第二章 光の神

 剣志郎は、母美月の発言に唖然としていたが、

「な、何言ってるんだよ、母さん! どういうつもりなんだ?」

「そうです。私も驚いています。剣志郎君は非常に優秀な先生ですよ。それを……」

 安本がそう言うと、美月は息子の発言はまるで無視して、

「大変申し訳ないとは思っております。それに、授業の事もあるでしょうから、それほど急に辞めさせるつもりはございません」

「母さん!」

 剣志郎は自分が無視されたのを感じ、美月に詰め寄った。しかし美月は、

「貴方は黙っていなさい」

 ピシャリと撥ねつけ、安本に視線を戻すと、

「全く個人的な理由で申し訳ありませんが、剣志郎をこれ以上この学園に勤めさせる事ができなくなってしまったのです」

「理由を教えて下さい。あまりに仰っている事が一方的過ぎます」

 安本はさすがに怒りを覚えたようだ。確かに美月の言い分はあまりに勝手だ。

「それはお教えできません。只一つだけ申し上げれば、剣志郎の命に関わる事なのです」

 美月の発言に、安本だけではなく、剣志郎も息を呑んだ。

「い、命に関わるって、それ、どういう意味だよ?」

 剣志郎が苛ついて言った。しかし美月は全くそれを無視して、

「これ以上はお話しできません。何とぞ、ご了承下さい、理事長先生」

 深々と頭を下げた。

「いや、しかし……。他の理事達に何と説明すれば……」

 安本は困り果てた顔で言った。すると美月は、

「問題を起こしたとでも、学園の金を使い込んだとでも仰って下さって結構です」

「そ、そんな……」

 安本は呆れかけたが、そこまでして理由を話したくない美月の事を考えた。

「母さん、酷過ぎるぞ。理由を教えてくれ」

「貴方には後で話します」

「……」

 母親の凄みのある顔に、剣志郎は気圧される形で黙り込んだ。


 一方藍は仁斎から剣志郎の母親である美月の来訪の事を告げられていた。

「剣志郎のお母さんが?」

 社務所の中に藍の大声が響いた。

「大きな声を出すな、はしたない。儂はそんなに耳は悪くない」

 仁斎は憤然として言った。横に腰掛けている泉進は黙ったままだ。

「何をしにいらしたの?」

 藍はドキドキして尋ねた。仁斎は一瞬言い淀んだが、

「お前を息子に近づけないでくれと頼まれた」

「ええっ?」

 全く思ってもいない事を言われ、藍は仰天した。

「ど、どういう事よ? それじゃまるで私が、剣志郎に何かしたみたいな言い方じゃないの!」

「だから、大声を出すなと言っている!」

 そう言う仁斎の声も十分うるさい。

「だって、その……」

 藍は顔を赤らめて言い訳をしようとする。

「私は別に剣志郎に近づくって、そんな事した事ないし……」

「寧ろ逆だな」

 仁斎は同意するように言った。

「そ、それも違うわよ。あいつはさ、その、煮え切らない男だから、そんな事もなかったわ」

「何だ、お前、その口ぶりだと、待っていたのか、あの男が言い寄って来るのを?」

 仁斎は藍を真顔で見て言った。藍はムッとして、

「違うわよ。言い寄って欲しかった訳じゃないわ。只、付き合い長いし、あいつが私の事をどう思っているのかくらい、直接聞かなくてもわかるし、耳に入るわよ」

「そうだな」

 仁斎はニッとした。そして、

「美月さんは、お前が大変な目に遭うと言っていた」

「私が?」

 藍には訳が分からない。今まで大変な目に遭って来たのは、剣志郎の方だ。その事を責められて、近づかないで欲しいと言われるのなら、合点が行く。しかし、その逆では意味がわからない。

「そういう事か」

 突然今まで黙っていた泉進が言った。

「何だ、泉進? どういう事だ?」

 仁斎が泉進を睨んだ。泉進は藍を見て、

「今日、彼奴あやつに会ったと言ったろう?」

「あ、はい」

 藍も泉進を見た。泉進は声を低くして、

「彼奴の竜の気、最近になって少しだけ発して来たような様子だった。もし、儂の見立て違いでなければ、学園の竜の気に当てられて、彼奴の竜の気が目覚め始めているのかも知れぬ」

「でも、もしそうだとしても、私に近づくなと言うのは……」

「そこよ」

 泉進は藍を指差して言った。

「何だ?」

 仁斎が促す。泉進は二人を見て、

「藍ちゃんが姫巫女流を極めたせいで、あの男に影響が出ているのではないか?」

「えっ?」

 藍はキョトンとした。仁斎はポンと手を打って、

「そうか。なるほどな」

「どういう事ですか?」

 藍には意味が分からない。

「つまり、彼奴が藍ちゃんを諦めて、別の女に心を向けたために、藍ちゃんと彼奴の気の流れに不都合が生じたという事だ」

 泉進の言葉に少しだけ引っかかった藍は、

「それって、私が剣志郎と武光先生の関係に嫉妬してるって事ですか?」

「いや、そこまでは言っていないよ、藍ちゃん。藍ちゃんの感情は関係ないのだ」

 泉進は苦笑いをして言った。仁斎が、

「要するに、あいつがお前の方を向いていた時は、お前の気とあいつの気は何事もなかった。しかし、あいつが他の女に気を向けてしまったために、お前の気とうまく噛み合わなくなったという事だ」

「どう聞いても、私が嫉妬してるからのように聞こえるんだけど?」

 藍はまだムッとしたままだ。

「だから、それはお前の考え過ぎだ。気の流れの善し悪しは、その気を放つ者の感情には影響されない。方向だけが問題になるのだ」

 仁斎の更なる説明にも藍は納得がいかない。

「今までは、あいつのお前に対する気の方が上回っていた。しかし、お前が戦いの中で自分自身の気を高めたせいで、あいつの気がお前の気に返されるようになった。そのせいであいつは自分の気持ちがお前に届いていないと勘違いし、他の女に気を向けた、という事だ」

「そんな事言われても……」

 藍は困った顔をして泉進を見た。

「確かに藍ちゃんは何も悪くない。しかし、どうやら、あの竜神という男の家、只の家ではないようだ。辰野神教の動きと関係があるのかも知れぬ」

「美月さんは、学園で何が起こっているのか知らないと言っていたがな」

「そんなはずはない。恐らく、知っているはず。そして何か関わりがあるはずだ」

 泉進は確信に満ちた目で言い切った。


 千代田区の一角にあるビル。その中に辰野神教の東京本部がある。

「小野が動いたか」

 本部中央にあるご神体の間。板の間で、部屋の西側に巨大な竜の絵が飾られている。

「はい」

 その部屋の真ん中で、正座をして向かい合って座っている辰野真人と実人。

「器となるべき者ではあるが、あの男は姫巫女流と関わりがある。どうするつもりだ?」

 真人が尋ねた。実人は眉一つ動かさずに、

「母親に脅しをかけました。逆らうと、息子の命はないと」

「なるほど。搦め手から攻めるか」

 真人はニヤリとした。そして、

「私の方は、もう少し時間がかかる。工藤に動いてもらう」

「学園を乗っ取らせるのですか?」

 実人は関心がない顔だ。

「そうだ。一応奴の顔を立てる。生贄になってもらうのだからな」

「我らが神にも、お好みがございましょう」

 実人は冗談を言ったのだろうか? 真人は苦笑いをして、

「確かに、あそこまで腹黒い男は、不味かろうな。しかし、奴の黒さを我が神はご所望なのだ」

「光の神は、闇を食らうと?」

 実人が初めて反応した。彼は眉をひそめていた。

「そうだ。だからこそ、小野雅も生かしておくのだ。奴は小野に対する牽制だけでなく、生贄としても最高級品だからな」

「はい」

 実人はまた無表情に戻り、頷いた。



 剣志郎は、車中全く何も話してくれない母親に苛立っていたので、アパートに着くなり口を開いた。

「どういう事か説明してくれ、母さん」

「座りなさい。話が長くなりますから」

 美月は厳しい表情で言った。剣志郎は渋々キッチンの椅子に腰を下ろした。

「貴方には、竜神家の事を何も話した事がなかったわね」

 美月は向かいに腰掛けながら切り出した。剣志郎はキョトンとして、

「何の事?」

「竜神家は、代々続く竜神の神社の宮司の家系でした」

 美月の話は、本当に剣志郎には驚愕の事実だった。

「亡くなったお祖父じい様の代で、それは途絶えました。男児が生まれなかったためです」

「……」

 剣志郎はハッとした。

(確か、父さんは養子……。まるで藍の家と変わらないのか、ウチは?)

「終わったと思っていたのは、私達だけだったのです」

「どういう意味だ?」

 剣志郎は、母親の謎めいた物言いに眉をひそめた。

「竜神家の力を悪用しようとしている者達がいます」

「え?」

 剣志郎はギクッとした。美月は声を低くして、

「先日、その者達が家に来ました」

「何だって!? どうして俺に教えてくれなかったんだ?」

 剣志郎が叫ぶと、美月は、

「貴方を狙っている連中の事を、貴方に言えるはずがないでしょう」

「俺を狙っている?」

 剣志郎にはますます訳がわからない。

「竜の気を背負っているのは、私だけと思っていました。それが、貴方にも発現している事がわかったのです」

「竜の気?」

 剣志郎は呆気に取られた。美月は続けた。

「最近、理由もないのに身体が怠くなったりしていない?」

「え?」

 母親のその指摘に剣志郎はビクッとした。

「あの杉野森学園には、強大な竜が眠っているのです。そのために、貴方はその気に当てられて、疲労を感じたのです」

「そんなバカな……。疲れを感じたのは、つい最近だよ。そんな事なら、もっと前にそうなっていたはずだよ!」

 美月の言葉を信じ切れない剣志郎は、そう反論した。

「それは、藍さんのせいよ」

「藍のせい?」

 ますます訳がわからない。

「何で藍のせいなんだよ!?」

 剣志郎はムッとして尋ねた。美月はフッと笑って、

「貴方、やっぱり彼女の事が好きなのね?」

「……」

 剣志郎は、実の母親にそう指摘されて、真っ赤になって黙り込んだ。

「その事は構いません。でも、彼女とは付き合ってはならないのです」

「な、何でだよ?」

 剣志郎はようやく口を開いた。すると美月は、

「藍さんの気が、貴方の中で眠っている竜の気を呼び起こしかけています。その気は、目覚めさせてはならないのです」

「はあ?」

 剣志郎にはついていけないような話の流れだ。

「ですから、今日、学園に伺う前に、藍さんのお祖父様とお話をしました」

「ま、まさか……?」

 今の話の流れで行くと、母親が仁斎に何を言ったのか、鈍い剣志郎にも想像がつく。

「藍さんを剣志郎に近づけないでほしいとお願いしました」

「……」

 剣志郎は項垂れてしまった。

「そんなに好きだったのね、藍さんが」

 美月はクスッと笑った。剣志郎はキッとして母親を睨み、

「ああ、そうだよ! 悪いかよ!?」

 美月は真顔に戻り、

「お黙りなさい。何もわからない貴方が、偉そうな事を!」

「……」

 美月の迫力に、剣志郎は続けようとした言葉を飲み込んだ。

「理事長先生に申し上げたように、貴方の命に関わる事なのよ。藍さんとの事は、諦めて」

 美月は少しだけ悲しそうな顔をした。

「わ、わかったよ」

 剣志郎は椅子から立ち上がった。

「悪いけど、帰ってくれないか、母さん」

 剣志郎の混乱を感じた美月は、そばに着いていたかったが、

「わかりました。何かあったらすぐに連絡して。母さんは貴方が心配なの」

「ああ」

 剣志郎にも母親の気持ちは理解できていた。しかし、自分に何の連絡もなく動いた母親が、どうしても許せなかった。すぐには回復できないほどのダメージなのだ。

「またね」

 美月は寂しそうな顔で出て行った。

(藍はもう知っているんだろうか?)

 そう思って、携帯に手を伸ばすが、先日の一件以来、藍とは気まずい関係になっている事を改めて思い出し、やめた。

「藍……」

 諦めたつもりが、全然諦められていない。そんな自分をつくづく弱い男だと思う剣志郎だった。


 東北地方のいずこかにある山の奥のほこら。その中に小野雅は監禁されていた。

「どういう仕組みだ? 何故、堅州国かたすくにに行けない?」

 雅は強力な結界に閉じ込められているのだ。思えば、本当に油断していた。

 彼は、気の流れが不自然なところを探索していたのだが、それが罠だと気づいたのは、結界に閉じ込められた後だった。

(あの辰野実人とかいう男、只者ではない。それに、奴の後ろに感じたあの強力な霊気は……)

「まさか、小野宗家を襲うつもりか?」

 自分を罠に掛けるだけで、命を取らない理由はそれしかない。雅は歯軋りした。

「何と間の抜けた事を……」

 彼は自分の愚かさを罵った。

「縄文の遺跡が、霊的破壊をされているのを感じ、探った結果がこれか」

 雅はもう一度、根の堅州国に入ろうとした。

「む?」

 しかし、闇の向こうへ抜けると、元の結界の中だった。

「謎が解けない……」

 雅は目を瞑り、考え込んだ。

(椿が張った結界の中でさえ、根の堅州国を通れば入れた。それなのに、何故この結界から出られないのだ?)

 どうしても合点がいかなかった。

「む?」

 何者かが祠に近づいて来た。辰野実人だった。

「闇の力では、光に決して勝てぬ。何をしても無駄と知れ、小野雅」

 相変わらずの無表情で、実人は言った。雅はフッと笑い、

「誰かと同じ事を言うな。そんな事は承知している。闇が光に勝つ事はあってはならない」

「ほう。思っていたより、素直だな」

 実人はまるで表情が変わらない。雅は実人に背を向けて、

「だが、歪んだ光は、いつか消える事になる。せいぜい気をつける事だ」

「我が神は光の最高神。愚弄する事は許さぬ」

 実人は拍手を打った。一度だけだ。

「何だ?」

 雅は妙に思い、振り返った。実人の身体から、竜のような姿の光が伸びて来た。

「罰を与える。存分に味わえ!」

 その光は、まさしく光の速さで雅を拘束し、締め上げた。

「ぐあああ!」

 雅はその凄まじい力に、全身が砕かれてしまうような痛みを感じた。

「うう……」

 光は雅から離れ、実人に戻った。雅はそのまま地面に倒れ伏した。

「お前に残された道は、我が神の生贄となる事のみだ」

 実人はそう言うと背を向け、祠を出て行った。

「くそう……」

 雅は地面に這いつくばりながら、実人の後ろ姿を睨んだ。


 泉進は一度出羽に戻る事になった。

「もう一度、縄文の遺跡を調べてみる。何かわかったら連絡する」

「携帯電話くらい持て、泉進。連絡がすぐできんので困る」

 仁斎がそう言うと、泉進はニヤリとして、

「考えておくよ」

と言い、立ち去った。

「剣志郎に連絡した方がいいかしら?」

 藍は憂鬱そうな顔で仁斎に尋ねた。仁斎は社務所に入りながら、

「今はまだあの母親がそばにいるだろう。明日、学園で訊いてみろ」

「え、ええ……」

 電話ならまだしも、直接尋ねるのは気が引けたが、剣志郎の事が心配だったので、そんな事は言っていられないと自分に言い聞かせる藍だった。

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