5-4
わーわー大声を上げながら、三人がいろんな道具を手に、戻ってくる。水中眼鏡と足ヒレと、獲物を入れる網が二つと、網を引っ掛けるためのウキが二つ。
良一はハットを自転車のカゴに置いてきたらしい。和弘は無造作に、ウキを海に投げ込んだ。
明日実が当然のように、あたしに水中眼鏡を掲げてみせた。
「結羽も泳ぐやろ?」
「は? あたしも?」
「サザエ、今日の晩ごはんのために、採っていったらよか。それに、泳いだらスッキリするたい」
「遠慮しとく」
「本土に住んじょったら、めったに泳ぐチャンスもなかろ? 泳ごうよ」
「やだ」
良一と和弘は素早かった。スマホや財布をポケットから出して、良一のバッグに放り込む。二人とも、腰の紐をキュッと締めるタイプの、ベルトなしで位置を固定できる綿パンを履いていた。泳ぐこと前提のチョイスだったというわけ。
靴とソックスを脱ぎ捨てた良一は、軽くアキレス腱を伸ばして、膝の屈伸運動をして、和弘を振り返った。和弘はカメラを構えている。
「OK、良ちゃん。飛び込んでよかよ」
「じゃあ、行ってきまーす!」
良一は、はだしに触れるコンクリートの温度に「あちぃ!」と笑いながら、軽く助走をつけて、思いっ切り跳んだ。
明るい笑い声が空中に尾を引く。良一は、青空を背景にした光の中から、きらめく水しぶきを上げて、海の中へと飛び込んだ。
ほんの一秒、二秒で、良一は海面に顔を出した。
「けっこう冷てー! 気持ちいい!」
良一は立ち泳ぎをして、防波堤の階段のほうを目指した。いったん上がってくるつもりらしい。階段には、フジツボやカキの殻がびっしりくっついている。はだしでは危ないから、明日実が足ヒレを一組、良一のそばに落としてやった。
明日実はクスクス笑った。
「良ちゃん、楽しそうやね。ねえ、結羽?」
「そうだね」
「結羽も泳ごうって。楽しかよ」
「あたしは楽しくなくていいの」
「えーっ」
明日実は、自分のポケットの中に何も入っていないのを確認して、スマホの入ったバッグの口を丁寧に閉じた。明日実のバッグは、良一のバッグのそばに置かれる。
あたしは、まだ何か言いたそうな明日実から顔を背けた。それが失敗だった。目を離しちゃいけなかった。
明日実はいきなり、後ろからあたしに抱き付いた。
「えいっ、つかまえた!」
「ちょ、な……っ!」
明日実の柔らかい体温に、あたしは息が止まって動けない。明日実の手は素早く、あたしの体じゅうをさわった。
「中身が入ってるの、パーカーのポケットだけかな。これ脱いだら、海に入れるやろ?」
あっという間にファスナーを下ろされて、パーカーをはぎ取られた。下はタンクトップだ。肩や二の腕が潮風に触れて、すーすーする。
「ちょっと、明日実!」
明日実はケラケラ笑って、あたしのパーカーをザッとたたむと、良一のバッグのそばに投げ出した。水中眼鏡と足ヒレをつかんで、防波堤の突端から海へ飛び込む。
あたしは左肩を押さえて、パーカーを羽織り直そうとした。でも、またしても後ろから腕を取られた。強い力で羽交い締めにされて、体の自由を封じられる。
ずぶ濡れの体。高い体温。頭上に降ってくる笑い声。良一だ。
「行こうよ、海。結羽は泳ぐの好きだろ」
「は……っ!」
放せ、と叫んだつもりなのに、声が出なかった。明日実のふわっと柔らかい体とは全然違う、硬くて弾力のある体の感触。細い腕は、だけど、骨がガッツリと太くて、まったく振りほどけそうにもない。
和弘がカメラを手にしたまま、こっちを向いてポカンと棒立ちになっている。
動けないあたしとは裏腹に、良一はハイテンションの余裕しゃくしゃくで、カメラに笑ってみせた。
「今から、素直じゃない結羽を、海へ強制連行しまーす!」
背中に笑いの振動が伝わってきた。全身がカッと熱くなる。次の瞬間、足が宙に浮いた。良一はあたしを羽交い締めにしたまま、日差しに熱せられたコンクリートを蹴って、海へと跳んだ。
空中にいる短い間に、羽交い締めがほどけて、ギュッと抱きしめられた。
海に落ちる。二人ぶんの体重で、ずぶずぶと沈む。
あたしはじたばた暴れて、良一を突き放した。良一の腕が、あっさり外れる。手のひらが追い掛けてきたけれど、払いのけた。海の中で動くのは、良一よりあたしのほうがはるかに得意だ。水を蹴って、良一から離れる。
息を吸う暇もなかったから、すぐに限界がきて、あたしは海面に顔を出した。
良一はあたしより先に、防波堤の近くに浮上していた。へらへら笑っている良一に、あたしは腹が立った。
「こ、この……バカ!」
舌がちゃんと回らない。なぜ自分が怒っているのか、情報処理をするスピードが間に合っていない。
防波堤の上から、和弘の声が降ってきた。
「おーい、結羽ちゃん、良ちゃん。装備なしじゃ泳げんやろ。水中眼鏡と足ヒレ落とすけん、頭上注意な。あと、カメラ、そろそろ止めるけん。良ちゃんのバッグに入れちょくぞ」
それから、予告どおり、あたしと良一、それぞれのすぐそばに、水中眼鏡と足ヒレが降ってきた。水中眼鏡が沈んでいかないうちに、さっと拾う。あたしのそばに飛ばされた足ヒレは、靴を履いたままいけるタイプだった。
最後に、あたしたちの頭上を跳び越えて、和弘が降ってきた。派手な水しぶきがあがる。ザバッと海面に顔を出した和弘は、足ヒレを付けようとして不安定な体勢の良一を、ころんと引っくり返した。
「わ、和弘、何するんだよ?」
「何するんだよは、おれが言うせりふ。さっきのあれはアウトやろ。良ちゃん、エロすぎ」
「いや、ちょっと待って、何で和弘が怒るんだよ」
「せからしか! 結羽ちゃんに謝れ、この!」
和弘は豪快に、良一に水をかけた。良一は、慌てたり笑ったり忙しい。バシャバシャやるうちに、和弘も笑い出している。
小学生時代と変わらない騒ぎ方の二人を、あたしはただ眺めていた。良一への怒りは、何が原因なのかがわからないまま、急速にしぼんで消えてしまった。良一と和弘が話題にしたのはあたしのことなのに、二人の声がひどく遠い。
波に隠れて、つぶやいてみる。
「あたし、やっぱ、狂ってんのかな」
一つだけハッキリわかるのは、明日実や良一に抱き付かれたときに息が止まるほど驚いた理由だ。
他人の体温というものの壊れやすそうな柔らかさに、ゾッとしてしまった。あたしなんかが触れたら、それだけでバラバラに壊れてしまうんじゃないかと感じて、怖くて、さっさと離れてほしくて。
少し沖まで出ていた明日実が、水中眼鏡を付けた顔で平泳ぎしてきた。
「サザエ、けっこうおるよ。和弘、網、持ってきちょる?」
「あいよ」
和弘は、どこからともなく、大きな巾着袋の形をした網を取り出して、明日実に渡した。明日実は、網をつかんだこぶしを突き上げた。
「これいっぱいになるまで泳ぐぞ!」
ようやく足ヒレを付けた良一が、目を丸くした。
「そんなにたくさんいる?」
「この潮の割に、けっこう表に出てきちょっよ。あ、良ちゃん、海藻」
明日実は、波間に漂う海藻をつかんで、良一に手渡した。受け取った良一は、海藻で水中眼鏡のレンズを拭く。こうしておくと、レンズが曇りにくい。海藻は、良一の手から和弘に渡って、和弘からあたしに回ってくる。
海に放り込まれてしまった以上、泳ぐしかない。海中にいれば日焼けもマシだ、と思うしかないか。
タンクトップの裾が短くて、ショーパンに入れられない。ひらひらしている。でもまあ、あたしたちのほかには誰もいないし、許容範囲ということにしておく。
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