森ガール
甘枝寒月
本編
俺は小山田真悟。年齢はアラサーくらいだ。いや、見栄を張った。もう30は過ぎてる。細かい数字は察してくれ。
さて。ーーいや、切り出しに『さて。』も芸がないな。だが、他にはどんな物があるんだ? まずは、とかか? これから話すことは友達の友達から、とかか? まあいい。重要なのは話の内容なのだから。
さて。今年もゴールデンウィークがやってきた。今年もテレビが『この箇所に休みを取れば大型連休』と無責任なことを伝えてくる。普段なら、そこに休みを取るなんてできるわけがないとぼやいていただろう。だが、今年の俺は違った。その場所に休みを取り、2桁に乗る連休を得たのだ。まあ、その申請の時ものすごい『うわ……』という視線を感じたが。
そして、俺は有り余る時間を使い、森へとやってきた。普段のコンクリート砂漠とは一転した一面の樹木。機械音声ではない生物の気配。忘れていた自然が、俺の郷愁を駆り立てる。しわがれたお袋や親父を思い出す。
しばし、その場で立ち尽くしていると。不意に声をかけられた。
「こんにちは」
そちらを見ると、若い少女がにこやかに声をかけてくる。
「こんにちは」
挨拶を返す。すると、少女は去らずにこちらに向かってきた。
「何をしてるんですか?」
「あ、ああ。森林浴だよ。疲れ切った心をリフレッシュしているんだ」
「疲れ切った、ですか。あの、もしよかったら一緒に歩きませんか?」
「え!?」
少女が、突然妙な提案をしてくる。
「実は、私好奇心が強くて。そこまで疲れ切った人の話、聞いてみたいんですよ。お願いします」
純粋な笑顔を向けられ、押されるがままに俺は是と答えてしまった。
「そんなことがあったんですか。社会って大変ですね」
「ははは……。まあ、大変なばかりじゃないけどね」
あれからどれくらい時間が経っただろうか。少女に促されるまま、俺は様々な経験を話していた。特に社会人としての経験に興味があるらしく、会社でのことについていろいろなことを話した。
喋りながら歩くことは存外体力を使うらしく。いつの間にか俺は息を切らして、額には汗が浮かび始めていた。
「ふう。お嬢ちゃん、俺はここで休んで行くから。ここでお別れだよ」
「え?」
「楽しかったよ。じゃあね」
あくまで彼女は道で会って、少し気が合っただけの関係。ここらで別れるのがいいだろう。
そう思っていたのに。彼女はなぜか別れるのを拒み始めた。まだ一緒にいると。なぜそこまで拒むのか、そう感じ始めた時、彼女の口から驚くべき言葉が飛び出した。
「何のためにこんな、富士樹海まできたと思ってるんですか! 私は人が死ぬのが見たいんですよ!」
呆然とした。
確かに、俺はこの歳になっても彼女もできず変わらない自分に。漠然とした未来に屈して自殺を選び、この樹海に来た。
だが、目の前の子はなんだ。死ぬのを見たい?
理解できない俺を置いたまま、彼女は言葉を重ねる。
「気になるんですよ。樹に首を吊る時にどこを踏み台にするのか、やっぱり枝から飛び降りるのか。とか。目玉や舌は飛び出すのか、とか。どんな声で、どんな形相で、どんな風に悶え苦しむのか、とか。失禁とか。痙攣とか。やっぱり生で見たいじゃないですか。でも、自分で殺すのはちょっと。いや、殺した時の気持ちが気にならないといえば嘘になりますが。でも、好奇心は知ってますし、その結果で殺すのも何か違うんですよね。もっと憎しみとか快楽とか、そういうので殺すのが知りたいんですよ。ああ、脱線しましたね。で、それで自殺する人を間近で眺めて観察するのがいいって思ったんです。先ほどまでの会話もよかったです。激しい感情で自殺する人ばかりじゃない、とわかりましたから」
分からない。まくしたて、つらつらと話す彼女が。それでも、ほんの少しだけ。彼女は、自分の好奇心のために目の前の人間、俺が死ぬのを見逃してーーそれどころか心待ちにしている。
「遺書とかも拝見しますね。ああ。楽しみです。ビデオにも撮りますが、やはり生が最高ですものね。さあ、それではお願いします」
映画でも見るような感覚で人の死を見ようとするこの子が。目の前のナニカが分からなくて。俺は、その場から逃げ出した。
逃げる時。その子の「あれ。止めるんですか。残念」という言葉が、耳に残った。
いつの間にか、俺は住み慣れたアパートに戻ってきていた。
面倒で財産整理などをやっていなかったのが幸いし、いくつか会社や両親、友人に残した手紙を処分するだけで、俺が自殺を図った証拠は消え失せた。
あれから、俺は自殺を考えなくなった。漠然とした未来より、もっと恐ろしいものを知ってしまったから。今でもテレビなどで森の写真を見ると思い出す。彼女のどす黒い好奇心を。
森ガール 甘枝寒月 @AmaeRuna
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