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 校庭に入ってすぐのところで、明日実と和弘は、押していた自転車のスタンドを立てた。良一は、カメラをバッグから取り出した。

「さて、そろそろ撮影開始だな。校舎を探検する間はおれも画面に入りたいから、誰かにカメラをお願いしたいんだけど」

 あたしは小さく右手を挙げた。

「さっきも言ったじゃん。あたしが映すってば」

 良一は肩をすくめた。

「それじゃ、お願いする。でも、結羽もちょっとは映ってほしいな」

 あたしはカメラを受け取った。予想していたより重い。画面は夏の日差しに照らされて、見づらかった。カメラの上に手のひらをかざしてひさしを作って、照準を良一に合わせ、撮影開始のボタンを押す。

 ふっと、熱い潮風が吹いた。良一はハットを軽く押さえて、遊具のなくなった校庭を見渡した。

「何もなくなってるんだね」

 改めてつぶやいた良一に、明日実が応えた。

「遊具が撤去されたとは、けっこう前やったよ。それからね、木、花壇、温度計、池、うさぎ小屋、鶏小屋……全部、どんどんなくなっていった。学校から帰ってきたら、朝にはあったはずのものが消えちょっと。何か寂しかったな」

 話す明日実に、あたしはカメラを向けていた。画面の中に良一が入ってきて、明日実を紹介する。ついでに和弘も引っ張り込んで、紹介する。

 画面越しだと、ずいぶん楽だ。良一たちと、平気で目を合わせていられる。

 良一と明日実と和弘は、三人並んで、校庭を突っ切っていく。その後ろ姿にカメラを向けながら、少し離れて、あたしが追い掛ける。

「うわ、校庭の砂、全然なくなってるんだな」

 スニーカーで地面をつついてみせる良一に、明日実はちょっと笑って応えた。

「ここの砂、もともと海風で飛ばされやすかったたい? 特に冬場とか、季節風で。校庭の端に吹き飛ばされた砂ば集めて、台車で運んで埋め戻したりしよったもんね。良ちゃんも覚えちょっやろ?」

「そうだったね。体育館の掃除も、冬の風物詩だったな。体育館は隙間だらけだったから、冬の季節風が吹き荒れると、フロアじゅうが真っ白に汚れて」

「うんうん。朝、学校に着いたら、授業の前に大掃除ですっち言われて。掃除なんて面倒くさかはずとに、なぜか楽しくてね」

「全校児童、たった七人で、本格的に汚れた体育館の掃除をしてたんだ。体力勝負だったよね。まずはボロのモップで拭いて、それから雑巾できれいにして。雑巾がけで競走してたよな。あのころは、四人の中でおれがいちばん遅かったっけ」

「今はね、砂がどんなに吹き飛ばされても、校庭の埋め戻しばしよらんけん、グラウンド、ととっぱげたままになっちょっと」

 明日実の何気ない一言に、良一が噴き出した。

「ととっぱげた、か。なつかしい。すごい久々に聞いた」

「え、標準語やったら、何て言うっけ?」

「はげた、でいいんじゃない?」

 和弘が横から口を挟む。

「つるっぱげぐらいのリズム感があるっち思う」

 あはは、と声を上げて三人が笑う。あたしはカメラを手に、黙ってついて行く。

 サッカーゴールが置かれていた跡には、くぼみが残っていた。鉄棒の跡も登り棒の跡も、ちゃんとわかる。二百メートルトラックの、体育館にいちばん近いコーナーがくぼんでいるのもそのままだ。あのくぼみ、水たまりがなかなか引かなかったんだよね。

 でも、やっぱり、地面に横たわったいくつかのくぼみだけだ。残されているものは。

 地上にのびのびとあったはずのものたちは、どんなに目を凝らしても、何ひとつ残されていない。土止めに使われていたコンクリートブロックさえなくなっているから、花壇や庭園の形がぐしゃぐしゃになっている。

 以前は校庭の隅の温度計の箱のそばにあったはずの、ヤクスギのやっくんとカヤノキのかやちゃんは、もう姿が見えない。明日実が二年生、和弘が一年生のころ、真節小の五十周年を記念して、大木に育つヤクスギとカヤノキを植樹したそうだ。

 この場所から未来が消えたんだなって感じた。やっくんとかやちゃんは、大きく大きく伸びていくはずだったのに、ここにあった学校が終わってしまったのと同時に、未来に続くべき歴史を、根っこから抜き取られてしまった。

「体育館から見ようか」

 良一の提案で、あたしたちは体育館の玄関を開けた。

 体育館は、一面、真っ白に汚れていた。校庭から吹き込んだ砂で、フロアに描かれたラインさえ見えない。土足のまま、体育館に上がる。セミの声が遠ざかる。埃っぽい空気が、むっと、こもっている。

 開けっ放しの倉庫には、何も入っていない。

「空っぽやね。どこに持っていったとやろ? どこに何が置いてあったっけ?」

 つぶやく明日実に、あたしは答える。

「そっちの壁際にドッジボールやバスケットボールのカゴ。隣に卓球台、反対側にマット、その手前に平均台と跳び箱、いちばん手前にスコアボード」

 道具の名前を次々と挙げるあたしに、和弘が呆れた顔をした。

「よう覚えちょっね、結羽ちゃん」

「父が時間あるとき、夕方、ここでバレーボールを教えてくれてた。体育館にはよく来てたから、覚えてる」

 良一がバスケットゴールの下で手を伸ばす。ほつれかけたネットが指先に触れている。

「小学校のリング、低いな。ダンクできそう」

 明日実がぱちぱちと手を打った。

「できそう! 良ちゃん、やっぱり、めっちゃ背が伸びたね。百八十五やったっけ?」

「うん、公称百八十五。でも最近、身長は測ってないんだよ。着丈とかは測るんだけど」

 ステージは、がらんどうだった。校章の入ったビロードの幕がない。集会用の演台もない。ステージ袖にあったはずの、古びたアップライトのピアノもない。

 校歌を刻んだ木製のパネルは、ステージに向かって左手の壁に掛けられたままだった。ステージ右手の壁の時計は、三時四十二分を指したまま止まっている。

 体育館の地下にある倉庫にも下りてみた。一輪車や竹馬やサッカーボール、石灰のライン引きが置かれてた場所だ。やっぱり何も残されていない。

 明日実があたしのほうに笑顔を向けた。

「真節小の一輪車ってさ、松本教頭先生がここに来るまで、適当に転がされちょったと。でも、教頭先生、一輪車のサドルば引っ掛ける台ば作ってくれたやろ? あれのおかげで、一輪車のサドルが歪んだり汚れたりせんごとなった」

 和弘が続ける。

「教頭先生、竹馬も作ってくれたろ? 逆上がりの練習用の台も。馬跳びタイヤのペンキも塗り直してくれた。逆上がりのやり方とか、速く走るフォームとか、一輪車のその場乗りとか、竹馬のケンケンとか、縄跳びの三重跳びとか、何でも教えてくれた」

 良一も、なつかしそうに目を細めた。

「昼休みと掃除の間に、業間体育っていうのがあったよな。大縄跳びとか練習したけど、全校で七人しかいなくて、先生たちも入ってくれて、やっとまともに成立してた。それでも、8の字跳びは走りっぱなしだったよな」

 明日実が、そうそう、と笑う。

「業間でレクリエーションもあった! じゃんけんで負けたら列車につながるやつ。あっという間に勝負がつきよったよね。全校でじゃんけんの列車って、普通、想像できんやろ?」

「ねえちゃん、その全校レク、大近島の八十人くらいの学校でもやりよったらしかよ。八十人やったら、五分くらいで勝負がつくとって」

 何でもない話、どうでもいい話が尽きない。業間体育で持久走をやったこと。業間のレクリエーションには、詩の群読や歌のときもあったこと。業間の後の掃除は、人数が少ないのに校舎が大きいから、いろいろどうしようもなかったこと。

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