3. ライトブルーの思い出

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 小近島に住んでいたころ、母が毎朝、船で大近島に通勤していたように、大近島から小近島へ通勤してくる人もいた。真節小の低学年の先生がそうだったし、郵便局員は全員そうだった。明日実のところの養殖場にも、岡浦から通ってくる人たちがいた。

 朝、彼らの出勤に合わせて、岡浦の船着き場から渡海船が出る。この時刻に岡浦からの便に乗るのは初めてだったと、あたしは船の上で気が付いた。

 あたしの隣で、良一は、遠ざかっていく岡浦と近付いてくる小近島を撮影している。今日の良一のファッションは、Tシャツとハーフパンツ、スニーカー、頭には中折れハット。全部、白っぽいアースカラーだ。

 あたしには、そういう色は似合わない。ふやけた印象にはなってしまう。淡い色っていうのが、どうしても似合わないんだ。柔らかい色のほうが、本当は好きなんだけど。

 良一のカメラは、ギターを背負ってフードをかぶったあたしにも向けられる。

「何でこっち映すの?」

「このクールで不機嫌な女の子は、ぼくの同級生のうちの一人です。同級生といっても、ぼくを含めてたった四人しかいません。三人が同じ学年で、一人が一つ年下。ぼくたちの学校は小さかったから、四人で一つの学級でした」

 カメラに接続した小さなマイクが、良一の口元にある。吹き込まれるナレーションの一人称が、ぼくになっている。仕事モードらしい。今日一日、良一はずっとカメラを回し続ける予定だ。

「あんたが映ってなきゃ意味ないんじゃない?」

「hoodiekidがRYO-ICHIの動画に映ってるのも、それはそれでおもしろいと思うけど」

「事務所の人からNG出る気がする」

「その心配はありません。だいぶ前から、マネージャーにもhoodiekidが同級生だって話はしてあって、今回も共演して問題ないって言ってもらってる」

 あたしは良一に背を向けた。船のエンジン音に掻き消されないように、声を張り上げる。

「だからって、RYO-ICHIの動画に本人が登場しないのは本末転倒でしょ」

「学校探検のときは、誰かに撮影を任せるよ」

「じゃあ、あたしが撮る。映りたくないし」

「映りたくないって、覆面なしで動画配信してる人のせりふとは思えないな」

「歌う動画とこういうタイプのと、全然違うじゃん」

「結羽、ちょっとこっち向いてよ」

「うるさい。カメラ近すぎ」

「近寄らなきゃ、マイクに声を拾えないよ。渡海船のエンジン音は、後で編集して抑えるつもりだけど」

 近すぎるってば。こんな距離で撮るのは、たぶんよくない。純真無垢な島育ちの美少年RYO-ICHIのファンからすれば、この近さはあり得ないと思う。これが配信されたら、あたし、RYO-ICHIのファンに刺されるんじゃないだろうか。

 いや、そういうことをいちいち心配するのって、うぬぼれかな。女の子らしい女の子ってわけでもないんだし。ハンドルネームだって、最初から「キッド」って呼ばれたんだ。「ガール」じゃなくて。

 今日のあたしは、黒いパーカーに白いタンクトップ、ジーンズ地のショーパンっていう格好。こんな感じがあたしの普段着だけど、そういえば、プロである良一の目にはどう映っているんだろう?

「結羽、髪が伸びたよな。染めてる?」

「そんなわけないじゃん。短かったら目立たないけど、地毛が茶髪なの」

 伸ばしたいんじゃなくて、髪を切りに行くのがイヤなだけ。伸びすぎないように、自分で適当にハサミを入れているから、肩甲骨に触れるあたりの毛先はギザギザに歪んでいる。

 話をするうち、あっという間に、渡海船は小近島の船着き場に到着した。タラップを踏んで、浮桟橋に降り立つ。何艘かの漁船が停泊した船着き場は、さびた鉄と海藻と機械油と腐った木の匂いが、潮の匂いに混じっている。

 変わってない。

 コンクリートの小箱みたいな待合所。天然の良港といわれる、波の穏やかな湾。ひしゃげたような格好の古い家々。山肌を切り開いた段々畑。わーしわーしと降ってくるセミの声。

 海岸線は入り組んだ形で、県道は海岸線沿いにうねうねしている。県道の海側にはコンクリートの防波堤があって、反対側には山が迫っている。

 島の裏側の集落へと続く峠道の途中にあるのが、小近島教会と慈愛院だ。山を上らずに海岸線沿いを進んでいくと、あのカーブの向こうにあるのが、真節小学校。

 良一が、吐息のように言った。

「なつかしいな」

 カメラが、ゆっくりと、小近島の風景を映している。

 坂を下りてくる人がいる。自転車に乗って、二人連れで。目を凝らせば、明日実と和弘だと、すぐにわかる。自転車は、前にも後ろにも大きなカゴを付けたもので、明日実と和弘はたびたび、獲れすぎた魚をあのカゴに積んで島の人々に配っていた。

 あたしと良一は浮桟橋を離れて、県道に出た。真節小のほうへ歩き始めたとき、自転車の二人があたしと良一に合流した。明日実と和弘は、自転車から飛び降りた。

「うっわー、結羽も良一も、久しぶり! わぁぁ、何か、二人とも大人っぽくなっちょる!」

 はしゃぐ明日実の声は、昔のままだ。でも、明日実のほうこそ大人っぽい体つきになっている。

 日に焼けた肌と短い髪、大きな目。家の仕事で鍛えられているせいか、もともとの体質なのか、腕も脚も筋肉質だ。それでいて胸もしっかりあって、見るからに弾力がありそうで。野生動物みたいにしなやかな体だ。きれいだなと思った。

 一つ年下の和弘が、聞いたことのない低い声で「うっす」と言った。

「結羽ちゃん、良ちゃん、長旅、疲れたろ? 昨日は泊めてやれんで、ごめんね。いとこば泊めるスペースしかなくて。それもギリギリやったけど。ぎゅうぎゅう詰めで雑魚寝したっぞ」

 小学生のころは背が低くて、あたしの肩までしかなかった和弘が、あたしと同じくらいの背の高さになっている。いや、たぶん、あたしより少し高い。

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