5. マリンブルーの明日へ
5-1
真節小の校門のところに、二つの看板が設置されていた。立ち入り禁止と大きく書かれた看板と、工事の内容を説明する看板と。
校門とはいっても、門柱が両側に立っているだけだ。門が閉ざされることもなければ、学校の敷地を囲う塀も何もない。さえぎるものが本当にないから、校庭から飛び出したボールが道を越えて、海へと転げていったことが何度もあった。
あたしたちが校門の外に出ると、工事の作業服の男の人たちが、「ごめんね」と言いながら、低いバリケードを作った。長い間ずっと開きっぱなしだった真節小の門が、今、初めて閉ざされた。
明日実と和弘は自転車を回収して、大人たちがたまっているほうへ歩き出した。校舎の裏手の、アスファルトが道幅よりも広くなった場所。そこはもともと、先生方が使う駐車場だった。
駐車場の向こうに、かつてあたしが両親と一緒に住んでいた教員住宅がある。見るともなしに、教員住宅のほうを見ていたら、まだ涙声の明日実が、気を利かせて説明してくれた。
「結羽たちが引っ越した後、半年くらいしたころに、移住者が来てあの家に住み始めたと。何かね、芸術家の人らしくて、月の半分は留守にしちょっけど」
「移住者?」
「うん。最近、島に移住してくる人、けっこうおるとよ。新しく仕事ば始めたり、農業ば手伝ったり。小近島にはまだあんまりおらんけど、漁業がやりたか人がおったら、うちに来てもらえたらな」
「そういう移住って、どんな人が? 都会から来るの?」
「都会っていうか、このへんよりいなかの場所って、なかやろ?」
「確かに」
「いろんな年代の人が来よっけど、三十代の人がいちばん多かったっちゃなかかな。実はね、うちの仕事にも、ときどき、見学の人が来ると。そういうとき、うちが案内するとよ。女の子にもできる仕事やけんっていうアピールでね」
うちは特別製の怪力ガールやけどね、と、明日実はおどけてみせた。泣き腫らした目元は真っ赤だ。
顔見知りの大人たちと挨拶を交わした。みんな口数が少なくて、力なく笑ったり、うつむいたりして、それぞれの家や職場のほうへ去っていった。
ちょうど、人々が解散してしまうタイミングで、明日実と和弘のおかあさんが軽トラを運転して、昼ごはんを届けに来てくれた。水筒に入ったお茶と、おにぎりと、魚の焼いたのと、切ったスイカだ。
「久しぶりね、結羽ちゃん、良ちゃん。元気しちょったね。ねえ、また今度、ゆっくりおいで。次んときは、うちに泊まってよかけんね」
マイペースにまくし立てて、明日実と和弘のおかあさんは、家のほうに戻っていった。話が手短だったのは、あたしの母とSNSでのやり取りが続いていて、あたしと直接話すこともないせいだろうか。
明日実があたしたちの顔を見ながら言った。
「これからどうしよっか。船、五時やもんね。だいぶ時間がある。とりあえず、お昼、どこで食べる?」
良一が答えた。
「あの防波堤のほうに行こうよ」
異議なし。
あたしたちは昼ごはんを持って、船着き場とは逆のほうを目指して、海際の道を歩いた。明日実と和弘は、カゴにいろんな道具の積まれた自転車を押している。並び順は、いつもと同じ。
海に突き出したコンクリートの防波堤では、小学生のころ、釣りをしたり泳いだりして、よく遊んだ。遊びの合間に、今日みたいに昼ごはんを届けてもらって、みんなで分け合って食べたりもした。
歩きながら、良一がつぶやいた。
「防波堤、こんなに近かったっけ? 昔は、もっともっと広い世界を四人で占領してるような気分だったんだけどな」
ギターと自転車は、防波堤のそばの、山の影に入り込んだバス停に置いた。小近島のバスはワゴン車みたいなサイズで、朝昼夕の三便、走っている。車を持っていないお年寄りが、船着き場や教会の行き来に使うんだ。
日差しを浴びっぱなしの全身がひりひりする。日に焼けた肌が赤くなりかけている。明日実や和弘みたいにきれいな日焼けができる体質ならいいのに、あたしの肌は、太陽に照らされると、すぐやけどみたいになってしまうタイプだ。
防波堤に立つ。ほんの数メートルの違いなのに、道路の真ん中よりもずっと、ハッキリと涼しく、潮風に包まれる。
温まったコンクリートの上に座って昼ごはんを広げた。良一と明日実と和弘は、両手の指を組んで目を閉じて、祈りの言葉をつぶやいた。
小近島にはクリスチャンが多い。現代ではカトリックだけど、もとは隠れキリシタンだったらしい。小近島だけじゃなく、周囲の島々でも、地形が特に険しい集落には、江戸時代に迫害から逃れてきた隠れキリシタンの末裔が住んでいる。
良一は抜かりなく、昼ごはんをスマホのカメラで撮影した。明日実が「撮ってあげる」と言って良一からスマホを受け取って、おにぎりと焼き魚のラップをはがして今から噛み付くぞ、っていうところを撮った。口いっぱいにごはんを頬張った笑顔も。
「あ、これ、かなりいい写真。明日実、ありがとう」
「どういたしまして。良ちゃんって、ざまんごて、おいしそうに食べるよね」
「だって、マジでおいしいし」
「ね。島におったら、シンプルな料理ばっかりけど、うちも、全然飽きらん。いつも、あーおなか減ったー、あーおいしかーって」
「幸せなことだよ、それ。毎日食べられるのも、おなかが減るのも、おいしいって感じられるのも」
笑みを含んでサラッとした良一の言葉に、あたしは体が固まった。毎日の食事がおいしくない。あたしは今、幸せじゃないんだ。
ざくりと、良一の言葉に胸をえぐられて、それから、思い上がりだったと気付く。
良一は自分のことを語ったんだ。幼いころ、毎日の食事に不安を覚えるような生活だったことを。
十歳で小近島に来て、初めて食べ物をおいしいと感じたと、良一は五年生のころに作文に書いた。秋、学校行事で芋の収穫をして料理をして、みんなで食べたときの作文だ。良一のあの作文に大人たちが涙していたのを、あたしは覚えている。
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