向けた。

「あれは……」

 雅は泉進が歩いて来るのを見た。

「遠野のジイ様か。どうしてここがわかった?」

 泉進も雅に気づいたようだ。

「ほォ。さすがの小野雅も、そこから出られんのか?」

「余計なお世話だ。何をしに来た、ジイさん?」

 雅は泉進を睨んだ。泉進はフッと笑って、

「強がりを言うな、小僧。顔がやつれておるぞ。いろいろ試して、どうにもならなかったようだな」

「フン」

 雅は更に泉進を睨みつけた。

「からかいに来たのなら、帰ってくれ。俺はそれほど暇ではない」

「まァ待て、雅。仁斎からの連絡で、何としてもお前を助けてくれと言われているのだ」

「仁斎のジイさんに?」

 雅は意外な話に眉を吊り上げた。

「無論、藍ちゃんもお前が助け出されるのを願っておる」

「……」

 雅は久しぶりに藍の事を思い出した。

「今、小野宗家は大変な事に直面している」

「辰野親子の事か?」

 泉進は結界に近づき、

「お前は何故ここに囚われたのだ? 実人は何か言っていたか?」

「いや」

 泉進は結界を調べ始めた。

「見た事もない結界だな。これは特殊だ」

「根の堅州国に行けない。この空間はどことも繋がっていないようだ」

 雅の言葉に泉進は何か気づいたようだ。

「そういう事か」

「何だ?」

 雅は急に笑い出した泉進に尋ねた。泉進は雅を見て、

「単純な事よ。お前が囚われているのはまさに異空間。どうじゃ、わかったか?」

「むっ?」

 雅は謎かけのような泉進の言葉によって、ある事に気づいた。

「そういう事か」

「わかったようじゃな、雅」

 泉進は結界から離れた。

「罠は単純な程気づかぬものよ」

「そのようだな」

 雅は意を決して結界に近づいた。スーッと空間に溶け込むように消える雅。

「掴んだようだな」

 泉進はニヤリとした。次の瞬間、雅は結界の外に姿を現した。

「ようやく出られたな」

 泉進の言葉に雅は苦笑いした。

「こうも単純な罠だとは思いもしなかった」

 泉進は真顔になり、

「その結界の中は異空間。すなわち、根の堅州国と同じ。そこから出るのに根の堅州国に行こうとしても、それは無理な話。つまり、根の堅州国から戻るようにすれば良いだけの事」

「助かった。礼を言う、ジイさん」

 雅は頭を下げた。泉進はフッと笑い、

「お前に礼を言われる日が来るとは、思いもしなかった。長生きはするものだな」

「相変わらずだな」

 雅は歩き出した。

「どこへ行くつもりだ?」

「言うまでもない。礼をしに行く」

「待て、雅」

 しかし、泉進が止める間もなく、雅は根の堅州国に入ってしまった。

「全く、小野の連中は、どうしてこうも勝手な連中ばかりなのか……」

 泉進は呆れていた。


 東京千代田区にある辰野神教の本部では、「器様」の移動の準備に取りかかっていた。

「父上」

 実人が小声で真人に話しかけた。

「どういうつもりです? 打ち合わせしていたのと段取りが違います」

「これでいいのだ。大野と工藤が、何やら裏で密約をしているらしいのだ」

「密約?」

 実人は眉を吊り上げた。真人はニヤリとして、

「まとめて我が神の生け贄となってもらう事にした。そのつもりでいてくれ」

「はい」

 実人はまた無表情に戻った。

「出発するぞ」

 彼等はビルの地下駐車場に乗りつけられたキャンピングカーに乗り込んだ。

「祭壇も備え、全ての祭具も揃えてある。杉野森学園に強行突入し、祭事を始めてしまえば、竜の共鳴により杉野森学園は崩壊し、我が神が降臨される」

 真人は嬉しそうに呟いた。それを冷めた目で、実人は見ていた。夕闇の中、キャンピングカーが走り出す。その後を工藤代議士と大野組組長の大野寛を乗せた大型リムジンが続いた。

「先生、あの親子、何か企んでいますよ」

 大野が囁く。工藤はニヤリとして、

「わかっている。そうそう思い通りにはさせん」

と答えた。


 藍はどうしてもついて行くと言う薫を説得するのを諦め、彼女をバイクの後ろに乗せると、神社を出た。

「杉野森学園に、剣志郎が運ばれている……」

 藍がそう呟くと、

「藍さんは、その人の事が好きなんですね」

「え?」

 いきなり薫が言ったので、藍は動揺した。

「そ、そんな事ないですよ。付き合いは長いですけど」

「そうですか」

 薫は嬉しそうに言った。そして、

「父と兄がもう取り返しがつかない状態だったら、その時は……」

「え? 何か言いました?」

 藍は大声で尋ねた。薫は首を横に振って、

「いえ、何も」

「そうですか?」

 藍は薫の妙な気を感じて、不安だった。

(この人、何かするつもりだ。でも、それがわからない……)

 結界を出られた雅が、そのままいなくなったという泉進からの連絡も気になった。

(雅が岩手の祠に閉じ込められていた意味は何だろう? 辰野親子にとって、雅の存在は、邪魔だったの?)

 謎は尽きない。邪魔なら殺してしまった方が手間が省ける。でもそうしない理由。そして、生け贄にするなら、何故岩手に足止めしたのか?

(とにかく、今は剣志郎の救出が最優先!)

 藍は前を見据え、ハンドルを握り締めた。


 仁斎は、泉進と話を続けていた。

「そんなに簡単に雅を見つけられたのも気に入らんな」

「そうだな。辰野親子、儂らが思っているほど、強固な一枚岩ではないのかも知れん」

 泉進の言葉に仁斎は眉をひそめた。

「どういう事だ?」

「元々真人は欲が優先する男。しかし、実人は本当に辰野神社を盛り立てようと考えている男。親子であっても、譲れぬものがある、という事だ」

「なるほどな」

 泉進は続けた。

「ならばこそ、お前のところに現れた辰野薫の存在が生きて来る」

「実人が何かに利用しようとしているのか?」

「そこまではわからんがな」

 仁斎は溜息を吐き、

「いずれにしても、雅が向かったのは恐らく辰野親子のところだ。あいつの性格からして、きっちり礼をするつもりだろうな」

「まあ、それも余興だ」

「面白がるな、泉進! お前のせいだぞ」

 仁斎は本気で怒った。

「わかっておる。雅に無茶はさせんよ」

「頼むぞ」

 仁斎は携帯を袂にしまい、外に出た。

「藍、うまくやってくれよ」


「どこへ連れて行く気だ?」

 キャンピングカーの後部座席で、手首と足首を縛られ、目隠しをされた剣志郎が尋ねた。

「いらん事を言うと、その口も塞ぐぞ」

 実人が冷たい口調で言う。剣志郎は、

「俺をどうするつもりだ? 生け贄にでもするのか、お前らの神の?」

「忠告を聞かん男だ」

 実人は剣志郎に近づき、口をこじ開けてハンドタオルをねじ込んだ。

「フゴフゴ……」

 口を塞がれた剣志郎は、大人しくなった。

(こいつら、何をするつもりだ?)

 彼はタオルを押し出そうとして舌を動かしたが、全く無駄だった。

(母さんに逆らったせいか……)

 剣志郎は剣志郎で、母美月の言葉に反抗した事を悔いていた。

(藍……)

 そんな時、誰よりも早く思い浮かぶのが彼女だとわかり、剣志郎は悲しくなった。

(また、迷惑をかけているのかな、あいつに?)

 彼は、九州での入院騒ぎも、吉野での事も、藍に申し訳ないと思っている。

(結局、俺は藍を助ける事ができないどころか、あいつに迷惑ばかりかけて……)

 涙が出そうなくらい悔しかった。

「実人、もうすぐ学園に到着する。準備は良いか?」

 真人の声がした。

(学園? もしかして、杉野森学園に向かっているのか?)

 剣志郎は嫌な予感がした。

「誰だ、あいつ?」

 キャンピングカーを運転している大野組の組員が、道路を塞ぐように立っている白装束の男に気づいた。

「あれは小野雅ではないか!? あの結界を出たのか?」

 真人が驚きの声をあげた。

「どういう事だ、実人?」

 真人は怒りの目を実人に向けた。しかし、実人はそれには答えず、組員に、

「車を止めてくれ。始末して来る」

「はい」

 キャンピングカーは停止した。実人はドアを開いて外に出た。

「よくあの結界から出られたな。それだけは褒めてやろう」

 実人は雅に近づきながら言った。雅はニヤリとし、

「とんだ子供騙しだった。もう少しで引っかかるところだったよ」

「ほお」

 実人の身体から、竜の気が噴き出した。

「力の差は歴然としているのだぞ、小野雅。貴様は馬鹿なのか?」

「馬鹿かも知れんな。だが、お前が思っているような馬鹿とは違うぞ」

 互いに挑発し合う二人を、組員は息を呑んで見ていたが、

「車を出してくれ。ここは実人に任せる」

 真人の言葉にハッとし、キャンピングカーをスタートさせた。

「む?」

 雅は、車が動き出したのに気づき、

「何だ、お前は途中下車か?」

「心配いらん。すぐに追いつく」

 実人の竜の気は、雅に向かって突進した。

「同じ手は通用しない」

 雅は竜に掴まれる寸前に、根の堅州国に消えた。

「何!?」

 実人は周囲を見回した。雅はどこにもいない。

「おのれ!」

 実人は竜の気を身体に巻きつけ、雅の奇襲に備えた。

「は!」

 雅は実人の頭上に現れ、黄泉剣で斬りつけた。

「ぐっ!」

 実人は右肩を斬り裂かれ、片膝を着いた。

「行け!」

 竜の気が雅を襲う。雅は根の堅州国に消える。

「埒が明かんな」

 実人は気の量を増やした。彼自身が竜の気で見えなくなりそうだ。

「うお!」

 今度は背後にいきなり雅が現れ、実人は背中から剣を突き刺された。

「終わりだ」

 雅が言った。しかし、実人は、

「愚かな。闇は光に決して勝てぬと言ったはず」

「何!?」

 雅は剣を見た。剣は光で溶かされ、実人には届いていなかった。

(椿の時と同じか!?)

 彼は慌てて実人から離れた。

「小野雅。貴様は生かしておこうと思った。我が同志としてな。しかし、それはもうやめだ」

「同志だと?」

 実人の奇妙な発言に、雅は眉をひそめた。

「死ね、小野雅!」

 実人が竜の気を纏ったまま、風のような速さで雅に襲いかかった。

「くっ!」

 雅はその突進を黄泉剣で受けたが、剣は砕け、身体は後ろに跳ね飛ばされた。

とどめだ!」

 再び実人が突進した時、何かが彼の前に現れ、気をはじいた。

「お前は!?」

 そこには光り輝く剣を構えた藍が立っていた。

「ぬ……」

 実人は、藍の後ろに薫の姿を見つけた。薫は怯えた目で彼を見ている。

「大丈夫、雅?」

 藍は実人を睨んだまま、声をかけた。

「すまんな、藍」

 雅は素直に礼を言った。すると藍は、

「これは出雲の時のお返しよ」

 藍の返答に雅はフッと笑って立ち上がった。

「形勢不利だな」

 実人はそう呟くと、竜の気を翼のように広げ、飛び去ってしまった。

「兄さん!」

 薫が涙声で叫んだ。

「雅……」

 藍は目を潤ませて彼に近づいた。

「早く後を追うんだ、藍」

 雅は根の堅州国に消えた。藍はハッとして薫を見て、

「私達も急ぎましょう、薫さん」

「はい」

 薫は大きく頷いて答えた。


 安本は、美月との話をすませ、理事長室を出たところだった。

「お送りしますよ」

「ありがとうございます」

 美月は、剣志郎の事が心配なのか、目を潤ませたままである。

「さ、行きましょう」

 安本が美月を促した時、外でタイヤのきしむ音が聞こえた。もうすでに生徒は全員下校し、教師もいない。

「誰が?」

 安本は廊下の窓から外を見た。すると、高等部の玄関に向かって、キャンピングカーとリムジンが走って来るのが見えた。

「あ、あれは、工藤の車です」

 美月が言った。安本はギョッとして、

「代議士の工藤ですか?」

「はい。もしかして……」

 美月は、剣志郎が乗せられていると考え、走り出した。

「ああ、美月さん!」

 安本が美月を追った。


「何事だ!?」

 玄関から原田事務長が飛び出して来た。キャンピングカーとリムジンは、その前に停車した。

「まだ人がいたか。まあ良い」

 キャンピングカーから真人が降りて来た。原田は、

「何だ、お前達は!? 警察を呼ぶぞ!」

「それは無駄だ、やめておけ」

 リムジンから、工藤と大野が降りて来た。

「あ、貴方は……?」

 さすがに工藤の顔には覚えがあった。原田は後ずさりした。

「何の真似ですか、工藤先生?」

 工藤はその問いかけに、

「大人しくしていてもらおうか。これから、竜の気を呼ぶのだから」

 狡猾な笑みを浮かべて答えた。

「器様をここに」

 真人の命令で、組員の二人が、剣志郎を連れ出した。

「け、剣志郎君!」

 原田はそれを見て驚愕した。

「あんた達が、剣志郎君を誘拐したのか!?」

 怒りの形相で原田は叫んだ。

「事務長、逃げて下さい! こいつらは危険です!」

 剣志郎はそう叫びたかったが、タオルが邪魔でできない。モゴモゴ言うのが精一杯だった。

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