第六章 器様
「こいつが『器様』か?」
辰野実人は、大野組の組員に拉致されて縛り上げられた剣志郎を見て呟いた。
「そうです。そんなご大層な人間には見えませんがね」
組員の一人が笑って答えた。しかし、実人はそれには全く関心を示さず、
「ご神体の間に運んでくれ。父上がお待ちだ」
「はい」
組員達は剣志郎を担ぎ、廊下を歩いて行った。
「待ちなさい!」
そこへ藍が走って近づいて来た。実人はチラリと藍を見て、
「小野の者か。邪魔はさせぬ」
藍の方に向き直った。
「あれが、辰野実人?」
藍は実人から発せられる強烈な気を感じた。
(何、あれ?)
思わず立ち止まってしまった。
「姫巫女流がどれ程のものか知らないが、我らが神に逆らうは、命知らずだぞ」
実人は無表情のまま言い放った。藍はムッとして、
「それ程の神が、一体何を仕出かそうとしているのよ!?」
彼女は自分から攻撃を仕掛けた事はない。しかし、実人に対して様子を見るような戦い方は危険だと瞬時に悟ったのだ。
「はァッ!」
一足飛びに間合いを詰めての正拳突き。しかし、実人はそれを軽く去なし、藍に裏拳を放って来た。
「くっ!」
藍はバク転してそれをかわし、実人から離れる。
「ほお。身のこなしもさすがだな。少しは楽しめるか?」
実人はスーツの上を脱ぎ、投げた。
「……」
藍の額に汗が伝わる。
(この男、体術も相当なものね。さっきの突きを軽く避けて、反撃までして来た……)
藍の正拳突きを避けたのは、今まで一人もいない。それほどの必殺技だった。
「どうした、もう
実人が挑発する。それでも彼の表情は能面のようだ。
「まだよ!」
藍は気を溜め始めた。
「何をするつもりか知らんが、どんな事をしてもお前が私に勝つ事はできない。身の程を知れ」
「何を言っているのよ? 貴方、自分が神様か何かになったつもりなの?」
藍は負けずに挑発し返した。
(隙を作るとしたら、私が仕掛けるのではなく、あいつに仕掛けさせる方法しかない。でもそんな策に乗って来るかしら?)
「来ないのか?」
「……」
実人の問いかけに、藍は何も反応しない。実人はスーッと構え、身を屈めた。
「来ないのなら、私の方から行くぞ」
「!」
藍はハッとした。実人が動いた。しかし、すぐに姿が見えなくなった。
「くっ!」
藍は辛うじて実人の突きをかわした。
「甘いな」
「えっ?」
かわしたはずの突きが、グインとうねり、藍の右脇腹に突き刺さった。
「グフッ!」
藍はその衝撃で跳ね飛ばされ、廊下の壁に激突した。
「ううっ……」
そしてそのまま床にずり落ち、倒れた。
「今は急いでいる。相手にするのはここまで。だが、次に私の前に現れた時は、例えお前が女だとしても、その顔を砕き、殺す」
実人はそう言い捨て、スーツを拾うと歩き去ってしまった。
「くっ……」
藍は起き上がろうとしたが、激痛で身体が動かない。
「藍さん!」
薫が追って来た。
「大丈夫ですか?」
薫は蒼ざめた顔で藍を見た。
「生きてますよ……」
藍は微かに微笑んで、薫を見上げた。
「きゅ、救急車を!」
薫が慌てて携帯を取り出す。
「平気です。そこまでして頂かなくても……」
藍は無理をして、ヨロヨロしながら立ち上がった。
「さっ、つかまって下さい」
薫は藍に肩を貸した。
「ありがとう」
藍はここは退くしかないと思い、
「ここを出ましょう。危険です」
「はい……」
さっきは強気だった薫も、藍が打ちのめされたのを見てすっかり意気消沈してしまったらしい。素直に応じた。
「藍!」
藍と薫が外に出て来た時、仁斎が到着した。
「お祖父ちゃん……」
藍は情けない声で言った。仁斎は薫に気づき、
「あ、貴女は?」
「どうも……」
薫はとてもバツが悪かった。この状態では、自分が藍を嗾(けしか)けたように見えてしまう。
「剣志郎が、連れて行かれたわ……」
「そうか。とにかく、態勢を立て直すしかあるまい」
仁斎は、本当は藍を怒鳴りたかったが、酷く打ちのめされている彼女を見て、考えが変わった。
「ごめんなさい、お祖父ちゃん。泉進様に言われたのに、一人で来てしまって……」
「もう良い。言うな、藍」
仁斎は藍の頭を撫で、まるで子供をあやすかのように言った。
泉進は、雅が閉じ込められている祠の近くに来ていた。しかし、彼には雅の居場所はまだわかっていなかった。
「この辺りに、微かに雅の気が残っている。今まで感じたもので、一番新しい」
泉進は周囲を見渡した。神社の裏手に森がある。
「森の方から感じる。この奥か?」
彼が足を踏み出した時、森の中から五人の男が現れた。
「何だ、お前達は?」
気を巡らせて、相手の考えを読む。どうやら、大野組の組員のようである。
「ジイさん、ウチの若い衆を随分と可愛がってくれたらしいな」
一人の組員が言った。泉進は笑って、
「儂は何もしとらんぞ。連中が勝手に側溝に落ちただけだ」
「うるせえよ、ジジイ!」
もう一人が怒鳴る。皆、殺気立っている。ヤクザは舐められるのが一番頭に来るらしい。
「どうするつもりだ?」
泉進は眼光鋭く組員達を見た。
「決まってる。沈んでもらうのさ、太平洋にね」
五人は泉進を遠巻きに囲んだ。
「その程度の人数では話にならんな。あと一桁頭数を揃えてから来い、若造」
泉進は鼻で笑って言い放った。組員の一人が激怒して、
「大口叩きやがって! やっちまえ!」
やられ役の「名ゼリフ」である。五人は一斉に泉進に飛びかかった。
「やれやれ……」
先進は仕方なさそうに身構え、たちどころに五人を気で吹っ飛ばした。
「ぐおおお……」
皆、
「しばらくそこでそうしておれ。すぐに迎えが来る」
泉進はそう言い残すと、携帯を取り出しながら、森の中に入って行った。
剣志郎の母、竜神美月は、安本からの連絡を受け、杉野森学園に来ていた。
「美月さん」
安本は玄関で彼女を出迎えた。
「理事長先生、この度は大変ご迷惑をおかけ致しまして……」
美月は安本に深々と頭を下げた。
「とんでもないです。こちらこそ、貴女の言葉をキチンと受け止めず、こんな事態を招いてしまいまして、申し訳ありません」
安本も美月に深々と頭を下げた。美月は、
「剣志郎はどこにいるのでしょう?」
「先程、小野先生から連絡がありまして、彼は千代田区にいるそうです」
「千代田区、ですか……」
美月はその住所の意味がわかっているらしく、顔色が悪くなった。
「剣志郎には何もしないと言っていたのに……」
美月の呟きを安本は聞き逃さなかった。
「美月さん、それはどういう意味ですか?」
美月は安本を見上げて、
「全てお話します」
と言った。
辰野神教本部の中央にある「ご神体の間」には、真人と実人、そして大野組の組長である大野寛、更に衆議院議員工藤清蔵がいた。全員正座し、上座にある祭壇に寝かせられた剣志郎を見ていた。
「これが、そうなのか?」
工藤が尋ねた。真人はニヤリとして、
「はい。これこそが、『器様』です。竜の気を自在に操り、地下に眠る数百億の財宝を掘り起こしてくれる鍵でございます」
「あまり価値がありそうな男には見えねえな」
大野組長が言った。すると実人が、
「では証拠をお見せ致します」
立ち上がり、剣志郎に近づいた。
「はっ!」
実人は柏手を一回打ち、雅を攻撃した時に出した竜のような形の光を出した。光は剣志郎に近づいた。すると、
「うわっ!」
工藤と大野が腰を抜かさんばかりに驚いた。剣志郎の身体から、実人の出した光の竜の数倍の大きさの竜が現れたのだ。
「どうです? 器様は身体の中に竜を飼っているのです。そして、あの杉野森学園の地下深く眠っている竜を呼び出してくれる案内役なのです」
真人は得意満面で言った。実人が竜を引っ込めると、剣志郎から出ていた竜も消えた。
「た、確かにな。凄いものを見せてもらったよ」
工藤はハンドタオルで汗を拭きながら言った。
藍は社務所ですっかりしょげ返っていた。薫も落ち込んでいる。
「何をそんなに暗くなっているのだ、二人共?」
仁斎は呆れ気味に尋ねた。藍は仁斎を見て、
「術の対決ならまだしも、体術で全く歯が立たないなんて、どうしたらいいのか……」
「そんな事、お前が暴走した結果だろう? 反省しろ」
「はい……」
そう言われてしまうと、何も言い返せない。仁斎は次に薫を見た。
「儂はあんたを信用しとるよ、薫さん。あんたは危険を省みず、あそこに乗り込んだんだ。そんなに落ち込まなくても良いと思うぞ」
「ありがとうございます」
薫は涙ぐみながら言った。
「どうすればいいのかしら?」
藍はもう一度仁斎に尋ねた。仁斎は藍を見て、
「泉進が戻るのを待て。今、雅を探してもらっている」
「えっ? 雅を?」
藍は意外な話にビックリした。
「そうだ。何故連中は雅を捕えたのか? そこに何か理由があるはず」
「そうね」
薫が何かを思い出したように、
「確か、兄が『我が神は闇を食らう』と言っていました」
「えっ? それって、もしかして……?」
藍はギクッとして仁斎を見る。仁斎は眉をひそめて、
「生け贄にするという事かな?」
薫に尋ねた。薫は藍の悲しそうな顔を見てから、
「多分……」
藍は驚き過ぎて何も言わない。しかし仁斎は、
「それは恐らく建前だ。生け贄にするなら、罠を岩手に仕掛ける必要はない。杉野森学園近辺か、千代田区のビルのそばの方が効率が良いだろう」
「そ、それはそうだけど……」
仁斎の話を聞いても、藍は雅が生け贄にされてしまうのではないかという事で頭がパンクしそうだった。
「確かにそうですよね」
薫は安心したように言った。
「それで、儂はある結論に達したのだ。雅を閉じ込めた理由は他にあるとな」
「他の理由って?」
藍が尋ねた。しかし仁斎はその事に答えずに、
「連中が動き出したのは、建内宿禰が封じられた直後だ。これも何か意味があると思う」
「闇が閉じれば光が溢れる、と父は言っていました。その事と何か関係があるのではないでしょうか?」
薫が口を挟んだ。仁斎は腕組みをして、
「うむ。あるかも知れん。どちらにしても、雅が邪魔だったので、閉じ込めたと考えた方が良いと思う」
「……」
藍はまだ何も考えられないらしい。
「それから、藍を簡単に倒してしまう程の実力があるにも関わらず、何故ここに来ないのか?」
「あっ!」
藍はようやく回復した。
「お前があのビルの中であっさり倒されたのは、連中に有利な気で満ちていたからだ。だから、ここには来ない」
「そ、そうね。そうよね」
「嬉しそうだな、藍?」
仁斎がニヤリとして言う。藍は赤面して、
「べ、別にそんな事ないわよ。それより、泉進様から連絡はないの?」
「さっきメールが届いていた。雅の居所がわかりそうだと。そして、また五人不逞の輩を退治したとも書いていた」
「そう」
すっかり携帯を使いこなしているのね、お祖父ちゃんと泉進様は、と藍は感心していた。
「薫さん」
藍は薫を見た。薫は居ずまいを正して、
「はい」
「力を貸して下さい。私は、貴女のお父さんとお兄さんを倒したい訳ではありません。救いたいのです」
「ありがとう、藍さん。私、できる限りお力になります」
「薫さん」
二人はしっかりと両手で握手をした。
安本は理事長室で美月から事の真相を聞き、驚愕していた。
「本当に申し訳ありませんでした」
全てを話し終えてから、美月は床に土下座して詫びた。
「いや、美月さん、そこまでして頂かなくても……」
安本は美月の謝り方は度が過ぎていると思ったのだ。しかし美月は顔を上げて、
「いいえ。あんな連中の言葉を信じて、理事長先生にも、小野さんにも、私が本当の事を話さなかったためにこんな事になったのです。もしあの子に何かあったら、私はどうしたらいいのか……」
彼女は泣いていた。安本も胸が締めつけられる思いだった。
「剣志郎がこの学園を辞めれば、何もしないと言われたのです。ヤクザ相手に何を信用してしまったのか……。本当にどうかしていました」
「仕方ありませんよ、美月さん。子供の命を脅かす連中と、冷静に話をできる親はいません」
「ありがとうございます、理事長先生」
美月はハンカチで涙を拭いながら言った。
「器様は我々の元に。そして邪魔な連中は封じた。後は杉野森学園を手に入れるだけだな」
工藤が嫌らしい笑みを浮かべて言った。大野組長もニヤリとした。真人はフッと笑って、
「杉野森学園は乗っ取るのをやめ、破壊する事にしました」
「どういう事だ?」
工藤が慌てた顔で問い質した。大野も驚いている。
「そんな事をしなくても、竜の気も財宝も手に入るからです」
「そんな事が可能なのか?」
真人が裏切るつもりなのかと思った工藤は一瞬焦ったが、どうやらそうではないらしい事を知り安心した。
「器様を杉野森学園でお祀りし、竜の共鳴を起こすのです」
真人は狡猾な笑みを浮かべて言った。
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